>>447
その記事は知らなかった。検索するとツイッターでは結構話題になっててビックリ!

ゴジさんが撮れなかった理由は実は単純。
上辺は豪快で親分肌のゴジさんの根の病的な気の弱さが全ての原因。

だいたい監督作の2本も延々と粘って回しまくって予算・スケジュール超過上等だったからね。
『センチメンタル・ジャーニー』もそれで頓挫。ゴジさんはプロデューサーの使い込みの
せいにしてるけど、根本はゴジさんが現場で回し過ぎた事ですよ。

これはいっけんよくある映画監督の完璧主義の様ですけど、実のところは自分の撮ってる
事に確信が持てずに「これでいいかなあ?」と粘りとリテイクを繰り返すからこうなってしまう。
この辺は師匠のイマヘイ仕込みなんだよね。個人的には相米や深作欣二も同じと思ってるけどね。

それでも監督作2本は辛うじて完成まで漕ぎつけたからまだマシ。
以後は企画・ホン作りの段階で考え過ぎてしまい、結局は映画が流れる、、この繰り返し。

ここ30〜40年程もゴジさんに映画を撮らせようとしたプロデューサーは数えきれないほど
いたし、実現寸前まで行った企画も数知れず。
しかし全てが見事に頓挫してしまった。結局はゴジさんが企画・ホン作りの段階で考え過ぎて
しまうから。

あとね、明らかに実現不可能な大風呂敷を広げ過ぎるとか(連合赤軍も長尺のやたら壮大な
シナリオだけは組む)、清田益章と友人だった様に途中からスピリチュアルに被れてシナリ
オにもその種のネタをどんどん入れてしまうとか、長谷川本人も無意識のうちに自ら映
画を壊しに行ってる事も多いんだよねえ、、

もうゴジさんにフィクション映画は無理ですよ。本人も既にそういう想像力は働かないでしょう。

可能性があるとすれば例えば「ゴジさん本人をモデルにした撮れなくなった映画監督の男と
長年に渡り同棲する人気女優との淡々とした日常」「その周囲の人々」「そんな日常の中で
男の過去・現在、そして有り得たかもしれない監督としての栄光の日々の妄想、、
酒に溺れる日常の中で男は現実と回想と幻想の交錯する混濁した世界に入り込んでいった、、」

、、こうした「私映画」ぐらいじゃないかなあ?、、

でもこういうの、ゴジさんはどうせ撮らないでしょう?
友人?の崔洋一も体の具合が悪いらしいし、あの世代もそろそろ人生の「潮時」「黄昏」
なのでしょうね。寂しい事ですが、、