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自己言及としての自然科学ー自然過程説の展開ー

0001偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
垢版 |
2024/03/22(金) 09:12:52.00
超能力がブームの時にテレビで上岡龍太郎氏が織田無道氏に研究途中ではなく完成させてから発表しなさいと諫言されていました。

わたしの以下のものも完成されてはおりませんが、地震が頻発しており、とりあえず素描の形で書き留めておきます。
0002偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
垢版 |
2024/03/22(金) 09:15:03.66
個人的な知の探究の目的を掲げます
自然とは
自然科学とは
知とは
人間とは
これらを自分なりに知りたいのです。

学生時代にゼノンの逆説に混乱して物理の教科書の重力概念に納得できず、数学の諸概念が理解できず勉強から脱落した一市井の人間がいろいろと書物を読み、自分なりに納得できる結論を得ましたのでここに記すことにしました。

1970年代にハイゼンベルク、武谷三男氏は正反対の方向からですが現代科学の傾向を批判しました。
八十年代末前後にホーキング博士は最終方程式まであと僅かだとしましたが観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語りました。
現代科学の主流であるビッグバン学説に否定的なラーナーは科学革命が必要な段階だと説きました。
九十年代になると現代科学の在り方からこれは科学、これは偽科学と裁断する民間科学団体に批判的なコメントをした諸科学者はやはり新しい観方が必要だとしました。
この年代にドイツの科学者は時間が存在しない可能性を示唆しました。
今世紀に入り時間の存在を否定したネットの投稿を先の民間団体が非科学と排斥しました。
日本人がノーベル賞受賞を受賞した際にある著名な科学評論家は量子力学は新しい理論を求めているとテレビでコメントしました。
それを受けてでしょうかネットで研究者らしき方が最前線は一条の光も射さないと投稿していました。
0003Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:16:16.00
テレビでは時間非在説を主張する欧米の科学者が登場したり重力の存在に否定的な科学者も紹介されました。
時間非在を主張する科学者は増えていき一派をなし科学雑誌に特集されたりしています。

いわゆるビッグバン学説は確たる証拠は皆無だと主張するむきもあります。
宇宙背景放射には天文学者が違う理解可能だとする論文を提出しスムート博士は否定できないとコメントしました。
これは十九世紀に火星に運河を発見したと報告したアメリカの天文学者の過ちと同じ可能性があると記事は締め括ります。
赤方偏移もアープが異論を提出していて、大構造を形成する自時間にはビッグバン学説の数倍かかり未解決だとのことです。
ビッグバン学説は何も生まれない無くならないというエネルギー保存則を無視します。
光速度一定の原理は絶対座標、つまり時空の始まりを否定します。
ビッグバン学説は対象が宇宙非宇宙という否定関係を想定して無矛盾でないと理解できないという前提を否定します。
前提原理原則を否定して確たる証拠がない仮説にはかなり疑問を感じざるを得ません。

わたしは前提と確立された原理原則から無矛盾な自然観を考察しそこから諸問題の基本を解決する試論を提出することにします。
0004Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:18:02.85
板倉聖宣氏は地動説は観たものがそのままの自然ではないことを示したと記します。
エネルギー保存則は物理として生滅は無いということです。
光速度一定の原理はここからは存在しないということです。

科学が示したこれらは認識には存在するが自然には存在しないということです。
ここで認識の在り方を考察します。

認識器官は自然が生成した物理状態です。
諸生物により違いますから自然はその物理状態に対応して認識器官に反映します。
ですからそのどれが正しいということではありません。
いわば料理法により食材が様々な形態に生成されることと似ています。
認識器官はその物理条件上自然をすべて反映しません。
光速度一定の原理は絶対座標、つまり静止の存在を否定します。
これは自然の存在形態が運動であり自然は運動するエネルギーの濃淡で有り親和反撥して違う濃淡を生成する過程という量子力学の規定を裏付けます。
いわゆる真空はディラックの海が示すエネルギーの基底状態です。
認識器官は全てを反映しませんから淡は認識できず無となります。
認識器官に生成される像としての自然に於ける静止が運動の一形態であるように無は有の一形態です。
いわゆる観測問題は波が渦の状態が認識器官の在り方から淡は認識されず粒子と認識するということです。
粒子は波の一形態です。
0005Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:19:31.76
ウイルスは生物非生物と分類困難ですが生物非生物は物理としては差異であり否定関係ではありません。
わたしはあなたでも植物でも金属でもありませんが物理としては差異であり否定関係ではありません。
またわたしは同一であることはありませんが〈わたし〉と同一で規定します。
生まれてから現在に至るまで大きく変化していますが同一のほわたしと規定します。
この今も同一であることはありません。
宇宙は同一であることはありませんが同一の宇宙と規定します。
(アガサ・クリスティーはミス・マープルに変れば変わるほど変わらない。変わらなければ変わらないほど変わる。両方とも真実だ。と語らせます。)

ワインバークグループは九十年代に宇宙の始まりまであと僅かに迫っていると語りましたが未だに果たせていません。
科学者はどこからが死だと特定困難だと語りました。
物理としての終始は光速度一定の原理が否定していて、エネルギー保存則もまた物理としての生滅を否定しこれらの試みは生死、終始が物理として存在しませんから特定は不可能です。

不確定性原理は運動を静止で規定するからです。
数学の0に限りなく近いが0では無いという概念はここから生れます。
有を無で規定するからこのようなことになります。
ここでも認識したものがそのままの自然ではないということになります。
測定値は=ではなく近似値であるのは必然です。

光速度一定の原理は絶対座標は存在しないことで自然が無矛盾であることを示します。
座標原点、静止で運動を規定しますが静止は存在しません。
有を無で規定します。

スピノザは規定は否定だと語ります。
有を無で規定し、無は文字通り無です。
規定するから、認識するから様々な難問が出来します。
自然は無矛盾ですが差異が有り、その差異を否定で規定します。
生物非生物と否定関係で規定しますが物理としては差異でありますが同一です。
0006Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:20:43.02
認識主体である人間は認識対象、客体である自然の一部です。
自然科学はその本質として自己言及です。
自己言及の認識の構造を言語学者三浦つとむ氏は考察しています。
(三浦氏はマルクス思想の支持者ですが、彼はマルクスの学的手法で社会科学を展開し、弟子の滝村隆一氏はその学を受けて共産主義は成立しないと結論し七十年代から暗示し、旧ソ連圏の崩壊を予言しました。学問は学者の証明したいことの逆を結論することがしばしばあるようです。新約聖書学の結論は信者でないわたしもしばし呆然としました。数学は自身では無矛盾であることを証明できないことを示しました。ある科学者は人間がどこから来てどこにいくのかを知りたいと語りましたがあまり良い予感はしません。)
わたしたちが地図を描く場合に頭の中で空中から町、日本、地球などを眺めることが可能です。
また古今東西に行き来可能ですしテレビや映画、小説の登場人物にもなれます。
三浦氏はこの能力を観念的な自己分裂と名付けました。
〈わたし〉という表現は現実の自己を観念の自己が認識し表現した言葉です。
ここでは認識対象と認識主体が同一ですが物理としてやはり有と無という関係です。
自己言及という規定は対象の否定で為されます。
クレタ人の逆説は否定で規定するからこそです。

存在するという規定は同一ということです。
対象が存在すると規定します。
対象である自然は同一であることはありませんがそれを同一である存在で規定します。
ヘーゲルは運動とは存在すると同時に存在しないことと定義しましたが対象をその否定で規定するからこそです。
運動は在るのですが、在るという規定が静止だからこの定義と成るわけです。
運動は在るが、在るという規定は静止だからです。
対象が無矛盾であることは規定を否定して証明されます。
静止で規定しますが静止は存在しません。

つまり認識と規定の在り方が諸難問を出来するのでありなんら対象の問題ではありません。
0007Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:24:39.53
光速度一定の原理は絶対座標は自然には存在しないことを示します。
絶対座標とは0次元、静止、此処からということです。
この原理が示すことは自然の存在形態が運動であり、次元で自然を規定しますが自然には存在しないことを示します。
運動を前提に否定関係は導けません。
量子力学の自然観は運動するエネルギーの濃淡が親和反撥して新たな濃淡を生成する過程です。
自然には差異はありますが否定関係は存在しません。
対象には此処からが無いのですから無限であり宇宙非宇宙という否定関係はありません。
空間は無限ということです
量子力学の自然観は真空、無をディラックの海、つまりエネルギーの基底状態と理解します。
つまり無は存在しません。
自然は無矛盾で理解可能ということを示します。

前世紀前半から観測問題、不確定性原理など、どのように理解したらよいのか定説がない問題があります。
この自然観からこれらの問題の解決を試みます。


自然科学は自然認識です。
板倉聖宣氏は地動説は見たものがそのままの自然ではないことを示した「科学と方法」で記しました。
わたしたちは自然をそのまま認識できないということです。
以降対象と認識の在り方を考察してみましょう。

大地は平で静止して諸天体はわたしたちを中心に運動しているように見えます。
コペルニクスはわたしたちの天体も諸天体同様に運動して丸いと明らかにします。
その後の科学の発展は観たものがそのままの自然ではないことを示していきます。
エネルギー保存則は物理に生死はなく物理状態の遷移を生死と認識する、つまり物理として生滅は無いという ことを示します。
0008Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:25:45.34
わたしは光速度一定の原理から地動説、エネルギー保存則を展開します。

地動説は地球もまた運動するというのですから、この原理はどこにも静止は存在しないというのですから当然の帰結です。
自然以外何もないのですからエネルギーは物理状態を運動変化させる過程として在り生滅は無いということになります。
自然以外在りませんから何処にも行きようがないのですから。

認識に対象化される自然はそのままの自然ではありません。
仮にそうならば諸生物により認識器官の態様は様々ですからその数だけ自然が存在することになります。
わたしたちの認識器官は無限である自然を有限で捉えます。
生死、静止、終始で自然を認識します。
濃淡の海、つまり一である自然は多として認識器官に像を結びます。
エネルギーの基底状態は無、真空として捉えられますから此処から此処までと認識することになります。
無限である自然は有限として像を結び多として認識器官に立ち現れます。
0009Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:26:51.85
もう少し認識の在り方を考えてみます。
わたしは植物でも金属でも無いと規定しますが物理としては差異であり否定関係ではありません。
わたしは常に運動変化していて同じであることはありませんが同じわたしと規定します。
宇宙は運動変化が常態で同一の物理状態は決してありません。
アガサ・クリスティーはミス・マーブルに「変れば変わるほど変わらない。変わらなければ変わらないほどますます変わる。」と語らせます。

これまで示したことを纏めてみます。
光速度一定の原理は運動を静止で規定して静止の存在を否定します。
物理を生滅、終始で規定しますが生滅、終始はありません。
物理として否定で規定しますが否定関係はありません。
物理として同一であることはありませんが同一で規定します。

スピノザは規定は否定と語ります。
運動は静止で規定されます。
四次元、時間を考えてみます。
0から3次元は運動しませんから存在しません。
自然の存在形態は運動です。
次元自体は一である自然の認識器官に結ぶ多としての像の抽象です。
だから観念の中にしか存在しません。
規定は否定ですから有は無、運動は静止でということです。
0に限りなく近いが0ではないという奇妙な規定の所以です。
今には幅がありませんが有を無で規定するからです。
現在とは運動の異称です。
過去は過ぎ去り、未来は未だ来ていません。
幅が無い現在しか存在しないというのは無で有を規定するからです。
ヘーゲルは今、此処と指示すると今、此処は過ぎ去ると指摘します。
今、此処は運動する自然の異称ですがそのまま捉えることは出来ませんから量、つまり時間、多で一を理解するということです。
時間は実在しません。
0010Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:31:28.64
ゼノンの逆説は四つあります。
これは自然は一であるとする師パルメニデスと多であるとするピタゴラス学派との論争の過程で生まれました。

「競技場の逆説」では最小単位が在るとしたらの半分があることを証明します。
これに対してピタゴラス学派は数には大きさが無いと反論します。
ゼノンは「二分の一の逆説」、「アキレスと亀の逆説」でそれならば目的地に到達することもなくアキレスは亀を得追い抜けないことを論証します。
「飛ぶ矢の逆説」では空間が大きさの無い点でできているのならば飛ぶ矢は静止している、つまり運動は不可能だと示します。
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定しますが、座標原点で運動を規定することは否定しません。
つまり存在しない数で対象を規定する、規定は否定だということです。
カントの二律背反は時空に終始が有るとともに無いことを示します。
対象である自然には終始はありませんが終始で規定するということです。
スピノザは規定は否定としました。
ヘーゲルの存在すると同時に存在しないことという定義は運動を存在という静止で規定するからです。
0011Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:32:28.40
次元は自然には存在しません。
0次元は存在しませんし運動しない三次元もまた存在しません。
四次元は三次元が無限に集まったものですが存在しない、つまり無をいくら集めても有にはなりません。

ヘーゲルはここ、今と指示するとここ、今は飛び去ると指摘します。
対象は運動していて、ここという規定は静止です。
今もまた運動を規定、つまり否定です。
今には幅が在りません。
つまり無です。
今に幅が在ったら未来も過去も含まれます。
現在、今だけしか有りません。
今は有を無で規定するからこのようなことになります。
対象である運動を無で規定するということは=では認識できないということです。
0に限りなく近いが0ではない、という規定は有を無で規定するからです。
四次元、時間は今しか存在しない自然を理解するには量、つまり一を多で理解しなければならないからであり存在しません。
時間が存在したら過去現在未来が存在することになります。
自然には今、現在しか在りません。

対象をその否定で規定するということから様々な理解困難な問題が出てくるのでありなんら対象の問題ではありません。

哲学で言う矛盾とは決定不能の謂いではないかとわたしは理解します。
矛盾、決定不能は対象をその否定で規定するからなのではということです。

参考文献
「ゼノン4つの逆理」山川偉也
「新哲学入門」板倉聖宣
「弁証法はどういう科学か」三浦つとむ

それぞれの理解に全面的には同意しませんがゼノンの逆説が何であるのか、論理の性格の指摘、自己言及と認識の在り方とか個人的にいろいろ負うところが多い諸著作です。
0012Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:34:54.05
自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反発してまた違う濃淡を生成する過程です。
そして自己言及可能な物理状態、つまり意識を附随現象として生成することを可能にする物理状態ということです。
自己言及とは自己を他者として規定することです。
つまり対象の否定で規定しますから、規定自体は対象には存在しません。
静止、生死、終始で規定しますがこれらは対象には在りません。

粒子は波の渦の状態ですし、静止は運動の一形態です。
終始は物理状態の遷移ですから物理としての終始は有りません。
重力とは運動関係変更に要するエネルギー量であり、他の諸力はある物理状態に生成するのに必要なエネルギー量です。

自然にはここからがありません。
形は人間の認識の在り方が生成します。
形で認識しますが形はありません。

宇宙はここからがありませんからここまでも在りません。
宇宙は無限であり、わたしたちが存在する宇宙はその濃淡の一つです。

規定は宇宙には存在しません。
宇宙は理由も無く対象としてあるだけです。
在る、有るとは規定ですから、あるとともに無い、つまり決定不能なのです。
対象は運動するのが存在形態ですから無矛盾ですが、それ故に決定不能、つまり理解可能だから理解不能ということにとなります。
0013Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 09:55:02.23
半世紀に及びいろいろ考えてきました
知とは何か、自然とは、自然科学とはとかを

小さい時に地面を這う生物を観察するのが好きでした
アリ、コオロギ、カエルなどなど
級友と遊んでいたら上級生がやってきてカエルのお腹を斬りひらき、また針で繋いだら水たまりに行く光景を呆然と見たことがあります
オケラを捕まえて、お前の金○どーのくらいというと独特の形の前足を広げるのを見て楽しんでいました
姉の前で言ったら苦笑され、以来金○という言葉を発しなくなりました

地面を見ていてふと空を見上げ空の果てには壁があるのかな、その壁の向こうには何があるのかを思い怖くなり家にあわてて帰ったことを思いだします
0014Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 10:08:45.27
わたしは最小単位から自然が成るという理解には懐疑的です
粒子はここからは存在しないという光速度一定の原理に反するからです
先年神の方程式を科学者たちは模索しているというテレビ番組を放送していました
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反撥でまた違う濃淡を生成する過程という理解からは物理条件を生成すればまた新たな物理状態が生成されるわけです
その物理条件、物理状態の運動量などを表すのが方程式でありそれ以上のものではないのではと理解しています
神の方程式はないのではということです
0015Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/22(金) 10:36:22.28
人間とはという問いに自然科学の観点は人間の本能、感情を満足させないでしょう
新約聖書学を読んだキリスト教徒は、あんなのはだな、と反撥していました
三浦つとむさんは相対こそが絶対と語ります
ただ人間は絶対を希求しそれに包まれ幸福感を味わいたいのではと思えます
わたしも肉親らが亡くなり、姉妹の前ではあの世で父母と姉は生前同様に仲良くコーヒー飲んでいるよねと話したりします
少女漫画の大家萩尾望都は「アメリカン・パイ」でああ、あの世なんかないのだと最後で述懐します

それぞれの思いを否定したり干渉しない世界というのは絶対を希求する人間の本能、感情からは夢物語なんでしょう

共産主義幻想もまた絶えないのでしょうか

どこかで諦め、かつあがくことにします
0016偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2
垢版 |
2024/03/22(金) 10:58:37.10
自然科学は認識の相対化の歴史でもあります


これで言いたいことの八割は投稿できたかなと思います
これ以上望むのは贅沢かなとも思えますがとりあえずです

旧反オカルト会議室のメンバーの方々に感謝します
父母姉妹、甥っ子たち、友人たちにはいろいろ支えられました心から深謝します
0017Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/23(土) 09:28:08.18
知はボトムアップと「進化は万能である」は指摘し共産主義を否定する
マルクスの学的方法でも実現は困難だということです
哲学板ではまだ認められない人が
思想はなかなかなあ…

宗教は不滅で共産主義も不滅なんでしょうか

…自然科学の結論は正直ひきます
幻想に戻るのを否定したくない気持ちになっています 笑
一神教みたいに絶対を強制するのはなあ
でもだから信じるのかな

二律背反って感じです
0018Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/25(月) 12:42:13.71
知はボトムアップ
知は偉大ではありますが本質としてあくまでも従

自然科学の対象である自然は絶対
知は相対
0020Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:19:19.00
万物は流転する
一ではあるが差異である運動する自然が親和反発してまた差異である物理状態を生成する過程
0021Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:24:01.68
この差異が認識器官を生成しその物理状態の像を生成する
それを否定関係で規定する
0022Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:26:42.12
万物は流転する

対象と知の関係です
0023Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:33:56.67
知は規定
規定は否定
対象は運動するが知は静止で
それで生死、終始が認識され
認識するから
0024Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:35:53.19
とりあえずです
0025Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:40:38.05
歳食うと欲が減少します
わたしは知の探求の結論だけ遺したい
0026Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:44:04.35
初期の見方は後の形而上学的見方より正しい
なんて大学者が言ったような
0027Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:46:25.42
この初期はたいてい古代ギリシャですね
0028Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:52:37.85
三浦、板倉他諸氏の学績もまた相対化したい
わたしの知もまた相対化する価値を持ちたい
0029Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:58:18.27
新たな知の展開の基礎を創りたい
それには今までの知を止揚する必要がある
0030Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 02:59:54.31
わたしの知は第二の古代ギリシャを目指したい
0031Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 03:03:23.53
生きた証を遺したい
0032Nanashi_et_al.
垢版 |
2024/03/28(木) 03:05:32.88
何があるかわからないのでとりあえずです
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