原悦子は、1976年デビュー。1977年には二十二本の映画に出演し
大蔵映画の看板スターとなる。
一方、平凡パンチ等青年誌のグラビアに登場し全国的な人気を獲得する。
1978年になると新人の三条まゆみと4本共演し
(一本目が三条のデビュー作、四本目が原の大蔵最後の作品)
、その後日活に移籍した。三条はこの年二十二本に出演、
後継者として十分の働きをする。
さて、原はますます忙しくなり、写真集、レコード発売、
ファンクラブとの対応等に明け暮れ
三月に一本のペースでしか映画にでれなくなる。宮下順子、東てる美
、宮井えりな等の主力女優が日活ロマンポルノから離れ、
期待の原がこれでは配役にも支障をきたすようになった。
さっそく三条に目をつけ、1979年6月と9月に電映商事製作、日活配給で
日活の映画館に登場する。明らかに日活の市場調査であり、
三条が日活のカラーに合うか、どれだけ客を持ってくるかを
リサーチした模様。一方大蔵も社運をかけて三条と交渉、
9月頃専属女優の契約をする。九月頃の根拠は1980年の
大蔵映画のカレンダーに三条の専属女優がクレジットされている。
九月頃がカレンダー、の撮影、印刷のギリギリの時期であった