【青森】寺山修司【新宿】
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ドラマツルギーを内包した便所の落書きな感じで書き込んで 四六時中韓国人とか差別とか、そういうこと考えているのかなあ? ホワイトカラーじゃなければ人に非ず かw
すごい偏見だな 「書を捨てよ〜」は新宿駅発着の都電が廃止(70年3月)になる直前に撮影したのかな? 71〜72年公開の森崎東監督の「喜劇・女〜」シリーズでも、都電のあそこは出てくるよ。 今年は没後30年だから、フィルムセンターあたりで脚本or監督を手がけた全作品の上映会をやってくれないかな。
崔なんとかの特集やってる暇があるのなら。 ついでに新高恵子さんのピンク映画もやってくれないかな。
数年前、阿佐ヶ谷ラピュタで特集上映があったらしいんだけど、そのころはまだ日本映画に目覚めてなかった。 O
o と
。 ,. -ー冖'⌒'ー-、 思
,ノ \ う
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ キ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、 モ
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人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\ っ
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/ | |::::::|\、_________/' /:::::/〃 >>751
うちも届いた。
後、タワレコの寺山Tシャツもw ETV特集 寺山修司という宇宙 園子温×穂村弘
2013年11月23日(土・祝)23:00からNHK Eテレで放送
2013年11月30日(土)24:50からNHK Eテレで再放送
http://www.cinra.net/news/2013/11/18/210559.php そう言えば「田園に死す」も、少年だけど、
終盤のアレは児童ポルノ法かなんかにひっかかって今はヤバくないか? 病床で
天井桟敷の若手女優の性器の透けたビニ本手にして
「イイんです、これでいいンです・・・」
と満足げだったらしい。
何がイイのか・・・ >>755
最期までそういうアングラ・ハプニングみたいな事を弟子たちにはやってて
欲しかったってことだろ。 もうちょっと長生きしてたら、間違いなくAVにも手を出してただろう。 >>758
KUKIの社長は、元・天井桟敷の演出助手だった人。
寺山は、「一度、日活の枠(撮影所システム)に中に入ってロマンポルノを撮ってみたい」と言っていた。
岸田理生は神代作品の脚本を書いてるし、寺山自身にもきっと企画が持ち込まれたことがあったはずだ。 そもそも「上海異人娼館」って本番SEXやってるだろ。 殿山泰司は『上海異人娼館』でも、チンチン出してる? そんな当たり前のこと、今更。見りゃわかるだろ、馬鹿 袴田事件のことを初めて知ったのは、冤罪だと訴える運動に寺山が参加してるという記事を見た時だった。
あれから、もう30年以上経っている。
「笑っていいとも!」が始まった頃だったか。
俺が当時付き合ってた女の娘が、いま、テレビの深夜バラエティ番組でアシスタントをやってる。
母親の少女時代にそっくりだ。
袴田さんの人生とは何だったんだろうな、と改めて考えさせられる。
テレビの深夜番組を見てアシスタントの少女の姿にチンコを硬くするなんてことは、袴田さんは一度も経験したことないだろう。 クラウス・キンスキーの裏玉袋と肛門まで見える
見たく無いのに・・・
袴田さんのなら見たい。 本当だ。
- 演劇・映画プロデューサーの九条今日子さんが死去 http://www.oricon.co.jp/news/2037061/full/
麻生十番の天井桟敷館で、劇団員の人とお喋りしてて何かの拍子で下品な笑い声を挙げてしまったら、
九条さんに、横目でジロッと睨まれたことがあった。コワかった。
九条さんは、考え事しながら手帳を広げて何か書き込んでる最中だった。
その時の冷めた目付きが忘れられない。
沢木耕太郎は、「あの人ってコカコーラみたいな人ね。スカッと爽やか。でも、それだけの人ね」という陰口を言われたという。
この本に、その話が出てくる。http://www.amazon.co.jp/dp/4167209039/ キャジン飲んでハワイ行くど
の意味がわかりません
当時流行った文句なのでしょうか 田園に死す、見たけどなんだかSFチックだね
20年後の俺はあのまま母と暮らして20年前の俺は東京にあの女と行くんだろうな いいときに死んだといえば寺山自身がまさにそうだろうな
50過ぎても盗作小僧じゃ本人も辛かろう
といって盗作しないわけにもいかないし >>776
いい加減、「自分は小学生程度の知能しかない」ということくらい自覚したら?
インターネツトが普及し始めた頃に生まれた者は、既にあんたの知能を超えてるよ。 >>777
俺はアンタに会った事があるような気がするよw どーでもいい事を、ふと思い出した。
高校2年生の時、渋谷の、坂を上がってパルコの向こう側の道を歩いてる時に、
寺山がいきなり路地から現れて、こちら方向に歩いて来るのが見えた。
「あ、寺山だ」と思ったが、別に何か話し掛ける事があるわけでもなかった。
そもそも寺山の姿は天井桟敷館とかジャンジャンのロビーとかで既に何回か見掛けていた。
その時は、彼が思いもよらぬところからいきなり現れたんでビックリした。
で、一瞬ジッと見詰めてしまい、寺山と目が合ってしまった。
寺山はニヤッと笑った。
「こいつ、俺が寺山修司だとわかってるな」という笑顔だった。
怖くなって目を逸らし、そのまますれ違った。
振り返ったが、寺山は何事もなかったように歩き続けていた。
ただ、それだけ。
急に思い出したんで書き込んでみた。 >>780はめちゃめちゃ寺山的なエピソードだね(笑)。いきなりあり得ない
場所に現れて驚かし、相手が驚いてる顔見て笑ってるって。あまりに寺山的
で笑っちゃうくらいなんだけど(笑)。
スレでは既出かもだけど。青森の寺山修司記念館の館長に2012年4月から
あの佐々木英明が就任してたんだね。知らなかった。彼は1948年10月生まれ
で就任時は63歳。今年66歳。映画『書を捨てよ街に出よう』が1971年4月封
切りだから当時は22歳。高校生くらいかと思ったら意外にもう成人してた。
あのあどけなさの残った風貌で懸命に生きる若者を演じた佐々木もはや高齢
者だというのが時間を感じさせます。
ネットで検索したら温和な高齢者男性になってて。もう髪も薄くなって。
どうも感慨深くて。
青森の寺山修司記念館には2008年2011年2012年2013年と(もっとかな?)
三上博史が来館して九条さんとトークしたり寺山の詩を朗読したり関係があ
るとか。これも嬉しいし、感慨があります。 >>782
失礼。誤字です。「九条」さんではなく「九條」さんが正解ですね。
よろしく。 連投失礼。チラとニュースでもみた記憶はあったが。2014年4月に
寺山と同じ病気の肝硬変で亡くなっていたんだね。78歳だったと。
若いころの寺山と居る写真みると溌剌としてて、九條さんも逝ったんだ
とはっきり知って、寺山って人の記憶がどんどん遠くなっていく気も
している。もちろん残された映像や音楽や脚本で、今でも彼の不思議な
熱い世界には触れることはできるんだけど。
時は流れる。言葉は残る。記憶はそのときに甦る。 寺山修司生誕80周年、赤塚不二夫生誕80周年、石原裕次郎生誕80周年。1935年ってバケモノが大量発生した記念碑的な年だな 準決勝と決勝は 西日本の大学卒の公平な審判だけで運営してください
早稲パイアは要りません! 「夕陽に赤い俺の顔」が某サイトにUPされてたんで、35年ぶりに見た。
いやァ、なかなかの秀作じゃないか。
昔々、10代半ばで初めて見た時は、
「ギャグが皆無でコメディとは言えず、何の緊張感もないから活劇でもないし、何なんだコリャ」
と思ったけど、
しかし「何なんだコリャ」と思わせて見る者を幻惑させるのが狙いだったんだとやっと気付いた。
篠田正浩がプロデューサーにいきなり呼び出され、
「来月、撮影所のひとつのスタジオが丸々1週間空く。もったいないから何でもいいから撮れ」
と言われて、慌てて寺山を呼び出して数日で脚本を書かせ、
書かせながら同時進行でセット組み立てや衣裳や小道具の手配、ロケハンなどをやって、
綱渡りのような状態のままで完成させた作品だという事だけど、とてもそうとは思えない。
篠田節と寺山節が共に炸裂していて、同じ画面の中で競い合ってる。
子供騙しとしか言えないアホなパラレルワールドを堂々と描いた作品というのは、
「狂った一頁」だの「爆裂都市」だの、「オースティン・パワーズ」だの、数え切れないほどあるけど、
ここまで大真面目に、ろくに笑いもサスペンスもないままで押し切ってしまうというフテブテシサには恐れ入った。
不純物ナシの100%純粋なパラレルワールド映画であり、
これと比べると「ギターを持った渡り鳥」も「田園に死す」も「2001年宇宙の旅」も不純に思えてくる。 いま寺山の「青い種子は太陽のなかにある」の舞台が蜷川で再演?されてるけど誰か観に行った人いない??
近々観に行ってくるわ〜楽しみ〜 再演じゃないよ、その戯曲じたい去年初めて見つかった幻の戯曲なんだから。俺も見に行きたいけど金がないからそのシナリオだけ読むことにするよ てか、蜷川って生前の寺山とまったく親しくなくて何の交流もなかったのに、
寺山死後にバンバン上演してるのはどういう事なんだろう。 >>793 そうなんだ、じゃあ音楽は松任谷じゃなくてシーザーに頼んでくれたら良かったのに、、
>>794 嫉妬に近い憧れでもあったのかな
個人は嫌いだけど作品には惚れてるみたいな 蜷川幸雄は寺山と同じ1935年生まれだが、生前の寺山の演劇には取り立てて興味がなかったそうだ。 寺山の方にしたって、
唐の事は「生意気な後輩だけど、才能は認めている」、
浅利や石原慎太郎や三島の事は「思想的には相容れないけど、才能は認めている」、
小林信彦の事は「俺を毛嫌いして粘着しやがって。でも才能は認めている」という感じだったが、
蜷川の事は完全に無視していた。
批判すらした事なかったんじゃないか。
唐は、寺山とも蜷川とも親しかったし、唐の他にだって共通の知人はいただろうけど、・・・。
早い時期に大喧嘩でもして、それ以降は互いに完全スルーを決め込んでのかも。 リアルタイムで芝居を見ていたうるさい爺さんと
物知らずの似非サブカルバカ 最近見た、ホーリーマウンテンのラストと田園に死すのラストが
似てますね でも昔のドラマで蜷川の演技なんか見ると、素人目にもほんと
酷かったけどな。
よくこれで偉そうな演出家面できるもんだ・・・と思った。 『田原総一朗のラジカントロプス2.0』(2014年10月20日OA)
http://media.jorf.co.jp/podcast/radio/141020_taharasoichiro.mp3
「時には母のない子のように」が、そもそもは、田原演出の「ドキュメンタリー・青春」のカルメン・マキ出演回のテーマ曲で、
田原プロデュースだった事を初めて知った。 サブカル興味無いんだけど恐山には行ってみたいからなんとなく田園に死すを見ました
二十数年前に戻って母親を殺してももう自分は中一まで育ってんだから自分には影響ないよね?
あと、汽車に乗るには母親の死体がいる、みたいなこと言ってたけどこれもどういうこと? ちょっと前の話だが、・・・
「水曜日のダウンタウン」という番組の、先月放送回で紹介された「商店街プロレス」「マンションプロレス」には驚いた。
天井桟敷の「市街劇・ノック」そのまんまではないか!
このページで、動画がUPされている。
http://video.fc 2.com/content/201511122RG7Zw1q/
(プロレスの話は、40分目くらいから)
検索したら、DVDも発売されてる。
- 飯伏幸太のマンションプロレス http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B009M1BF7U/
「老朽化が進み立て壊しの決まった都内の老朽化したマンション。
立ち退きを拒否する多数の住民に頭を悩ます管理人は、ある男に立ち退きの依頼をした。
その男とは第61代IWGPジュニアヘビー級王者・飯伏幸太!
たった一人でマンションに乗り込む飯伏に次々と襲い掛かる狂人と化した住人達。
抽選で選ばれた10人しか見れなかった史上初の『マンションプロレス』が待望のDVD化」
どー考えたって、寺山演劇のプロレス版ではないか。 >>808自己レス。
いや、「実はヤラセであってハプニングではない」というところは寺山とは違うな。
しかし、寺山からの影響を確実に感じさせる。 >>808
ダウンタウンの松本がNHKでやったコントであらゆるものにレッテルを貼りまくる、ってのがあったけど、
寺山の映画で山崎努が家具からなにからに「やかん」とか札を貼ってたのを思い出した >>810
見られなかった。どこかで動画UPされてないだろうか。 今日になって、やっとコレを見た。
- ノンフィクションW 暗黒のアイドル、寺山修司の彼方へ。
http://enterstage.jp/interview/2015/11/003828.html
寺山は、
「行く道と帰り道、どちらが好きですか?」
という問いに対して、
「僕は帰り道というのは通ったことがないからわからない」
と答えていたけど、
万有引力とか高取英とかは、寺山が死んだ後ずっと‘帰り道’ばかり歩いてる。
いまを生きる女の子だったら、寺山ワールドよりもAKBを目指すべきだろうに。 いまNHKで放送している震災関係ドキュメンタリー「風の電話 / 残された人々の声」というのは、
まさに寺山的だ。
万有引力の奴らは寺山の落穂広いをやってるだけだが、
こういうドキュメンタリーを見ると、「寺山が蒔いた種から果実を作っている人も確かにいる」と思わされる。
- NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「風の電話〜残された人々の声〜」
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586774/
岩手県大槌町の海を見下ろす丘に置かれた「風の電話」。
震災で会えなくなった家族や友人ともう一度言葉を交わしたいと願う人々がここを訪ね、
線のつながっていない受話器を通じて「会話」をする。
東日本大震災から5年。復興は進んでも、大切な人を失ったことで前に進めずにいる人はまだ多くいる。
口に出せない思いを抱えた人たちにとって風の電話は大切な支えになっている。
風の電話でささやかれるいくつもの心の声に耳を傾けた。 寺山 修司(1935年12月10日 - 1983年5月4日)
長編
書を捨てよ町へ出よう(1971年)
田園に死す(1974年)
ボクサー(1977年)
草迷宮(1978年)
上海異人娼館/チャイナ・ドール(1980年)
さらば箱舟(1982年/公開1984年)
寺山修司&谷川俊太郎ビデオ・レター(1983年)
短編
猫学(Catology)(1960年) - 現存せず。
檻囚(1962年)
トマトケチャップ皇帝(1970年)
ジャンケン戦争(1971年) - 『トマトケチャップ皇帝』の抜粋・再構成版。
ローラ(1974年)
蝶服記(1974年)
青少年のための映画入門(1974年)
疱瘡譚(1975年)
迷宮譚(1975年)
審判(1975年)
二頭女(1977年)
マルドロールの歌(1977年)
消しゴム(1977年)
一寸法師を記述する試み(1977年)
書見機(1977年) 第26回ベルリン国際映画祭は1976年6月25日から7月6日まで開催された。
審査員
イェジー・カヴァレロヴィチ (ポーランド/監督)
ギュオルギ・ダネリア (ソ連/監督)
Márta Mészáros (ハンガリー/監督)
Wolf Hart (西ドイツ/監督・撮影監督)
フェルナンド・マコテラ (メキシコ/脚本家)
マージョリー・ビルボー (イギリス/批評家)
ミシェル・シマン (フランス/批評家)
寺山修司 (日本/劇作家・小説家・映画監督)
バーナード・R・カンター (アメリカ/Cinema University of Southern California Los Angeles)
ハンネス・シュミット (西ドイツ/)
Guido Cinotti (イタリア/) 「青少年のための映画入門」を上映する為の映画館が、遂に登場!
- 3面映画上映“ScreenX”とは? ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場に日本初の上映システム
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170601-00010003-piaeigat-movi ゲオに寺山修司映画コーナーが設置してあって映画が揃ってた - 山田太一氏 脳出血で事実上の断筆宣言
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6250843
山田氏にはたいした思い入れがないんで薄情ながらも安直に「お大事に。長生きしてください」としか思わないが、
生きてる間に寺山との交友についてのまとまった記録は残しておいて欲しい。
これまでもエッセイなどでこれ迄も何度も触れてはいるし、書簡集は出版されてるけど、きちんとした回顧録の長い文章はなかったはず。
十数年前に、TVドキュメンタリーで、30分丸々、寺山との友情についてだけに的を絞って山田にインタビューした番組があったけど、
どこかのアーカイブなどで見られないだろうか。 寺山はピンクフロイドのファンだったんだよな。
安部公房も熱烈なフロイド信者。
でも、今聴くとそれほどの音楽かなって気がするわ >>831
お前のそのアスペ丸出しのその気持ち悪い文書なんなの?てめえの書いた文書もう一度読み返してみな。キチガイが書いた文じゃん。ヤバイよあんた >>832
寺山がピンクフロイドについてどこかで語ってた?
読んだ事ないし、好きだったとも思えないが。
寺山好きがいま注目すべきは、何と言っても欅坂46だよ。
モロに「アングラ演劇」だ。
- 欅坂46 「エキセントリック」プロモーションビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=65v7JSBpQ4U
寺山はかつて、伊丹十三との対談の中で、「笑ってる時の顔を写真に撮られて、
それが雑誌に載ったりすると一週間くらい不愉快な気分になる」と語っていたが、
欅坂のメンバーの少女たちも、曲のパフォーマンスの中では絶対に笑わない。
‘笑わないアイドル’というのは、それ自体がアングラ的だ。
>>48の犬神サーカス団とやらは紛い物の‘なんちゃってアングラ’だったんで直ぐに消えた。
アイドルグループの欅坂46の方こそが真のアングラだ。
いまの時代にアングラを復活させようという秋元康の実験精神が炸裂している。 >>833
おまえのキチガイっぷりは、純粋な狂気ではなく、
単なる「落ちこぼれ屑野郎のヤケッパチの八つ当たり」に過ぎないからツマラン。
口先だけのキチガイだから、ちっとも‘劇的’ではないし。
ちょっとは、何かしらのドラマを感じさせる存在になれよ。 >笑わないアイドル’というのは、それ自体がアングラ的だ。
いつもニコニコしてるアイドルを裏返しただけでしょ
どっちも上からの指示 >>836
何が「上からの指示」だ。
‘演出’だろうが。
作品の中ではニコリともしてなかった若松武だって、天井桟敷館の喫茶スペースでは陽気にお喋りしていたよ。
演出とは本当に「上からの指示」なのか、又そうであったとしてソレで良いのか、という問題があるのは確かだが、
あんたのような短絡者とは真面目に議論する気になれない。 >>834
寺山が出始めのピンクフロイドを聞いてこりゃすごいからお前もこれやれってシーザーに言ったってのをなんかでよんだ
時系列はよくわからんけどホドロフスキーがフロイドの音楽で映画とろうとしたり、
書を捨てよ〜でクリムゾンのファーストのジャケが飾られてたり、まあプログレ影響あった時代だから
関心なかったってことはないだろうな >>834
欅こそなんちゃってアングラ()だよ
あまりテレビ見ないおじさんなのかな? >>836
冠番組ではニコニコするようになっちゃったよ
最初はみんな暗い顔して同じような変な抑揚でボソボソ喋ってたけど >>840
>>841
だから、パフォーマンスは「演出された作品」であって、
彼女たちが普段からシカメっ面してるワケでないのは自明の事じゃないか。
海老蔵が普段から「あいや、しばらく〜っ!」などと叫んでるかって。
「最初はみんな暗い顔して同じような変な抑揚でボソボソ喋ってた」のは、
新人だったからだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています