東京物語
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小津安二郎による世界的名作
制作年度 1953
監督 小津安二郎
出演者 笠智衆 、東山千栄子 、原節子
脚本 野田高梧 、小津安二郎
撮影 厚田雄春
音楽 斎藤高順
出演
笠智衆/東山千栄子/原節子/杉村春子/山村聰/香川京子/
中村伸郎/三宅邦子/東野英治郎/大坂志郎/十朱久雄/長岡輝子 ほか Setsuko Hara Now
で画像検索しても出てくる。
老人ホームで撮影したらしき写真。 長女より紀子の方がエグいと思うけどな
東京へ帰る汽車の中で周吉から渡されたとみの時計を見つめる紀子の表情は呪いに満ちてる これが世界的名作って意味不明なんだが。
晩春がいいのはわかるが。 精進落としで、笠智衆が席を外したときの杉村春子の発言
「順番(死ぬ順番)が逆だったら良かったのに。母さん一人なら東京の家で面倒見られる」
これに対し、その場に居合わせた者が、その場で窘めないと・・・・
「たかが2,3日の東京の家の滞在が居たたまれないから予定を早めて帰って来たことを思えば、
母さんも父さんもあなた方の世話には成る気は無いでしょうよ」とか・・
みんな帰った後で香川京子が原節子に姉への不満を言っている。 東京物語は杉村春子の下がった口角が本当に素晴らしいよな 年老いた親とその子供の関係というのは普遍的な問題だというのは分かる。
小津は母親と暮らしていたから、なおさらこの問題に敏感だったのだろう。
この映画はそういう世間に対する小津のプロテスト映画(プロテストソングのような)じゃないのか?
個人的にはこういうメッセージ性のある映画は好きじゃない。 『戸田家の兄妹』のころはまだ、ハッピーエンドといえる結末をつけることができた。
戦後はそれができない・・・・・。 親は子が独立したら捨てられる そしてそれはそれでいいんだという映画です
捨てられない子供は独身かマザコンファザコンになる アンリーの父親三部作って東京物語を思わせるとこがけっこうあると思う >>520
中村伸郎が、靴下を脱いだ手で上生菓子をつかんで、二階にいる東山千栄子に持って
行く場面。 勿論、娘婿が義父母をぞんざいに扱う様子を監督が意図的に描写したものだろうが、
吐き気を催すほど不快な場面である。穢い。
海外でも観られている事を思えば、同じ日本人として非常に恥ずかしい場面である。 真夏だから汗をびっしょりかいて脱いだ靴下から湯気が出そう オエッ! >>644
>捨てられない子供は独身かマザコンファザコンになる
捨てるって犬猫じゃあるまいし。
親子の情イコール、マザコン・ファザコンなのか? 捨てるっていうより、自分が妻子を持ったら
当然それを優先するということだろうな >>649
だから何?
妻子を優先するのは当たり前だって。
だからといって久しぶりに上京してきた親をないがしろにしていいことにはならない。
てなことをこの映画は言いたいわけだろ。 >>650
何を見てる?
手塩にかけて育てた子でも、独立してそれぞれの人生を歩むと親もないがしろにされる。
てなことをこの映画は言いたいわけだろ。 「いいことにはならない」とか道徳を説いている映画ではないと思うよ
親子の関係も子が独立すればかつての親子関係を維持するのはなかなか
悲しいかな難しいなあ、という諦観だと思うがね。 最初に無があった
無は有を生んだ
これが全ての真理 >>652
>悲しいかな難しいなあ、という諦観だと思うがね。
その可能性もあるが、原の【いい子ぶりっ子】を際立たせてるのは事実。
いづれにしろ世界的名作というのは過大評価だと思う。
とにかく退屈。
それより【晩春】のほうが俺的には上。 晩春のモチーフでいうと東京物語の原節子は
一番親不孝なんだよな 昨日おばあちゃん死んでおじいちゃん生きてるんだけど、母親が泣きながら「順番違う」って呟いててちょっと引いた >>659
すぐに東京物語思い出したけど杉村春子の方がカラッとしててましだと思うw
俺の母は泣きながらジメっとした感じで言ったから隣にいた父も引いてたっぽい 老夫婦が帰る日、紀子に仕事に遅れないか聞いてたから
紀子のアパートを出たのは朝だよね?
でも、電車は21時くらい発で、それまでの間、老夫婦はどこで何してたんだろう?
12時間くらい時間つぶすのってけっこう大変だよね。
息子か娘の家とか? >>663
寝てしまっては主題が分からない。この映画の本質は、
「子供は頼りには成らない。働ける間にしっかり蓄財して離さずに。老後に心配の
無いように。そして、ボケないように」 それが本質かい?
一寸ずれているように思うんだが。 なぜ小津(野田高梧)は老親の故郷に尾道を選んだのだろう?
志賀直哉への敬慕の情からだとも言われているが
小津家のルーツである三重県松阪でもよかったのに? 日本人として、こんな屈辱を受けるくらいなら、東京上空で核爆弾が炸裂したほうがまだましだ。
それくらいでないと、平和ボケの日本人の目は覚めない。 原節子が義母の高価な腕時計欲しさに
義父に媚を売っていたんだよね? 山村聡の子どもたちや、尾道の香川京子の小学校の生徒達って、団塊の世代なんだよね。今思うと。 なあ紀子さん、ここでわしといっしょに暮らさんか
なに京子? あれはじきに嫁にやるから心配せんでもええよ 時計のお返しといってはなんだが、あんたのズロース、わしにくれんかのう 子供が女に子のような高い声で「お母さん」というのが
きもい ズロース?
こんなものでお母さまが亡くなった悲しみを癒せるのならよろこんで・・・・
いまここで脱いで差し上げます 昔戦前、淡谷のり子が田舎に営業で行ったら
大看板が出てたらしい。
「ズロースの女王、淡谷のり子来たる!」 先日 初めて見たが良い映画ですね
ところどころで涙がにじみましたが
特にラストの笠と原の会話はジーンときました
ところで大阪にいる三男は必要だったのかなと少し疑問に思ったのですが皆さんのご考察は? お母さんが死んだのは三男大坂志郎が毒盛ったからじゃないの? >>686
お母さんが死んだのは、たしか循環器の病気ではあるが、東京行に伴う、フィジカル面
・メンタル面での疲労によるストレスの蓄積が遠因と成っている。 この映画が世界的に評価されるのは家族の問題はどこの国人間も同様に普遍的な問題だからだよね 午前十時の映画祭で見たけどよかったわ
杉村春子が主役かな?w 戦後の小津作品でこれだけ浮いてる。
残酷過ぎて笑えない。
なのに代表作。なんでだろう。 これから死ぬまで何回も見返したい名作だな。
その時の年齢ごとに見方が変わる どこのスレにいっても理由を適当にこじつけて
あえて反対のことをいうやつがいるよね >>691 >>692 主役は笠、東山、節子。杉村は脇役。この映画は小津のいうように、高度成長期に向かうなかで家族の崩壊を描くのが目的であり、戦争の足跡が残るなかにおいて崩壊の先鞭となることで、普遍的になるのだろう。 老いた親のたらい回し。今でもある光景だろう。
小津組では杉村は、ちょっとした狂言役が多いが欠かせぬ存在なんだろう。
超演技派なのに小津は好んで、つかっている。
杉村春子は確か文化勲章?を辞退しているはず。この人らしい気骨がある。
勲章を喜んで、ぶらさげるヤツ共が多いなかで。 疲れて楽屋でグッタリしているときに客が来たら、いきなり腕立て伏せを始めちゃうような人だから。
90過ぎなのに。 >>696 >>697
高峰秀子が尊敬していた・・・おそらく唯一の・・・役者は杉村春子ではなかったかな。
高峰流の褒め言葉で。 子供が独立して別の所帯となり巣立っていくと
ある意味残酷なこうした家族の崩壊があるが
それはそれでいいんじゃよ
いつまでも独立しないで同居する独身の息子や娘が家に寄生したら
親としては逆に心配でたまったものではない >>698
杉村春子は基本的に舞台の人で、土壌が違うから気軽に言えるんだろうね >>699
そうだね。家族の崩壊て言い出されたのは、いつごろからだろうか。
たぶん高度成長期あたりかな。>>695氏が書いてるように。
『家族ゲーム』(1984年)は、小津とは違った文脈で「家族の崩壊」が描かれていると俺は思うよ。
この映画は小津の描いた世界の、なれの果てなんだから。 親としては子供に捨てられることによりようやく
子育てから解放され自由がもらえるからね 昭和16年の『戸田家の兄妹』だって家族の崩壊がテーマ。
失われつつある何かに目を向けた映画。 小津の描いた「家族の崩壊」は、いわば贅沢な「崩壊」だと思う。
孤立死なんかありえないからね。小津映画に登場する人々の「孤独さ」は
俺(ら)見れば贅沢な孤独だね。俺が小津映画を観ていて、或る違和感を
常に感ずるのは其のこと。 人間の宿命だよね。孤独や寂寥といったものも、人生の滋味として捉えてるんじゃないかね。 >>705
人生の滋味か。そんなもの孤立死していく人間には贅沢に見えるはず。
いずれは俺も、あんたも、誰にも看取られず、餓死、ないし首吊りに追い込まれないとは言えないご時世だぜ。 >>706
だから俺やあんたのような落伍者みたいな人間を描いてないじゃないか、小津は。
健全に真っ当に生きた人間にも避けられない孤独や寂寥といったものだろ。 >>707
なんか水かけ論になっていて、お互いの言い分が合わないな。
小津の描いた『孤独や寂寥』は現在の落伍者から見れば甘いと俺は言ってるんだよ。
甘くはないと思うなら、それでも結構さ。小津の世界は俺には、そう見えるということだけ。
これで、あんたとのヤリトリは止める。どうぞお幸せな余生を送ってくれ。 たしかに ラストでも近隣から声かけられているからな 近所つきあいってものが当世はなくなったからね。3/11等を体験してから、
「向こう三軒両隣り」の付き合いが見直されてきているようだ。 ああいう、道行く人が覗き込むことのできる窓がなくなった。 昨日「海街ダイアリー」なんて見ちゃったもんだから、今日はその口直しにと思って
「麦秋」「東京物語」と二本続けて見てもたがな。 >>712
昭和30年頃以前の夏の夕方には、近所の人が集まって、木の長椅子に座って夕涼みしたものさ。 あるはずないだろ。団扇と香取線香よ。のんびりした時代さ。
そういえば『東京物語』にも香取線香が出てきたと思ったが勘違いかな。 あの時代は犯罪発生率は、現在より何倍も高かったのに
のんびりしてたな。
うちのトイレなんか外から鍵がかけられたぞ。
くみ取り口から侵入する奴がいたらしい。 >>716
お母さんが昏睡してる部屋にあったね
それがいい味になっていた 人間の掘り下げが厳しいもんだから、甘さや薄っぺらさがないんだよな。
だからストーリーに大した抑揚はなくても、一つ一つの場面にみんな繰り返して
見たくなるような深い味わいがあるよ。東京物語に限らずね。
名人の手による短編小説とかエッセイを読んでる感じ。 >>720
あの渦巻き型の蚊取線香は横式だったかor立て式だったか?
>>721
一年一作だったかな。小津ほどマニアックな映画監督も稀だろう。 >>722
それそれ、それなんですよ。小津式渦巻き蚊取はすべて縦式。
横式以外のセットの仕方があるとは思ってもみなかった僕は
吃驚しました。
ひょっとして昔はたいていそうだったのか?
あるいは今でも縦式の人はけっこう存在するのか? 東京物語上映当時は、みんなつつましやかな、分をわきまえた暮らしをしていたなんて言うのは、おそらく違うんだろうな。
昔から、ドロドロな不倫美人局がらみの事件なんかあったみたいだから。 >>723
俺の家や親せき・近所では横式だったね。当時ブタと言った蚊取線香を取り付ける器具があったよ。
>>724
まぁ、当時の田舎では、『みんなつつましやかな、分をわきまえた暮らしをしていた』と言っていいだろうな。少なくとも当世ほど世知辛くはなかった。
そりゃあ、いつの時代でも『ドロドロな不倫美人局がらみの事件なんかあ』るに相違ないが。 『東京物語』のアノ子供たちは許せんぞと思った方は『戸田家の兄妹』の佐分利信でスッキリしてください。 ↑題名の意味がイマイチ分からないが、佐野周治の下宿で斎藤達雄がイワシを食う場面が秀逸。 ↑あの三人の姦しおばさんたちか。栗島すみ子って世評ほど美人ではないな。上原謙のチョイ役も面白い。吉川満子も当時、小津映画の常連だったが背が高くスラリとした美人。下町の粋で、きさくな、おばさんて感じ。
***
『姦しや後ろの席の鍋料理』 視点を変えると、「東京物語」は戦争未亡人の理想像を原節子に託していると思う。戦争を経験した人は感動するのでは。同様に小津安二郎は、「晩春」でやや保守的だが、日本人の父娘の理想像を託すことができたのではないか。凸の「浮雲」では理想像を託せない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています