■■■■■■■■高橋幸治■■■■■■■■
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高橋幸治の映画「メス」を見ると、白い巨塔は単なるお笑い話に過ぎない 高橋幸治という役者は。10人以上いたと思われる。
役によって、全く別の役者になるし、表情も体格も変わってしまう。
普通の役者なら、役を演じ分ける術で仕事をこなしている。
しかし、高橋幸治は演じ分けるのではなく、全く別の役者として出直して演じる。
織田信長の時の高橋幸治と、信玄の時の高橋幸治は、別の役者にしか見えない。 黄金の信長(1978年)は最高だったね。
幸治氏の黄金信長を見てしまうと、他の役者が大根にしか感じられない。
太閤記の信長(1965年)より遥かに熟練していて、黄金は幸治氏の最高傑作といっていいだろう。
明治軍人色プンプンの速水中尉(1966年)は、また別の渋さを醸し出していた。信長の表情とは別の顔だ。 『ヒロシマ 原爆投下までの4か月』(1996年)の男らしい軍人
ゴジラvsビオランテ(1989年)の知的な科学者
この2人の人物も、同一役者が演じたとは思えない。
事実、最近まで別の役者だと思っていた。 >>37
丹波哲郎(56)よく頑張ったね。
丹波の幸治氏を見る目は、尊敬に満ちているな。
染五郎(松本幸四郎)も当時は逞しかった。今は痩せ過ぎだけど
>>38
大霊界2は現代人っぽくて、別人だね。
信長を演じた俳優とは到底思えない雰囲気。
丹波哲郎と競演した「戦争と人間」「黄金の日々」「大霊界2」
哲郎氏は同じ俳優に見えるが、幸治氏は全く別の俳優にしか見えない。 子どもの頃見たが、
「太閤記」の信長、こわかった、ほんとこわかった。
「おはなはん」の軍人、こわかった、ひたすらこわかった 高橋幸治は死んだ・・・体調不良を押して映画に出続け寿命を縮めたと聞いた 高橋幸治は死んだ・・・体調不良を押して映画に出続け寿命を縮めた 高橋幸治は死んだ・・・体調不良を押して映画に出続け寿命を縮めた 父親が東京羽田から函館に行くのに、ANAの手違いで当該便が大幅ダブルブッキング。
千歳便に搭乗、札幌駅までタクシー、最終のおおぞらで函館まで、という大掛かりな振替を経験したらしい。
苫小牧から北斗という選択肢もあったんじゃないか?と当時は思ったらしいが、千歳臨時停車は父親でも考えなかった、と。
まだ札幌〜千歳空港で国鉄という認識は、浅かったみたい。
本題だが、上野から夜行と連絡船で半日!よりは良かった〜とも。(父親は利用多数)
ビジネスマンにとっては、当時としても夜行は疲れる、辛いという認識が強かった模様。
昭和45年秋の話。
やはり、新幹線の電光掲示板以外、故郷や遠く北の地を想起させる物が激減したからね。
大きな荷物持ったひとも、あっという間に乗り換え口に消えて行くし。
ホームやコンコース、待合い所で人待ち、列車待ち、という事が本当に少なくなった。 当時の列車、国鉄の盆暮れの長距離列車は、輸送力が大問題だったからな。
積み残して、乗れない客が出た!が最悪のケース。だから指定や寝台が減車されて自由席化された時もあった。
通路やボックスに凄い恰好で寝るハメになるのも、当時は安い手段だったから。
飛行機は論外。バスは90年代になるまで高速道路もブツ切りで、色々規制もあったから、とても快適な手段じゃなかった。
グリーン、寝台は高く、普通車の指定席は宝くじ並みの競争力と言われてたんじゃなかったっけ?
昭和53年には東北自動車道が仙台まで開通していた。
飛行機に押されて、東京から北海道まで鉄道と青函連絡船使っていく客が激減していた頃。千歳空港駅(現・南千歳)が開業する2年前だ。
コンビニやファミレスが展開し始めたのも、大体、この時期。
国鉄のサービスが時代の変化についていけない、旧態依然と言われていた時期でもあったなあ。 田中角栄時代の自民党に戻って欲しい
うちの父は当時から福田派はダメだと口癖のように言ってた
父親が東京羽田から函館に行くのに、ANAの手違いで当該便が大幅ダブルブッキング。
千歳便に搭乗、札幌駅までタクシー、最終のおおぞらで函館まで、という大掛かりな振替を経験したらしい。
苫小牧から北斗という選択肢もあったんじゃないか?と当時は思ったらしいが、千歳臨時停車は父親でも考えなかった、と。
まだ札幌〜千歳空港で国鉄という認識は、浅かったみたい。
本題だが、上野から夜行と連絡船で半日!よりは良かった〜とも。(父親は利用多数)
ビジネスマンにとっては、当時としても夜行は疲れる、辛いという認識が強かった模様。
昭和45年秋の話。
やはり、新幹線の電光掲示板以外、故郷や遠く北の地を想起させる物が激減したからね。
大きな荷物持ったひとも、あっという間に乗り換え口に消えて行くし。
ホームやコンコース、待合い所で人待ち、列車待ち、という事が本当に少なくなった。 当時の列車、国鉄の盆暮れの長距離列車は、輸送力が大問題だったからな。
積み残して、乗れない客が出た!が最悪のケース。だから指定や寝台が減車されて自由席化された時もあった。
通路やボックスに凄い恰好で寝るハメになるのも、当時は安い手段だったから。
飛行機は論外。バスは90年代になるまで高速道路もブツ切りで、色々規制もあったから、とても快適な手段じゃなかった。
グリーン、寝台は高く、普通車の指定席は宝くじ並みの競争力と言われてたんじゃなかったっけ?
昭和53年には東北自動車道が仙台まで開通していた。
飛行機に押されて、東京から北海道まで鉄道と青函連絡船使っていく客が激減していた頃。千歳空港駅(現・南千歳)が開業する2年前だ。
コンビニやファミレスが展開し始めたのも、大体、この時期。
国鉄のサービスが時代の変化についていけない、旧態依然と言われていた時期でもあったなあ。 僕は古今東西の信長で『黄金の日日』の信長ほど魅力的な信長はいないと思っている
幸治氏は太閤記の信長でブレイクしたけれど
演技者としては未熟だったとの思いが強かったのだろう
『黄金の日日』で会心の演技をしてリベンジ、その後大河には出演しなかった
大河でどんな役が来ようと幸治氏にとっては大河=信長、信長に始まり信長で終わりたかった
そう僕は思っている 「黄金の日日」が放映された1年間は視聴者にとっても黄金の日日であった
幸治さん、きれいに姿を消してくれてありがとう
おかげで貴方は永遠に生き続けるよ
おいらが生きてる限り幸治さんも生きてる
ちょっとやせ我慢ですが 人知れずひっそり引退ってのがいかにも先生のスタイルだ
律儀な人だからちゃんと挨拶するべきところにはしたんだろうけど
挨拶された人も先生の引退を吹聴するようなことはしない人ばかりだったんだろう
その頃にはもう鬼籍に入った人も多かったし
一度共演したらお友達とか人脈作りとかに背を向けてた人だったから
人知れずひっそりになってしまったんだろう 石立は、高橋幸治が抜けたあとの文学座で、ホープである。 「馬鹿が戦車でやって来る」の高橋幸治は爽やかなイケメンだったな テレビドラマの信長と違って、
結局、映画だと「馬鹿が戦車でやってくる」とか「大霊界2 死んだらおどろいた!」とかの
イメージになっちまうんだよなw 『妻二人』とか、面白いですよ。
(原作はパトリック・クェンティン) >>62
草まで生やして何が「 結 局 」なのかわからないが
一般に高橋幸治で一番に思い浮かぶのは「おはなはん」
その次が大河の信長だと思うよ 2015/08/02 に公開
追悼加藤武さん
鉄道建設公団協力の1978年作品
脚本 松山善三
監督 森川時久
出演 高橋幸治 市原悦子 原田美枝子 田中健 丹波哲郎 加藤武 佐野浅夫 大滝秀治 三戸部スエ 荻野目慶子 はじめてまして。
新しい書き込みを見つけ、まだ終了していなかったのだと気付きました。
新しくファンになったものです。
お邪魔いたします。 >>4
幸治さんは若い時から強度の近視で
作品を見ると
普通老眼の入って来る年齢から
右の眼球の動きが
少し変わってきているのが
わかりますが、
これは強度の近視の人には
よく見られることで、
黄金の日日の頃は
どの角度から写しても
ほぼそういう眼の動きは
見られません。
斜視とは違うと思います。 >>4
幸治さんは若い時から強度の近視で
作品を見ると
普通老眼の入って来る年齢から
右の眼球の動きが
少し変わってきているのが
わかりますが、
これは強度の近視の人には
よく見られることで、
黄金の日日の頃は
どの角度から写しても
ほぼそういう眼の動きは
見られません。
斜視とは違うと思います。 さっきまでMXTVの再放送チャンネルで
夏樹静子ミステリー 妻のひとり旅 (1987)
に、比較的若き日の丘みつ子さんや西岡徳馬、新藤恵美なんかと共に主演で出ていたよ。
みつ子さんがパリに昔の恋人と逃避行するというドラマチックな内容だった。金がかかっている。
韓流ドラマって日本の過去の栄光をなぞっているばかりなんだなぁ。再実感。 80歳で4000万円の貯金があれば十分だろうに。
余裕があっても年金をフルに貰わないと不安だと言ったらキリがない。
資産状況を踏まえた年金支給を前提とすべきだろう。
そりゃそうだろう。
基本的に、もう働くことはできないわけだし、
いつまで生きるかもわからない。
(で、本音を言えばできる限り長生きしたい)
大病したり体が動かなくなったら
金なんか羽が生えたように飛んでゆくものだ。
介護保険なんか、あまり頼りにはならないし。
たった4千万円の預金では、不安なのが当たり前。
仮に1億円あっても不安だろうと思うよ。
「何で不安なの?」と思う人のほうが、ちょっとおかしい。
人は相応の生活水準を維持するから、いくら預金を持っていても同じこと。一億ある人は、やっぱり不安なんだよ。
人間いつ死ぬかわからないし、
お金は天国まで持って行かれないのだから、出来る範囲で好きなことをしておくことだ。
この貯金が無くなったら死ぬしかない、って考えるとなかなか使えないもんだよ。
若いうちはバイトでもなんでもやればいいやくらいにしか思わないけどね。
AV監督の村西とおるさんがインタビューで「人生死ぬほどつらいときは下をみてください。村西がいます。
何十億円という借金を抱えて生きている私を見て、『あいつよりはましだな』と思って活力にしてください」といった内容の話をされていました。
自分なりの幸せを見つけましょう、というときれいな言い方になりますが、村西さん流に言うと「下を向いて歩く」というのもありだと思うんですよね。
自分はまだ恵まれているのかな、というふうに思ってみる。僕は子どもの頃からそういうふうに考える癖がありました。
不思議なことにそう思うと落ち着いたんです。競技をやるときでも、「途中でハードルで転んで予選で落ちていたかもしれない」と考えると、
そうならなかっただけで「ラッキーだな」と思えてくる。常に期待値を下げて「思ったより悪くないんじゃないか」と自分に信じさせる。
幸せってつまるところ落差だと思うんです。どこを基準に考えるかで感じ方が変わる。
「ある」っていうことを当たり前だと思うか「ない」ことを当たり前に思うか。現実も、現実に対する認識も簡単には変わらないと思いますが、
少なくともそういう考え方もあるということをときどき思い出してみていただければと思います。
「周囲の人の生活ぶりを見るにつけ絶望するほど落ち込む」と言っておられますが、苦しさの源には比較があると思います。
ほかの人と比較して「なんで自分だけ」と思うと余計に苦しいですよね。がんばった人は報われる、正直者は救われる、という考え方があるとなおさらだと思います。
支払った対価と得られるものは究極的にはバランスするという前提だと、頑張っているのに報われない自分、頑張ってないのに報われているあの人、というふうに見てしまう。
とくに友だちや兄弟のような近しい人が自分に比べて恵まれていると思うとよけいに面白くないのでしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています