△△△△△八甲田山 第九次雪中行軍△△△△△ ★2 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレが遭難しそうなので救助隊を派遣した
△△△△△八甲田山 第十次雪中行軍△△△△△
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/rmovie/1388444551/
by びんたん一発次スレ立て >>131
担当部署によっても大きな差があるねえ
行李隊なんて初日でヘロヘロ、シャツびしょびしょだったという記述もあるし >>132 階級が高いほど装備が軽かった、の部分、その通りですね。
「ドキュメンタリー八甲田山」のウィキによると、将校は銃は持たないで
サーベルを持つ、このサーベルが2kgくらいで、兵卒が持つ銃が4.8kg
とのこと。そりゃ重さが違います。この映画を見ても、史実通りで、
山口少佐・神成大尉・伊藤中尉は銃を持っていません。
それでも、神成大尉は、発見された時「サーベルも持たず、帽子も手袋
もなく、はだしだった」とのこと。背嚢もなかった(かな?)。もし、あと
数時間持ちこたえていたら、救助隊に救助されていたのですね。
銃のほうは、確か倉石大尉がさ銃にして置いていいと許可したそうですが、
後藤伍長はしっかり持って歩いたわけですね。体力・精神力が強いですね。
真面目ですね。 私ならさっさと放り出しますね。
その銃で、自分が最後に倒れないようにつっかい棒にしていたわけです
ね。銃を捨てていたら倒れていたかもしれないわけで…。
お前らホント八甲田山好きだな。
今から行って様子見てこいよ >>134
神田大尉殿だけパンを食べててずるいでありますっ! 今なら装備が進歩してるしGPSなどもあるから
八甲田雪中行軍オフとか出来そう
猛吹雪になると携帯やスマホは圏外になるかな? いいねぇ、楽しそうだ!ぜひやってよ^o^
田代まで
あ、レポは要らないよ!
救助活動がテレビで連日報道されるから >>140
そんな程度では手ぬるいっ!
ぬうぅーーっ!? >>133
C以外の写真には、福島大尉が写ってるね。
髭はやして細身。小柄な男だったようだ。 灰のカイロは3日分か
灰って暖かいのかね
ホッカイロは半日でカチカチになるけど >144
俺が近年愛用しているジッポーのカイロは2〜3日使える優れもの。
原理はプラチナ触媒式ライターで、日本ではハクキンカイロとして
1929年に商用化されている。
これを燃焼(触媒燃焼っていうらしい)の仕組みを調べていた時、
桐灰カイロというものがあることも知った。神成大尉が使っていたのも
このカイロだと思います。 桐灰カイロについてはwikiを参照してください。 >>145 は自分だけいいカイロを持っててずるいでありますっ! 自分だけたくさんのカイロを持って、助かろうとした訳だな だがら油紙でくるんで体に巻きつけねぇと凍る、って昨日の晩に言うたでねぇが! 助かった後藤伍長は、
体に巻きつけてたのは焼きおにぎりだったらしい。
ドキュメンタリー八甲田山のFACEBOOKの情報。 >>153
確か原作でも、麓の村民が「握り飯や餅をよく焼いて腹に巻いておけは温かいし、食べる時も凍らない」って教えるシーンがあったよ。 後藤伍長は救助、蘇生後に要求したのは煙草だったとか…
後年、子孫にあの時の煙草は旨かったと話していたらしい。
自分は喫煙習慣がないから分からないけど、心身共に凍えていたんだから、自分ならおかゆとか味噌汁を求めるだろうなぁ 中学受験を控えてる息子の父です!医学部を目指すのであれは、桐光学園と桐蔭学園は
彼女の顔と性行伊は画像で確認
★検索ワード「 稲城市立向陽台小学校評判Y子 」★
今年転校するので許してください。
桐光学園中学校評判 ザキシマ 結子 映画で大隊長が生還して土下座して全責任は私にありますと謝ってるけど
指揮系統を無視した事に触れてないのが潔くないと感じた >>157
謝罪って行為自体自分がラクになりたいって側面があるからか 照明が効いておらず顔は皆真っ暗で、時々その黒いシルエットの中に
白い歯がチラッチラッと見えるの……
最初見た時はなんとも恐ろしく感じました 神田隊が計画していた田代温泉での宿泊だが、手拭い一本だけの持参で間に合うほどの、充実した宿泊施設だったのだろうか。
あれだけの人数を収容できる施設って相当なものだとは思うが、案内人を立てた徳島隊ですら見つけられなかったのだから、正に「小屋」レベルではなかったのかと。 天然の露天風呂の近くに、露営するんだと思ってた
違うの? 大峠までの事前訓練が楽勝だったから雪山を甘く見て
田代温泉につかりながら一杯ひっかけに手ぬぐい一本だけ持っていくような気持ちで雪中行軍に臨んだ
とかそういう比喩
青森帯の計画は、現地で休息を取らない前提だから極端な話小屋すらなくてもよかったのでは。 >>163
休息とらない前提だったって本当?
昔の軍隊は50分進んだら疲れてなくても10分休憩するというのをどこかで読んで
疲れると感じる前に休憩することが長く行動できるらしいから利にかなってるなぁと思ったのだけど。 神田大尉は飯をたかるのが上手いな
徳島大尉の奥さんが何も言ってないのに、「食事でしたら・・・」て催促してたね 「いいえ〜あんな結構なお酒頂きましたのに
ほんの手料理で・・」byまりこ ぜんずろうと兄貴は何歳違いなんだ
親子程も違うように見えたが >>167
昔の人は子沢山だったから歳が親子程離れた兄弟なんてざらだよ >>164
映画とは違い5連隊のスケジュールは青森田代間往復
ビバークの事前訓練は行っていなかった。
田代温泉に中隊規模で宿泊できるはずないし将校以外はビバーク前提。
遭難しなければ軍隊の鍛え方を考えると一日二日は寝なくても大丈夫だろうし。
映画の神田さんは雪中行軍の第一人者みたいに描かれてるけど
実際は経験なし。 20歳差の兄弟って10代で結婚しないと無理だよなあ
まあ40代半ば位まで産む人もいるだろうけど
昔は死産が多かったのは早すぎる出産もあったんだろうな 雪の中の遠足だった予備演習に参加した兵隊達は、本番の雪中行軍には参加してないんだな。
調べれば調べるほど無謀な事をやってたんだねー ウィキ見てたら、史実だと第5連隊では同じ日に3組の雪中行軍演習を同時に実施してるんだね
遭難した神成大尉の組は、担当者が行軍実施の約3週間前に神成大尉に代わって
行軍計画を神成大尉が立案した、と
時間不足や経験不足が遭難に繋がったのかな >175
それガセネタらしい。ウィキのノートページで討議されてリンクわかんないので長いけどコピペする。
第一から第三大隊まで同日一斉に演習するのはおかしくはないですが、
第二大隊に他の大隊からの人員も加えているのはあり得ない。
戦闘中に再編して混成になるのはよくあるが演習でわざわざ
混成させることはない。立見八師団長の談話が誤信か
本人の勘違いとの説だが成功した隊と玉砕した隊の比較検討は
軍だけではなく、マスコミや研究者にとっても格好の的。
青森五連隊の同日の他の行軍記録も無し、マスコミの記事も一部だけ、
整合性も欠けている。 5連隊が作成した「遭難始末記」にも他の行軍部隊のことなど全く書かれて無い
事実ならその事に大なり小なり触れられていないとおかしい不自然 ガセか、なんとなく3組あったとしたら
恐らく神成大尉の組が一番最後に行軍計画立案に伴う編成の人選しただろうから
雪山経験者は他の組に先にあらかた取られてしまって
メンバーが雪山経験乏しかったのかなー、みたいに思って 青森5連隊から同日に3隊出てたという記事はあるけど、
その記事の信憑性、整合性が疑われている。
自然に考えればおかしな話。
軍事板で昔見たが、第一、第二、第三、とそれぞれ雪中行軍を立案させて
第二大隊の案が採用されたっていう説もあるらしい。 後藤伍長が発見されたのが出発から5日目、もし成功した部隊があったのなら
その部隊はこの間どこで何をしていたのかという話になるわな、まさか田代元湯
で5日も6日ものんびり湯治をしていたわけじゃあるまい、到着しない神成隊の
捜索もせず、三本木に伝令を送って連隊本部と連絡をとろうともしなかった事に
なる、ありえないだろ >>173
祖母が表紙、祖父が再婚して
結果上と下が20歳差 16日陸上自衛隊による慰霊雪中行軍が行われた。
行路はほぼ当時と同じ。スキー装備で途中一部がバス移動
だったらしい。 昔CM健さんの台詞をもじって
「冬の八甲田はガンとして、ガガンがガンとしてガンガンガン」
ていう言葉が私の学校では流行っていた >>184
どうせなら装備も当時と同じようにすれば良いのに。もちろんソリも引かせるw
思ったんだけど、5連隊が小隊編成だったら、大勢助かってたのかな? .>>188
その同級生の一人がのちに「ガンガンガン速」の開発者になろうとは
188も露知らず… >>195-196
徳島大尉殿宅の女中さんもいるであります!
ただ数秒しか映らずセリフもなく、誰だか分からないのであります! >>198
多分地元で採用されたエキストラだろう。 神田大尉が弥三郎節をうまく歌えんとか言ってたのを見て
そんなもん気にしてどうする、と思ったものだ。 田代温泉がただの露天風呂だと、たとえたどり着いて入浴しても、
湯船から出た瞬間に凍りつくレベルの寒気とブリザードだろうし、どうしょうもないよな。
これは夏のうちに二百人規模の宿舎を田代元湯に建設しておかなきゃいけないような話で、
とても急に行軍訓練を思い立ってやるようなもんじゃない >>205
ドキュメンタリー八甲田山のフェイスブックによると、
田代元湯には山田館、佐藤館、千葉館など5軒の旅館があり、・・・
とある。 >>206
5軒も旅館があったのなら案内人をつけた徳島隊が発見できなかったわけがない
?
wikiによれば
田代元湯の小屋は明治時代に建てられた。1902年(明治35年)1月に発生した
八甲田雪中行軍遭難事件において、行軍が目指したのは田代元湯から上流に
位置する田代新湯の宿であった。行軍隊は遭難したが、本隊からはぐれた2名
が田代元湯の小屋にたどり着き、厳冬の中を温泉を飲んでしのいだ。そのうち
の1名のみが救助され生還した。
とある、しかし新湯に旅館があったという話は信じられない、徳島隊も元湯の
小屋を探したが見つからなかったと記録にある、旅館があったのならそっちを
探すのが普通だろう 今日は2月26日か
あれから80年も経ったな
おじいちゃんに連れられて、反乱軍を見に行ったよ >>207
旅館があったのは元湯に5軒と書いてある。
新湯にもあったと書いてある。
新湯、元湯、目的地がどっちでも
視界ゼロで風速25メーターじゃ、10メートル先の目標も探せない。 神田大尉が徳島大尉宅へ向う時の身支度をする場面で、「美しき天然」を鼻唄で唄ってたのは長谷部さんだろうか? この映画の主役は絶対北大路欣也だと思う。
演技力も健さんに悪いが、北大路が上。 以前↑この名前見て「やられた〜!その手があったか」と感心したけどこのスレではまだ見ないね。 徳島大尉の奥さんって可愛いよね!
今で言う「小悪魔」っぽくて。 八甲田山遭難事故の写真が怖い [無断転載禁止](c)2ch.net [585351372]
http://fo x.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1457755039/ やはりこの映画の最大の盛り上がりを見せる山場は、
「ほんの手料理で」のあとに
高倉健が弥三郎節を歌うとこだろう。あのまま「終」のタイトルで終わっても問題ない。 >>222
反対だな
俺としては、気が狂って裸になって雪を泳ぐ兵隊の顔のドアップの額に「終」を重ねて欲しい。
戦場のメリクリみたいでいいだろう。 放送のたびにネットの意見とか新しいスレッドとか見ると、
八甲田山初めてみた、って人が多いのに驚くわ。
そんで映画と史実をゴッチャにするパターン。 このスレ自体が映画と史実どっちのスレなのかごっちゃになっていない? 》227 映画を初めて見る人が多い、ということはいいことですね。
それだけこの史実を知る人が増えていく、ということですから。
それで、いろいろなことを感じてくれるといいんじゃないかな。 馬立場の手前(?)で、永野軍医による山田少佐への意見具申に対し他の士官達が行軍続行を訴えていたシーンがあったが、その時の神田大尉の沈黙は、果たして藤村曹長が言うところの「進軍の腹」だったのか?
それとも、引き返すべきか否かという逡巡だったのか? >>230
逡巡だろうね。
でも徳島大尉との約束と軍人の面子の方が勝ったんだと思う。 >>200 弥三郎節の歌詞、雇用主と使用人の話かと思ったら
嫁と姑のことだったんだな。 光ノ国ガ恋シイダロウネ、うるとらせぶん! デモ、自業自得トイウモノダ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています