>>60
斎藤耕一と天路圭子(斎藤節子)は晩年までずっと一緒だったのかな?
別れちゃったのかな?
結局、当時は天路プロの方の収入で何とかやってたのかな?

>>65
斎藤の監督としての才能、また映画ジャーナリズムが注目してくれる「運」
「流れ」のピークがたまたまその頃だっただけでは?
個人的には松竹で歌謡映画を撮っていた頃がいちばん良かったんじゃないかと思う。
「小さなスナック」は大傑作だよね。

斎藤さんは後年はスポンサー(カネの出処)が怪しげな映画ばかりになっちゃって
ちょっとアレだった。
後年にTVの「代表取締役刑事」とかも撮ってるのは当時の渡哲也(既に裕次郎は亡い)
が裕ちゃんの旧友という事で気を使ってくれたのかなと思う。