【消された名画】氷雪の門【軟弱外交の犠牲】
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この名作をやっと靖国神社・遊就館で鑑賞す。
国を愛しソ連の蛮行に最後まで抵抗した健気な女性達に涙。
この名作を是非、一般映画館で上映して欲しい。 >>64
そりゃあ、実質上の企画・製作者が、元円谷の制作部長の守田康司
(ブースカ、MJ、怪奇大作戦)だもの。
成田亨にできること、できないことの見分けはつくでしょう。 >>57
若い神主さんのご挨拶がよかったでしょ。
「海軍カレー」のあの食堂の位置は考えるべきだね。
ビデオシアターのあと行けないんだもの。 去年、観に行ったな。
昼飯を安く済ませようと外の屋台みたいなとこで牛丼食べたら900円も取られた。 >>66>>68
自分が行った時は「今日は再入場可」と言われた。
あそこの食堂は東京で唯一?"海軍カレー"が食べられるし他のメニュー
値段も意外と良心的だった。
予想を上回って映画の出来も良かったのでDVDを買うか最後まで悩んだよ。
¥8,000!か。名画座、地上波、CSでも見られる事が無いから貴重なんだ
けど諦めた。せめて"沖縄決戦"なみだったらね。でもロビーは入場無料
だし武道館へはコンサートやプロレスで行く機会も多いのまた、その時
に足を伸ばして買いにこうようと思い遊就館を後にした。 >>62
あれ、藤田弓子が逃げ延びたシーンて出てきてましたっけ?
なんか見逃したみたいで、あの場面になってびっくりしたので。 >>64>>65
当時としては破格の5億円の制作費がかかったと言われるけど戦車との
地上戦のシーンもあるから特撮費は少なかったかも?
東映が同時期に東宝の"日本沈没"に対抗して製作した「あ’決戦航空隊」
も同じくらいの制作費がかかったと言われるけど比べても遜色無い。
"決戦"は特撮シーンは期待していたけどそれほどではなかった。記録
フィルムも多かったし任侠スター総動員のギャラと海外ロケに制作費
を食われたんだろうね。
か >>69
二人が逃げのびた所はないけど最後の青酸カリで服毒自殺するシーンで
藤田弓子が自宅の薬局から自分用に持ってきたけど「薬学の知識は無いし
全員で分けると致死量の分量がどのくらいかわからない。」と話している
シーンがあった。生き残った伏線になる所だね。
最後に全員が倒れている中でウサギ二匹が倒れた飼い主の上で何も
知らずに動いているシーンが涙が止まらない・・・・・・・・・・・ >>71
あのウサギは効いたな…その前の「これが最後です、さようなら…」でも堪えた俺だったが
ウサギで限界を超えた。「椰子の実」が流れるころにはもう画面が見られませんでした。 俺は久米明の電話のシーンも泣けた。
まさかコルゲンコーワのおっちゃんに泣かされるはめになろうと。 >>73 死んじゃだめだ。生きるんだよ! あの悲痛な叫びは胸を打つね。全国の中高生に見せたいね。
いのちを大切にする教育にもつながると思う。
思いっきりテレビでこの映画がちらっと紹介された時、久米明のシーンが流れたらしい >>73>>74>>75
あのシーンは涙腺を堰きとめている最後の砦だったんだけど・・・・・
唯一、電信が繋がっていた泊の電話局長役で最後のワンポイント出演
だった。「そばに白い布は無いか?それを窓の外へ振るんだ!」と
叫ぶ所だね。 あの穴に入れる交換のやりかたってどういうロジックになっているんだろ? >>77
たぶんかけては交換までしか繋がらず、交換はかけてのリクエストで
相手の回線に繋げて取り持っているんだろう。
映画の中では「ジーッ」という音も出ていたが、あれはかけてが交換まで
かけてきた合図ではないかな。 緊急時の一斉放送も電話でできたようだ。
この作品の中で「お待ちください。緊急指示です。」といった台詞があった。 守田 康司氏(もりた・こうじ=テレビ・映画プロデューサー、本名佐藤忠久=さとう・ただひさ)
17日死去、77歳。会津若松市出身。
この映画「内地に帰ったらまた郵便局に就職しよう」という台詞が印象的だった。
郵便局はやっぱり国営であるべきだったんじゃないかって。
彼女らの献身は民間以上のものがあったんでは。 当時電話は逓信省の直営だった。戦後電電公社となりさらに民営化され現在のNTTになる。 私は、守田康司の息子ですが父が亡くなってから、父の偉大さを知りました。
父の後を告げばよかったです。今は、公務員をしてますが・・・・
父の弟子で一番成功してるのは、フジテレビの映画部局長の亀山プロですね。
氷雪の門は、海外ロケは、ありませんでしたよ。当時、父は、ソ連から狙われるかもしれないと言っていましたね。 氷雪の門はこの作品の冒頭と最後に出てきますが、
稚内市の協力で製作されたんでしょうね。北海道でのロケだったんでしょうか。 この作品35ミリプリントは現存しないのでしょうか。 ロケは、御殿場や富士だった記憶です。フイルムは、あります。 >>87
ググったら出てきた守田さんのプロフィール。
ttp://homepage2.nifty.com/kaiki/page008.html
>プロデューサー:守田康司(もりた・こうじ)
>1929年・福島県生まれ。松竹、歌舞伎座映画部を経て円谷プロに入社。
>退社後は、新国劇映画製作部長、ビデオシティ映像製作顧問を歴任する。現・日本映
>画振興会代表取締役。プロデュース作品に、「快獣ブースカ」「マイティ
>ジャック」「火曜サスペンス」「あしたのジョー」など。
亀山さんがお弟子さんというのはどういうことでしょう? 亀山さんが五所平之助の書生
だったとは有名な話ですが、守田さんの関わった作品に亀山さんが就くようなことがあったのでしょうか? わが青春のイレブンという作品で当時彼は、早稲田の学生で制作を学んだはずですよ。
翌年フジに入社しました。いろいろないきさつがありましたが、掲示板では、語れません。彼のために守田は影でいろいろしてましたよ。
葬儀にはお花も出していただき、守田も最後には、いくらかでも報われたことでしょう。 わが青春のイレブンという作品で当時彼は、早稲田の学生で制作を学んだはずですよ。
翌年フジに入社しました。いろいろないきさつがありましたが、掲示板では、語れません。彼のために守田は影でいろいろしてましたよ。
葬儀にはお花も出していただき、守田も最後には、いくらかでも報われたことでしょう。 わが青春のイレブンという作品で当時彼は、早稲田の学生で制作を学んだはずですよ。
翌年フジに入社しました。いろいろないきさつがありましたが、掲示板では、語れません。彼のために守田は影でいろいろしてましたよ。
葬儀にはお花も出していただき、守田も最後には、いくらかでも報われたことでしょう。ありがとうございました。 わが青春のイレブンという作品で当時彼は、早稲田の学生で制作を学んだはずですよ。
翌年フジに入社しました。いろいろないきさつがありましたが、掲示板では、語れません。彼のために守田は影でいろいろしてましたよ。
葬儀にはお花も出していただき、守田も最後には、いくらかでも報われたことでしょう。ありがとうございました。 聞いた話ですが、守田さんは「誤った情報を伝える一部のスタッフ」に
怒りまくっていたとか。それで2ちゃんを見せたら、「まあ分かる人には
分かるんだな」と機嫌を直していたというのですが・・・? DVDはノーカット版ですか?私は自衛隊時代に1時間半程度の
短縮版しか観てないのですが。120分と言うことで私が見たのよりは
長いわけですが・・・ >>98
靖国のビデオシアターは約2時間でした。
90分版はどこでご覧になりましたか。 >>99
情報ありがとうございます。
私の場合、自衛隊の前期教育中に駐屯地内で上映されたものです。かれこれ20年近く前です。
以来、ずーっと完全版で観たいと思っておりました。
ともかく、これは買うしかなさそうですね。馬鹿高いアニメDVDの事を思えば
\8000は決して高くないと思います。 >>100
ご回答ありがとうございます。
私は逆に短縮版を見てみたいと思います。
自衛隊ではその他に教育用でどんな映画を見ていますか。 >>101
遅くなりましてスミマセン。教育用映画は軍事関係ドキュメントとか
これからの自衛隊生活の映画が主で他に交通事故関連
部落差別やめよう映画とかでした。「氷雪の門」はそんな中で
期待せずに臨んだだけに強烈に印象深く残りました。 学校で見る映画に近いんだね。
いや、氷雪も割と体育館上映な雰囲気あるんだけどなあ。ソ連もない今だし教育映画でやれんかなあ。 >>103
「教育映画」団体に預けるのも手だと思うけど、>>1-100の間に違法上映
が数例あるようなので、それを整理してからでないと。。。 こんな3本立やったら面白い。
「氷雪の門」「モスクワわが愛」「小さい逃亡者」 この3本立は?
「氷雪の門」「日本海大海戦」「戦争と人間 完結篇」 『ひめゆりの塔』か『あゝひめゆりの塔』を混ぜるべきでは?
もともと「北のひめゆり」として構想された映画だし。 なるほど!!
ではこんなのは「氷雪の門」「日本女侠伝 激闘ひめゆり岬」「恐怖女子高校 女暴力教室」
闘う女の熱き3本立! 千島樺太交換条約があった以上、樺太はしかたがないのでは。
ただし、非武装の避難民の船を沈めたりした非人道的なやりかたは許されないが。 チベット騒乱=大国主義への抵抗。
「氷雪の門」をいまこそ全国上映せよ。
詐欺師でなんちゃって親日の中国人監督の馬鹿映画(ヤスクニ)ですら
とりあえず上映までこぎつけられたというのに何てことだ
ひどい話だ 守田康司の名が出てるけど、
「ウルトラマン」のスタッフにも同じ名があるよな。 「日本文化チャンネル桜」の開局宣伝には、「氷雪の門」をやる予定になっていた。
それで大いに期待したのだけど・・・
結局やら放送しなかった。 そのCS局も今や消えた。 消えたよ。
でなければ、なんで放送終了の特番を昨年度末にやり続けたのだ?
「ハッピーチャンネル」は、「桜」じゃない、ちゅーの 正直、あんな閉鎖番組どうでもいいよ。
単館でもいいんで上映しないかなあ。 大都市の片隅で上映されても、こちとら田舎モンは見れない。
だから、「桜」には期待してたのだけど・・・ >>119
枠を借りての放送以外に、インターネット放送のSo-TVで独立チャンネルとして
放送してるんだけど。お知らせでも、スカパーでの放送終了、枠を借りての
放送に移行だって言ってただろうに・・・ うどん食ってる子供、意外すぎてワロた。
助けようとして打たれた国防要員がモト冬樹に見えたw なんだか統一教会系新聞社の通販もあるけど、妙に高いし注意したほうがいいな。 >>124
靖国神社の遊就館の売店まで行けば買えるんだけど・・・・・・・
>>116
既出だけど特撮は初期ウルトラシリーズのデザイナー・成田亨の
特撮監督デビュー作で周辺のスタッフは旧円谷系のベテラン勢で
囲まれています。
日テレが「霧の火」としてドラマ化して8月にやるね。
この話のTVドラマ化って始めてかな? >>126
多分も日本軍に強制されて残されたとか捏造して全部日本が悪いとかなるんだろうな >>127
共産主義大好きのくせにこのスレに書き込むなよ 今のテレビ局が製作してもロクな出来にならないのは目に見えてるな。
数年前の杉原千畝のドラマも酷い出来だった。 >>125
成田亨は本作が特撮監督デビューじゃないよw
もっと以前、ナショナルキッドとかだ 反日極左キチガイ知恵遅れ言語障害引きこもり団塊オヤジの盲目北野武信者>>127糞尿
こんなところにも現れてたのか だーかーらー反日極左だつたら、こんな書込みしねーつーの まあこの事件を取り上げた点では評価したい。
テレビでの表現の限界もあるから難しいだろうけど、良いお話であってほしい。 ドラマすごく良かったよ。
竹山をはじめて評価した。 >>131
東映特撮課時代はまだ小西昌三やら上村貞夫やらの下で走り回ってた美術スタッフだ。 頑張った方だと思う。ジワジワと侵攻してくるソ連軍の恐怖感は映画の方が上。
ソ連兵の犠牲になる市民の描写なんかはドラマは良くやった方。 「氷雪の門」見ました。封切り時に。なぜか、冷遇された作品。
キャストも地味。公開時もさほど、評判にならず、気の毒な映画。
真岡の地名が新鮮でした。終戦後のソ連侵攻の話。
教科書にはのらない戦争秘話。浅見光彦シリーズに登場も。 「霧の火」は最近のドラマの中ではずいぶんがんばっていた方だった。
ただこの映画は当時としては日本沈没なみの制作費をかけたからTVより
戦闘シーンは迫力があった。監視する国境を越えて進撃してくるソ連軍、
そこから列を成して来る避難民、そしてちりじりなる悲惨さ・・・・・・
史実はともかく映画の薬局の娘が青酸カリを持ち出して次々に飲むが
致死量がわからず幸運にも何人か助かると言う件の方がリアリティが
あった。 でもなあ、実際の電話交換手は、可愛いと思える子が一人もいないんだな 「霧の火」は悪意の史実歪曲部分が多すぎ。
女子交換手が職場に頑張ってる時にまるで局長が逃げたみたいに描かれてた
けど、史実では局長は局にかけつける時にソ連兵に銃撃されて捕えられてるんだが。
郵便局が青酸カリを配り、自決を強いたかのように描かれてるのも事実無根。
ソ連軍の暴虐を日本に責任転嫁する川島とかいう自称ノンフィクション作家の
本が参考文献の一冊になっちゃってるのがドラマの考証がずさんになった要因の一つ。 日本のテレビ局は反日が基本だから、しょうがないだろ。 「岡田可愛はこの頃からバレーをやっていたのか・・・」
と思ったけど、調べてみたら「サインはV」より後なんだな 先日、靖国神社に行って見てきました。
氷雪の門に行ったことあるけど
まさかこんなことになっていたとは
思いもしませんでした。
戦争の悲惨さがよく描かれていたと
思います。もっと多くの人に
見てほしいですね。
交換士の最期まで職を全うする
使命感と純潔なところが印象的でした。
東宝はこの映画を犠牲にして「モスクワわが愛」の方を選んだ訳だけど、
その「モスクワわが愛」は不入りだったよ。それにしてもひめゆり部隊
を題材にした映画にアメリカがイチャモンつけてきたら日本中の左翼が
さわぎたて、朝日新聞なんかデカデカと書き立てただろうに、何もいわ
なかったね。莫迦な話。 >>147
当時の映画批評でも「モスクワわが愛」は「原爆2世の悲劇を無理して
とってつけた他愛のないメロドラマ」と酷評されていた。「氷雪の門」
とは比較にならない駄作だったらしい。 >>98
DVDは2時間ですが、11月29日の北海道立文学館での上映は153分とある。
見た人いませんか? >>151
都内ではもう前売り券発売されてて、チラシを置いてる映画館もあるよ。
今日もらってきたのでかいつまんで書くと
東京では7月17日から渋谷、北海道では8月7日から札幌で公開開始。
その後全国順次公開。
唯一残ったフィルムをデジタル処理を施しての公開とのこと。 デシタル処理?なんじゃら、それは?
普通にニュープリントじゃないんだ・・・?w
渋谷のあそこだとスクリーン小さいんだよね
下手すりゃ靖国のDVD上映の画面の方がデカイぞってくらい
しかし、これでわりかし定期的にやってた靖国での無料上映は出来なくなるんかね?
7月公開だとこの数年毎年やってた上映と期間もろかぶりだと思うけど >>154
太秦が権利取ったら靖国でやってた上映は無理になるんじゃない? 渋谷ですむなら渋谷の方が楽。
靖国は行くのめんどいしな。 >>156
それはあんただけの極個人的な利便の話じゃんw
地元の図書館にビデオが置いてあって驚いた。
回転率も高そうだった・・・・・・・・・・ >>159
ハイライトシーンだけなので全長版で見ないとラストで泣く事ができない。 1 名前: Σφ ★ 投稿日: 2010/06/01(火) 13:37:24 ID:???0
第二次世界大戦末期の樺太(現ロシア領サハリン)で実際にあった、あまりにも惨たらしい戦火の
悲劇を描いた映画「樺太1945年夏 氷雪の門」が、製作から約36年の時を経て、全国順次劇場公開される
ことがわかった。
本作は、1974年当時に製作実行予算が5億数千万円を超える超大作映画として話題を呼んだ、オールスター
キャスト総動員の反戦映画。太平洋戦争末期の樺太を舞台に、終戦の報がもたらされたにもかかわらず、
ソ連軍の強行的侵攻に倒れた9人の少女たちの悲しき運命を描く。黒沢年男、南田洋子、丹波哲郎らも出演し、
戦闘シーンは陸上自衛隊が全面協力。
企画・製作に9年もの時間を費やし、文部省選定や各種団体の推薦も受けていた。試写会や調査やアンケートを
重ね、史実に忠実に作られた本作は、前評判や口コミから、前売り券の売上が何と70万枚に達していたという。
ところが公開直前になって、配給元の東宝が公開中止を決定した。その背景には当時のソ連政府による圧力が
あった。
「日本の軍事主義を反省していない」「ソ連軍による解放を一方的侵略と描いている」点や、陸上自衛隊や
国の機関が撮影や上映に協力していることが問題視され、駐日ソ連大使館から「反ソ映画の上映は困る」と
抗議の声が上がったのだ。この問題は当時の各新聞紙面でも取り上げられ、一本のインディペンデント映画の
行く末が見守られた。その後、東映洋画配給によって北海道・九州での2週間ほどの劇場公開がなされたが、
実質的に発禁映画となってしまった。
それから36年。幻とされていて本作のフィルムが奇跡的に発見。デジタルリマスターを経て、ついに全国順次
劇場公開が決定した。今回の公開について映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の監督であり、当時
助監督を務めていた新城卓は「より多くの方々に観てもらいたい。この映画の持つ力で、世論を喚起し、
世界の平和を訴えたい」とコメントしている。
http://www.hollywood-ch.com/news/10060103.html?cut_page=1 第二次世界大戦末期の樺太(現ロシア領サハリン)で実際にあった、あまりにも惨たらしい戦火の
悲劇を描いた映画「樺太1945年夏 氷雪の門」が、製作から約36年の時を経て、全国順次劇場公開される
ことがわかった。
本作は、1974年当時に製作実行予算が5億数千万円を超える超大作映画として話題を呼んだ、オールスター
キャスト総動員の反戦映画。太平洋戦争末期の樺太を舞台に、終戦の報[正確には玉音放送]がもたらされ
たにもかかわらず、
ソ連軍の強行的侵攻に倒れた9人の少女たちの悲しき運命を描く。黒沢年男、南田洋子、丹波哲郎らも出演し、
戦闘シーンは陸上自衛隊が全面協力。
企画・製作に9年もの時間を費やし、文部省選定や各種団体の推薦も受けていた。試写会や調査やアンケートを
重ね、史実に忠実に作られた本作は、前評判や口コミ[ではなく企業回りが行き届いた結果]から、前売り券の売上
が何と70万枚に達していたという。
ところが公開直前になって、配給元[ではなく劇場チェーンとして]の東宝が公開中止を決定した。
その背景には当時のソ連政府による圧力があった。
[東宝の上映中止決定は『モスクワ、わが愛』を共同製作したモスフィルムの所長の苦言を、東京新聞が相当
オーバーに掲載したことを受けてのものである。ソ連政府のその後の圧力コメントとは直接の関係はない]
その後、東映洋画配給によって北海道・九州での2週間ほどの劇場公開がなされたが、
実質的に発禁映画となってしまった。[プロデューサーたちは、その後も地道な上映活動を続けていたし、
フィルムレンタル業者による上映会も開かれていた。発禁映画よばわりは失礼の極みである]
それから36年。幻とされていて本作のフィルムが奇跡的に発見。[まったく意味不明] 家永三郎は文部省がソ連軍が満州・樺太で行った略奪暴行についても教科書
に書くべきではないかと言ったのに拒否した。家永三郎いわく「そのような事実
を教科書に書けば反ソ反共宣伝に利用されることになり憲法違反になる」。
ソ連崩壊後のインタビューで家永三郎は言った。「私は共産主義については門外漢。
ソ連崩壊についても特に感慨はない」。
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