【溝口健二】 西鶴一代女
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新東宝だったので、撮影所がなく、枚方の京阪遊園地にセットを作って
撮ったらしいね。
しかし、大映と比べても遜色ない
やはり、溝口の代表作だよ
>202
自称「弱者の味方」。
要は自分より格下で底辺の弱い女を支配したいだけ。
だから自分でプロダクション作るような入り江たか子みたいな女には
引け目を感じてさんざんいじめた。 >>205
この映画の製作は新東宝主導じゃなくて、児井プロ主導です。
この映画の製作にお金がかかりすぎたが原因で、
自主制作はできなくなり、日活のプロデューサになりました。 >>207
精神病院でのエピソード知らないのかね。 ひらパー100周年だってね。関西人じゃないから、行ったことないが、ここで、この映画が撮影されたと思うと
感慨深い。まあ、撮影当時のモノは何も残ってないだろうが・・・。 >>212
ひらかたパーク
昔は枚方遊園地といってたそうだ あァ、ひらかたパークなら聞いたことがある。
そこで撮影したのか。 はじめて見たときは「三船が出てないじゃないか」と思ったものだ こんなに男に翻弄されて親もクソな毒親で
堕落して遊女になって、美貌で男を翻弄した女が、化け猫と言われ男に笑われ
もういっそ、自殺したほうが楽じゃねえかwと思いながら観てたが
お春は、托鉢しながらも生き抜いて天寿を全うしようとするんだな。
世の無情を身に染みるほど感じても、仏を信じてるんだな。
悲惨な話だけど、逆に生きる勇気を貰える不思議な映画。
お春は淫乱ではなくて、美貌がゆえに男に翻弄されるままの女だと思ってたけど
お堂に並ぶ仏様の顔を見ながら、似てる男を見つけるとか
尼寺で激しく抵抗することなくやられちゃうとか
やっぱり女の性みたいなのが強くて、無意識に男を惹きつけてたんだろうか。
せめて、松平家を追われた後に、父親に島原にさえ売られなければ
晩年は殿の生みの母親ということで、安泰だったのに。。。 衆生無辺誓願度
煩悩無数誓願断
法門無尽誓願学
仏道無上誓願成 ノーメイクの田中絹代が廃寺で、
カゴで道行く武家の子供を見守る無音のシーン、
圧倒された 凄いよねあの場面
しかも即興で作った場面だったらしいね この映画の終盤は圧倒されっぱなし。
ストーリー的には古典的というしかない周知の展開なのに、
グイグイ引っ張っていく力は、もうこの世のものとは思われない。 >>221
俺はその前の絹代が逃げるシーンで、
絹代が全く映らないで侍たちが探して走り回るシーンが好きだ。 中野ビューティーハウス
中野ビューティーハウス
中野ビューティーハウス 生涯ベストはマキノの昭和残俠伝死んでもらいます
溝口なら祇園囃子、黒澤なら七人の侍、小津なら晩春、成瀬なら流れる、増村なら清作の妻、深作なら仁義なき戦い、相米ならお引越し >>1
同意
原作も素晴らしいが、
映画はさらに素晴らしい。そういう映画は珍しい >>200
完全な別物に仕上がってるとしても
西鶴作品を元にしてるのは事実なので別に名前入れてもおかしくはない 雨月以降と比較すると、カメラが宮川一夫でなく平野好美、音楽が早坂文雄でなく斎藤一郎というのが如実に表れてるね。 美しい絵だけが絵なのか?甲斐庄楠音の忘れ去られていた作品群は、我々を根底からえぐる。
不条理な肉体存在である人間を見据える冷徹な眼差しが、そこにはある。
その厳しさゆえ、1度画壇注視の人となりながら、大正15年作「女と風船」で楠音は“穢い絵”の烙印をおされた。
その日以来、画家は穢い絵で綺麗な絵に打ち勝たねばならぬと胸中深く刻み込む。
京都画壇の期待の新星となるが、楠音の男色、女装癖、傍若無人な素行が会のリーダー土田麦僊ににらまれ、第5回展で『女と風船』が
「穢い絵」として陳列拒否されるという事件が起こる。1928年、国画創作協会解散ののち、楠音は徐々に画壇から離れ、
1940年、46歳のときに出会った溝口健二に招かれて映画の世界に活動の場を移す。1955年、61歳のときに『雨月物語』で米アカデミー賞の衣裳デザイン賞にノミネート。1956年に溝口健二が亡くなると、映画から離れ再び絵の世界に戻ることになる。
晩年に開催された展覧会の出品作は旧作に手を加えたものが多く、衰えた筆と劣悪な絵の具により、恐ろしいくらい迫力のある美しさが薄れる結果となった。1978年、83歳で亡くなる 昔、依田義賢のシナリオ集で西鶴一代女を読んだときいい作品だと思った
是非映画を観たいとずっと思っていたけどDVDの時代になり観ることができた
シナリオを読んだ感激がそのまま映像として現れた いろいろと役に立つ副業情報ドットコム
少しでも多くの方の役に立ちたいです
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