特撮おじさん、本多猪四郎監督 3
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>>たしか、前スレでも実は本多監督が演出したという書き込みがあったね。
行軍の訓練は本多にやってもらったと黒澤は言ってるけど。
演出まで本多にやってもらったとはいってない。
偉大な黒澤が本多みたいな三流元監督に演出をまかせるわけないよなw 本多監督のフィルモグラフィーって、特撮映画に片寄りがちな感じであるが、
実際、それらの映画を観てみると、いろんなジャンルの映画が詰まっている、という感じだな...。
アクション、恋愛、サラリーマン喜劇、戦争、人情ものなど。
でも、それでも一本の映画としてまとまっているんだよね。 >>68
それは東宝の会社のカラーだろうね。とりあえず色々撮らせて、一番その監督が
うまくつくれる作品をその後ずっと作らせる、という主義だったみたいだから。
植木等映画の古澤監督ですら戦争映画撮ってるからなぁ。
黒澤みたいな芸術家じゃないけど手堅い職人監督です、本多センセは。 古澤の勢いある演出はアクション向きだろう。
別に不思議じゃない。 >>69
あの人は右翼だから喜んで撮ったんじゃないか。 だから黒澤ともウマがあっったんだよな。
黒澤は日本共産党シンパの山田幼児と井上ひさしとも
仲良かったし。
スクリプターの野上照代の親父は真っ赤かの人だったし。 右の人間は大抵新東宝に行ったわけだし。古澤は帰ってきたけど。 古澤センセ新東宝に逝ったの?
松林和尚が一時新東宝で撮ってたからそれについて行ったのかな? 渡辺邦男の命令で反共産党活動をした後、東宝争議で新東宝に行って、
市川崑にくっついて東宝に帰ってきた。 本多監督の「ガス人間第一号」をDVDで視聴したんだが、冒頭の東宝マークから、
タイトルバック、スタッフ、キャストのクレジットの一連の展開がかっこよいね。
観客側に向かって拳銃を発射する男、一斉に手を挙げる銀行員達、ひとりでに開いて行く
金庫、歩道を足早に歩いて行く男の足、それを着実に追い詰めて行くような警官たちの足。
そして、パトカーでの追跡シーンに至る。
「ガス人間」その筋には有名な映画だったから
あらすじもオチも全部知ってたんだけど、
あの冒頭で一気に引き込まれて、
気がつけばラストシーンで号泣。
あれから洋邦実写特撮問わずいろんな映画を観たけれど、
日本映画ではこれがベストです。 >>70
単なる職人監督という評価は間違ってるな
わかるかバカ厨 >>82
俺は70じゃないが、よく読め。
70は「手堅い」と言ってる。
「単なる」という修飾語はお前の創作。 暇だったので調べてみた。
木村武(=馬渕薫)と関沢新一が執筆した東宝特撮映画(怪獣・SF・戦争・
ファンタジー)は、それぞれ18本。※「大盗賊」は木村と関沢の合作。
しかもその35本のうち、本多監督がコンビを組んだ本数もそれぞれ11本。
まったくの偶然とはいえ面白いな。 http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2009-1/kaisetsu.html
東宝=円谷英二による特撮映画の金字塔、『ゴジラ』が公開されたのは日本映画が産業として
ピークを迎えつつあった1954年のこと。
それまで戦争映画などを通して培われてきた日本の特殊技術の力が、
いよいよ空想の世界で最大限に発揮されたのでした。
以来、日本の特撮映画は、次々とユニークな怪獣を生み出し、
また近未来戦争や科学犯罪、スーパーヒーローの活躍など様々な分野を開拓しながら、
日本映画のユニークなジャンルとして定着してゆくことになります。
ブームの最盛期となった1967年には東宝や新東宝、大映、東映に加え、
新たに松竹や日活も怪獣映画の製作に乗り出すほどの活況を呈し、
また日本製怪獣・SF映画の多くが海外にも輸出され根強いファンを生み出してゆきました。
「日本映画史横断」の第3回目となる本企画では、
『ゴジラ』以前に円谷英二が特殊技術を担当した1949年の『透明人間現わる』から
1968年の『怪獣総進撃』まで、第1次ブームと呼ばれる時代の作品44本(42プログラム)の上映を通して、
日本が誇る偉大な遺産を回顧します。
本多さんが瀧口修造の助手だったってのはちょっとびっくりした 俺、行ったよ。バランとゴラスとドゴラとキングコングの逆襲観たよ。 最近、「原子怪獣現る」のDVDを購入して視聴したのだが、全体的な演出はともかく、
リドザウルス上陸の際、街全体にパニックが伝播していくシーンとか、特に盲目の男が
何も知らずに歩いていて、逃げる群衆に巻き込まれて倒れるシーンとかが、本多監督の
演出とかぶって興味深かった。
といっても、この映画の方が、制作は「ゴジラ」より先なんだけれどね・・・。
本多監督は、この映画観たのだろうか。 釣りをするならせめて目欄に釣りのサインくらい仕込んでおくものですよ。 本多監督って、プログラムピクチャーの職人監督というふうに言われることが多いようだが、
ほんとは、大作系の監督だったのではないだろうか。 同意。 しかし昭和30年代当時の映画は密度が濃いなあ。1時間半、見せ場もたっぷりだし 「キングコング対ゴジラ」を観たんだが、有島一郎の演技を観ていると、
「ゴジラ対若大将」もあながち実現可能だったのではないかという気がする。
続いて、「ガス人間第1号」を視聴・・・。
水野の回想で、佐野博士の研究室のアングルが微妙に傾いているのが不気味だった。
佐野博士の狂気を現すのと同時に、夢破れ、仕事にも恵まれず、鬱屈した日々を送る水野の前に現れたチャンスという名の罠。
そして、危険な予感を抱きながら、今までの日々からの脱却できるかもという
水野の大きな不安と小さい期待を表しているような気がする。
ミサイル発射の際の日本国民って、なんだか「妖星ゴラス」で沢村いき雄が演じていた
タクシー運転手の台詞に現されていたような気がする。
私自身は、明らかな戦時下のつもりでいましたが・・・。
ということで、チラシの裏はこれくらいにして、「妖星ゴラス」って、どうしても
南極計画の描写なんかで「さよならジュピター」を思い出してしまう。
本多監督だったら小松左京とも製作者としていい関係で、イメージと映画としての表現とか
うまく処理できたと思うのだが・・・。
そういえば、「さよならジュピター」クランクアップ?のパーティで小松左京と一緒に写っている
本多監督の写真を見たことがある。 1990年代のゴジラシリーズって、大森一樹、川北紘一、大河原孝夫に私物化されていたような気がするのだが・・・。
エンターティメント性とかにとらわれすぎて、わざわざ連続シリーズにしなくてもよかったのに、無理して続けていたような感じがする。
そもそもなんであんなに大河原孝夫が起用されていたのか理解できない。
「ゴジラ2000」の際、発売されたムックで、佐野四郎が監督が投げやりだと苦言を呈していた。
2000年代に入ってからのように、もっと、ほかの本編監督、特技監督を起用して、多様な映画を製作するべきだった思う。
そうすれば、尻すぼみに終わることもなかったのではないかと考えてしまう。
本多監督が演出していた昭和のゴジラシリーズとは明らかに画面の密度が違う。
まぁ、制作環境や予算の違いもあろうが、昭和のシリーズにあって、90年代のゴジラシリーズにはないものってなんなのか?
>>100
>そもそもなんであんなに大河原孝夫が起用されていたのか理解できない。
東宝にとって使いやすい人だったんでしょう。
佐野四郎のいう投げやりな部分も含めてw
そういえば大森一樹が黒澤組で撮影助手やってたキャメラマンに
(大森の指示に対し)「恥ずかしい、恥ずかしい。
(黒澤組ではこんなことしない)」
と嫌味をいわれたそうだけど。 フィルムセンターでまたまたSF怪獣映画特集、いいですねぇ。 ゴジラを使ったストーリーはもうネタ切れしているんだから、
新作に多くを望むこと自体が無理でしょ。
どう作ったって、ゴジラが出てくる以上、焼き直しにしかならない。 平成ガメラみたいな思い切った設定の再解釈をしない、という前提ならそうかも知れんがね。 >>102
いくら黒澤組出身だったからって、監督の意図に対して嫌味を言うなんて間違ってるんじゃね?
土屋嘉男の本なんか読むとなんだか和気藹々とした組だったように思えるが、
かえって黒澤組に就いていた誇り?みたいなのが鼻につく・・・。
そういえば、本多組の小泉カメラマンってどんな人だったのかね?
本多監督との関係はどんなものだったのだろう・・・。
>>105
思い切った設定、ということで言えば、金子修介監督の「大怪獣総攻撃」は評価したい。
惜しむらくは、検討稿のとおり、バラゴン、バラン、アンギラスが出ていればよかった。
そういう意味では、富山プロデューサーも戦犯の一人ということか・・・。
大森とか大河原監督の登場人物って手持無沙汰な感じの描写が多いんだよな
なんかその他大勢になっちゃってて、役者を使いきれてないような >>106
偉い巨匠についてると、自分まで偉いと錯覚する人も多いんだろう。 >>108
宮川一夫はこいつは無能だと思った監督の
言う事は聞かないよ。
今井正の指示に
「そうですか。でも私はそんな撮り方しませんから。」
映画の職人さんは結構意地悪だよw
>>109
宮川一夫自身が偉い巨匠だから、「巨匠についてるから自分も偉い」って話とは関係ないよ。 大森演出がそれだけひどかったんだろ。モブシーンとか見てりゃなんとなくわかる希ガス >>107
大河原孝夫は、「ゴジラVSモスラ」公開当時、久方の撮影所出身監督とか言われてたのを読んだ記憶がある。
それにしては、映画のできは、演出、脚本、特撮ともに??という感じだった。
東宝出版の書籍で、本多監督が映画の根幹にしっかりと問題意識があってよかったとコメントを
寄せていたが、問題意識にしても、「私たちの地球はどうなってしまうの?」とか、
「オゾン層の破壊による地球温暖化がどうたら・・・」とか中学生の弁論大会のテーマみたいだった。
なにより怪獣映画で夫婦や親子の絆の再生なんて観なくてもいい。
同じ撮影所出身でも、本多監督みたいに戦前から昭和20年代、30年代を経て、70年代にかけての斜陽期を
経てきた人と、60年代くらいから、助監督としてキャリアを積んだ人とでは、経験の差が違うのだろうか・・・?
また、フリーで仕事してきた手塚監督や、金子監督はまた違った感じですね。
思い入れもあるのかもしれませんが。
>>105
ゴジラの一作目と最初のガメラシリーズの出来が同じくらいならそうも言えるだろうけど、
あのゴジラをゴジラで超えるのは無理でしょ。
というか、平成ガメラだって、怪獣映画の範疇を超えているわけでもないじゃん。
細部の細かさと映像の斬新さが最大のウリであって、
それ以前の怪獣物を古くしたかといえば、そうとは言えないんじゃないかなあ。 >>112
大河原孝夫が東宝に入社したのは、1973年。 大森の演出・脚本は「よそ見しすぎ」って感じがする。 >>114
訂正どうもありがとう。
>>115
脚本に、いろいろ詰め込みすぎなような気がする。
「ゴジラVSビオランテ」の時も、ゴジラ細胞の争奪戦と平行して、ゴジラが自衛隊と戦いながら列島を縦断、
若狭湾で桐嶋とSSS9が格闘しているところにゴジラの足が、というプロットを出して、
「ロードムービーだった・・・」と言っていた。
「ゴジラVSデストロイア」も、せっかく昭和29年のゴジラ襲撃にかかわった登場人物を出していながら、
結局、物語に旨く関わらせることができなかったり・・・。
ところで、「決戦!南海の大怪獣」を観たのだが、佐原健二の尊い犠牲で宇宙生物をやっつけた一同が
沖の船に手を振っているシーンで、手を振りながら不気味な笑いを浮かべる土屋嘉男のアップで"終"の文字だったら
よかったとおもた。 >>116
山田正紀の「謀殺のチェスゲーム」を意識したとか
なんとか言ってたような。 >>117
「VSビオランテ」までは、地に足の着いた感じのお話だったのに、その後は・・・。
金子こそは撮影所出身の監督だね
その金子がにっかつを離れた年に
入れ替わりに入社したのが、いわゆる特撮作品はないが、中田秀夫
ここらへんが、最後の撮影所出身になるのかな 本多監督って、確か大林宣彦の「異人たちとの夏」っていう映画に出演していましたよね。
あと、「漂流教室」にも、出演していたような気がするのですが・・・。
林泰文が、尾美としのりに首を絞められて、母親に助けを求めるシーンで、
夢から覚めた母親役の三田佳子が、バットをもって居間に駆け込むと、そのなかに
本多監督がいるように見えます。
一瞬しか映らないのですが。
>>102
「ゴジラ」撮影時、成瀬組の玉井正夫が、本編、特撮の軋轢をなくすために、
撮影監督としてイニシアチブをとることを条件に参加したという話を聞いたが、
本多監督と、撮影監督という立場のカメラマンとのパワーバランスがいまいちよくわからない・・・。
本多監督が、映画制作の全体に関して責任を持ち統括するというのはわかるのですが。
>>121
その「撮影監督」というのは一般的な意味での
「撮影監督」じゃないだろ。
特撮の「撮影」にも口出させろという意味では? フィギュア王のゴジラ特集で、ゴジラ復活に向けての富山プロデューサーのインタビューが掲載されているが、
オファーしたい監督は?との問いに、世界中の監督が対象・・・、みたいにコメントしているが、
本多監督が存命中に起用できたじゃないか・・・、などと思ってしまた。
ところで、「続・三丁目の夕日」の冒頭を観ていると、今の時代の方こそ、本多監督が構想していた映画が撮れたのでは?
と考えてしまう。 有川さんいわく、「ゴジラ」時ではまだ特撮班は立場的に弱く、
特撮班が本編班へ進行状況の伺いに行く感じだったらしいね >>123
>本多監督が存命中に起用できたじゃないか・・・、などと思ってしまた。
本多氏にはオファーがあったが辞退した
>>121
どっちの画調にあわせるかとかそういうことじゃね? >>125
大映の「大魔神」シリーズも、本編と特撮の撮影を同一のカメラマンが行って、
色調を統一したと聞いたことがあるが、そういうことなんだろうね。
本多監督の海外での評価はどのようなものなのだろうか。
黒澤明の「夢」撮影時に来日した、マーティン・スコセッシは東宝本社で、
本多監督の所在を確認して、すぐに会いに行ったらしいが・・・。
日本では、「ゴジラ」を監督したとはいうものの円谷英二の影に隠れがちで、
監督としてはあまりまともな評価を得ていないような気もするが、つい最近、
アメリカでオリジナルの「ゴジラ」が公開されたということなので、海外での
評価が気になる。
コッポラが「地獄の黙示録」の撮影中に行き詰ると、黒澤の「七人の侍」を観たと言う話を聞いたことがあるが、
そんな風に、映画作りの教科書?として、あるいはオマージュ、影響を受けたという海外の監督はいないものか・・・。
>>131
特異な映画監督ではあるが、その為にまともな評価をされていない監督であるような感じがする。
役者の土屋嘉男や中島春雄など、東宝特撮に縁のある人たちが、海外のコンベンションに呼ばれていたりするので、
海外での批評や評価がどのようなものかやっぱり気になるね・・・。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Ishiro_Honda >>133
フィルモグラフィーで、1955年のクライベイビーってなんだろうと思ったが、
どうやら「おえんさん」らしいな・・・。
「地球防衛軍」の前半、モゲラが富士市に出現した直後の警察署の演出が非常によいですね。
「円谷英二の映像世界」という書籍でも言及されていたが、日常に突如出現した異物に戸惑う様子がよく出ている。
そのなかでも、市街に避難命令を発令する警察署長や、自衛隊到着まで、遅滞行動をとりつつ避難民を安全地帯まで
誘導する警察官など、公安関係者が職責を全うする姿がきっちり描かれている・・・。
非常事態の発生を描いたようなポリティカルフィクションなんかを演出したら、山本薩夫とはまた違った映画を本多監督はつくったと思います。
「妖星ゴラス」は、ポリティカルフィクションぽいな・・・。
>誘導する警察官など、公安関係者が職責を全うする姿が
きっちり描かれている・・・。
それは「公安関係者」だからじゃないと思うよ。 俳優の中丸忠雄の訃報が新聞に掲載されていてびっくりした。
本多監督の映画では、「地球防衛軍」の陸自士官と「メカゴジラの逆襲」のICPO幹部かな。
いずれにしてもご冥福をお祈りいたします。
>>136
東宝争議の時にびびって皆逃げても
最後まで残ってたのが、黒澤と本多。
そういう性格が演出にも反映されてると
見るのが自然。
ワイズ出版の中野特技監督の本に、「緯度0大作戦」の製作において、合作上のトラブルが多かったなかで、
映画を完成させたのは、本多監督の手腕によるものだと書いてあったが、そういった製作現場をまとめるのは
本多監督の人徳によるものが大だったのだろうか?
中野監督の言葉によれば、他の監督だったら皆降板してた、とのことだが。 アメリカ側が偉そうに映画論のご高説から入ってきたらしいね。本多監督は怒りもせず、
それならそちらのおっしゃるやり方でやってみましょうという姿勢だった。
結局日本式の撮り方のほうが合理的ってんで、しまいに向こうも折れたと アメリカでの撮影方法と、日本式の撮影方法ではどのように違うのでしょうか?
「緯度0大作戦」については、なんだかジョセフ・コットンが、撮影の空き時間になると、
セットの隅っこで、背を向けて座り込んでいたとかいう話を聞いた・・・。
舞台演技のように、一貫した流れで役者が演技し、複数のキャメラでこれを追うのがアメリカ式で、
フィルムを潤沢に使えるハリウッドならではの手法。日本はカットを撮り重ねて全体の流れを作る。 黒澤の場合は日本のシングルカムをマルチカムに拡大したような
黒澤独自のマルチカムだな。
玉突き(ビリヤード)の達人みたい
>>142
教えてくれてありがとうございます。
アメリカはなんでも物量が豊富なのですね。
でも、アメリカ側をまず立てて、その方法でやってみようとするあたり、温厚な本多監督らしいですね。
6月20日(土)山形市のシベールアリーナにおいて、「ゴジラを撮った男 映画監督本多猪四郎特集」が開催されるそうです。
毎年開催されている、山形国際ドキュメンタリー映画際のプレイベントとして、「空の大怪獣ラドン」、「妖星ゴラス」、
「ガス人間第1号」、「マタンゴ」の4作品の上映と井上ひさしの「ゴジラと僕と山形と」(仮)と題された講演もあります。
山形市の映画館に行ったら、チラシがおいてあったよ・・・。
また、2011年の生誕100年を見据えて、本多監督の全作品上映を企画しているとのことです。
一つ気になるのが、「ガス人間第1号」の紹介文のところに"リメイクの噂も"とあるのだが、
そんな企画が水面下であるのだろうか・・・。もしかして樋口監督か・・・。
「空の大怪獣ラドン」は、炭鉱の町のディティールが非常に細かい・・・。
白川由美が兄と二人で暮らす長屋とか。
そういうところに、唐突に出てくるメガヌロンが非常に恐ろしい。
現実の生活観そのままの場所に、突如、非日常の得体の知れないものが現れるという
唐突さが出色ですね。
警官隊が畳の上に土足で上がってるのが、あたりまえだけどすごくリアルに感じる
この時期の東宝の特撮映画の登場人物は、池田憲章も言ってたけど怪獣相手に先入観がないんだよね 警官隊が踏み込む場面で、白い作業服を着てピッケル?のようなものを持った人たちがいるが、
あの人たちは炭鉱作業員の自警団みたいな人たちなのかな・・・?
街全体が次第に騒然となっていくなかで、「どうしたの?どうしたの?」といった住人の声が聞こえるのも細かい。
「地球防衛軍」の富士市での警察署での演出もそうですね。
昭和30年代に、黒澤明がゴジラ映画を演出するという企画があったとかいう真偽不明の話を
聞いたことがある・・・。なんでも実物大のゴジラを製作しなければならないので、頓挫したとか・・・。
そんなことになったらどんな映画になっていたのだろうか。
橋本忍脚本のゴジラ映画も観てみたかったような気もするが、本多監督の演出した映画に比べて、
なんかちぐはぐした映画になりそう・・・。
黒澤は東宝が「連合艦隊」(だったかな?)を製作すると聞いて、
「1隻の戦艦も使えないのに彼らは何を撮るつもりなんだろう?」と言ったらしいからね。
「巨大な船が波を蹴立てて邁進するから映画になるんじゃないか」だそうだ。
この考え方だと実物大どころか本物のゴジラが使えないと撮らなかったんじゃないかねぇ。 >>151
本多監督とは特殊撮影に関する考え方がまるっきり違う感じですね・・・。
とはいっても、「夢」という映画で、「赤富士」というエピソードを撮影しているわけですが。
そのときは「富士山が大爆発して、溶岩が一気に流れ出してくるから映画になるんじゃないか」とは言わなかったのか。
ついでに、「蜘蛛巣城」撮影時、草木をつけて偽装した軍勢が、蜘蛛巣城に迫ってくるシーンで、
黒澤明が円谷英二を嫌っていたため、スタッフがこっそり特殊撮影を頼みに行ったという話を聞いたことがあるが、
ほんとなのhttp://gimpo.2ch.net/rmovie/かな・・・。
「東宝特撮映画全史」という書籍に、霧の中で木々が揺れているシーンを撮影している写真が掲載されているが、
もっと効果的な使い方があったように思うのだが。
>>146 亀レスになってしまったが、こういう地方での再上映は嬉しい。
DVDでもどうしても限界はあるからね。
「ゴラス」は4chステレオでの上映かな 山形新聞などで、山形ドキュメンタリー映画祭のプレイベントの記事が、何回か掲載されていた。
しかし、もっと早くこういったイベントが地元で行われなかったのは何故か。
生誕100周年という区切の時だからかもしれないが、世界に通用する映画監督として、
再評価されるべきだとおもうが・・・。 >>156 同意。
生誕100周年イベントは全国規模でやっても良いと思う。
数々の名作がDVD、CSなどでしか見られないのは間違っている。 全部東宝が悪い
ルーカスやスピルバーグにはヘコヘコするくせに 6月8日の山形新聞夕刊 「熱く面白く」に、『リアリズム追求本多監督 "人間ドラマ"が真骨頂』
との見出しで、本多監督の記事が。
内容は、「ゴジラ」製作時の『この作品をまじめに捉えることのできない人は、今すぐやめてください』との言葉から
円谷英二特技監督との緊密な映画制作といったおなじみのお話を経て、プレイベントでの上映作品「ガス人間第1号」
の紹介。
『現実離れしたファンタジーでも9、本多はリアリズムを追求した。』
『作品自体は、現場にかかわった人々の意気込みと叡智が結集されたのだろう、一班映画としても極上の出来栄えとなった。』
『意外な結末に思わず目がにじむ。本多監督のケレン味のない静謐な演出に唸らされることは請け合いである。』
との言葉も。
そして最後に、
『特撮映画だけではない、知られざる本多が山形で復活する。2011年には生誕100周年を迎える。
本多猪四郎再評価のうねりを故郷山形から起こしたい。』
との言葉で締めくくられています。
本多監督が他界されてから十数年、遅すぎた!とは敢えて言わないでおこう・・・。
今回のイベントが、本格的な本多監督再評価に繋がればいいな・・・。
AK100の記念イベントで何故か
XJAPANのHIDEの展覧会か何かやるらしいけど。
そんなことやるなら本多さんを取り上げればいいのに。 TVブロスだったか、かなり前に、ジャズだかの名盤を紹介するコラムに、
「美女と液体人間」のサントラが紹介されていた。
キャバレー ホムラで、警察がギャングの手入れをするシーンで、バンドの演奏と
警察がギャングを逮捕していくシーンがカットバックで描かれ、劇伴と併せて緊迫感のある
シーンになっていると評価されていた。
SF怪獣映画のなかの、一般映画的なシーンの演出とかはもっと評価されてほしい・・・。
この前テレビで本多監督が特集されてたけど見た人居る?
>>162
どこのチャンネルですか?
是非、観たかった・・・。 「いのしろう」ではなく「いしろう」だと知ってから久しい。
特撮好きという事もあって、自分に息子が出来たら
本多監督に肖るという意味もあって「威士郎」と命名したかった。
(「翔太」とか、そんなありふれた名前、今更付けられるか!) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています