特撮おじさん、本多猪四郎監督 3
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>>225
wikiによると
「小美人を連れて南九州、高千穂峰まで逃げていたネルソン一行が
モスラの追撃に遭い、そこでネルソンが死んで大団円となる」とあった。
実際鹿児島でロケが行われている。調査隊を船で見送るシーンでは桜島が
出てきている。 「こだまは呼んでいる」観てきた。
・特撮映画だった。
バスが山の中を走るだけでものすごいスペクタクルな画になるのは流石。
・本多作品の池部良はいつもツンデレだと思った。むしろクーデレなのか。
・とにかく脇を固める大部屋役者のかけあいが絶妙。
後年の関沢脚本の作品群を濃縮したような芝居。
・年代を調べてみたら丁度「美女と液体人間」と「ガス人間」、
「バラン」と「モスラ」の間の年に作られている。
本多さんのコメディセンスが爆発し始めたのはこのあたりじゃないか、と勘ぐってみる。
・詳細はネタバレになるので伏せるが、ドラマの根底にある問題意識に、
「お嫁においで」と通じるものが見受けられた。
・金持ちの家で人形のように座らされている貧乏娘が、
つい動き回って仕事をしてしまう、という様子を見て、
奥さんが語っていた本多さんの様子にそっくりだと思った。
「年中働いている人で、じっとしていられない人だった。
落ち着かないから座っていてくれ、って言っても、「俺は立ってるほうが楽なんだ」」
・自然との闘いがあり、ギャグのつるべうちがあり、ストイックな三角関係があり、
竜神様の踊るお祭りがあり、饒舌で男勝りのヒロインがあり、特撮があり、
人命救助を最優先するプロフェッショナルの姿があり、
本当に本多作品らしい本多作品だった。
それにしても「夜間中学」はやたら評判がいいなあ。
そもそも観る機会の少ない作品だから感想を目にする機会というものがさらに少ないのだけれど、
たまに感想を見かけると軒並み絶賛だし、監督本人の愛着も強い作品だし。
山形に行きたかった… すまん。
個人用にメモっといたものだったんだが、
鑑賞の機会が少ない作品だからなんかの参考になればと
全文コピってしまった。 「サンダ対ガイラ」のDVDを久しぶりに観てしまった・・・。
迎撃作戦を展開する自衛隊の描写なんかで、小銃を構えて周辺警戒している隊員とか、
画面の端っこに映っている隊員までしっかりと職務を遂行している様子がわかって
とてもかっこいい。
メーサーが展開するシーンでも、ブルーバックで隊員を合成したりして、
ミニチュアであっても、実際に人間が操縦していることが自然に認識できたりする。
サンダが現れるところなんかも、山の上から隊員が転がってきたりして、演出が緻密ですね。
平成時代の「VSモスラ」や「VSメカゴジラ」だと、ミニチュアだけで、兵器のなかで操縦している
パイロットや兵士の描写がないので、なんだか緊迫感がない感じがする。
特に「VSモスラ」のメーサー攻撃機が出てくるとこなんか、あまりにも薄っぺらいんじゃないだろうか。
画コンテには、パイロットの描写もあったみたいだが。
そういうところがハリウッド映画を意識した割には?はずした感じがこっ恥ずかしい平成VSシリーズを好きになれない理由の一つ。
>>230
群集シーンをやらせたら本多監督の右に出る者はいない。 >>230
その手のシーンで一番好きなのが、「ガス人間」の
新聞社に水野が自首してくるシーンですね。
さっき確認したら、あのシーン、かなり細かくカットを割ってるんですが、
芝居の進行にあわせて、モブキャラ全員、別々の芝居をしてました。
特に「僕ですよ」の次のカットで将棋版を囲んでる新聞記者が、
あまりの事態に全員違う方向を向いて違う表情をするのが、何回観ても素晴らしいです。 http://news.nifty.com/cs/entame/moviedetail/cnmtoday-N0020825/1.htm
「ガンダム」が好き過ぎる!落合博満監督と長男、優勝を逃したらガンダム禁止!の親子愛
三冠王三回の大打者もガンダムファンだ。
偉大な選手はさすが日本の特撮みたいな幼稚なものには目もくれないらしいなwww。
仕事帰りに本屋に行ったら人が殺せそうな分厚い本が出てて、
>ttp://www.amazon.co.jp/大系-黒澤明-第1巻-黒澤-明/dp/4062155753
>大系 黒澤明 第1巻 (単行本)
>黒澤 明 (著), 浜野 保樹 (編集)
1951年の座談会「映画の名人藝」が収録されてました。
(出席者:吉村公三郎、黒澤明、南部圭之助、森岩雄、本多猪四郎) SF作家の小松左京の小説に、第2次大戦で本土決戦に突入した日本と、ゲリラとなって戦う少年兵を描いた小説で
「地には平和を」というのがあります。
自身の戦争体験を踏まえて書かれたものですが、自身が体験した戦争というものを文学で表現しようとすると、
あまりにもテーマが大きすぎて表現が難しくなるが、SFならばエンターティメントとして読ませることが出来る、
戦争が無かったらSF作家にはなっていなかっただろう、とかいうことを自伝で書いていた。
本多監督自身、演出したSF映画のなかで、未知の巨大生物の襲来や、異星人との攻防に、自身の戦争体験を反映させた
とかはなかったのだろうか? 「サンダ対ガイラ」で、ガイラ接近に際して、勇み足で発砲してしまう自衛隊員。
(その後の、幕僚役の桐野洋雄の「どこの命令で発砲してるんだ!!」との台詞もイイ)
「モスラ対ゴジラ」での司令部移動の際、撤収作業の間、小銃を構えて警備する自衛隊員。
「怪獣大戦争」で、竜神湖から円盤が出現した時の、「撃ちますか、撃ちますか?」と指揮官に確認する副官。
このような、細かい描写が、リアリティを高めるんだろうね・・・。
本多監督のゴジラ映画(「怪獣総進撃」くらいまでか)とか、「フランケンシュタイン対地底怪獣」と「サンダ対ガイラ」、
「地球防衛軍」と「宇宙大戦争」など、微妙に前作とのつながりを示唆する台詞や描写があるが、確実に前作と共通の世界観とはしていない。
観た人の考えによって、いろんな解釈が出来るようにしているのだろうか。
また、厳密な続き物とすると、作劇上の制約とかも出てくるからかもしれないが。
90年代のVSシリーズが、連続した世界観にこだわった理由がいまいちよくわからん。
23世紀から未来の人間がやって来るわ、地球の先住民が出てくるわ、宇宙怪獣は来るわ、
巨大ロボットで、火星軌道まで行っちゃうわ・・・。
しかも、未来人の提案で1954年のゴジラ東京襲撃が無くなったことになっているはず(?)なのに、
山根恵美子には芹沢博士の記憶がしっかりあったり・・・。
1954年、1984年からの時系列で見ると、すさまじいことになっているな。 土屋嘉男ももっと出てほしかったのになあ。連続ドラマにしたせいで、
一回限りの出演になったのかと勘ぐっちまうな。 >>239
土屋嘉男は、もっとゴジラ映画に出演して欲しかった。
佐原健二と共演なんかしたらよかったのにね。
以前、フィギュア王のゴジラ特集で、水野久美と一緒に対談していたが、元気そうだったので、
また出演して欲しい。
もし、本多監督の生涯で、戦前の助監督時代、戦時中の軍隊時代、戦後のゴジラ映画の演出から、
晩年の黒澤監督の補佐までを映画化(あるいはドラマ化?)したら、晩年の本多監督は、佐原健二が
演じればいい。そして黒澤監督役は土屋嘉男が演じるのはどうか。 そうそう、最初と最後にしか出ないんだが子供思いのいいお父さんって感じがにじみ出ててさ、あの佐原さんはいいんだよね。
オール怪獣自体 本多監督のリリシズム全開みたいで心和むんだ。 とにかくリアリズムに徹した反応を指導されたってね。
いきなり怪獣を見てビックリするんじゃなくて、最初は「ハァ?」ってなるもんだ、と。
対する佐原健二も記憶喪失の「上の空」の演技を自ら提案して演じたり、
役者のアイディアは喜んでとり入れる監督だったらしいね。 >>246
確かに、怪獣みたいなものが現れたら、まず驚くよりも、「なんだ、あれ?」ってなるだろうね。
「空の大怪獣ラドン」での、阿蘇山の火口を見物に行ったカップルのシーンでも、女性が、空の一点を
みて、みるみる恐怖の表情になっていくシーンがありますね。
(その後、男の方が、女をおいて我先に逃げ出すシーンもよい)
「ラドン」は、奇妙な飛行物体に遭遇、墜落した戦闘機、阿蘇山火口で消息を絶ったカップル、そして、
写真機のフィルムに映っていた"何か"の影と、徐々に怪獣の輪郭が現れてくる演出がいいですね。 ラドンの卵が割れるシーンの佐原健二の表情とか、
対策本部に突っ込んでくるラドンから猛ダッシュで逃げる防衛隊とか、
福岡上空を見上げる群衆とか、見てると面白いな。 >>248
救出された佐原健二が、炭鉱の事務所に来るシーンもいいですね。
放心したような、空虚な表情を湛えた佐原健二と、「完璧な記憶喪失です」との台詞に、
「・・・え?」という山田巳之助の演技とか。
泣き崩れる白川由美のシーンにかかる音楽もいい。 本多監督以外にも、特撮怪獣・SF映画の演出をした人はいるが、たとえば、大映の「宇宙人東京に現る」の島耕二とか、
べつにいい加減な演出をしているわけではないのに、本多監督の演出よりもあまり印象に残らないのは何故なんだろう。
やっぱり監督本人のセンスとか、脚本、あとそれぞれの会社のカラーとかにもよるのだろうか。
センスがどうこうというのとは違うのかもしれないが、「地球防衛軍」と同じ頃(?)の、新東宝の「スーパージャイアンツ」を
観たことがあるが(確かカピア人とかいうのが攻撃してくる「地球滅亡寸前」というタイトルだった)、地球攻撃に対して、
カピアの大魔術とやらを使ったりして、やっぱり監督自身のセンスなのか、と思ったり。
でも石井輝男の演出はいかにも娯楽映画という感じで楽しかったが。 謎なのは、どの役者さんに聞いても「NGが少ない、一発OKの人だった」
という話が共通してるんだけど、
役者さんが素晴らしい演技をしてる作品が多いんだよね。
その役者さんの代表作と言える作品もすごく多いし。 役者を怒鳴ったことは一度もなかったって言うもんな。それは珍しいことらしいし 2010年2月26日(金)22:30〜
NHK教育テレビ「劇場への招待」
『ガス人間第1号』舞台版放送
オリジナル版をテープが擦り切れるまで観続けてきた俺にとっては神リメイクだった。
水野久美さんのファンも必見。 本多演出に対するリスペクトやオマージュ的なものがあったってこと? 本多演出に対するリスペクト…と断言していいかはわからないが、
オリジナル版「ガス人間」への愛と
数ある本多作品へのオマージュはありあまるほどあったと思う。 双葉十三郎さんが亡くなりましたな。一作目の時、ゴジラの事をくさしてたような >>256
「空想を空想として楽しめず、薄暗い嫌な後味が残る」とか評してたそうですね。
でも、その生々しい戦争の記憶を想起させる"薄暗い嫌な後味"こそが、本多監督の目論んだことなのではないか、
と思ったり・・・。 その双葉の論評に対して、「おおかた、煎餅でもかじりながら見てたのではないのか」と
ケイブンシャの図鑑が皮肉ってたね。 >>257
黒澤がこういう批評に対し
ひとが青い色で描いた絵を見て、「俺は青は嫌い、赤が好きだ」と言われても
困る。青い色の塗り方について批判されるならわかるが、自分の好き嫌いだけ
いわれても、そんなものは批評でもなんでもない。批評するなら同じ土俵の上に上がってやれ。
とか言ってた記憶がある。
今日の、BS11「帰ってきたウルトラマン」は、本多監督演出の「怪獣レインボー作戦」。
オーソドックスな演出ながらも、怪獣と、攻撃開始するマットアロー、そしてコックピットの主人公との
カットバックは、さすがに本多監督といったところか。
本多監督はメイン監督として、もっと多くのエピソードを演出していてもよさそうなものなのだが。
ギャラの問題かな・・・?
>>261
体力的な問題は確かにあるかもしれませんね。
円谷プロのテレビ映画では、「帰ってきたウルトラマン」、「ミラーマン」、
「緊急指令10−4−10−10」とかを演出してますが、とくに、
「帰ってきたウルトラマン」と、「ミラーマン」は、第1、2話を演出されていて、
シリーズのイメージを設定してますね。
「ミラーマン」初期のミステリアスなムードが出色だと思います。 テレビの現場は10日で一本だから、映画畑の監督さんはつらいかもねえ。
「メカゴジラの逆襲」も2〜3週間のスケジュールだったっていうし、黄金期より10日は少ない。
それであんな重厚なドラマ撮っておられるんだから、やっぱり力量はすごいよ。 >>260
「同じ東宝出身の、筧正典監督をメインにした方が人件費が安い」
という製作サイドの意向はあったと思われる。
第1話と2話でかなりの赤字が出てしまい(ウルトラマンの模様変更による
撮り直しとか)、その後まもなくMATシュートが光線(作画)から弾丸
(火薬)に変わったりしてるし。 >>264
なぜ、筧監督の方が人件費が安価だったのでしょうか?
早撮りの監督は、テレビ特撮には重宝されるかもしれないですね。
本多監督は、テレビと言えど、こだわりを持って演出しているからかな・・・?
今日の、BS11「帰ってきたウルトラマン」でも、MATアローの整備工場のシーンで、
実際の航空会社でのロケ?と特撮を旨く繋いでいましたね。 >>263
「メカゴジラの逆襲」って、タイトルこそ、メカゴジラとなっているが、真船親子の復讐って感じだね・・・。
どちらかと言うと、メカゴジラよりチタノザウルス大暴れの印象があるのはそのせいか。
劇中に、幼い頃の真船桂と母親の写真があったりするのが細かい。
あとエキストラなんかも結構多く出演してますね。
沢村いき雄が、一言も喋らないのが印象深く、ICPOの内田勝正と中丸忠雄は心強い・・・。
そういえば、チタノザウルスのソフビがバンダイより発売されたときに、うれしくて2個買っちゃたのはいい思い出。 アホかお前は。
二人ともちゃんとカミさんいるだろうが。 「ゴジラ」は当初、本多監督ではなく、谷口千吉監督が演出するはずだったとか聞いたことがあるが、
もし谷口監督だったらどんな映画になっていたのだろうか・・・?
戦国時代、戦場には女を連れていけないから
男同士で性欲処理する必要があった。 衆道くらい、誰だって知ってる。
知らないのは、あんただけだ。
衆道はそもそも、修行僧たちの間から誕生したものだよ。
知識がないならないで、何も書かなければいいだろう。
黒澤の「性欲」については、尾形敏郎の「巨人と少年」で赤裸々に分析されている。
ホモであったはずがない。
この本は、キネ旬読者賞を受賞した連載の書籍化で、映画ファンはたいてい読んでる。
衆道も知らず「巨人と少年」も知らず、その他のことも何も知らず、
今後も知る気はないんだろうから、死ぬまで口をつぐんでなさい。 >>274
もちろんクロサワさんはゲイじゃない。クロサワさんはバイ。「影武者」撮影
時にクロサワがある重要な役で出ていた(NHKの影武者ドキュメンタリー
にも出てくる)若い素人俳優にチョッカイを出したゴシップは有名。
但しもちろん、それがストレートに本多氏が「黒澤とはホモ関係だった」事に繋がる
わけではない。実際、それはさすがに無いと思うけど・・・。 「〜は有名」って言い回しは明確なソースを提示できない場合の定番逃げ キノスケがゲイって話はよく聞くが、明確なソースはあるんだろうか? 古本屋でトマス・ピンチョン「ヴァインランド」の脚注をみていたら、
「猪四郎」というのがあった。
訳者によると、本文は「inoshiro」だがゴジラその他のオマージュに関するところなので、
本多猪四郎と判断してそう訳したとのこと。
海外の資料だと本多監督のことを「inoshiro」と書くことが多いらしい。
ピンチョンが東宝特撮映画までカバーしていることに驚いた。 むしろ翻訳者が猪四郎を「いしろう」と読むと知ってたのに驚いた >>280
奥さんもインタビューで
「いのしろう」といってたがなw 木下と黒澤がシナリオ作成だかで同宿する事になり
周囲が「黒サン大丈夫?あの人と」と聞くと
「大丈夫さ!
もしケツなんかにに入れてきやがったら
ウンコぶっこいて押し戻してやるさ!」と。
木下は 入れてくれしゃぶらせてくれ の人だから
そういう事も判らんかった黒澤はホモでは無いな。 構ってもらいたがるにしても何で映画ファンに構ってもらいたがるのか分からん。
新宿二丁目のトイレに行けばいいんじゃないか?
あそこならパンツ脱げば誰でも人気者になれる。 海外版ゴジラのポスター表記は"Inoshiro Honda"だったと思う。 空の大怪獣ラドンの予告編ナレーションではいしろう
田中プロデューサーはゆうこう いしろう が、正しい読み方だろ? 本多さん自身言っていた記事読んだ記憶がある 「いしろう」が正解だよ。新聞の訃報記事でも「本多猪四郎(いしろう)」と記載されていた。
ただ、イノシロウと発音してる人に間違いだと言うのも野暮。
吉田喜重だって、吉田キジューでいいんだし。
松本清張も、本当はキヨハルなのに、みんながセイチョーと呼ぶんで、作家としてはセイチョーという読みなんだということになってしまったらしい。
大林宣彦がマンダムのCM演出の仕事でアメリカでしばらく暮らした時、
あちらのスタッフたちと話をしたら本多監督の名前が有名なんで驚いたそうだけど、
彼らもinoshiroと読んでいたそうだ。
http://www.moviecovers.com/film/titre_GODZILLA%20(1955).html
こういうのを見ると確かにishiroと記載されているんだけど、大林はエッセイで確かにそう書いていた。 本田さんの従軍体験を記した本って、出てないのかな?
中国の戦線に従軍してたらしいけど、どの戦闘に参加してたのかな?
>>265
本多監督本人は、TV映画の予算とスケジュールを守って仕事を進める。
しかし特撮班の連中が「あの本多監督に撮っていただくんだから、チャチな
特撮では済まされない!」と頑張り過ぎちゃうそうな。
高野宏一(新マン)も川北紘一(流星人間ゾーン)も同じようなコメントしてる。
永年の盟友、黒澤監督は「いのさん」と呼んでいたよね。
だから、本名が「いしろう」で、通称は「いのしろう」という感じではないかな。
もしくは、普段の呼び名としては「いしろう」でも「いのしろう」でもどちらでも可、とか。
昔の人って本名とは別に通称を名乗っている人が少なくなかったしね。 只単に、猪という字だから、あだなが 「いのさん」 だったんじゃねのか >>295
黒澤の父親と奥さんも戸籍上の本名と違う名前名乗ってたんだよねw
奥さんが喜代を喜代子に変えてたのは、いかにも
「下女」みたいな名前で嫌だったんだろう。
親に付けられた名前を勝手に変えるなんて
昔の人は今より、ずっとリベラルだ。
「メカゴジラの逆襲」は、予算的にも厳しかったのではないかと推測されるが、
同時期のゴジラ映画に比べて、小道具とかエキストラとか、往年の雰囲気がある。
福田監督の場合と本多監督の場合では、予算のつき方が違ったりしていたのかな・・・。
あと、どうでもいい話だが、「ゴジラVSモスラ」の、冒頭のNASAのシーンで、
外国人俳優が演技している後ろの壁に、"NASA"と書いてある、あまりの安っぽさに
唖然としたことがある。 >>298
メカゴジは
伊福部先生を起用しているだけでも、予算にかなり違いがあるでしょ メカゴジラ1のおもちゃは爆発的に売れて、東宝は大儲けだったらしいからな。
逆襲も興行的にはいまいちかも知れんが超合金とかはかなり売れたんでないかい >>299
佐藤勝と伊福部昭でギャラに差が付いたりしないと思うよ。
そんなにキャリアに差があるわけでもないし、
今みたいに伊福部昭に特別人気があったわけでもなし。 >>301
オーケストラの編成の大きさの問題のことだよ 佐藤勝のオケ編成って別に小さくないと思うぞ。
音作りがポップな方向なので勘違いしてないか? 総制作費が合計いくら、ってきちんと出てる資料ってないものだろうか
(平成ゴジラの時は宣伝も兼ねて十億とか十五億とか
そういう数字を頻繁に見かけた気がするのだが) >>304
観客動員数とかは、わりとよく書籍に掲載されていますが、制作費とかは、
あまり見かけないかもしれませんね・・・。
話は変わるが、デアゴのDVDコレクションの「ゴジラ」を購入して観たんだが、
尾形、恵美子などの出演シーン以外を編集したら、
「"ゴジラ"と呼称される巨大生物による東京襲撃事件」
といった感じの擬似ドキュメンタリーに出来るんじゃないかと思った・・・。
ところで、いつも思うのだが、どうしてポスターやスチール写真にゼロ戦がいるの? 当時の日本人はあれ見て勇ましい気持ちを思い起こさされたんだよ 昭和29年という時代を考えると、そんなものなのだろうか。
ところで、DVDだと芹沢博士の顔の傷跡がはっきりと見えた。
芹沢博士って、旧東京帝国大学卒業、戦時中も理学系ということで徴兵されず、
(でも軍関係の機関で研究者として徴用されていた?)
同じく科学者だった父親が、山根博士と懇意で、小さい頃から山根恵美子と面識があった、ってところだろうか。
前に書籍で、若き日の芹沢博士と恵美子が、原っぱで戯れているスチールを見かけたことがあったな・・・。
戦争で、心身ともに傷を負ったというところは、本多監督の分身というかメタファーといった感じとは言えないかな。 昭和50年ごろまで、商店街なんかで傷痍軍人の人たちがよくいたし、
まして当時はそういう想いは本多監督だけじゃなかったろうね >>308
あ〜、確かにお祭りなんか行くと、傷痍軍人がいましたね。
戦闘帽に白い着物?見たいなのを着て、音質の悪いスピーカーから軍歌を流しながら、
募金箱を首からさげた義手、義足のおじいさん達が立っているのをみたことがあります。
一緒にいた祖父(大戦での兵役経験者)が、あからさまに顔をしかめたのを覚えています。
スレ違い失礼。 うちの近所では、昭和50年を過ぎても、町の中に普通に傷痍軍人がいたよ。
ハーモニカで軍靴を演奏して募金をしていた。
おじいさんが顔をしかめていたのは、傷痍軍人たちがどういう人なのか知っていたからじゃないのかな。
http://www.athenee.net/culturalcenter/database/title/title_w/wa/wasureraretakogun.html >>298-299
「メカゴジラの逆襲」のシナリオは、公募で選ばれたものだった。
それだけでも、この時、東宝に「やる気」があったことがわかる。
高山由紀子がゴジラを手掛けたのがこれ一作だけだったのは残念だな。
本人は「メカゴジラの逆襲」に愛着があるみたいだから、平成になってからも彼女に書かせてみればよかったのに。 「地球防衛軍」で、侵攻してくるモゲラに対して出動してくる自衛隊のシーンがカッコいい。
不気味な旋律の音楽が、そのシーンで勇壮な曲に変化してくるのもいい。
自衛隊のPRに貢献した本多監督に対して、防衛省は感謝状などを出してもいいのでは? 「サンダ対ガイラ」のL作戦展開、「キングコング対ゴジラ」での輸送作戦、「ゴジラ」での品川での防御線構築など、
全くの架空の出来事なのだが、実際の記録映像を見ているような錯覚を覚える演出の秘密とは何だろうか・・・。
「モスラ」でも司令部のテーブルに電話機がずらりと並んでいて、それぞれに伝令の兵が立っているシーンとか、
非常にドキュメンタリックな映像になっている。
金子修介監督のガメラシリーズや「大怪獣総攻撃」とか、手塚昌明監督の「ゴジラ×メカゴジラ」などは、
シュミレーション的な面白さはあっても、本多監督の演出のように、"リアル"という訳ではないようだ。
映画の予算、製作環境などいろんな要素はあるのだとは思うが・・・。 でも本多監督が言うには田崎潤とかがよくやってる野外作戦本部の描写なんかは、
実際の現場なんかだともっと砕けたもんなんだそうだ。映画的な魔術なんだろう リアルとリアリティは違うってことだ。
黒澤映画でもそうだもんな。 >実際の現場なんかだともっと砕けたもんなんだそうだ
亀井文夫の「たたかふ兵隊」(日中戦争のドキュメンタリー)に
まさにそういうシーンがあって、本多監督の言うとおりでびっくりした。
軍人が作戦会議をしてる、というよりも、
公務員が事務処理をするみたいな雰囲気なんだよね。 >>314
そいつらは戦争行ったこともないし、人殺した経験もないからな。
本多も中国人を相当殺してるはず。
>>315
ああいう描写は、それ以前からの時代劇映画の「幕府(幕で囲った作戦本部)の中の作戦会議」
の描写パターンをそのまま踏襲してるんだよ。
稲垣浩の「風林火山」とかを思い出してみるといい。
(「風林火山」は、パターンが完成した後の作品だけど)
金子修介の平成「ガメラ」第一作はわざと先祖返りしていて、あえて時代劇そっくりそのままの演出にしていていた。 まあカメラの前に一列に並んでるほうが見やすいし、シネスコ画面に映えるからな。
食卓のシーンでちゃぶ台のこっち側に誰もいないのと同じで >>318
お詫びに、お前が中国人に殺されてこいよww 日本映画批評家大賞 審査員特別賞
ttp://www.jmca-official.com/new.html#13
ttp://mantan-web.jp/2010/05/07/20100507dog00m200048000c.html
本多監督個人に賞が与えられるのって、これが初めてかな? 本多監督の受賞、本当に喜ばしいことだと思います。
生前に、この特異な才能がもっと評価されていたら、と、どうしても考えてしまいます。
ところで、この前DVDで「モスラ」を観たが、人間と小美人とのカットバックの自然さには
いつも驚かされる・・・。
「モスラ」で、洋上を侵攻してくるモスラに対して、爆撃機仕様にした、C―47?で攻撃するシーンがある。
その際、機長が、「各機、爆撃侵入!」と指令を出すが、こんな何気ないシーンがなぜか印象に残ったりする。
出演者にクレジットされている役者さんなのかわからないが。
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