1954年☆二十四の瞳☆
語りましょう
ランク厨は別スレで、荒らしはスルーで 修学旅行の引率で四国へ行った大石先生は偶然に、母親を亡くし
大阪に里子に出されたと思っていた教え子マッちゃんを見つけて
声をかける。しかし彼女が働く食堂の女将が邪魔で、ろくに話も
できない。
名残惜しそうに去る先生をマッちゃんは追いかけるが、 歓声を
あげて先生のもとに集まってくるかつての同級生たちを見て、
思わず隠れてしまった。そして少女は先生たちを乗せた連絡船が
去っていくのを、遥かに見送りながら泣くのだった。 >>92
中村メイコさんの「田舎のバス」が流行ったのも、大体この当時でしたな。 この映画をみて、感涙した。
昔の学校の叙情とはこういうものかと。
おれは考えた。
子供たちから尊敬される大人になれ。
世の中には、努力し、名をあげたひとがたくさんいる。
そういう大人たちとおまえを比べて、子供たちはおまえを見下す。
子供たちから尊敬されるためには、努力をしろ。
おまえたちは、人生のなかで、一度でも、何かを本気でがんばったことってあるか?
そう考えた。 |______________|
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また映画を観れば 昔にもどれる! 佐藤忠男によるとこの映画のテーマは「日本人全員が戦争の被害者なんだから、
泣きながら手を取り合っていこう」ってものなんだって。 長澤まさみでリメイクしないかな
別にファンじゃないけど
田中裕子はイマイチだったな
東宝貸し出しで
カラーで再現してほしい いまこそ24の瞳のような作品が必要だ。
子どもたちは実に変質してしまった!!!
子どもたちの視線は、ファッショナブルな天才に集中するものだ。
行き詰っているだけの自称・苦労人の敗北者など、子どもたちは屁ほどの関心ももたない。
「二十四」と表記してくれ
「24」だとジャック・バウワーが出てきそうだ 固有名詞だから、「二十四」を「24」と書くのはやむを得ない場合
(例:DVD等のボリュームラベルに使う場合)に留めてほしい。
ちなみに、この作品の「二十四」は「にじゅうし」と読む。
英名も"Twenty-four Eyes"……原タイトルを尊重し、敢えて英単語にしたな。
1945年8月15日(終戦記念日)の校長は声のみの登場だけど、笠智衆の声みたいな感じ?
笠智衆は1928年の分教場のシーンで「男先生」(校長になれない男性教師の最後の職場)を演じたけど。
#テレビドラマの黒木瞳版では、1928年・1932〜33年(映画は33年のみ)の校長(小林稔侍)と教頭が
1945年でも校長・教頭をやっていた……定年になってるつーの。 生徒役を兄弟姉妹や似た顔で選んで一人一人の生徒が映画の中で違和感なく成長するって今の映画にはない拘りが良い。
またいつかリメイクするなら、それくらいの拘りも合わせてやって欲しいな。
成長と共に面影もなく、顔が全然違うと生徒の人生を追う映画でもあるのに萎えてしまう。 昔(1954年当時)は子沢山だったけど、現代は子供が少ないからね〜。
1954年版だけど、子役(1年生・6年生)は兄弟姉妹限定ではなく、「いとこも可」と聞いた。
ということは、富士子役の2人は赤の他人ではなく、苗字が違う従姉妹の可能性もありか。
同姓コンビでも兄弟姉妹のみならず、いとこも含まれているかも。
#富士子だけは子役コンビのみ。成人役はなし。
また、大石先生の長男役も兄弟等と聞いた(オーディションで次点か)。
成人役の人も、重要な役は田村高廣などの本職俳優が演じたけど、
チョイ役の人は「子役に似たスタッフ」に割り当てたらしい。
「お前、○○兄弟に似ているからチョイ役をやれ」と。 木から落ちて死ぬ大石先生の幼い娘役も、ソンキ役の男の子の妹らしいね。
竹一役の三浦礼は照明、正役の大槻義和は助監督だね。そっくりだった。
大石先生の長男大吉役の弟さんは小豆島町役場で活躍中らしい。 1946年の歓迎会 兼 同窓会のシーン。
1928年に撮影した集合写真を出したとき、映画ではソンキが
「この写真は見えるんじゃ。これが○○で隣が○○……」
と正確な位置を指していた。
これは、リメイクの田中裕子版・黒木瞳版にも引き継がれた。
ところが、原作小説でも同じシーンがあるが、こちらは
>磯吉は確信をもって、そのならんでいる級友のひとりひとりを、
>人さし指でおさえてみせるのだったが、
>少しずつそれは、ずれたところをさしていた。
となっている。
これは、観客や視聴者からの心ない中傷を防ぐ、ソンキの名誉を守るための
配慮だと思う。現代のリメイク版でも引き継がれているのが良い
(1954年当時と違い、現代はネットで誹謗中傷する輩が多いし)。 大石は教育に対して懐疑を生んで先生の仕事を辞去したいことを始めます。
大石は教育に対して懐疑を生んで先生の仕事を辞去したいことを始めます。
大石は教育に対して懐疑を生んで先生の仕事を辞去したいことを始めます。
大石は教育に対して懐疑を生んで先生の仕事を辞去したいことを始めます。
大石は教育に対して懐疑を生んで先生の仕事を辞去したいことを始めます。
大石は教育に対して懐疑を生んで先生の仕事を辞去したいことを始めます。
大石は教育に対して懐疑を生んで先生の仕事を辞去したいことを始めます。 1954年の映画でありながら、
「6年生(1933年)のマッちゃん(松江)が父親に殴られた」のは報告だけで済ませた
=大人の男が女性・子どもを殴るシーンがなかったのは評価できる。
昔の映画だから、現在では放送禁止用語になる言葉がかなり使われている。
しかし、不快なシーンがほとんどないのは評価できる。
もっとも、子ども同士でも「のび太」や「ジャイアン」に相当する者がいない
…といえばそれまでだけど。
それに対し、現代の映画は不快なシーンが多いね。
「フラガール」では、1965年=現実よりも昔が舞台とはいえ、
リストラされた父親が娘に八つ当たりするシーンがある
(確かに1965年当時はそれが当たり前だろうが、それを描くのは…)し、
「ハッピーフライト」では優秀な国際線ジャンボ整備士を馬鹿扱いしたり、
映画「旭山動物園物語」ではベテラン飼育係(末端)が新人獣医(エリート)をいじめたり……。
「二十四の瞳」の舞台は戦前(1928年)〜戦後(1946年)・制作当時も1954年なので、
現代のように、平和な時代ではなかった。
しかし、映画そのものは現代の映画よりもずっと平和で暖かい。 「現代の映画ではエリートを馬鹿扱い・糞扱いしていることが多い」と書いたけど。
ここは原作小説・1954年版映画共通(リメイク版ではカット。現代の子ども・若者にはわからないからだと思われる)。
「二十四の瞳」は大石先生の赴任直前から始まる。
前任の女性教師は子どもたちに
「今度の先生(大石先生)は師範学校卒の偉い(正規の)先生よ。
私みたいな女学校卒の半人前(非正規)じゃないのよ」
と言っているし、男先生も「今度の先生は今までとは違い、頭がいい。話が合うだろうか」と。
前任の女性教師は数年のキャリアがあるのに対し、大石先生は教師経験ゼロ。
「末端は何年たっても末端だ。エリートは新人でもエリートだ。」
と扱っている。
ちなみに男先生は小学校卒で非正規教師→試験に何度も挑戦→晴れて正規教師 となっている。
糞映画を作っている監督や脚本家は、この映画を見て勉強してほしいね。
スタジオジブリの某アニメ映画でさえ、「幼児が親を呼び捨てにする」映画を作った。
年上のきょうだいを呼び捨てにする欧米でさえ、親を呼び捨てにすることはない! 高峰秀子の大石先生はあんますきになれんかった。
おれは
「おかあさん、おかあさん。雨ふったらどうしよう?」
「あんぽんたん。自分で考えなさい。」
っていうとこがすき。
高峰秀子さんのご冥福をお祈りします。
高峰さんは当作品・「喜びも悲しみも幾歳月(1957)」(以上、木下惠介監督作品)や
夫の松山善三氏(木下監督の弟子)が監督の「名もなく貧しく美しく(1961)」では
優しくて真面目な女性を演じている。
ところが、事実上(厳密には、戦前に海外製フィルムで作られたカラー映画があるらしい)
日本最初のカラー映画でもある「カルメン故郷に帰る」(木下監督)では
ストリッパーの主人公を演じた。カルメンを見たとき、このギャップに驚いた。
これらの作品は、いずれも文化庁主催の公民館上映会用映画のリスト
(現時点では25組×4作品=100作品指定、「時をかける少女(1983)」など比較的新しいものもある)
に入っている。
・E(第5の意)プログラム:カルメン、二十四、喜びも悲しみも幾歳月(すべて木下監督作品)
・Qプログラム:名もなく貧しく美しく(夫の松山善三氏監督作品)
※現代の映画は暴力・いじめ・乱暴な言葉のオンパレード、特定の地域を冒涜
(県内でロケしているのに、自県の県庁所在地でロケせず、東京・首都圏の住宅地を
勝手に県庁所在地呼ばわりした作品が松竹にあった!)
だから、将来の公民館リストに現代の映画が指定されるケースは少ないと思う。 大石先生、ご冥福をお祈りします
「富士子さんは神戸のカフェーで働いてるいうし」
このカフェーと言う言葉が気になって検索したら
今のカフェの事ではなく風俗店と知って悲しくなった。 現代においても日本を支配する「空気」と対峙した
ある女教師の一生。 久し振りにこのDVDを観たけど
いろんな場面で泣けますね
本当に素晴らしい映画です。
高峰秀子様のご冥福をお祈りします。 >>115
庄屋のお嬢さんね
没落して一家がなべ釜さげて島を出て行ったと、教え子が大石先生に報告
してた
高峰秀子は同時期に「銀座カンカン娘」でも主演やってる
You Tubeで見つけたが、歌は聴いたことがあるがこの映画は見たことない 「教え子」たち集まって
撮影時の思い出など語ってほしい
聞きたい
本になったら絶対買いたい
教え子役の元子役たちは今は、60代後半から70代の
おじいちゃんおばあちゃんか 教え子役の人(兄弟・姉妹【1組例外あり】)は
全員が(現在も)一般人なので、実名は厳禁だね。
当時は普通の子でも、芸能人や他の分野の有名人になった場合は
実名を出せるけど。 この「チャンス」(失礼・不謹慎)を逃すと
永遠に無理なような気がするのです 「名作」なんで 話のネタにみてやろうか・・と思いレンタル。
素人ガキの棒読みセリフが ウザイなあ とか思いながら見続けたが
150分飽きずに観てしまった。 名作。
市川準の「つぐみ」の冒頭で出てくる映画場面が、この作品だったのかと得心。
場面は 琴平への修学旅行のうどん屋のシーン。
あそこ、泣けるもんね。
一番最初に見たときは客観的に引いた目で見るから
大石先生が足を怪我するあたりまでは子役の下手な台詞や歌がどうも・・・
って感じなのだが、中盤から後半にかけて感情移入してしまった
二回目以降はストーリーが分かっているからその後の話の伏線部分から
切ない気持ちになる
昔の子は今の糞生意気な子と違って可愛いななんて思ったりして
それは映画の世界であって現実はもっと泥臭いものだったんだろうが
「二十四の瞳」を近いうちにDVDを借りてまた見てみようと思う この物語に登場する女性は映画も原作も結婚しても何故か名字が変わらない
松ちゃんの場合は訳あり未婚の母みたいな感じだったけど
他の皆さんが全て養子とは考えがたいので
話を分かり易くする為にあえて旧姓で子供の名前を表記したのかな? マッちゃん(川本松江)は未婚の母だろうね。
小6時点(1933年)で高松のうどん屋に奉公→以降は水商売の女?
原作:1946年に大石先生が復職後、大石先生の教え子(小1)に川本千里(女の子)が。
千里はマッちゃんの娘。書類上では「千里の父親は大工」となっているが、
実際には祖父=マッちゃんの父親。マッちゃんは1946年時点で大阪にいて、
娘を父親(娘にとっては祖父)に預けた。
(注:原作では小豆島の内海地区と特定されていない)
映画:マッちゃんが大阪にいる、娘を父親に預けたところは同じ。
娘の千里役は1928年時点のマッちゃん役の子(妹)が。
西口ミサ子。原作・映画の共通点は、結婚後に娘を産んだが、夫は戦死したこと。
夫は裕福な西口家の婿養子〜夫が西口姓になったのでは。
原作:「東京の花嫁学校に入り、在学中に養子をむかえてすぐ子どもをうんだ。」
「西口ミサ子のむすめは、勝子といった。」と。
映画:1946年の教え子(小1)に娘の西口勝子が登場。こちらも1928年のミサ子役の子(妹)が。
共同墓地で同級生男子(大石先生にとっては教え子)の墓参りと同時に、夫の墓参りも。
大石先生=大石久子は。1934年4月(1933年翌春扱い)に退職する。
船員と結婚するが、家業後継者ではない(サラリーマン等)のに大石家の婿養子に。
原作:1934年3月〜4月、母親との会話で「船乗りのおむこさんもらった」と。
(大石先生の父親も船員だったが、先生が幼い頃に海難事故で亡くなった。)
映画:1933年春の始業式直前、教え子12人が港で大石先生との結婚式に向かう新郎を迎えるシーンがある。
大石先生の夫役は天本英世。このときの天本英世はイケメン。
#後のリメイク版では、田中裕子映画、黒木瞳ドラマでも、結婚式のシーンまで登場し、
何らかの形(前者と後者はパターンが違う)で女子たちが男子たちを貶めているシーンがある。
両者とも男尊女卑な2ch男女板住人に見せたら「祭」になる。
これは、原作者の壺井栄(女性)が片桐コトエに「女に生まれて申し訳ない」
=男尊女卑発言があった のが現代人の逆鱗に触れたものと思われる。 大昔(1940〜1960年代)や昔(1970年代)の小説・映画・ドラマは、
「○○の母」「○○の夫」「○○**長(姓+役職名)」が多かったが、
現在でそれが許されるのは、事実上エキストラなチョイ役だけ。
それを超えると、出番が少ない脇役でもフルネームの名前が付く。
現在の映画・ドラマは、制作者側が
「フルネームの名前を付けないと視聴者から誹謗中傷を浴びる」
と意識しているため、どう考えても名前不要な人物までフルネームの名前が付いている。
「踊る大捜査線」の神田署長も、最初は名前がなかったが、「神田総一朗(署長役の北村総一朗)」にさせられたなど。
「二十四の瞳」はどうか。1954年版は、原作で名無しの人物は、映画でも名無しのまま。
大石先生の母親・大石先生の夫など。
これがリメイク版だと、大石先生の母親は「大石民」、大石先生の夫は「大石正吉」に。
黒木瞳ドラマでは、男先生などにもフルネームが。DVD字幕だとチリリン屋にまでフルネームが。
原作者の壺井栄は1967年に亡くなっているが、「原作者が命名しなかったのでそれを尊重」
というわけにはいかなかった。原作者よりも現代人の価値観を優先した。
同じ木下惠介監督作品「喜びも悲しみも幾歳月(1957年)」は、当作品と違い原作はない(灯台職員の妻の手記を元に木下監督が作った)
が、「姓+役職名」「○○夫人」「(○○夫人の夫は姓だけの)○○」のオンパレード。
現在で同じことをやったら誹謗中傷を通り超えてフルボッコだな。
幸い現在で大昔・昔の作品を見る層(大部分が老人、一部違う年代もいる)は
この件を理解しているので、現在でも公民館で上映会ができるわけだが。
これは、「新幹線大爆破(1975年)」のファンなどにもいえる。
(米国は、本国でありながら「風と共に去りぬ(1939年)」がアウトだからね) 子役やった人たちは今どうしてるんだろうか
富士ちゃん元気かな >>120.>>130
ワイルダーのお熱いのがお好きのDVD特典では
おばあちゃんになったバンドメンバーが集まって当時を語り合ってた。
でも、それはあまり面白いものではなく見ない方が良かった。 >「踊る大捜査線」の神田署長も、最初は名前がなかったが、
>「神田総一朗(署長役の北村総一朗)」にさせられたなど。
署長に下の名前がついたのって、つい最近だぞ・・・
それまで13年間ずっとなかった。 >>132
それは知っている。
けど、最後まで「神田署長」を貫くわけにはいかなかったんだな…。
(2010年の「踊捜3」のラストで新署長がユースケサンタマリアになったから、
踊捜自体がおしまいか?)
そうだ。俺は「ハッピーフライト(2008年)」という映画が嫌いだ。
理由は部下をいじめる整備士上司(田中哲司)・整備士部下(森岡龍)も
反抗的かつ性格が悪い〜喧嘩両成敗だけど、それが見苦しいから。
(客の前で部下を怒鳴る奴がどこにいる! 俺が客だったら会社に抗議するね)
けど、「ハッピーフライト」は新人客室乗務員(綾瀬はるか)の両親(柄本明・木野花)
などのチョイ役にも名前を付けている。名無しなのは、小学生&引率教師などを除けば、
動物愛護団体の女(明星真由美)くらいか。
動物愛護団体の男(森下能幸)は「今井一志」と名前が付いている。
「ハッピーフライト」自体は嫌いだけど、これは
「エキストラ同然を除いては、登場回数・時間が短いチョイ役にもフルネームを付けている」
な。現在の他の映画作品も、大部分はそうだけどね。
「新幹線大爆破(1975年)」みたいに、犯人以外の人物は「○○+役職名」
(例:指令長の宇津井健・運転士の千葉真一・警察の丹波哲郎や鈴木瑞穂など)
だと、1975年当時はいいけど、現在だと誹謗中傷の嵐になるといっても過言ではないね。 こんなの、最初から読む気が起きない。
自作自演してるのが誰なのかも簡単に想像できるしね。 リメイクするとしたら、どんな配役になるんだろうか。 上野樹里って人が、女優と呼ばれてるらしいけれど、なんだかなあ。 HDリマスター版がNHK−BSプレミアムで放送されているが、これがまた
画面ノイズが全くない。1954年の映像とはとても思えないような綺麗な映像。 ↑を訂正
HDリマスター版ではなく、デジタルリマスター版 高峰秀子が美人過ぎ
美しい人は時代を越えても美しいんだね
>>141
前日の東京物語に比べると、2007年のリマスターだから汚かったよ。
ノイズもちゃんとあったし、いい加減なこと書くなよ。 実はサウンドオブミュージックは、この作品をパクって作ったというのは有名だそうな。
この映画って終戦から9年しかたってない時期に撮ってるんだよな。
天本先生は例の帽子をかぶらないと普通のモボだったな。 ラストの自転車の場面は雨なのかフィルムの傷なのか分からなかったのが、
レストアできれいになったのがハッキリ分かったけど、最初のタイトルバック
の海面とか小豆島の風景は粒子が荒れて黒ずんで汚かったな。昔見た印象
では海はもっと明るく澄んでいたし、風景も鏡面みたいにツヤのあるグレー
の諧調だった気がする。 そんな美麗な状態でごらんになったなんて御いくつですか…。 元々、お涙頂戴映画はあまり好きではないので、そう言う先入観からこの映画を観てなかった。
しかしこの前のBSで初めて観て、さすがに一流監督によるキネ旬1位取っただけの出来映えだと思った。
若い頃の田村高広を見ることが出来たのも良かったが、美しい風景描写のキャメラも最高。
やっぱり評価されてるだけのことはある。しかも嫌いなはずのお涙頂戴映画で泣いちまったw
正直、あの当時の小豆島をカラーで拝みたかったなーと思った。
アメ公からカラー機材貸してもらうとか
無理か…。 >>155
最近、昔のモノクロ映像をカラーにする技術があるみたいだから、近い将来カラー版が出るかも。
ただ、当時の人って小学生役の人くらいしか生き残ってないから、当時の色彩とか覚えてるだろうか。 >>158
ウルトラQでもカラー着色版が出るんだけど、元の色がはっきりしないやつは出演者に色を
聞いて再現したそうな。 >>159
>元の色がはっきりしないやつは出演者に色を聞いて再現したそうな。
何じゃそりゃ。
そういえば、ガラえもんのゲロが緑色だったと主張する友達がいた。
出演者よりも当時の子供が何色を視ていたかのほうが重要かもね。 >>161
エクソシストと一緒にしないでよっ!ぷんぷん 自慢じゃないが、仮面ライダーの頃もうちは白黒テレビだった。 >>166
平気で不倫して心中する人が先生じゃイマイチ。
>>168
不倫して心中って?
黒木版は高峰版と並ぶ傑作だと思う 高峰さんと三島由紀夫の対談で、肺病になったコトエのシーンについて
「あれ何言ってるかわかんないでしょ?本当に泣いてセルフ言ってるからわかんないの」
って言ってたw
ほんと、何言ってるか分んない。 >>170
ふ〜ん。
それじゃあ1954年の先生も不倫してるね >>169
黒木版は役者、脚本はそれ程悪く無いけど
多くの駄作リメイクと同様に演出が酷かった
監督のセンスや力量の差が大きく出てると思う 田中裕子版映画といい、黒木瞳版ドラマといい、
なぜ大石先生の結婚式のときに「女子7人が男子5人を馬鹿にした発言」をしたのか、と聞きたい。
クラスメイトの12人は、異性を貶めるような子はいないぞ、と言いたい。
壺井栄先生もそんなことは描いていない。男ばかりか、壺井先生を冒涜したも同然だ。 >>171
自分も字幕を見るまで「あたしが一番だめ」を「あたしが一番だったのに」と思ってた。
その後「先生、あたし苦労しました……」この台詞が泣けるんだ >>170
失楽園というのは観た事ないけど、心中したんなら平気な不倫だったわけでもないんじゃないか? つまりは失楽園って浮雲みたいなもんか
今度観てみることにしよう ほとんど素朴な善人が描かれてる中、
唯一ヒール役で登場する、食堂の女将の浪花千栄子
市井の商売人の愛嬌と冷淡さが表裏一体、いい頃合いの達者な芝居を見せてくれる
そのせいで作品全体が引き締まり密度が濃くなった気がする
大人のキッチンの髪型、せめてサイドの膨らみ何とかしろよw
なかなかロックな映画で驚いたわ。
教条主義的な説教臭い映画だと思ってる奴とか多いんじゃないだろうか。 昨夜のBSに出演した子役は、
竹一役兄弟、ソンキ、タンコ、マツエと
もう一人はキッチンだろか?ニクタ?だろか? >>182
>なかなかロックな映画で驚いたわ。
どこがロックだよ?
馬鹿にすんなよ。 風景と音楽で泣かせる映画、そして暗い時代を描いているのに、からっとした
明るさが随所に見られて、楽しい作品でもある。 この映画にこの音楽あり、と思わせるオリジナル曲があれば、文句無しの傑作なのに 唱歌は日本人の心の琴線に触れるしな
「ななつのこ」を聞くと条件反射みたいに目が潤んでくるよw