特撮おじさん、本多猪四郎監督 3
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あなたとはもう契約更新しませんと
一方的に通知してくび。
1984年のゴジラの橋本幸治が東宝映画の常務取締役の席まで
あてがってもらったのと対称的だろう。
>>21
60年代半ば、東宝は監督陣の中で真っ先に本多を契約解除(事実上のクビ)にした。
その後も年一本ペースで監督作品はあるけど、契約解除になっているので毎月の給料は当然支払われず。
黒澤プロの重役だったかどうかは知らない。
84ゴジラの時は黒澤が『乱』を準備して撮影目前だった時期なので、それも受けなかった要因のひとつかも。 「グッドモーニング ゴジラ」という本に書いてあったね。
森岩雄から、「もう君とは契約しません」と言われたとか。
理由は定かではないが、あまりにも、特撮は本多と言われたので、
他の監督達のなかにも、何か思う人がいたのでは無いか、とか書かれていたね。
いずれにしても、一方的に契約解除を言い渡された本多監督の心中はどのようなものだったのだろうか...?
あと、本多監督の「今日も我大空にあり」という企画が、いつの間にか、
本多監督も知らないうちに外されていたと言う話を聞いたことがあるが、
その時もどんな気持ちだったのかな...?
なんで、東宝は、そんなこと平気でやるの...? やっぱり円谷英二が亡くなったから、本多監督ももう必要ないってことになったのかな・・・ >>22
その代わり橋本は2本撮ったきりで監督業辞めざるを得なかったよね。
>>25
東宝に限らずどこの会社も社員監督の立場ってそんなもんだったののでは。
ちなみに大映の場合、自分の企画で好きに撮れるのは山本薩夫と市川昆だけだったそうな
(増村保造もかな?) >>22
橋本幸治は84『ゴジラ』の興行が目標額に達しなかったことで
自ら監督職を辞めて編成部に移ったんだよ。常務取締役まで
上り詰めたのは、編成部での仕事振りがすぐれてたからで
『ゴジラ』の監督してたこととは関係ないと思うよ。 >橋本幸治は84『ゴジラ』の興行が目標額に達しなかったことで
自ら監督職を辞めて編成部に移ったんだよ。
ゴジラの後も、何かのメイキングやってたはずだけど。
あの橋本さんがメイキングの監督なんかやらされて可愛そうと
思ったのでよく覚えてるよ。
ゴジラの後なのに「君は僕をスキになる」のスクリプターまでやってるんだよな。
>自ら監督職を辞めて編成部に移ったんだよ。
東宝は
本人が移りたいといったら移らしてくれるのかねw
「ひめゆりの塔」「八つ墓村」の製作担当だったね、この人。
2本とも話題作だった割に、ヒット作というわけでもないし
プロデューサーとして特に評価されるような仕事をしてるわけでも
ないようですが。 >>27
>東宝に限らずどこの会社も社員監督の立場ってそんなもんだったののでは。
まあ、確かにそうだよね。邦画斜陽の中で各社とも合理化を推進した中で、
東宝も監督や技術者の専属契約を解除した。ヒットメーカーであり、キャリアから
いっても相当高額なギャラに達していただろうから、真っ先に本多との専属が見直されたのも無理はない。
ただ、すでに黒澤は東宝から独立させられていたし、この時期、鈴木英夫や千葉泰樹のように、
映画の専属を解除されて東宝テレビ部に移籍させられて人もいる。
その後、監督や技術者、俳優たちも続々と契約解除になった。それが60年代後半から70年代はじめという時代。
「一方的に解除」「仕打ち」とか、あたかも本多だけが悲劇の被害者であるかのような見方はヘンだとは思う。 >>30
本多の東宝への貢献を考えれば「仕打ち」という表現で
間違いではないだろう。
>キャリアから
いっても相当高額なギャラに達していただろうから
いや、それはない。
日本の映画監督のギャラは安いよ。
そもそも、そんなギャラもらってたら
本多は大金持ちだろ。 本多監督が契約解除になったのは鈴木英夫や杉江敏男が解除になる前、まだ円谷も元気な頃の話だよ。
ただ、その後の仕事ぶりや世間的評価を考えると、杉江監督らに比べれば本多さんは恵まれているけどね。 円谷英二自身もフリーになってたからな、まあこれは本人が望んでの事らしいけど。 本多監督の演出したSF映画には自衛隊の登場シーンが多々ありますが、
昭和の自衛隊が使用していた装備品の映像資料とも言えるのではないでしょうか...?
「地球防衛軍」なんか、米軍のM1ヘルメットに保安隊時代からの戦闘服、M1ガーランド小銃に、
M2重機関銃、M1919機関銃等など...。
その他の映画でも、戦車のM41やM4E8、M24、ネプチューン哨戒機なんかも出てましたね。
社会党なんかが、一営利企業に協力しているのでけしからん、と国会で問題にしたために、
自衛隊の協力が得られなくなったと言う話を聞いたことがありますが、本多監督ほど、
戦後日本で日陰者扱い去れてきた自衛隊という組織を、凛々しく描いた映画監督も居ないのではないでしょうかね。
避難民の流れと逆行して、前線に赴く隊員たち、迫る脅威を前にして自分の職務を全うする隊員の描写とか、
本多監督の戦争体験が投影されているんでしょうか...? 中国の農村を襲撃した体験とかはちょっと語っておられますね。
平和で牧歌的な村が、あっという間に戦火に包まれていったとかなんとか 本多監督の戦争体験を映画にしたものがあってもよかったかもしれないね。
本多監督自身の企画に、戦争をテーマとしたものがあったみたいだが...。 「空の大怪獣ラドン」って、本多監督の演出した怪獣映画の中でも、何気ない日常に
異様な異物が現れる雰囲気が良く出ていると思います。
単発の怪獣映画では、「ゴジラ」とも違う異色なお話のような気がするのですが...。
特に、炭坑での殺人事件に突如として、メガヌロンが出現して、一気に炭坑町が騒然となるシーンが
印象的です。
炭坑の描写、殺人容疑者の兄を待つ白川由実や、おかみさん達のやり取りが、一瞬、
この映画が怪獣映画であることを忘れさせます。 畳とか襖とか浴衣とか、日常のファクターが濃いんだよね 「空の大怪獣ラドン」については、舞台が北九州、超兵器が出て来る訳でも無く、
通常戦力で、怪獣を迎撃しているところなども、他の怪獣映画とは一線を画しているね。
無常感のあるラストシーンもよい。 「キングコングの逆襲」の、メカニコングが地面に激突する瞬間、
群集が「オーッ!」と歓声を上げるシーン、見てるこっちも身を乗り出しちゃうよ 「大怪獣バラン」については、舞台が東北、羽田、超兵器が出て来る訳でも無く、
通常戦力で、怪獣を迎撃しているところなども、他の怪獣映画とは一線を画しているね。
無常感のあるラストシーンもよい。
怪獣総進撃久しぶりに見た!
キラアク星人役の愛京子の映画出演と言えば、特撮以外にピンク映画に数本出ているのだが、
その事について何か情報があればよろしく… >>31
東映に無茶苦茶貢献した松田定次なんかも似たような時期に切られたし、
時代の流れでしょう。
>オール怪獣
あの使いまわしばかりの低予算作品を、
「とても楽しんで撮った」とにこやかに語る監督の
ポジティブシンキングに心底驚愕した記憶が。
しかし考えてみれば、もともとSFとかスペクタクルよりも、
人間的な世界を描きたいと思ってた人なんだよね。
田中友幸さんも、「僕がゴジラばかりやらせていなかったら、
彼は成瀬巳喜男のような監督になっていたかもしれない」と言っていたし。
本来の資質にあっていた題材なのだろうな。
そういう視点でこの間見返したら、
列車をはさんでの親子の会話とか、
怪獣島のセットにはほとんど金をかけないで
廃墟のセットを丁寧に作りこんでるところとか、
新しい発見がたくさんあった。
テレビドラマじゃなくて、ちゃんと「映画」になってるんだよな。 オール怪獣のハリウッドリメイクが「ホームアローン」 白人の金持ち息子がマイノリティーいじめるような映画と一緒にしないでくれ 出動する自衛隊の描写とか、群集シーンが上手ですね。
他の監督には真似のできない、本多監督一代の演出だと思います。
撮影技術も、一代限りの円谷英二との出会いも必然だったような気がします。
金子修助や、手塚昌明なんかは、リアルを求めつつ、ケレン味のある演出ですが、
本多監督は、淡々と撮影している感じですね。 淡々とし過ぎて逆に作品世界に感情移入できない場合もあるのが本多演出の弱点か。
ただ昭和30年代後半以降になると多少本多演出も初期の真面目一本槍でなく多少のケレン味も
出て来た様な気ガス。 >51
まあ、でもそういった演出が、特撮映画というジャンルで、ドキュメンタリックな映像を
造っていたのも事実だね。
「サンダ対ガイラ」なんか、「東京湾は護衛艦隊により封鎖の体制を整えつつあり」とか、
L作戦での、幕僚の司令への報告、無線連絡などで、ガイラの侵攻に対する部隊の展開が、
説明されていて、非常にかっこよい。
メーサー車という架空の兵器にリアリティを与えるには
ああいう淡々としながらも堅実な演出の積み重ねが必要なんだろうな >>53
胴衣です。
憲法とか持ち出せばリアリテイが出ると思ってる香具師は阿呆www. 自衛隊とか登場人物が、ゴジラに妙な思い入れを持ってるのが平成シリーズ。
本多監督作品の登場人物は、自然災害に対する姿勢って感じだな。 平成ゴジラシリーズの登場人物達は、ゴジラを人類の敵、或いはゴジラとの戦いで戦死した仲間の仇と
認識しているが、本多監督の映画では、ゴジラもまた自然界の一部として認識されているような気がする。
(ゴジラの出自は兎も角)
毎年のように報道される台風などの自然災害を見る度に、ゴジラを思い出す。 災害が身近な時代だったし、観客にも、銀幕で大災害を楽しむ気風があったんだろうね 公式サイト海外版記念あげ。
ほとんど日本語版の翻訳ですが、
ファンメールコーナーで海外の方の感想が読めます。 三人ともシロウトではないね
日本映画の評論家と怪獣マニア 「地球防衛軍」って、タイトルバックから無気味な旋律のテーマ曲がかかって、
ミステリアンの宇宙基地が地球に向かうシーンが出て来るが、得体のしれないものが
地球に迫りつつあるのに、地球(日本)では、盆踊りに興じているというシーンが
なんとも良いですね。
ジョン カーペンターの「光る眼」という映画の冒頭で、日の出の頃、まだ皆が
眠っている最中、街の上空を何かの陰が過って行くというシーンを思い出した。
「地球防衛軍」の前半、モゲラ出現までのシーンは、何かが怒りつつあるという、
不安な感じが良く出ていると思います。
陥没した村で、調査隊の自衛官が言う、「ミキサーで掻き回したようだ」という台詞とか、
地面に落ちているガラガラや浅間神社の鳥居とか。
本多監督の堅実な演出が、モゲラ出現や、異星人との戦争という異常事態を際立たせていると思います。
本多監督の「マタンゴ」なんかは、閉鎖された環境での絶望感がよくでているな。
あんがい、閉鎖された状況でのサスペンス劇なんか撮影したら、手堅くまとめるひとだったのではないか...。 >62
「トンネル」って、黒澤監督の「夢」の一エピソードだよね。
たしか、前スレでも実は本多監督が演出したという書き込みがあったね。
ホントにそうだとしたら、幽霊とは言え、あの軍隊の描写なんかは、そうかもな...。
ところで、1975年以降のゴジラ不在の時期にも、色々特撮映画の企画はあったみたいだが、
海野十三の「火星兵団」なんか、本多監督の演出で観てみたかった。
「ゴジラ対アスカ要塞」はどうだろう?
>>たしか、前スレでも実は本多監督が演出したという書き込みがあったね。
行軍の訓練は本多にやってもらったと黒澤は言ってるけど。
演出まで本多にやってもらったとはいってない。
偉大な黒澤が本多みたいな三流元監督に演出をまかせるわけないよなw 本多監督のフィルモグラフィーって、特撮映画に片寄りがちな感じであるが、
実際、それらの映画を観てみると、いろんなジャンルの映画が詰まっている、という感じだな...。
アクション、恋愛、サラリーマン喜劇、戦争、人情ものなど。
でも、それでも一本の映画としてまとまっているんだよね。 >>68
それは東宝の会社のカラーだろうね。とりあえず色々撮らせて、一番その監督が
うまくつくれる作品をその後ずっと作らせる、という主義だったみたいだから。
植木等映画の古澤監督ですら戦争映画撮ってるからなぁ。
黒澤みたいな芸術家じゃないけど手堅い職人監督です、本多センセは。 古澤の勢いある演出はアクション向きだろう。
別に不思議じゃない。 >>69
あの人は右翼だから喜んで撮ったんじゃないか。 だから黒澤ともウマがあっったんだよな。
黒澤は日本共産党シンパの山田幼児と井上ひさしとも
仲良かったし。
スクリプターの野上照代の親父は真っ赤かの人だったし。 右の人間は大抵新東宝に行ったわけだし。古澤は帰ってきたけど。 古澤センセ新東宝に逝ったの?
松林和尚が一時新東宝で撮ってたからそれについて行ったのかな? 渡辺邦男の命令で反共産党活動をした後、東宝争議で新東宝に行って、
市川崑にくっついて東宝に帰ってきた。 本多監督の「ガス人間第一号」をDVDで視聴したんだが、冒頭の東宝マークから、
タイトルバック、スタッフ、キャストのクレジットの一連の展開がかっこよいね。
観客側に向かって拳銃を発射する男、一斉に手を挙げる銀行員達、ひとりでに開いて行く
金庫、歩道を足早に歩いて行く男の足、それを着実に追い詰めて行くような警官たちの足。
そして、パトカーでの追跡シーンに至る。
「ガス人間」その筋には有名な映画だったから
あらすじもオチも全部知ってたんだけど、
あの冒頭で一気に引き込まれて、
気がつけばラストシーンで号泣。
あれから洋邦実写特撮問わずいろんな映画を観たけれど、
日本映画ではこれがベストです。 >>70
単なる職人監督という評価は間違ってるな
わかるかバカ厨 >>82
俺は70じゃないが、よく読め。
70は「手堅い」と言ってる。
「単なる」という修飾語はお前の創作。 暇だったので調べてみた。
木村武(=馬渕薫)と関沢新一が執筆した東宝特撮映画(怪獣・SF・戦争・
ファンタジー)は、それぞれ18本。※「大盗賊」は木村と関沢の合作。
しかもその35本のうち、本多監督がコンビを組んだ本数もそれぞれ11本。
まったくの偶然とはいえ面白いな。 http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2009-1/kaisetsu.html
東宝=円谷英二による特撮映画の金字塔、『ゴジラ』が公開されたのは日本映画が産業として
ピークを迎えつつあった1954年のこと。
それまで戦争映画などを通して培われてきた日本の特殊技術の力が、
いよいよ空想の世界で最大限に発揮されたのでした。
以来、日本の特撮映画は、次々とユニークな怪獣を生み出し、
また近未来戦争や科学犯罪、スーパーヒーローの活躍など様々な分野を開拓しながら、
日本映画のユニークなジャンルとして定着してゆくことになります。
ブームの最盛期となった1967年には東宝や新東宝、大映、東映に加え、
新たに松竹や日活も怪獣映画の製作に乗り出すほどの活況を呈し、
また日本製怪獣・SF映画の多くが海外にも輸出され根強いファンを生み出してゆきました。
「日本映画史横断」の第3回目となる本企画では、
『ゴジラ』以前に円谷英二が特殊技術を担当した1949年の『透明人間現わる』から
1968年の『怪獣総進撃』まで、第1次ブームと呼ばれる時代の作品44本(42プログラム)の上映を通して、
日本が誇る偉大な遺産を回顧します。
本多さんが瀧口修造の助手だったってのはちょっとびっくりした 俺、行ったよ。バランとゴラスとドゴラとキングコングの逆襲観たよ。 最近、「原子怪獣現る」のDVDを購入して視聴したのだが、全体的な演出はともかく、
リドザウルス上陸の際、街全体にパニックが伝播していくシーンとか、特に盲目の男が
何も知らずに歩いていて、逃げる群衆に巻き込まれて倒れるシーンとかが、本多監督の
演出とかぶって興味深かった。
といっても、この映画の方が、制作は「ゴジラ」より先なんだけれどね・・・。
本多監督は、この映画観たのだろうか。 釣りをするならせめて目欄に釣りのサインくらい仕込んでおくものですよ。 本多監督って、プログラムピクチャーの職人監督というふうに言われることが多いようだが、
ほんとは、大作系の監督だったのではないだろうか。 同意。 しかし昭和30年代当時の映画は密度が濃いなあ。1時間半、見せ場もたっぷりだし 「キングコング対ゴジラ」を観たんだが、有島一郎の演技を観ていると、
「ゴジラ対若大将」もあながち実現可能だったのではないかという気がする。
続いて、「ガス人間第1号」を視聴・・・。
水野の回想で、佐野博士の研究室のアングルが微妙に傾いているのが不気味だった。
佐野博士の狂気を現すのと同時に、夢破れ、仕事にも恵まれず、鬱屈した日々を送る水野の前に現れたチャンスという名の罠。
そして、危険な予感を抱きながら、今までの日々からの脱却できるかもという
水野の大きな不安と小さい期待を表しているような気がする。
ミサイル発射の際の日本国民って、なんだか「妖星ゴラス」で沢村いき雄が演じていた
タクシー運転手の台詞に現されていたような気がする。
私自身は、明らかな戦時下のつもりでいましたが・・・。
ということで、チラシの裏はこれくらいにして、「妖星ゴラス」って、どうしても
南極計画の描写なんかで「さよならジュピター」を思い出してしまう。
本多監督だったら小松左京とも製作者としていい関係で、イメージと映画としての表現とか
うまく処理できたと思うのだが・・・。
そういえば、「さよならジュピター」クランクアップ?のパーティで小松左京と一緒に写っている
本多監督の写真を見たことがある。 1990年代のゴジラシリーズって、大森一樹、川北紘一、大河原孝夫に私物化されていたような気がするのだが・・・。
エンターティメント性とかにとらわれすぎて、わざわざ連続シリーズにしなくてもよかったのに、無理して続けていたような感じがする。
そもそもなんであんなに大河原孝夫が起用されていたのか理解できない。
「ゴジラ2000」の際、発売されたムックで、佐野四郎が監督が投げやりだと苦言を呈していた。
2000年代に入ってからのように、もっと、ほかの本編監督、特技監督を起用して、多様な映画を製作するべきだった思う。
そうすれば、尻すぼみに終わることもなかったのではないかと考えてしまう。
本多監督が演出していた昭和のゴジラシリーズとは明らかに画面の密度が違う。
まぁ、制作環境や予算の違いもあろうが、昭和のシリーズにあって、90年代のゴジラシリーズにはないものってなんなのか?
>>100
>そもそもなんであんなに大河原孝夫が起用されていたのか理解できない。
東宝にとって使いやすい人だったんでしょう。
佐野四郎のいう投げやりな部分も含めてw
そういえば大森一樹が黒澤組で撮影助手やってたキャメラマンに
(大森の指示に対し)「恥ずかしい、恥ずかしい。
(黒澤組ではこんなことしない)」
と嫌味をいわれたそうだけど。 フィルムセンターでまたまたSF怪獣映画特集、いいですねぇ。 ゴジラを使ったストーリーはもうネタ切れしているんだから、
新作に多くを望むこと自体が無理でしょ。
どう作ったって、ゴジラが出てくる以上、焼き直しにしかならない。 平成ガメラみたいな思い切った設定の再解釈をしない、という前提ならそうかも知れんがね。 >>102
いくら黒澤組出身だったからって、監督の意図に対して嫌味を言うなんて間違ってるんじゃね?
土屋嘉男の本なんか読むとなんだか和気藹々とした組だったように思えるが、
かえって黒澤組に就いていた誇り?みたいなのが鼻につく・・・。
そういえば、本多組の小泉カメラマンってどんな人だったのかね?
本多監督との関係はどんなものだったのだろう・・・。
>>105
思い切った設定、ということで言えば、金子修介監督の「大怪獣総攻撃」は評価したい。
惜しむらくは、検討稿のとおり、バラゴン、バラン、アンギラスが出ていればよかった。
そういう意味では、富山プロデューサーも戦犯の一人ということか・・・。
大森とか大河原監督の登場人物って手持無沙汰な感じの描写が多いんだよな
なんかその他大勢になっちゃってて、役者を使いきれてないような >>106
偉い巨匠についてると、自分まで偉いと錯覚する人も多いんだろう。 >>108
宮川一夫はこいつは無能だと思った監督の
言う事は聞かないよ。
今井正の指示に
「そうですか。でも私はそんな撮り方しませんから。」
映画の職人さんは結構意地悪だよw
>>109
宮川一夫自身が偉い巨匠だから、「巨匠についてるから自分も偉い」って話とは関係ないよ。 大森演出がそれだけひどかったんだろ。モブシーンとか見てりゃなんとなくわかる希ガス >>107
大河原孝夫は、「ゴジラVSモスラ」公開当時、久方の撮影所出身監督とか言われてたのを読んだ記憶がある。
それにしては、映画のできは、演出、脚本、特撮ともに??という感じだった。
東宝出版の書籍で、本多監督が映画の根幹にしっかりと問題意識があってよかったとコメントを
寄せていたが、問題意識にしても、「私たちの地球はどうなってしまうの?」とか、
「オゾン層の破壊による地球温暖化がどうたら・・・」とか中学生の弁論大会のテーマみたいだった。
なにより怪獣映画で夫婦や親子の絆の再生なんて観なくてもいい。
同じ撮影所出身でも、本多監督みたいに戦前から昭和20年代、30年代を経て、70年代にかけての斜陽期を
経てきた人と、60年代くらいから、助監督としてキャリアを積んだ人とでは、経験の差が違うのだろうか・・・?
また、フリーで仕事してきた手塚監督や、金子監督はまた違った感じですね。
思い入れもあるのかもしれませんが。
>>105
ゴジラの一作目と最初のガメラシリーズの出来が同じくらいならそうも言えるだろうけど、
あのゴジラをゴジラで超えるのは無理でしょ。
というか、平成ガメラだって、怪獣映画の範疇を超えているわけでもないじゃん。
細部の細かさと映像の斬新さが最大のウリであって、
それ以前の怪獣物を古くしたかといえば、そうとは言えないんじゃないかなあ。 >>112
大河原孝夫が東宝に入社したのは、1973年。 大森の演出・脚本は「よそ見しすぎ」って感じがする。 >>114
訂正どうもありがとう。
>>115
脚本に、いろいろ詰め込みすぎなような気がする。
「ゴジラVSビオランテ」の時も、ゴジラ細胞の争奪戦と平行して、ゴジラが自衛隊と戦いながら列島を縦断、
若狭湾で桐嶋とSSS9が格闘しているところにゴジラの足が、というプロットを出して、
「ロードムービーだった・・・」と言っていた。
「ゴジラVSデストロイア」も、せっかく昭和29年のゴジラ襲撃にかかわった登場人物を出していながら、
結局、物語に旨く関わらせることができなかったり・・・。
ところで、「決戦!南海の大怪獣」を観たのだが、佐原健二の尊い犠牲で宇宙生物をやっつけた一同が
沖の船に手を振っているシーンで、手を振りながら不気味な笑いを浮かべる土屋嘉男のアップで"終"の文字だったら
よかったとおもた。 >>116
山田正紀の「謀殺のチェスゲーム」を意識したとか
なんとか言ってたような。 >>117
「VSビオランテ」までは、地に足の着いた感じのお話だったのに、その後は・・・。
金子こそは撮影所出身の監督だね
その金子がにっかつを離れた年に
入れ替わりに入社したのが、いわゆる特撮作品はないが、中田秀夫
ここらへんが、最後の撮影所出身になるのかな 本多監督って、確か大林宣彦の「異人たちとの夏」っていう映画に出演していましたよね。
あと、「漂流教室」にも、出演していたような気がするのですが・・・。
林泰文が、尾美としのりに首を絞められて、母親に助けを求めるシーンで、
夢から覚めた母親役の三田佳子が、バットをもって居間に駆け込むと、そのなかに
本多監督がいるように見えます。
一瞬しか映らないのですが。
>>102
「ゴジラ」撮影時、成瀬組の玉井正夫が、本編、特撮の軋轢をなくすために、
撮影監督としてイニシアチブをとることを条件に参加したという話を聞いたが、
本多監督と、撮影監督という立場のカメラマンとのパワーバランスがいまいちよくわからない・・・。
本多監督が、映画制作の全体に関して責任を持ち統括するというのはわかるのですが。
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