この人、昭和25年に松竹新喜劇退団して後、一時行方不明だった。昭和27年、
ラジオで「アチャコ青春手帖」をやるとき、母親役にアチャコたっての
希望で浪花千栄子起用となった。しかし京都にいるらしいという噂だけで
スタッフは本人探しに奔走した。たまたま銭湯に入る浪花を目撃したという
人がいてやっと居所が判明したが、仏光寺の長屋は建て付けが悪く戸も開かなかった。

出演依頼しても「大阪へ行く電車賃もなく、着物も質屋に入れた」とのことで
なにがしかのお金を置いて帰ってきたとか。こうしてアチャコ−浪花のコンビは
母子から夫婦へ設定を変え十数年にわたって人気を博した、とのこと。

ソースは「上方放送お笑い史」(読売新聞大阪本社文化部)です。