【黒澤明】一番美しく【女子挺身隊】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
黒澤明の監督第2作目。
光学兵器工場で勤労奉仕に従事する女子挺身隊の姿を
リアルに描いた戦時中(昭和19年)の作品(国策映画)。
主演は後に黒澤の妻となる矢口陽子。
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%AA%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%8F
矢口の見事すぎる富士額しか印象に残りませんでした。
ヒロインの悪夢のシーンで、顕微鏡を模したアイリスの中を、
戦闘機が、黒煙をあげて墜落していく、あのショットは凄い。 この映画は当時の女子挺身隊を知る上での貴重な資料にもなったね
それより入江たか子は当時33歳とは思えないほど色っぽい・・ あの映画はある光学機器工場で撮影したんだけど、当時そこの社長が黒澤監督に
「もし戦争負けたらキャメラのレンズでも作らなきゃならないんで、そうなったらよろしくお願いしますね」
みたいなこと言ったらしいんだけど、
「ホントにそうなっちゃった」
そうだwこれは監督談。
ちなみにその工場は日本光学=ニコンであった。 >>「もし戦争負けたら〜・・・
すごいな、冗談でもあの時代の日本でよく↑なこと言えたもんだと思う。
いや、今では何でも好き勝手に言える時代だけど当時は、「もしこの戦争に¨負けたら¨〜」とか
「この戦争は¨負けるよ¨」特に¨負ける¨なんて言葉は親しき仲でも絶対的な禁句だった。
何故か?なにも憲兵に連れて行かれるのだけが怖いわけじゃない。
当時の日本人は「神国」である日本が戦争に負けるはずがないとみんな取り憑かれたかのように
信じて疑わなかった。洗脳されるって怖いよな・・・。 これ一応戦意高揚映画で「お国のために自己を犠牲にして」っていうのがメインテーマだろうけど
むしろ「親の死に目にも会えない」、「しもやけ、疲労で体も壊す」女子をあえて描いて戦争を批判してると感じた。
>>7
マゾの快感は誰にでもあるからな、
特攻隊なんて究極のマゾヒズムだよ。 「負けるかも」と口に出すことでそれが実体化するんじゃないか、日本人はそれが怖いって言うのがあって。
スポーツの応援解説なんかでもよくあるなぁ。
黒澤監督のこの映画撮影前後の体験談は結構色々あるんだけど、そんな中でも地方じゃ戦況を茶化すような芸人もいたそうだよ。
印象に残っている監督の体験談のエピソードといえば、この時期、電車の本数もぎりぎりまで減らされていていつも乗客で満員だったそうだ。
そこにお偉方の将校が妻を連れて無理に乗り込んできた。
乗客のおばさんが
「もう無理だよ」
って言ったら
将校が
「私は軍人だぞ!」
なんていきがったので一触即発状態。
そこにおばさんがすかさず
「日本をこんなにしたのはあんた達じゃないか!!」
と放言。
まだ戦時下だったので監督をはじめこの発言に場の空気が凍りついたらしい。しかしその将校に目をやると、何も言えず降りる駅までずっとうつむいたままだったそうな。
ああいうおばさんがもってる真実の強さみたいなのってすごいよね。
みたいなことを監督が思い出話として言ってた。 そりゃ戦争なんて最終的に勝たなきゃ全く無意味だもんな。
負けるかもなんて弱気なこと言ってる奴がいたら自分だって瞬間的に殴りかかっていくと思う。 あきらかに戦況が不利で多くの人が疲弊しきってる時期には「負ける」なんて言葉も自然と口に出るだろうな
この映画もそういう時期に作られたみたいだけど単なる戦意高揚だけじゃなく自国機が墜落していく画を入れたり微妙な空気が出てる >>7
そんなに気にするほどのことでもなかった。
大きな声ではいえないけど、個々人の間ではそういう会話は普通だったんだよ。
アカだとかスパイだとか疑われたやつ、(町の中でも)村八分になったやつ
とかに監視が集中していただけ。
それに昭和19年ごろにはもう戦争は負けるんじゃないかとみんな思ってたしね。
特攻隊は「それでも行かなくてはならない。」と、自分たちが死なないと戦争が終わらないと、
信じて飛び込んでいった人たちがほとんどだった。
本当に1億人の国民が洗脳なんてされていたら、戦後あんなにあっという間に
アメリカ文化を受け入れたと思うかい? そりゃ実際そんな会話もあっただろうけど一般的に普通に行われていたわけではないでしょ。
よっぽど親しい人でなければ、ある程度肝が据わった人じゃないとなかなか言えないと思う。
「心の中では時々思ったりはしても口にまでは出さない。それが暗黙の了解だったし一日本人としての
そして軍人としてのプライドもあった」って今年87になる元特攻隊員の近所の老人が昔語っていたのを思い出す。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています