>>477
貴方もググったデータを元に書いているのだろうけど、テレビも舞台も「かなり」
という程にはやっていないと思う。『マチャアキの森の石松』(1976)もスイッチャーが
言うことを聞かないので困ったと映画渡世で本人が言っており、本人としては決
して満足のいく仕事ではなかったようだ。それとこの頃のスタジオドラマはオールスタジオ、
本読み・リハ2日、本番2日とかそういうスケジュールなので、2クールを一人
で演出することも不可能ではなかっただけ。マキノにすれば戦前のサイレントの中短
編時代に戻ったようなもの。
マキノは新しもの好きなのでテレビには抵抗がなかったけど、他の早撮り監督も
そうだったように、飽きっぽく気分にムラがある人だったのでは? 御存知だろうけど、
『関東緋桜一家』はマキノの好みではない女侠もので、純子のために引き受けたものの初め
から全くやる気がなかった。またその前から自分の気に入った場面だけ真面目に演出して、
気に入らない場面は助監督に「撮っといてや」ともやっていた。助監督はマキノ
の演出した場面と繋がるように必死で撮るわけだが。当時の他の監督もそうだったように、現場の
各パートも仕上げも信頼のおける者に任せっ切りだった。
現場で粘らないというのも、裏を返せば元々がそんなに丈夫な人や気の長い人ではなかったので
はないかと思う。ヒロポンでボロボロになった時期もあったわけだしね。

>>478
仲が悪いこともないのだろうが、松田定次はマキノ絡みで語られることはほとんどない。
あの番組では松田にまで触れるとキリがないので切ったのだろう。ちなみに昨夜の番組自体は中島貞夫
出演の「知るを楽しむ 映画王国・京都 カツドウ屋の100年」から派生したもの。