相米慎二part02
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相米慎二 (ソウマイシンジ)
監督作品
風花(2000)
あ、春(1998)
夏の庭 The Friends(1994)
お引越し(1993)
東京上空いらっしゃいませ(1990)
光る女(1987)
雪の断章 情熱(1985)
ラブホテル(1985)
台風クラブ(1985)
ションベン・ライダー(1983)
魚影の群れ(1983)
セーラー服と機関銃(1981)
翔んだカップル(1980)
2001年9月9日午後4時10分、
肺がんのため、神奈川県伊勢原市の病院で死去した。53歳。 >>338じゃないけど、
日本は制作会社・撮影所で新規採用で助監督を採っていない
だから、新しい監督が出てきていない くらいの認識じゃないのかなー
実際には下請け制作会社やインディーズから新人は出ていて、
それでも昔と比べて自由度がなくなって大変みたいで一概には言えないと思うけれど
あと、本編てのは、TVドラマ・Vシネなどに対して
かつての撮影所スタッフが優越感を持って使っていた
「俺たち本編だからさ〜」的な >>344
最後の話は、まったく逆。
テレビドラマやVシネのスタッフたちが、一般劇場用映画の事を「本編」と呼んでいる。
そもそも、「本編」だなんて言葉は、テレビ誕生前までは存在しなかった。
自分は、テレビドラマのスタッフが「本編」と言うのを何度も聞いた事あるし、
ピンク映画のスタッフまでもが「本編」と言っているのにはさすがに驚いた。
(「あんたが作ってるのだって劇場用映画じゃん!」と思ったが、さすがに言い出せなかった) 「竜とそばかすの姫」を見てきたら
中盤に1シーン1カットの場面があって
「細田は相米慎二の影響から抜け出せない」
ってレスがあったけど、
「相米の長廻しってあんなもんじゃないやん・・・」
とオモタ 90年代のテレビアニメのセリフにも「相米慎二」という言葉が出てきたけど、たまたまテレビつけてただけなので何のアニメだったのかは知らない。 雪の断章BD発売まであと1週間、、
「細田守とスタジオ地図の10年」とか云うムック本で
細田守が相米について語っていた
いわく、「初めて相米映画を見たのはとんだカップル
次に見たのはしょんべんライダー」
え、セーラー服と機関銃は??? え、見た当人が文中でごちゃごちゃ言ってるんですけど?
ああいうのはツッコミいれながら読むものだろうにw 情報ありがとう
ションベンライダーが無いのは残念だが、全部見たい 清順でもたけしでも外国人相手だとはぐらかすような発言は控えるのに、いつもの調子でインタビューに答えてキレさせた相米。 9月11日土曜日より相米慎二監督作品『台風クラブ』35_ニュープリント上映決定!
ブルーレイくるかな? というか今検索したら2月の特集上映の時にニュープリントになってる 雪の断章と東京上空のBD買った人のソフトの評価を訊きたいが
誰も買ってないのか・・・ >>370
どっちも買ったけど人に伝えられるような審美眼がないわ >>371
買う際の参考にしたいから
画質音質がどうとか特典がどうのとか
なんかあると嬉しいんだけどな… https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108300000372.html
斉藤由貴「頭もおかしくなりますよ」デビュー映画で浴びた相米監督の洗礼
[2021年9月4日8時0分]
斉藤由貴が語る自分の原点 全てのことは女優の道につながっていた(上)
どんな達人にも無力の駆け出し時代がある。
多様なキャラクターを変幻自在に演じ、三谷幸喜、是枝裕和ら人気演出家から指名を受ける女優斉藤由貴(54)にも、
未熟さに悩み、泣くばかりの日々があった。ニッカンスポーツ・コムの取材に応じ、
85年の映画デビュー作「雪の断章−情熱−」(相米慎二監督)の撮影当時や、
風変わりだった思春期のエピソード、さらには独特の人生観も語った。全3回。 「相米慎二という未来」というムック本が出ていた
20周忌追悼?
三浦友和、斉藤由貴、牧瀬里穂、佐藤浩市、浅野忠信、小泉今日子らのインタビュー
榎戸耕史のコメントなど読み応えあり
・・・事情は知らんが、処女作・2本目の主演女優がいないな・・・・・・
初めての相米組主演女優としてあらためて言葉が欲しかった 80年代のキネ旬で相米慎二と森田芳光と根岸吉太郎のスリーショットが載っていたなぁ。邦画のニューウェイブとか書いてあったっけ。思えば邦画の最後のきらめきのような気がするなぁ。 >>378
あの時代のロマンポルノはある種作家性の捌け口みたいなとこあったしな 根岸は にっかつの社員助監督出身で昇格して監督に成った、
相米はフリーの契約助監でロマンポルノに就いてた
森田は自主映画出身だけどデビュー後にロマンポルノも撮った
3人それぞれ立場は違うがロマンポルノを通過してるというね・・・ wowwowプラスで相米慎二の作品やってる。取りあえずションベンライダーとセーラー服と機関銃は押さえた。 >>376
森田芳光組にそのスリーショット写真載ってる
3人そろって飲みに行ったのはこれが最初で最後だったらしい 相米は意外やATGはやってなくないか
助監時代の青春の殺人者はATGだっけ
>>375
シネアスト相米慎二ではインタビュー出てたのな
澤井信一郎死去のコメントも三田佳子だったし
ご時勢的に体調悪くなければいいけど… >>380
その3人の中で森田は‘外様’だよ。
根岸と相米は、同じ神代辰巳組の門下生だ。
かつて角川書店から発行されていた「バラエティ」で、
その2人+鴨田好史が新宿で酒飲んでお喋りしてるだけという「座談会」の記事が掲載されたが、
これはいまでも語り草になっている名記事だった。
(鴨田好史こそが神代組のチーフで、根岸と相米の先輩にあたるんだけど、
社員ではなくて契約助監督だった為に日活ではデビューできなかった)
相米も日活では契約助監督だったから、他社作品でデビューとなった。 >>377
根岸は、いまは東北芸術工科大学の理事長になってる。
鴨田好史が最後にはお百姓さんになってたのとはえらい違いだ。 相米組の助監督だった榎戸耕二は一時期フィルムセンターでよく見かけたなぁ。テレビドラマを監督しているみたいだけど 高橋伴明も大森一樹もどこかの大学で教えてるよね
相米はもし存命でもそっちに行く感じはしないけど 大森一樹は大阪芸大だかの学長さまだ
映画監督の隠居先が後進育成の芸大というのは
正しいのか、なんか寂しい気もしたな 俳優が映像仕事が無くなったら舞台に行くようなもんか >>389
えらい違いをどういう意味で使っているのかは知らんが
もう少し書き方に気をつけた方がいい 台風クラブの再映はユーロスペースの森田芳光の後番組なのね。思えば85年の今頃、予備校の授業をブッチして、何気に入った映画館でこの映画を観てうちのめされたなぁ。当時は入れ替え制がなかったので、その日はそのまま続けて二回観て、翌週にもまた観に行った。 >>393
生涯舞台一筋の人もいるし、舞台は映像の下位交換じゃないよ
たとえにたとえを重ねてアレだけど、大森一樹のことを言えば
プロ野球選手が引退してコーチやら、育成側に廻ることかと 台風クラブって改めて観ると断じて青春物ではないよな
もっと幼い原初的な欲望の映画って言うか
子供って動物だ!みたいな印象 ディレカンに代表される80年代の若手監督達って反権力な感じが強かったけど理事長とか学長とか権威側にいると何か複雑な気持ちになるな >>398
ディレカン製作のピンク映画『さらば相棒』を監督し、
またディレカン結成直前に高橋伴明が監督した『TATTOO<刺青>あり』で主演を務めていた宇崎竜童は、
いまではこうなっている。
- 天皇皇后両陛下御大婚五十年をお祝いする集い (宇崎竜童氏挨拶) - 2009/04/10
https://www.youtube.com/watch?v=x9qkZ24xT28/ >>396
吉田鋼太郎とか佐藤二朗みたいに、ずっと舞台の世界で地味な活動をしていて、近年になってからTVや映画に出るようになって急に知名度を得るようになった人もいる。 >>400が知名度をどうのって言ってもね・・・
TVドラマやバラエティに出るようになってから
「人気が出たねえ」「知名度が上がったねえ」
とか言うヤツがいるけど、一般の知名度とか
どうでもいいんだよ・・・「相米慎二が一般に知名度がない」
からって俺らが気にするか?
筧利夫や古田新太は、TVに出て知名度とやらが上がる前に
既に第三舞台や新感線の看板俳優で人気俳優で売れっ子だったんだよ・・・ 映像仕事が無くなったら舞台に行くようなやつが
舞台で人気出だしたらまた映像戻ってくんじゃね?
そんなやついるんか知らんけどw 映画学校出身の監督で、元監督だった講師をネガティブな話題にしてる珍しい例は三池崇史。
野田幸男に対し「あのつまらんオッサンがこんな面白い映画(0課の女)撮ってるなんて知らなかった!」 三池は「イマヘイ最後の弟子」を自称しとるからね
野田とは流派派閥も違うし
>>404がどういうニュアンスで語っていたのか
会話の空気も文脈もワカランしな
どうでも ちゅうか、俺も映画学校出身だけど、
当時はネット検索とかもないし
お歴々の大御所レジェンド講師を目の前にして
「なんだ、この老いぼれ爺さんは」なんて思っていたよ
今なら、土下座して更に最敬礼モノだけどね… そういうのは往々としてあるよね。
例えばエヴァの庵野が通っていた時代の大阪芸大には依田義賢が教授でいたけど、スター・ウォーズのヨーダのモデル(本人もそう話していたらしいけど)という認識はあったろうが、溝口健二など日本映画史に残る脚本家という認識はなかったろうし、そういう話も聞こえてこない 「イマヘイ最後の弟子」は狩野英孝だろ
その上にウンナンやら出川やるおるけど、最後はこいつ ただいま。 お帰りなさい。
ただいま。 お帰りなさい。
割りとトラウマ。 今日、「べいびーワルキューレ」という映画を見て来た
このスレに合わせて強引に言うならばw
「セーラー服と機関銃」の曾孫的作品というか
セーラー服…が仁侠映画のある種のパロディになっているとすれば
殺し屋映画や青春映画までまとめてパロディにしてるのね、
JKが(あれ、高校は卒業してるんだっけ、まあいいや)
殺し屋やっているんだけど、そこに葛藤はなくて、コミュ症で
バイトの面接に落ちまくるのが悩みなのがイマドキ…なのか?w
アクション、ガンアクション場面以外はけっこう長廻し
(て言うかカメラ置きっぱ?)1シーン1カットをやっているんだけど
中盤のポイントになるヤクザの組長がメイド喫茶でぶち切れる場面で
ぶちぶちカットを割ってるんだよ、このカントク!
エフェクトがあるから銃撃戦で割るのは分からないではないが
そこに至るまでカットを割るなよ、緊張感なくなるだろ!!
相米慎二の墓石でも煎じて飲め!!
それはともかく
セーラー服と機関銃ファンには、お薦めです!
(何か言いたくなる、と云う意味でw) >>410
・・・あのね、広義の意味で言えばね
ウっちゃんナンちゃんも、狩野ナントカも、いまの日本映画大学の卒業生も、
「イマヘイの薫陶を受け賜っている」という意味では「イマヘイの弟子」
だけどさ
もうちょっと狭い意味では、“ヨコハマ時代”にイマヘイに直で
演出の授業を学んでイマヘイの監督作のスタッフで付いた者だけが
普通「イマヘイの弟子」と言えるのあってさ、映画学校時代に
俳優科を出て漫才の授業を受けて舞台俳優に進んだ者は「藤田傳の弟子」、
お笑い芸人になった者は普通「内海桂子好江師匠の弟子」って言うんだよ >>413
藤田傳なんて名前を出してるところを見ると、あんたも横専出身でしょ。 >>408でちゃんと言った筈だけれど
日付けも変わってIDも変わっているが
↑で言った通り映画学校出身ですがなにか? >>413
どう見てもネタレスなのに、全力反論やめてあげなよ
もっと心に余裕を持ちましょう つまんない書き込みして
マジレス返って来たら「ネタレスだし」とか言い出すのカッコイイ!
w ちなみに爆笑問題の田中裕二は「マキノ雅弘最後の弟子」やぞw >>418
マキノの演技学校に通ってただけで、当人はろくに話した事もなかったみたいよ。
勝新太郎の演技塾に通ってた小堺一機は、勝の生前ずっと付き合いがあったらしいけど。 小堺はテレビのバラエティでよく勝新のエピソードを面白おかしく話してたな
笑わせるためになのか馬鹿にしたような物言いがすごく不快だった
まあ最終的には勝新凄いってことでシメるけど >>419
学校とか大層なもんじゃなくて私塾だよ
マキノが直で講師もして、色んな話をしてくれたことをラジオでたまに語ってたよ >>420
そうかな?
小堺は‘師匠’を愛してる感じがしたよ。
面白おかしく話してても、「愛すべき好好爺」だと表現してる。
馬鹿にしてる感じはしなかった。
「ごきげんよう」の最終回で、例のサイコロトークを自分一人でやって、「自分に影響を与えてくれた人」というテーマのお喋りで勝新太郎の事を語りだした時は、けっこう感動した。 ちなみに、小堺はその時、
「自分は大将(萩本欽一)よりも前に勝新太郎に教えを受けた」と明言していた。 テレビ番組内とは言え、清順が小堺で四谷怪談撮ってるなんてすごいな。 >>418
云十年、爆笑のラジオ聴いてるけど
田中の「マキノ雅弘最後の弟子」なんて聴いたことないな
太田が「俺、森田芳光の弟子だからw」とかなんとかは
なんか言ってたかも知れんがw 田中がマキノみたく、女に演技つけるときにシナ作ったりする姿なら見てみたい。 小堺一機好きな人にどうこうはないけど、あの嘘臭さがどうも苦手だなあ。
むかしNHK(BSだったか)の映画番組でも、構成作家の書いたものそのままなのか、
褒めるにしても歯の浮くような嘘臭さでげんなりした記憶がある。
関根勤にも同類の気持ち悪さがあって、あの二人にはあまり映画と関わって欲しくないと思う。
個人的な意見です。 >>419
ろくに話したことがないどころか、吉原の遊郭借り切ってやった誕生日会や
葬式にもちゃんと出席してんだけど?
あんたの言ってること適当だな?w そろそろつまんなくなった。過疎でもええから相米慎二の話題にしようや 光る女あたりから長回しやめちゃったのはなんか理由があるのかな。
飽きちゃったのかな >>386
台風クラブのATGって配給だけな
台風クラブはなんといってもディレカン第1回製作作品だろ 四方田犬彦は(あれだけ評価していた)相米に恨みでもあるのか知らないが
映画批評のパラダイムチェンジ(そんなのあったのか?)に取り残されてるのに気付いて遅ればせながら転向したという言い方をしていた。
つまり作風の変化を単なる後退とみなしている。 相米自身は「ウェルメイド」という言い方やそういう作品を好む事を盛んに発言していたような気はする。 >>431
第1回は、伴明、宇崎竜童、泉谷しげるのピンク映画三本立てだよ。
その次もピンク映画で、黒沢清の『神田川淫乱戦争』。
ATGの『人魚伝説』『逆噴射家族』と続いて、『台風クラブ』はその後だ。 >>430
手段が目的化してしまっていたからでしょ。 >>427
小堺一機は知らんけど、関根勤は、昔、文芸地下でしょっちゅう見かけた。
岡本喜八特集とか、東宝ミュージカル特集とか。
休憩時間にロビーで手帳にメモを書いてる光景も見た事あった。
>>428
田中裕二は、マキノの誕生日会とかには「出席」したんではなく、生徒だったから下働き役として駆り出されたに過ぎない。 >>435
順番なんか聞いてないけど
なに言ってるのん >>438
>>431が「台風クラブはなんといってもディレカン第1回製作作品」と言ったから、それを訂正したんだが。
何を言ってるんだか。 >>437
店貸し切ってやるパーティに「下働き役」用意する必要があると思う? >>440
当人がそう言ってたよ。
三船敏郎とか、お歴々の案内役をヤったって。
てか、当時ハタチ底々の無名学生が、吉原の遊郭借り切ってやった誕生日会に「参加」させてもらえるワケないだろ。
他にも生徒は何十人(百人以上?)もいたのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています