異人たちとの夏
最後に病室で登場する何だか冷たい感じの息子も、イイ味出してたと思う。
血の繋がった息子なのに、なんだか主人公と鶴太郎ファーザーとの
ひと時の様に暖かい関係が結べていない。それについて、今更ながら
正そうと主人公も考え始め、それでもやはり、乾いた関係・壁には
苦労させられそうだな(いや、ほどなく諦めるかも)と伺わせる
かけあいシーン。
何だかホモっぽくて嫌だと過去レスで批判のあった仕事相手(担当者という
べきか)については、最後のケイの呪縛から命を投げうって救い出そうと
する見せ場や最後の焼香シーンで、両親霊との親子愛とは別物だけど、
主人公をとりまく環境の中では一番近いやすらぎ(隣人愛・友情)に
なってくれるんだろうなあと期待・安堵を持たせてくれたり。 >>361 その場面は、山田太一の原作小説。
>>88 >>239 原作に出てくる前田青邨の絵と思われ。
「ケイの性的願望をいくらか語るかもしれない。(中略)むしろ、ケイが頑なに隠している乳房だけが、
絵には描かれているという方に、なにかがあるのだろうか?(中略)共に屍体を美しく描いているという
ことに意味を求めれば、また何か出てくるかもしれないが(後略)」文庫版189頁
>>383
そういう解釈もありうるんだろうけど、愛の質の差を表現して引き立て役となっただけとは、個人的には思えないなぁ
結局、彼女は原田が生きることを望むのだし、原田は両親やケイへの感謝を唱えるエピローグがあるわけだし、
(単純に自分を殺さなかったことへの感謝の言葉でないのはいうまでもない)
プッチーニ「大好きなお父さま」
「大好きなお父さま、指輪を買ってください。でも、彼との愛が実らないなら、アルノ河に身を投げてしまうわ」
文庫版190頁 霊全般が生命力を吸い取るというなら、守護霊はどうなる。
例え心が清らかで善、しかも実の両親の霊であっても、守護霊で無ければ
吸い取ってしまうという世界観設定なんでしょうか?
作中で生命力吸い取っていたのは自縛霊ケイのみで、彼女が吸い取って
いるという事実を主人公の両親霊の仕業として、なすりつけていたんでは。
本当に心配だったなら、自分とも別れる様諭さないといけないのに
それもせず、永島敏行が突入するまで、とうとう自らも霊である事を
明かさなかった。
さも「もう大丈夫」みたく主人公を安心させて
【主人公の顔が更に一段と死人に近づいていた】 という事実からも
主人公の精気吸い取りに両親の関与の割合は低いか又は無かった
(全てケイの仕業だった)という見方も出来る。
最後に主人公が、両親と一緒にケイに感謝してたのも、単に
「見逃してくれてありがとう」という意味だけ込めてたんでは。 >>386
> 例え心が清らかで善〜世界観設定なんでしょうか?
はい、そう思います。
> 【主人公の顔が更に一段と死人に近づいていた】 という事実
霊との接触を継続し、精気を吸い取られ続けていたのだから、当然と思います
> さも「もう大丈夫」みたく主人公を安心させて
愛の質の差はあっても(たとえエゴイズムから発せられたものであっても)、
それはけして両親の愛を引き立てるためのものではなかった、
両親の愛とともにケイの愛は、たしかに原田を孤独から救い、
他者への愛を目覚めさせるものであったと思うからです
それが自己の命を削ることを強要するものであったとしても
これは「自分に人を愛する力が残っていたなんて」という原田の台詞からもうかがえます
ちなみに、原作での原田はもっと孤独におちこんだ男として描かれています
両親の愛を引き立てのためだけであれば、屋上屋を架すものであり、
ストーリー展開として破調であると思うからです 「殺さないでくれてありがとう、見逃してくれてありがとう」なら、
映画をしめくくる台詞としてあんまりでしょう
海老蔵主演でも映画が一本できてしまいます。「Rさん、殺さないでいてくれてありがとう」
そして、原田にとって、ケイとの愛も、「どうかしていた」で片付けられるものではなかったのです
と、書きましたが、再三書いておりますように、これは私見であります
386さんの解釈をありえないものとするわけではありません そんな解釈を巡って議論になることが、信じられない思いです… 親子の愛と男女の愛は、そもそも異なるもの…
>愛の質の差
という表現さえも、そもそもどこか語義矛盾では。 >>390
「語義矛盾」かどうかはわかりませんが、愛の「質」という表現はいまいちですかね?
383さんからの提起以来、エロスとアガペーの対比であろう、と前提して書いてましたから。
とはいえ、散々書いたように、両者の優劣の話じゃないとは考えてますけどね
作家論としても。 というか、愛の質の「差」の「差」のほうが自説と矛盾するような表現ですかね
連投すみません。ISP規制中につき、レス代行依頼してますので
IDコロコロ代わってるかもしれませんが 訂正
市川團十郎 (11代目)
├市川團十郎 (12代目) ─ 市川海老蔵 (11代目)
前田青邨 ─(養女)千代
↑
(ケイの部屋の絵の作者) 原作についてだけれど、
ケイの持参した色々なチーズを食べたり、昼下がりにコーヒーとタルトを食べに
行ったり、ケイの部屋を初めて見たり・・・色々な会話をしたりしたけれど、
もっと、どんな会話をしてどんな時を過ごしたのか、短い夏だったけれど、
ほんの小さなエピソードでもいいから、もっとどんな出来事があったのか、色々
知りたい気がした…。主人公の両親とのことも、もう少し書き加えて頂いて、
もう少し長編にリメイクして再出版して頂くということは出来ないものかと、
時々思ったりする…。
ほんの僅かな出来事のどれもが、とても大切でいとおしいのは、夏が短かった
こともあるのかもしれないけれど…。 そういえば、クルクル回すアイスクリーマー15年以上も前に買ったのに、
一度も作らないままになっている… もうすぐ冬が終わって、懐かしい人たちに会える季節がくるね 桂が、この世の人ではないと気づいのは、どの辺りですか? >>402
桂が、この世の人ではないと気づいたのは、どの辺ですか?
…に訂正します。 既に原作の方を読んでいたので。
原作の方は、主人公原田の心の動きと同時に…。 桂の部屋の荷物が運び出されるシーンを見て『ピン!』ときた人は居るのだろうか…管理人さんの表情などから…かなり感の強い人だね。 おれこの映画観て泣いたんだよ。
あの頃、名取&鶴太郎映画で『妖女の時代』ってのもあったっけ。
『帝都物語』もあの頃だよね。
あの頃は積極的に邦画を観てたなぁ あの頃の名取裕子は凄く綺麗だったね… 今も綺麗だけれど)
確か遠藤周作の原作の映画(名前は忘れてしまった)にも出ていたね。
名取さんが双子を演じるサスペンスで、名取さんの妖艶さと結末の
衝撃が凄く印象に残っている。
あのトリックには驚いたので友人に話したら、設定を含め途中まで話した
時点であっさりトリックを見破ったのにも驚いた記憶が…。サスペンス
めいたものも結構よく読んでいる人だったからだったのだろうか…。 調べたら、それが「妖女の時代」でしたね
桂といえば、呼び方は違いますが、森村桂さんも亡くなりましたね
個性的で才知もあって魅力的な方という印象でしたが・・・
実は私、初見の時は…風間「ここは何処?」・名取「私が運んだのよ」…まで気付きませんでした。
春夏秋冬、季節の変わり目には観ておりますが今の浅草は賑やか過ぎて…『(夜)10時を過ぎたら何にも在りゃしねぇ』の台詞が一段と懐かしさを連想させるのでしょうかね!
また今夏、もしかしたら、お父ちゃんに逢えるかもしれないから訪ねてみようかな…浅草! 山田太一先生の物語は、舞台がリアルなのも大きな魅力の一つだと思う…
たまたま東京在住時にこの物語に触れたこともあるが、環八沿いの雰囲気も、
赤坂も浅草もリアリティーを以って味わうことが出来たのはとても幸福だった・・・
そして、ついに今日(もう昨日)、間違い無いと思いますが、舞台の一つの
赤坂プリンスホテル(グランドプリンスホテル赤坂という名称になっていた
ことは知りませんでした・・・)が、閉館しましたね・・・・・!
このホテルが建って、数年後にこの物語が生まれたのではなかったでしょうか?
大都会の真中に建造された、日本の繁栄(思えば最盛期)の象徴にも感じられた
羨望のスポットでもありました・・・ それが、今、消えて行くのですね・・・
夕刻、雷雨があった。
高層ホテルの最上階のバーで、私はその稲妻と強雨を見ていた。ぶちまけた
ような雨が窓を不透明にし、その向うで稲妻が光った。・・・
・・・・・・・・
ホテルは九階のシングルで、窓からは別の高層ホテルの灯りと青山通りの
車の流れが見えた。しかし赤いテールランプとヘッドライトの絶え間のない
流れを見ていると、・・・・・・・
・・・窓から夜景を見て、自分を黒く塗りつぶしていると、小さな快感があった。
これらの箇所も、とても好きな部分です…。主人公の居る場所、様子や心の
あり様を、そこに寄添うようなリアリティーで味わうことが出来るからです
向う3ヶ月間は、東日本大震災で被災ひた人々の避難所となるそうです・・・
・・・そびえ建つ強固な象徴的ビルが、僅かニ十数年で、解体され消えてゆく・・・
時の流れ、無常、今の日本を象徴しているようです・・・
この物語の舞台でもありますし、一層淋しく感じられましたが、避難所となって
有終の美を飾ることは、本当に良かったと思います・・・・・・・・ 発売された山田太一先生の新しい小説「空也上人がいた」をさっそく買いました。
ざっと全体をめくって、物語の複雑な面白さ、テーマの深さを確信しましたが、
ゆっくり味わいながら読み進めたいと思います…。
ちょっと思ったのは、一見すると、題名と表紙がちょっと地味で硬いイメージ
かな、と…。
仏教の説法がテーマなのかみたいな想像する人も多いかもしれず、それで、
本の前を通過する若い人達や説法嫌いな中年もいるかもしれないw…などと
ふと思いました…。
そういえば、「異人たちとの夏」にも似たようなことを感じたのでした…。
「異人」という言葉は、普通あまり馴染みの無い、意味がしっかり判断しにくい
言葉ではないでしょうか? 歌にあるように、外国人を指す場合もありますし、
宇宙人とか…何を指すのか曖昧な面のある言葉だと思います…。
そうすると、どんな物語なのか想像しにくいし、異星人の話ならちょっと…と
感じて、本の前を通過してしまった人達も多少は居なかったでしょうか?w
自分の場合、もし山田先生の作品でなかったら、そんな間の抜けた傾向がある…と
いうだけのことなのですが…、そんな人達は、そうそうは居ないのでしょうねw
でも、山田先生の稀少な魅力が詰まった物語には、出来るだけ多くの人々に
出会って頂きたい気がします……。 山田先生の心理描写は、まるで心のPHが同じなのかというほど、とても
馴染んで感じられるところが多いから好きなのだと思う…… …足音は、各部屋に伝わっているはずであった。上がったところで
いつまでも立ち止まっているわけにもいかない。……
孤独な心や否応なくさせられる日常の困惑…の描写が好きです……
(いくら個人は自由だといっても、他人の思惑なんかといっても、
私たちは、一歩外に出れば、さまざまの否応ない状況に殆ど強制され
促されて日常の行動をせざるを得ないのが人の世界というところが
あるのでは……? (世間に普通に認知されて生活したい人ならば、
世間体からもまったく自由な人間なんて居るわけがないのでは……?)
もし、仮にその時その場に佇んでいたくても、些細な状況がそれを許さ
ないのだから…)
話が脱線しすぎだと分かってはいるけれど、誰かのコラムを思い出した…
犬というものは本当に有難い…
犬と一緒でなかったら、一本の木をいつまでも立ち止まって見上げている
わけにもゆかないのだ…… そんな風に、本を開くたび、たまたま開いて目に入る1行1行に
琴線が振動して1ページを30分くらいは開いて物思いに耽ったり
してしまう…
☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆祝☆゚・*:.。.☆゚・*:.。.☆
山田太一先生、77歳のお誕生日、おめでとうございます……∠☆゚PA〜N!…
まだまだ幾つも小説を書かれてください アンコールです゚:*♪:'゚`。+:…… 邦画板ということを、つい忘れて原作のことばかり書いてしまって…。
そういえば、
山田太一先生の新しい映画作品が予定されているという噂を小耳にして
いますが、本当なのでしょうか………!?♪ また、異人たちとの…の季節が近づいて来たね… 昭和の夏… 「10時過ぎたら何にもありゃしねぇ」の場面の浅草ロック座付近の静けさ。
今の時代では想像もつきませんね。
あと、主人公が浅草寺の境内を最初に訪れる夕刻のシーン。
数人歩いてるのが見えるだけで、
あんなガラガラの浅草寺も今では考えられない(当時もそうなんだろうけど)。
早朝に撮影したのかな?
時代は遠くになりにけり… "観光資源"とかいって血眼になって金儲け至上主義に走ってるかんな 浅草に夕方行った時、案外仲見世のお店も閉まっていて驚いた記憶が…。
夜も賑わう場所かという印象だけれど、実際は、夕方6時位から閉まり
始める店がポツポツあって、7時位に閉める店が一番多いらしい。
夏だと、まだ明るさのある時間だよね…。
7時半、8時までには殆ど閉まってしまうらしい。外国人とか旅行客で
賑わうのも、昼間なのかも…。
あと、元旦でも早朝(7時位だったかな)は案外空いていたよ…w 『空也上人がいた』も、やっぱり山田先生だと感じる…。
自分は、81歳の吉崎老人と20代の青年との遣り取りが特に好きだ…。
夕べも眠る前に、適当に開いた一ページをゆっくり読んだだけで、何だか
気分がすごく落ち着いて眠れた…。山田先生の小説の文章をもっと読み
たい……。 (後から映画になるのもいいね…) 火傷って、重症な場合は特に、この時代にも綺麗にするのは、
まだまだかなり難しいんだろうね…… お盆辺りにやっても良いのにね。
日本映画史上、最も美しい幽霊の秋吉久美子を鑑賞するか。 そうなの? BSプレミアム…、ホント?
調べました♪
7月24日(日)22:00〜 ですね?
もう何年前になるんでしょう? 映画館で観て以来です・・・・・ <山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 家族編>
貴重な情報、アリガトウゴザイマス…
>>429
お盆のあたりは人間の條件シリーズの予定だからね
しかしこれがHVで観られるなんて夢のようだなあ
映画館で大泣きしながら観た幼い記憶 今晩10時、放送です BSプレミアムです 懐かしいです… 昨晩、観たのですが どうしても名前が思い出せない出演者がいました
わかる方がいらっしゃいましたら、教えてください。
テレビ局で台本の練習場面で女性がが漢字を読めなくて台詞を間違えた時の場面の
少しあとで、大きな声で練習していた、当時、学園ドラマに出ていたような少年です。
よろしくお願いいたします。 松田洋治じゃね?
あと竹内力も出てます。知ってる人は多いと思うけど、
知らなかった人に見つける楽しみを与えてあげてください。 浅草の客引きのお兄ちゃんに対して「もう済んだんだ」って言うシーンが好きで、
いつかまねしてみようと思っていた。
数年後、博多の中洲に逝った時、客引きに声を掛けられたので
さっそく「もう済んだんだ」とマネしたら、もう一発どうですか?と
しつこく付きまとわれたので「もう金がないんだよっ」と言って逃げた。
映画と現実は違うと実感した。 >>441
>映画と現実は違うと実感した。
浅草と中洲の違いだよ。 最近見て思ったんだけど、すごいね岡林信康って人はフォークの神様でもあり映画監督でもあるんだね
びっくりしました。 稼ぐ人は稼ぐね、やっぱ才能があるんですね 放映されたときの実況スレ、すごく伸びていたみたいだね…。
最後のスレしか読んでないけど、ケイについて、知らない異性の部屋を
突然訪ね、拒絶された腹いせに自殺、幽霊になってまでつきまとうとは…
何て女だ、みたいな感想が結構見受けられたのは、このスレでも
ケイが余り好かれていないことが、印象的だったけれど、改めて、成る程
そういうものだと改めて感慨深い…。それが一般的心理なのは当然なの
だろう。男も女も、誰しも、立場ことなる相手への想像力を持つことは、
難しいものなのだ…。(終始そんな感想だけで終わるとは、何だか
情けない気もするが…) >>450
実況やりながら映画観るような馬鹿どもじゃ仕方ないだろ。 解ってるけど…
お笑いでも見てればいいのに
実況ってバカドモでも、さみしいからかな
名取裕子が空中に浮かび上がったときのシーンは、一番感極まるものが
あった…。
あのシーンで、白髪になった主人公の役は、風間杜夫に見えなかったけど、
特殊メークなのか、それとも別の俳優さんかな? 風間杜夫が名取裕子の背後から攻めてるシーンはどうなの? 風間杜夫風に言えば、【どうなのって言われても… いいんじゃないですか?】
秋吉久美子風に言えば、【イイに決まってるよ!】
鶴ちゃん風に言えば、【つまんねぇ遠慮なんてするない!】 風間杜夫が手づかみでカレーライス食べるシーンがあるけど、当時の粋な江戸っ子は本格印度カレー屋でも手づかみだったのかな?
>>455
あの頃ってエスニックブームだったし
本格インドカレーとかじゃないのか? 鶴太郎 秋吉がなんとも良かった
今半 「ありがとうございますっ」ってありきたりな言葉が効いた
そして泣きながらハンカチで割り箸を大事に包むとこがまた効いた 倉本先生は、煙草をかなり吸われるみたいだね
山田先生の方が、長生きされる気がした…
強いアルコールに気を付けて頂ければ… 線香花火やってるときの
秋吉久美子の表情の意味がわかる方教えてください マジシャンの帽子から出てくるグローブ、花札、アイス3つには感動した 原作では、二人が演芸場の外に出たとき、片岡鶴太郎が、寄席の前の
看板を指して、
「嫌いなんだ、こいつ」って
言うよね。その台詞、なんか結構好きで、あぁこのリアリティが
山田作品だなっていう感じがしてしっかり記憶に残っている箇所だから、
映画で省かれていたのは、何故?って思ったけど、映画の場合、イン
パクトが強すぎてしまうのかもしれないね…。
それにしても、その原作の箇所に、見間違えでなければ実物の落語家が
噺始める姿が一瞬映っていたのは、すごく驚いてしまった…!。
「嫌いなんだ、こいつ」云々っていう流れの原作なのに、有名な落語家に
出演を依頼?したり、その落語家が出演を引き受けるって、芸能界とか
そういう世界に疎いからそんな風に感じるのかもしれないけど、何か凄い
というか不可解というか面白い…というか…、結局、作品の価値、原作者・
監督の偉大さに起因するということなのかな……。(それか、自分の場合
鑑賞途中でも、ぼんやりする癖があるから、何か記憶違いかな…。
桂米丸という落語家が映った箇所は「嫌いなんだ、こいつ」の原作と同じ
場面ではなかったかな…。それとも実物が出演することに何か重要な意味
があって、配慮から台詞の方を省いたとか……。考えすぎか…)
正直言えば、自分は、この物語については原作主義なので、映画は公開
された時に一度と、今回の放映しか見ていないけれど(名取裕子が去った
後の部分は今回初めて見た)、色々目新しく気づいた部分があったことも
すごく面白かった。関心のある映画は何度か見るたびに、新しい発見が
あるものなのかもしれないね。今回、数十年の時を経て観たら、初めて
見ているようなシーンが多かったことに驚きだった…。また次の機会には、
真新しい発見をすると思うから、それを楽しみにしたい…。)(長文m〇m) 原作に鶴太郎は出て来ないよ。
君が映画と原作の違いを考えるのは時間の無駄だと思う。 ×原作では、二人が演芸場の外に出たとき、片岡鶴太郎が、寄席の前の
看板を指して、「嫌いなんだ、こいつ」って言うよね。
〇 原作からすれば、二人が演芸場の外に出たとき、片岡鶴太郎が、寄席の
前の看板を指して、「嫌いなんだ、こいつ」って 言う筈だよね。 >>467
昔から、映画は原作どおりに作られる訳じゃない。作家と監督との関係が良好ならば、監督も表現の自由度が増すだろう。
山田太一氏もこの映画以降は、テレビなどでの発言が、明らかに大林監督の影響を受けていたのが、興味深かった。 > 今回、数十年の時を経て観たら、初めて
> 見ているようなシーンが多かったことに驚きだった…。
同じ映画を何度も観ない人なんだな。
数回観た程度じゃ、全部覚えてることなんて皆無。
ヽ(゚▽゚*) 2012年 NHK新春の土曜ドラマスペシャル (*゚▽゚)ノ
山田太一脚本 『キルトの家』 (山ア努主演)
☆震災後の日本のあり方と庶民の幸せとは何かを問う
:*.;".*・;・^;・:\(*^∇^*)/:・;^・;・*.";.*:
新春早々の放送らしい! 嬉しいな〜♪ >>470
映画は数回程度観ただけでは分からないね。
浅草すき焼店の場面に、引退した松竹往年のグラマー女優、
泉京子さんが出ている。実際にもこの店のオーナーだから驚くよ。
こういうのも結末への伏線だったのかもしれない。
".*・;・^;ヽ(゚▽゚*) 山田太一先生の最新刊! (*゚▽゚)ノ;^・;・*."
『 読んでいない絵本 』 (小学館)
ここに書かれた短編は、例えば、よく話題にのぼる早稲田の後輩、
村上春樹の短編なんて、まるで目じゃありません!
こんなに面白く深いところで心温められる何ともいえない小説を、
山田太一先生でなくして、誰が書けましょう?!?!?!
(ほんとは、先生の作品は、気づいた人だけに読んでほしいというか
そっと自分だけで楽しみたいのが本音だけれど、このスレは特別だからね…
今年は、「空也上人もいた」も出たし、すごい年だけれど、もっともっと
読みたい気持ちが膨らんで先生には長生きして頂かないと本当、困ると思う) ※山田太一先生と村上春樹氏の御両氏のファンの方々には、表現に行きすぎた
面があったかもしれず、お詫びします(m(_ _"m)ヒラアヤマリ) 474 「空也上人がいた」が正しく、「空也上人もいた」は、誤りです。
夜中のレスで注意力が弱っていたとはいえ、大変な失礼を致しました。スミマセン。 山田太一氏脚本
「まだそんなに老けてはいない」
12月11日(日) 20:00〜21:45
(CS テレ朝チャンネル)
※再放送12月16日 お悔やみします。
「傷だらけの天使」が大好きだった。
TV育ちの脚本家としては、最初の‘大物’?
(橋田寿賀子や倉本總は、実は映画育ち)
>>477の番組は、どうなってしまうんだろう。 脚本家市川森一さんは、カトリック教徒だったのですか? ふぞろい8個め何とか工夫して画面に出しても人大杉と出て書き込めない。
8まで作った人が9を作るのを様子見。