△△△△△八甲田山 第九次雪中行軍△△△△△ ★2 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレが遭難しそうなので救助隊を派遣した
△△△△△八甲田山 第十次雪中行軍△△△△△
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/rmovie/1388444551/
by びんたん一発次スレ立て >>769
自信満々だから初めて見たらフラグかと思っちゃいそうなシーンだ
進藤特務曹長も似たようなセリフを言って青森隊はあの有様
どうして差がついたのか、環境の違い、慢心的な対比だった >>771
あの枝を見ろ、明らかに人の手が加えられてある(゜ロ゜) 進藤特務曹長が間違いに気づいて逃げ出したのはリアリティあったな
あの後はどうなったんだっけ?逃げ続けて力尽きて凍死? ドキュメンタリー八甲田山は来月チャンネルネコでやるみたいね。
まだ見たことないから楽しみ。 >>774
進藤曹長もひどいが、先遣隊になった渡辺、高橋の伍長2人も最悪 帰路を発見と言いながら 結局迷走してる隊の最後尾になる位ですから(T ^ T) 名ゼリフ、ここまでまとめ。
「入営まで自分は銀座で働いておりました!」
「一度入ったら二度と戻れねぇ、白い地獄谷。」
「自分は岩木三佐も登ったことがあるから
志願しねぇわけにはいかないけど。」 >>773
誰か
「こんなのは、炭焼きの連中が切ったのでしょう。そこら中にありますよ」
とか言える、山の生活に詳しい将校が
一人でもいればね〜 そういうのがいなくても踏破できるようにする訓練だぞ(白目) 登るしかあるまい の時やけに周りがシーンとするのがちょっと笑える すんごい天気だったね。
帰りに遭難するかと思ったわ。
道路はズルズルだし、救急車が何台出てんだろ? 気温 零下5℃。
風速10メートル。
って中で30分ぐらい外にいたら、指が痺れるような痛さだったな。
手袋忘れたし、終わってた。
屋内もあまりの寒さに暖まらんの。
外にいる時にはゴム長(笑)も履いていたけど、ずっと足腰も冷えっぱなし。
あと1ヶ月もすれば、5連隊も大変な目に遭ってる時期なんだなー。 >>786
周到な準備をした上で、やりたいと思います。 今頃は『案内を何とかすべと思って』
『案内など要らん!』くらいの頃かね?
実際には『ご協力のお申し出誠にありがとうございます。
しかし民間の方を危険な行路に同伴する事は出来ません。
我々のみで遂行するのも今回の演習の大事な目標ですので、
また別の機会にご協力をお願いさせて頂く事もあると思います。その際は是非宜しくお願い致します』
くらいの返答をしてたりして? 雪中行軍訓練
雪中野営訓練は今も健在
札幌雪まつり大雪像作成である 弟を背負う「許可」って改まって言うところに愛を感じる この前発売されたDVDって、バリアフリー以外になんか目新しいことあるのかね 山登りに行くと夏でさえ思う
町ってなんてありがたいんだと 鳴沢の峡谷は一度入り込んだら出られないほどの深さなのかな。峡谷を回避するように前進したようだけど、夏道を田代に行った経験がある人はいたんだよね。ならば今の県道40号線みたいに馬立場に登らずに回避しようとは思わなかったのかな。
本隊は無理かもしれないけど設営隊ぐらいの規模なら、駒込川に沿って田代目指せるんじゃない?
現地を知らない単純な疑問です 吹雪で方角もわからず
分かっても風向きがコロコロ変わる地形でまっすぐ歩いてるつもりでも
雪が飛ばされてる方向の変化で方角を直ぐに見失うと言う状況だったそうな 快適な雪洞作っておとなしくトランプでもやってりゃあよかったんだな 方位磁石が凍結したとしても
体温で解凍が可能じゃなかったのかな 田代元湯には当時、数軒の宿があったようですがそこには越冬している人はいなかったのですかね。新湯の人が雪かきしに行っていたのかな。村松伍長が発見されたときは温泉を飲んでいたというから無人だったのでしょうが。
新湯の宿舎の規模を考えても210名を収容できたとは思えないね。結局は露営のつもりだったのかな。まさか指揮系統の人だけが宿舎で寝るつもりだった訳ではないよね 田代元湯も田代新湯も旅館が数軒あった。
新湯には民家もあった。
元湯は冬は人がいなかったが、新湯には人がいた。
210名は露営と民家と旅館に分かれて泊まる。
風呂は川沿いにけっこう大きなものが複数あって跡も残ってる。 雪の中で兵隊が発狂して裸一貫になって、ふんどし姿で雪の中で暴れるシーンがあるけど
みんな黙って雪の中で死んでいったと思えない。
黙々行進して雪の中で凍死したと思うと軍隊社会の不条理が酷い
大戦後の戦後のシベリア抑留でも多数の死者だしてるから、
戦争の悲惨さを痛感する まだ開拓の真っ最中だったのかね
北海道というと遭難ではないけど大正時代に
開拓民の小屋がヒグマに襲われた三毛別羆事件が
八甲田山と同じく小説で有名だよね
吉村昭氏の「羆嵐」だっけ ロシアの南下政策に対抗するために開拓スピードが大幅に上がった時期 ドキュメンタリー八甲田山のDVDの特典映像も面白い。
企画段階で三毛別羆事件も映画化候補だったらしい。 来月の半島のオリンピック開会式は現代版八甲田山になりそうだな >>816
ゼンズロはセッツーコーグンさ志願するゆーてたべか? このスレの最初のほうにラシャって何?
みたいな書き込みあるけどラシャ問屋とか今の時代でもあるし、朝ドラの「おしん」の亭主もラシャ問屋の主人だし
普通、親から教わるだろw
ラシャぐらい常識として知ってないと頭が悪い馬鹿にしか思えないだけどなあ ラシャ問屋乙
ラシャと頭は関係ないし、おしんを皆が見てると思ってるお前の頭がどうかしてる
そもそも、親がラシャを教える暮らしなんて普通にない ラシャって聞いて直ぐに分かる人って洋裁好きかビリヤード好きか麻雀好きぐらいじゃね? 知ってる人は知ってるし知らない人は知らない
そんな程度の物だろラシャって
ラシャの現物触ってみても初めて見たとかいうひとがいたら、変わった人だとか思うかもだけど
現物見て、ああこれね、とかいう感想だったら普通の人と思う
100人いれば100とおりの常識があるからな 知識も経験もない糞ガキが
リアル社会でえばれないからとネットの中で粋がるスレはここか? ハスラー2でビリヤード流行ったときに友達とやりに行って
ラシャを傷めるからマッセ禁止という店だったので
そこでラシャという単語を認識したな
知らない人いても特におかしいとは思わないよ ラシャの外套自体見たことないけど 雀卓やビリヤード台に使用されている布地だと中学生の頃に聞いた記憶ある(^。^) なんでラシャに拘るのかね、>>823
布業界もたいへんな御時世だからどうでもいいことで、
>>823がイライラするのかもしれないけど(笑) 軍手1枚って今の常識じゃ考えられんわな
100均の薄っぺらい滑り止め付きフリース手袋の方がましだろ プラス
作業着屋の安物の長靴と速乾性厚手靴下
ユニクロのヒートテックとフリースの上下
デパートの安物の透湿素材レインウェア上下
コンビニのニット帽
でさえ相当ましかもな
タイムマシーンがあれば届けたい ようやくドキュメンタリー八甲田山を見た。
気になったのは「全員同じ方向を向き胸の前で手を交差し目から血を流し裸足で亡くなっていた」という部分。
裸足になってしまっていたのは何故?
それから特典の心霊現象の話、不謹慎な話かと思ったら科学的な見解が述べられてて意外と面白かった。
事件から間もない頃に兵隊さんたちがそろって幽霊を見たと言ってパニックになった話、
上官の命令で幽霊が消えたというのは、精神的な面で神主のお祓いなんかと同じ効果があったんだろうね。 思い込みで過敏な反応したってことか
おそらく雪中行軍事件の事を一切知らない人なら幽霊見たとか感じなかっただろうね
狐憑きを知らない人は狐憑きにならないのと同じような感じで > 裸足になってしまっていたのは何故?
深雪に足を入れて、脱げてしまったのでは。
東京住まいだが、5年ぐらい前の大雪の時に、運動靴が雪に埋まって
裸足になってしまったことがある。 脱いだのは気が狂ったという説とかや
凍って冷たくて脱いだほうがましに思ったという説とかもあるな 冬の風物詩、青森県の八甲田山の樹氷にスプレーで文字が落書きされているのが見つかりました。
八甲田ロープウェーによりますと、14日昼ごろ、山頂公園駅近くの樹氷に落書きがされていると利用客から連絡がありました。
落書きは4、5本の樹氷と積もった雪の表面にピンク色のスプレーで書かれていて、英語と中国語で「誕生日おめでとう」という内容でした。
現場を目撃した男性によりますと、男女2人が落書きをバックに記念撮影をしていたということです。落書きはすぐに八甲田ロープウェーの職員が消しました。
配信2018/01/15 18:44
テレ朝ニュース
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000118707.html 何度か見返しての疑問、戦時下でなく訓練 万一に備え 本隊との連絡手段はなかったのか?通信は無理でも 昔ながらの狼煙や花火 空砲射撃など 何がしかはあったのでは? 確か戦争で実際に使用するかもしれないから隠密にしたかったというのも
あるかもしれんが舐めてて通信手段をけちったのかもしれん
狼煙くらいなら何とか可能かもしれんがやばいと気づいた時点では助けを待ってる
時間まで持たないというかんじだったのかもしれん >>836
>>837
なるほど…諸説あるのね
ありがとう >>842
風が強い雪の日は光とか音は通信手段にならないと思います。
そもそも雪中行軍で実弾の支給があったかどうかよくわからん。 >>843
かとも思ったけど 案内人探してる時点で行軍の話は広まってたのでは? 空砲でも100人位で一斉に行えば相当な音になってただろうし、後2キロだったから宿営には届いたはず。 元々の計画が馬鹿だったのよ
最低限案内人さえ付けてればな 案内人がついててもあの天候で強行したんだから変わらんのじゃないかな〜 独ソ戦の冬季戦では独軍の小銃や機関銃のグリースやガンオイルが凍結して撃てなくなったという話がある
当時の銃がこれだけの寒さに対応できたかどうか
ロシア兵やマタギは銃を毛布で包むなど対策をしていたそうだが行軍隊の銃は裸だったしな 少なくとも日露戦争での戦場では撃てたんだから問題ない 奉天大会戦は2月から3月、まだ真冬で2月の奉天の平均最低気温-12℃は旭川市とほぼ同じ
モスクワよりも低い
極寒零下数週十度においてもなお戦うことを習得しているロシア軍を厳冬の奉天においてわが軍が破ることができたのは
この演習の成果である、と思いたい >>855
「ごっかんれいかすーじゅーどにおいてもなぁおたたかうことをしゅうとくしているろしあぐんであーる」
の言い回し、ヒデジかっこいいんだけど
かっこいいんだけどなんか台本の棒読み臭いというか実際の会議でそこまでかしこまった表現で話すかなという気がする 1月22日 ドキュメンタリー八甲田山。TV初放送
1月23日 青森五連隊 雪中行軍隊出発
>>855
ロシア軍と戦ったのは奉天会戦の1か月前、黒溝台で。 この時って来週に来る予報の寒波より凄かったんだろうか >>859
国内の観測史上最凶。
観測史上最低気温と、二番目に低い気温がこの時(1902/1/25-26)観測されている。
いまだに破られていない 山菜ばっかで飽き飽きしてた役者やスタッフのために、
三國の知り合いが牛一頭を差し入れした話は聞いたな >>857
極寒零下二十数度の黒溝台で 二昼夜のまず食わずに戦い 続く奉天大回線を勝利に結びつけ 全員戦死した
ここで泣ける
八甲田の体験があったればこそ戦えたのだ、と 小林桂樹の青森五連隊の連隊長は、黒溝台で五連隊を率いて重傷を負ったとのことで
連隊長も寒さとは何なのか骨身にしみたのではなかろうか
この戦いは映画の二百三高地では出てこないのだけど、八甲田山の登場人物で一人二百三高地でも
出ている人がいた
島田省吾の友安旅団長が別の旅団の旅団長になっていて、終盤砲弾で顔面血まみれになり
副官の乃木のせがれを伝令に出して、せがれはそれで戦死するというちょい役だけど
ほかにもいるかもしれんね エンドロールに原田君事の名前はある
たぶん名もない兵卒の役だろう
突撃のシーンで一人アップで胸を撃たれて
「うっ」てなるカットがあって
その人かな〜って思うけど 雪中行軍の仁王立ちは聞いた事あったけど1人の遭難だと勘違いしてた
規模の大きさに驚いた 八甲田を踏破した福島大尉(高倉健)が
最後の最後にヒグマに襲われるシーンはすごかった。 ヒグマを撃退した後セスナに乗って東京へ向かったんだっけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています