じゃ面倒くさいけど説明するよ
ちょっと長文になるけど
アメリカンニューシネマというとカウンセラーカルチャーの時代を色濃く反映していて反体制とか反逆がテーマでアウトローとかが車やバイクでぶっ飛ばしたり破滅へ向かって突っ走ったりを思い浮かべる人が多いと思う
しかし実際は「スローターハウス5」や「時計じかけのオレンジ」のような近未来SFもあるし「カッコーの巣の上で」のように閉鎖的な場所を舞台にした作品もある
「ダーティハリー」のキャラハン刑事や「フレンチコネクション」のポパイのように主人公が体制側の立場だったりする作品もある
確かに反体制や反逆がテーマとして描かれる作品は多いが、アメリカではニューハリウッドと呼ばれていた様に、とにかくストーリーはハリウッドの黄金時代のパターンにはまらない新しさに満ちている
主人公は薄汚い負け犬のままだったり全然勧善懲悪で無かったりスカッとせずにグズグズ終わったりラストがブツ切りで投げっぱなしだったり
ゴダールに代表されるフランスのヌーベルヴァーグとは違うアメリカならではの新しさだ
「断絶」などザラついた映像でひたすら車が走り回るだけ、でもカッコいい
「時計じかけのオレンジ」は正確にはイギリス映画だし「エル・トポ」は正確にはメキシコ映画だがアメリカンニューシネマの範疇に入ったりする、なぜだ!
その強引さや雑な感じも含めてアメリカンニューシネマなんだ
さて、大林宣彦の「ハウス」はアメリカンニューシネマのファンに受けるか?という当初の疑問だが
俺の答えはイエスだ
なぜなら日本で77年に公開された反応がアメリカでアメリカンニューシネマの作品群が公開された時と同じだったからだ
「ハウス」を観た東宝の重役はゴミだと吐き捨て、映画評論家はボロクソに貶した
「CM作家が安い映像を繋ぎ合わせた全く何も残らない作品」という評論は俺も覚えている
しかし10代20代の若者は熱狂した(特にクリエイターは衝撃を受けた)
これもアメリカンニューシネマの反応と同じだ
大森一樹は「ハウス」を観て自らの創作欲を抑え切れずひたすらデビュー作創作へと突っ走った
井口昇は全身の細胞が沸騰するほど感激し「富江」をはじめ「ハウス」へオマージュを捧げている
2009年にアメリカで公開されると、そのポップでチープでアバンギャルドな作風はたちまちカルトな人気を博した
先日大林宣彦監督が亡くなったニュースがアメリカやイギリスで流れた時はあの「ハウス」の監督が…という内容だったほど