東京物語
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小津安二郎による世界的名作
制作年度 1953
監督 小津安二郎
出演者 笠智衆 、東山千栄子 、原節子
脚本 野田高梧 、小津安二郎
撮影 厚田雄春
音楽 斎藤高順
出演
笠智衆/東山千栄子/原節子/杉村春子/山村聰/香川京子/
中村伸郎/三宅邦子/東野英治郎/大坂志郎/十朱久雄/長岡輝子 ほか 「今日も暑うなるぞ」
地球温暖化かどうかしらないが、未だ六月だぜ。
先が思いやられる。
>>732
そうも、みられるね。 東京暮色以外はほとんど、夏に撮影か
撮影現場は焦熱地獄だったか >>668
小津が尾道を笠、東山の故郷にしたのは、やはり小津が志賀直哉を尊敬していたから。「暗夜行路」が特にすきで、主人公が尾道に行くことかららしい 。志賀は「晩春」以来、ずっと最初の試写会に出て感想を述べている。「晩春」で原節子を小津に推薦したのは有名な話しだ。 >>735
余計なお世話を書くが「文学板」では志賀直哉をクソミソに貶しているスレがあるぜ。
まぁ小津が志賀を、どう思うが勝手だが。ただ小津の其のテの趣味は俺は好かんがね。 まあ、鎌倉文化かな。小津は里見クとも仲が良く、息子は松竹のプロデューサーで、小津を慕っていた。里見も志賀直哉も、白樺派か。志賀直哉は節子のファンで、二人で座談会もしている。
戦後、鎌倉は文化の発祥の地でもあった。文化人のつながりがあったからね。 今では、文化人という言葉はいかがわしい。
昔は美称だったのかな?by関西人。 一回目見たとき笠智衆がセリフ棒読みでムカッとしたが、二回目にあれが味だとわかった。
小津の映画はいいね。構図が乱れない。映ったものがみなきちっとしている。
あれは日本人の世界観だね。
ちなみに、オレの部屋は汚い。
対比している。 ローアングルは映画が、安定するし、小津のこだわりは隅々にまで及ぶ。脚本の前に、出演者を先ず決めてから書き出す。
省略とか余韻がある映画だね。 この映画は節子の体調の悪さ、実兄が撮影中に目の前で死去したりで、ことによるとデコに変わる可能性があった。節子で本当によかったよ。デコのイメージがわかないなぁ。 いまNHK第二放送で笠智衆が小津安二郎を語っている >>739
芸能人は「芸能」に携わる人。
喜劇人は喜劇を演ずるか作者や演出家。
映画人も同様。
で、文化人って何なのよってずっと感じてた。
「文化」って言葉自体が曖昧模糊としてるし、「文化する人」とは何なんだよ?って思う。
これ!という専門家じゃない、中途半端なインテリまがいを止むなく「文化人」って呼んでるんじゃないの?
室井佑月とか、「作家」って言ってるけど、週刊誌の連載読んでてとても作家とは思えないわね。 進歩的文化人w
建前がリベラルで中身は人殺しの共産主義者。 昭和30年代頃、核実験をバンバンやってたソ連を支持してたのがけっこういた。
反核は見せかけだけでホンネは反米ね。 尾道の老夫婦が東京にやってきたのはちょうどこの時期だったね。
暑苦しい感じがよく出てたね。 支那ソ連の核実験で日本に降った死の灰に比べたら
福島原発事故なんて鼻くそ未満だよ。 東京物語は舞台化がされていて、2012年に山田洋次の演出で新派の水谷八重子らが演じた。未亡人の原節子役は瀬戸摩純だと。知らないなぁ。「麦秋」に次いで二作目
らしい。舞台化もいいね。 「東京物語」を好きな有名外国人
ナタリー・ポートマン
ハリウッド女優ーーブラックスワン
アカデミー賞主演女優賞
キチガイカルトが政治活動!
キチガイの集まり・創価学会・公明党!
人殺しの殺人鬼が政治活動・創価学会・公明党!
池田大作・人殺しの殺人鬼・創価学会・公明党!
あやかりドチンピラの池田糞作・創価学会・公明党! 小津の映画は学生の時初めて見て様式美に惚れたが
今村の初期の作品に対して
君はなぜそんな底辺の虫けらのような人間ばかりを描くのか と
言ったのを聞いて嫌になった 今村昌平は小津映画「麦秋」の助監督だった。小津一流のからかいがあるな。後輩をよくからかう。今村は小津とは個性が違うから、松竹を出た。大島、吉田、清順、篠田も出て行く。 麦秋に出ている子役は、東京物語でも出ていた。東京物語の出演者で健在なのは、香川京子と子役くらいかな。 東山千栄子の私の履歴書を読んだけど、東京物語のことは一言もふれてなかった 東山千栄子は、文化功労者を受賞している。中心は舞台か。 映画で金を稼いで、舞台に注ぎ込む。
千田是也と同じ。 「東京物語」を好きな有名外国人
スーザン・ソンタグ
ニューヨークの社会学者。故人 20回は観たと述べる。 スーザン・ソンタグは、実はレズビアンの知識人だった。原節子の熱狂的なファンでもあった。 スーザン・ソンタグは、当時同居人の女性はいた。なぜ、原節子のファンかは不明だ。来日して映画関係者と会い、独自に邦画を選び、放映されている。映画は好きだったようだ。 英語しか言語として認めないのに何で東京物語なの?
英語吹き替え版でもあったのか? 「東京物語」の吹替えは、英語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、中国語、ハングル語などがある。世界中の映画監督がセレクトした世界一の映画となった(2012年)。「市民ケーン」をついに抜いた。 東京物語でなく、晩春をスペイン語の吹替えで観ていたら変な感じだった。なぜか、上手く合っている。 芸評論家・川本三郎の説では、小津は映画製作前後に永井荷風の日記『断腸亭日乗』を読んでおり、本作品の舞台設定に荷風の日記の影響が見られるとある 小津安二郎は作家と親しかったよね。特に鎌倉にいる志賀直哉、里見クら。志賀直哉生前には、必ず試写会に招いており、意見を拝聴した。晩春で小津は、原節子を使う予定でいたが、志賀も節子を推している。 この映画は、フランス語訳では「東京旅行」なんだね。ボァンヤージュ
正解かもね。当たっている。 おそらく『東京物語』は、そのほとんどが快晴の空の下に展開される小津のモノクロームの作品系列の中でも、暑さの印象をとりわけみごとに定着しえた作品だろう。
蓮實重彦 -「監督 小津安二郎」より 「麦秋」は初夏で、冬は「東京暮色」だけかな。いかにも冬だな。 「東京物語」を好きな有名外国人
ジム-ジャームッシュ 映画監督
工藤夕貴が出演してる 全集黒澤明(88年発行)6巻にも井上ひさしとの対談
黒澤「あの台詞変ですよね。他人行儀って言葉があるでしょ。
他人だからこそ気を使って親切に振舞う。身内だからこそっけない。
それは、親に対する甘えもあるんですが。」
井上ひさし「そう。そうです。」
黒澤「小津さんもわかってますよ。
でも映画だから、この台詞で感動させてやろうと欲が出たんでしょう。
『東京物語』は評判の良い映画なんですけど私はあまりいいとは思わない。
小津さんのそういう計算が鼻に付くところがあって。
この映画の原君なんて、正直いって・・・うーん・・・僕・・・気持ち悪いなあ(爆笑)」
井上「ええ、ええ。非常にわかりますよ。
でも黒澤さん。本当はあまり好きじゃないというよりは(東京物語が)大嫌いと言いたかったのでは?(笑)」
黒澤「(爆笑)」 >>781
コピペばっかり。恥ずかしいだろ。
今公開中の「お父さんと伊藤さん」ー家族再生を願うのは、「東京物語」の原節子に似ていると、某新聞に載る。 小津はこの映画が、世界的名作になるとは思っていただろうか。 小津安二郎は、世界映画祭に小津映画を出したことはないに、あつ >>785
〜ないのに、何時の間にか輸出されて有名になっていくんだよね。不思議だ。 小津映画が世界に知られていく契機は、占領軍のスタッフの1人が小津映画について、著作を出してからかな。英語で。その後イギリス、フランスで影響が出てくる。 原節子、佐藤忠男コメント
「…戦死した夫との思い出を大切にし、他に何もいらない、というのです。1人でいることに焦る訳でも絶望する訳でもない。その気持ちがスクリーンからひしひしと伝わってきます」 <原節子の外国人のファンの声>
「トーキョーストーリーの彼女は、生き生きしてみる価値がありますし、並外れた演技力ですよ」
(イギリスのファン) 久保健一郎は、初めて「東京物語」をレンタルで観た大学院生のころ、すぐに尾道にいく。ここで、原節子の「紀子」に会えるのではないかと、幻想を抱いたらしい。そして、小津映画のファンにもなった。 >>794
× 久保健一郎
◎ 茂木健一郎ー脳科学者 「東京物語」の尾道ロケは、大変な人出が出たらしい。駅の入場券が3000枚以上売れた。皆、原節子の姿を見たかった。銀幕の大女優だったから。一駅前で降りた。スターぶらないところが、またいいね。 工藤夕貴がナビゲーターの番組「小津の愛した女優たち」を、つべで何度か観た。尾道ロケを訪ねて寺院に行き、香川京子へのインタビューなど、面白いね。 東京物語での香川京子の年の設定は、23歳か22歳ぐらいか。実年齢は21歳。大学か短大出て教師かな。 師範学校は、戦後にはなくなる。1953年時点で21から23歳だとしても、役ではいつ学校卒業かも不明だね。小津は、どう考えていたか。戦前は、高等女学校でただけで小学校の教師になれた。最後の女学校か師範学校の卒業かも。移行期か。 彼女は尾道の人だから岡山の師範学校か広島の師範学校か
微妙なところだが、いずれにしても師範学校は1951年の
3月まで卒業生を出している。旧制卒か新制卒か、こちらも
微妙なところですね。 東野英治郎はTVでは水戸黄門が有名だが、小津映画に出ているし、けっこう演技派な感じ。東京物語、秋刀魚の味。酔っぱらいオヤジか、いい。 「お早う」でテレビを買ってもらうひとの役が良かった 香川京子は、黄金期の映画の語り部もしている。皆んな亡くなるので、語り部は大切だと思う。いたるところで原節子ファンを公言していて、いいなと思う。 1953年のキネ旬で、1位「にごりえ」,2位「東京物語」,3位「雨月物語」,6位「日本の悲劇」,7位「ひめゆりの塔」
この年は、いい映画多いよね。1位と7位は今井正。 キネ旬のベストテンだけから推測するに、
1953年(昭和28年)、1954年(昭和29年)、1955年(昭和30年)
日本映画の黄金時代はこの3年。 1853年は、その他にも4位「煙突のみえる場所」,5位「あに・いもうと」,8位「雁」(豊田四郎),9位「祇園囃子」
1950年前後から50年代半ばくらいまでは、いい作品が多いと思う。49年と51年は、原節子は毎日コンクール演技賞をとっている。 「東京物語」のビデオはあるが、地元の図書館でデジタル版のを観た。杉村晴子が団扇を回しているシーンがあり、よくみるとデコの写真あり。これ、原節子ならまずいよね。小津の粋なはからい? スクリーンだと、よく見なくとも一発で高峰秀子だとわかる。 「東京物語」は、1970年アメリカで公開、72年ニューヨークタイムズにロジャーグリーンスパンの映画評。彼は3人の主役、義理の娘を演じた原節子らを賞賛した。偉大な映画が封切られたと。 「嘘がない。いい小説を読んだあとのような感銘をうけた。僕が見た小津君の作品の中では一番好いと思う」(志賀直哉ー東京物語の試写会をみて)
志賀直哉も鎌倉に住んでいた。 尾道での原節子のスカートは赤い。香川京子のスカートも赤系だったかな。モノクロだが、小津は配慮しているね。昨日12日は、小津安二郎の誕生日であり、死去した日だった。60歳。まだ若いよね。残念だった。 尾道での原節子のスカートは赤い。香川京子のスカートも赤系だったかな。モノクロだが、小津は配慮しているね。昨日12日は、小津安二郎の誕生日であり、死去した日だった。60歳。まだ若いよね。残念だった。 写真家荒木経惟が、最近蒼井優を原節子に似せて撮影した。何処かの雑誌に載っている。蒼井優は、「東京家族」で紀子をやってるからかな。 スイッチという雑誌の最新号だった。蒼井優のグラビア。原節子のマネか。 父親である笠智衆は息子の長男を医者だけれど、評価してない。東京でもはずれの「こまい医者」だ。当時の開業医は利益が薄かったんだろうか。 笠智衆は小津映画以外で、賞をもらっている。味がある演技力だと思う。小津映画ではいいなりだったが。 でも究極的に考えたら、
俺たちがリアルになるのはウンコしてる時と2ちゃんに書き込みしてる時だけだろう
人間は社会の中に生きているので、死ぬまで常に演技をしていると言える
笠智衆はそれを演じている…一周まわっているのだよ! そうだよな
こんなにアンアンゆってるぜとか思っても演技だもんな
小津映画深いわ 今日、たまたま地元のブックオフにいったら、小津映画のDVDがバラで売っていた。「東京物語」はなかったが、「晩春」「父ありき」などがあった。でも持っているので買わなかったが。500円と安い。 「東京物語」の音楽はなかなかいいね。あじわいがある。小津映画では、「麦秋」の映画音楽が一番好きだ。「東京暮色」も悪くないが。 原節子は「晩春」でもそうだが、異国人のよう。でもたたずまいが日本的で茶道でもしっかり収まっている。膝を崩す場面もあるが、やはり小津調に調和している。 >>822
下品な例え。 ツッコミしてほしかったか。
笠智衆は、小津映画に出たことで世界的な俳優になったのは確かだ。 笠智衆が老人のように見せるために、背中に入れていたものはなんだったろうか。確か、新聞紙かざぶとんだとおもったが。 >>827
背中に入れていたのは、確か空気まくら…じゃなくて、座布団だったと思うよ 「小津が愛した女優たち」(2003)をNHKが、小津安二郎生誕100年につくり、何度も観た。工藤夕貴がナビゲーター、香川京子と尾道のロケ地でのは話しはいいね。21歳の香川京子、原節子に憧れていて旅館では楽しかったらしい。観て欲しいな。 この映画は高度成長期に向かう中で、家族の崩壊していこうとするさまと、また家族の再生というか、底には人の暖かさというか、家族への信頼も期待されているか。紀子の行動と台詞が、やはり重要だよね。 尾道ロケで、原節子が到着するという時間帯に、入場券が3000枚売れたそうだ。映画が娯楽の神様だった時代だったね。
5カットを撮るために一週間いたと、香川京子は話してる。 三宅邦子は小津映画によく出演するが、「戸田家の兄弟」が最初だろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています