>>14-15
伊丹の映画は基本的に伊丹が取材したリアルタイムの日本社会の「あるある」ネタ
の数珠繋ぎで出来上がっていて、

事件・課題⇒展開・挑戦⇒⇒失敗・挫折⇒克服・解決⇒エンディング

というハリウッド的なストーリーテリングを実は使っていない。
いや、一応はそういう構造もあるのだが、だが伊丹が劇中に埋め込んだ「日本社会あるある」
ネタを外すともう本当に中身は何も無くなってしまう。

つまりアメリカに翻案するにはアメリカ国内の社会事情に合わせてまたイチから
ネタを取材し直さなければならないし、そうなるとプロット全体が変わってくる
可能性さえある。
かといってアメリカ社会に取材してダイレクトにオリジナルを撮るとすれば、
それは当のアメリカの監督たちの方が普通に上手くやるわけだ。

いずれにせよ当時のアメリカで撮るなんて所詮は夢物語だったと思うよ。
たぶん向こうのP・脚本家・監督もいざシナリオを起こすと「これはそのままでは
使えないな」とアタマを抱えたと思うし、まあその辺が伊丹がアメリカ進出でき
なかったたぶん本当の原因。
伊丹人脈だと周防の『Shall We ダンス?』や黒沢の『回路』(パルス)はその辺の翻案の難しさを
ギリギリクリアーしたけど。ただ全面協力の周防はともかく黒沢は「リメイク権を売ったはいいが途中から
自分の知らん処で出来上がってしまった」と言ってたらしいが。