異人たちとの夏
シアタークリエ、行ってきました。(映画のせいで)椎名と内田には
ちょっぴり違和感有りましたが、両親役の甲本と池脇は結構はまって
いました。今迄、池脇を意識した事無かったし、今回の配役は若過ぎ
と思ってたのですが、特にすき焼きシーンの演技(鼻も赤くしたり)
は泣かされました。 原作読むと、主人公のドラマの題材がテニスとビリヤードで、取材先が
プールバー。流行ってたなぁ。「ハスラー」からだと思うけど、工藤静香
も「急に呼び出された夜のプールバーで〜」なんて歌ってたしな。 クリエ、行ったよ。ウッチーがヒロイン(?)のせいか、原作や映画と異なり
ケイとの最後の別れが綺麗過ぎ、ちょっと物足りなさを感じたよ。あれでは、
原田のふっきれ感が生かされないよ。あと、ウッチーのレギンスも頂けなかっ
た。個人的には、石田ゆり子とかの方が、合ってた気もするな。 そこは笑うとこじゃないって…って所で、
おばはん連中がゲラゲラ笑ってたりしてちと残念だったな 意を決して名前を聞いたら、「親に名前を聞くなんて…」のシーン、
そこは驚愕のシーンであって、別に笑う所では… とか、
最後のすき焼き屋で、お父ちゃんがいろいろ茶化す所とかも、
それは悲しいのを押し隠してる訳で…とか
まぁ受け取り方は人それぞれだから、ケチ付ける訳じゃないけどさ…
「親に名前を聞くなんて…」
・・・懐かしい台詞
緊張感ある一シーンだから
たしかに、笑ったりしてはまずい 舞台版悪くはなかったよ。内田有紀が迫力不足だったよ。俺的には菅野美穂がよかった。
感情を剥き出す時の菅野には狂気すら感じるし 舞台版を映画や原作と違うと言ったって、(前述のプールバーにも有る様に)
時代も違えば、演出家によって何ともでも変わるんだから、しょうが無いんだ
よね。と、言った傍からなんだけど、「お父様にお願い」は使って欲しかった
な。おまじないがどうのこうのとかの、スコットランドだかイングランド民謡
(違う?)じゃ何かのれないよ。ところで、原作では、曲名が出て来るのって
本当に最後の方なんだね。 >>292
わめいたり、怒り狂ったりするのって役者としては一番ラクな芝居なのよ 映画見て泣いたことなかったんだが、
演芸場からの帰り道の鶴ちゃんのたたずまいだけで涙が出てきたのが
我ながら不思議だった 都内で廉価版のDVD売ってる店ってもうないですかね… マンションの三階にいつも明かりがついてるのに管理人が知らないのはおかしい、
どうして死相が出てきたのか、子供が可愛いなら、あの世に引っ張り込まないだろう。
舞台、父親役の方が役にピッタリで、
母親役が途中で池脇と分かった。
すばらしい母ちゃんを演じてた
また映画観たくなった&小説も読まなきゃと思う今。
舞台は舞台でよかったと思う。
両親役はピッタリだったし、椎名桔平もよかった。
再演希望 舞台観ました。 主演の2人よりも両親役の演技が際立っていた。
内田だけが演技力や迫力に欠けており、衣装もなんだかパッとしなかった。 映画の名取さんとはイメージがかなりかけ離れていた感じはある。
30過ぎた寂しい女性と言うよりは、時より元気な女子大生と言った違和感もあった。
でも、長台詞の中で多少の苦しい部分は感じたけどベテラン俳優相手に相当頑張っていたし
そんなに悪い印象無かったけどな>内田有紀
原田に「神様、だれか、この人を助けて!」と言うシーンはなかなか熱演だった。
個人的には羽場裕一さんもよかった。
甲本さんは顔の作りも父親らしく、椎名さんは中年よりも少年らしい雰囲気の為
池脇さん演じる母との2人のシーンは映画の色っぽさは無く可愛らしかった。 まあ、同じ映画化なら色々比べられても仕方ないけど
舞台は全く別畑だしね。監督も代わってくるし。
映画のシリアスな世界と違ってかなりコミカル調に作られていたけどそれなりに楽しめた。 舞台観て、久し振り(※初めてTVでやった時以来だから、20年弱?)に
映画も観たよ。前回の時は泣いたのは、すきやき屋だったたけど、今回は
風間が初めて秋吉に会った時のうるうるでも。あと、当たり前だけど、そこ
かしこに時代を感じる。風間の髪の毛のボリューム、後半着用のメガネ、ポロ
シャツの下のランニング。川田あつ子のヘアスタイル。秋吉の眉毛(しかし、
仮に作られたのが今だったら、30〜40年前に亡くなった秋吉の化粧や衣装
は、当寺のものなのか、それとも今風になるのだろうか?)。最後の空き地の
場面での缶ビールの分離するプルトップ等々。 原作だと、作者の歳の関係で両親亡くなったのが昭和26年正月、
映画だと、風間の歳の関係で両親亡くなったのが昭和37年盛夏
秋吉のヘアスタイルは、何故か戦後直ぐに流行ったパンパン風
サザエさんパーマだし、服装も何故か昭和20年代のアッパッパ
・・・・時代考証はかなりいい加減だと思われる。 お母さんがはまっているのは、原作・映画はラジコン、舞台は
ゲームだったな。昭和20年代半ばにラジコンが出回っている
とは思えないから、まさに霊が”現代”に生きている格好か。
なら、ファッションや化粧が”今風”でも良いんだな。 霊が現代に生きている・・・
寄席で笑って、自販機でビールを買って、寿司屋に務めている・・・
何なんだろうなぁ。
ホントに寿司屋に勤めてたんだろうか。
主人公の見たまぼろしだったわけでもなさそうだし(ちゃんとすき焼き
屋は3人分用意してるしね)、どういう設定なのかイマイチわからんね。
まあ、あんまり深く考えなくてもいいだろうけど。 発想の元はレム『ソラリス』のお客か、
どっちかというとそのタルコフスキーによる映画版からきてるのかな。
既出? 死んだ両親が、今でもこの町のどこかでひっそりと生きててくれたのなら、こんな嬉しいことは無い。
主人公のそんな願望からこの物語はできあがってるから、細かい設定なんかどうでもよいだろう。 今の時代なら、自分を追い詰め孤独に参ってしまったケイも、メンヘラな女
ということになるのかもしれない
しかし、いい物語であり映画だった あまり大きな声では言えないが、某所にうpされてるね
すき焼き屋の場面をを見てじんわりしようと久しぶりに見たら
最後はB級ホラーみたいになるんだね。
全然覚えてなかった
一度浅草行ってみたいけど、映画みたいな風情は今もあるのかな 映画みたいな風情はちょっとした路地裏で感じとれるかな。外見は汚いが旨いもんじゃ屋なんかはいい感じだよ。
すき焼き屋じゃねーのかよ!ってツッコミは無しでm(__)m 今日、テレビ愛知で放送があり、初めて観ました。
今半の美しいシーンで泣きました。
ここで話題になってる“名取浮遊”はビックリしたけど、
必要なシーンだと思います。
オレも名取OK派だな
ラストのホラーシーンが無かったら普通の地味な日本映画になってた気がする
多分それでも泣けただろうけどここまで鮮烈に印象には残ってなかっただろうな 名取のシーンはあっていいけどトーンが違いすぎるからもうちょっとおさえて欲しい 名取のシーンは必要だろ?
両親に泣きながら「ありがとう、ありがとう」って言うシーンと
女に「連れてってくれ、連れてってくれ」って言うシーンが
対になってる訳だから。 名取さんのスレは、ずっと続いているようですね。
たまに見に行きます。 ああ、この映画泣けたな。
初めて鶴太郎に好感持ったよ。
久しぶりに見たいからDVD買うかな。 名取さん、迫真の演技だな。うーむと、唸ってしまった。
演出も上手い。中川「東海道四谷怪談」と同じで、上に
挙がって行く。もうこれで終わりだという意味だろう。 皆さんも、アイスクリームを手作りするのですか・・・? 今月の山田太一先生脚本の演劇
「沈黙亭のあかり」
(劇団俳優座 新宿紀伊国屋ホール)
「異人たちとの夏」をご覧になった人達は、やはり観に行かれるのですか?
すごく、たのしみです……♪ でも、今からチケットを欲しい人がいても、ぴあとかローソンで検索すると
もう全日程とも満席ですね。(自分は、ずっと以前に購入済みですが)
そういう場合、何か手立てはあるものなのでしょうかね? q(^0^)p
山田太一先生脚本「遠まわりの雨」も、DVDが7月23日に発売になるそう
ですよー
「また来いよな」
「ほんといらっしゃいよ」
遠くなる二人が、涙でくもった。
街の灯(ひ)がきらめき、信号の色まで美しくみえた。
恥ずかしい話だが、プッチーニがこんな良い曲を作っていたんだと
この映画を見て初めて知った。
それまでプッチーニと言えば「蝶々夫人」しか知らなかった。 アリアと物語は一体だから、メロディーを思い出す度に切ない…
♪♪♪ 山田太一先生、76歳のお誕生日、おめでとうございます ♪♪♪
70代って、素敵な年代なのですね !
はやく次の作品が観たいです !
どうか、お元気で、もっともっと書きつづけて下さい !
これって日本映画の良心だよね。
コノ映画を映画館で観たということ自体がステキな体験だと思ってます。
映画館で観れて本当によかった。 遠くに見える花やしきの飛行塔。
アパートに入ると時間が止まる、出てくるとまた動き出す。いかにも大林らしい芸コマ。
山田太一のラジカントロプス2.0を聴いた。
今後連続ドラマを山田さんが手がける事はないと知って、ちょっと寂しかった。
でも僕には名作「異人たちとの夏」がある。
がらがらの小さい映画館で鑑賞したあの日を忘れません。
最近本棚を整理していたら、思いがけずあの頃買った映画のパンフレットを見つけた。
一冊は「妖女の時代」で、もう一冊が「異人たちとの夏」だった。どちらも同じ時期に公開された映画で
キャスティングも片岡鶴太郎に名取裕子と、たまたま重なっている。 現代怪異映画の佳品。
今や夏。もう一度みたい映画。雨月物語の世界の現代版て感じ。
鶴太郎が光っている。
>>337 「私のお父さん」。切々たるものがあるね。 スレ見てたら、また見たくなったわ・・
子供の頃は話が理解できなかったが、ずっと頭の片隅に残ってた
夏にピッタリだな >>340
俺は逆に映画館でなくて良かったよ。
初見が映画館だったら、嗚咽が止まらなくて帰宅に難儀したと思うからw ジャンルはホラーになるんだろうけど
DVDのメニュー画面、びっくりするからやめてw >>347
ジャンルはホラー?
監督にも脚本家にもファンにも失礼だろ 一応、補足しとくが、「ホラー映画」というジャンルを貶めるつもりはない
この映画を単純に(能天気に)「ホラー映画」とカテゴライズする
スットコドッコイの単細胞に腹がたっただけだ 夏草の生えた空き地を見るたびに、この物語が蘇る…
本当にあったことのような気持ちになる… 今年の猛暑は、あと1日でお終いだそうです…
すき焼き食べに行きたかったなぁ この前、BShiだかで放送された文豪怪談シリーズは、
あまり面白くなかったなぁ。放送前に、ネタバレ予告編を放送したりして!!
しかし、この映画は面白い、ってことは保証する。
そもそもネタバレなんて存在しない佳作!! これは泣いた。鶴太郎が良いねえ。ウチノ嫁も、子供の時に父親を亡くして
いたので、これを見て大泣きしたらしい。日本映画史上に残る名作だと思う。 いまちょっと確かめられないけれど、あのすき焼き店の玄関を出るとき、
おじ(い)さんがたしか、「またどうかっ」と言ったのではなかった?その
言葉がちょっと風変りというか独特な気がして、何か印象に残っている…。
もしかしてこちらなのでしょうか。(場所も再度確かめないといけないけれど)
http://www.asakusa-imahan.co.jp/information/information.html 映画に店を出る場面の描写はないよ
泣く場面で終わって、次はケイの部屋にいるシーン
店は、そちらでおk(今半別館)
座敷席は本当にあるんだけど、実際の店内ではなく、セットで撮影したとのこと
そこの店に食いに行ったときに、仲居さんに聞いた >>361
「またどうかっ」
そのシーンをあなたはどこで見たのか
もしかするとすでに異人たちの世界に… 毎年夏にこの映画を見ようと決めていて、
今年は昨日見た。
英雄がクッキーとお酒を持って訪ねて行った所から、
母親におしぼりで体を拭いてもらうまで。
このシーンが何故か妙に好きで、
何度か繰り返し見てしまう。
俺だけだと思うが。 この映画、親が亡くなってから観ると死ぬほど切ない。
本当に、本当に切ない…
こんな風にもう一度出会えたら、と思うと心底泣けてくる。 ほんとに せつないね 死んだ親父もすき焼きが好きで
二人で浅草のすき焼きやに行ったっけ
もう一度 サシでやりたかったな (涙) 親を恋い慕う子供の俺と、
行きずりの女を抱いてしまう大人になってしまった俺。
大人になるとこの共存に、泣ける。 そういえば、すき焼きを食べに行く途中で串焼きを買った、あの八目鰻のお店は、
今もやっているのかな… お参りには行っても、雷門より向こうへは随分行って
ないな… 親を小さい時、若い時に亡くした人にはたまらなく泣ける映画だよね。
でも、自分も人の親になり、小さな子ども・若い子どもを残して逝かなければならなかった
両親の辛い気持ちもわかるようになってきた・・・ それも切ないよなぁ〜 人は、小説やドラマや映画を見る時、自分と同じような立場の誰かに自分を
投影して観るもので、それ以外の登場人物には、殆ど感心さえ持っていないのが
ドラマスレとか読んでも痛感する・・・ 「おう」
「こんちは」
「やるか? ビール」
「こんにちは」が「こんちは」に変わってる…… 家族愛の話だと思ったら
最後の方でホラーになったw 家族愛だけの話ではないから、ケイも最後まで印象的な登場の仕方を
したのでそ…… ケイは、
焼肉に例えるとピーマン
アイスクリームに例えると最中
作品にメリハリ付ける為に、欠かせない口直し的伏線 口直し?口直しどころか、もうひとつの大事な柱じゃないの、ケイは?
伏線、ってとこは同意
冒頭「死ぬのはたかが小娘ですよ?小娘にプッチーニ?」(セリフ不正確)
今半での親子の別れだけなら、だれでも泣くですよ、全米も泣く、俺も泣いた
この映画みたいにね、オヤジを今半に連れて行こうと思ったら、すぐに死んじゃったし
その一方、都会の片隅で孤独に死んだケイ、小娘のようなたかが年増女のケイ。そしてプッチーニ
ケイのストーリーに、胸切り裂かれないのかね ケイの存在・最後のホラーシーンについて、異物感や違和感を訴える
不満レスが幾つもあったけど、むしろ最初から、それが狙いだったんじゃ
>製作側も 両親の深く暖かい無償の愛とは全く別物の、
「相手の異性を、相手が死んでも構わないから自分のモノにしてしまいたい」
というエゴイズム・サディズム・狂気
それをケイという存在を通して「せっかくいい気持ちになってたのに
そこまでやるか#」とまでに最後にキツく一発かまして、両親の愛の
美しさ・かけがいなさ、そして儚さに重み・厚みを持たせる。
それが狙いだったと思うんだよな。