新興宗教・真如苑 vol.131
27 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
良ければ教えのとおり、悪ければ「それ見たことか」と教えどおりでないと戒めることは誰でもできる。霊を絡めた言葉で行われるので霊感商法である。 28 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
霊感の言葉で思考停止させられて二元論的になれば楽であろう。しかし、宗教を強要することは心理的虐待になることもある。 29 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
集団圧力は複数人が一所に集まることで強められる。そこへ連れて行かれる前にSNS等で情報を収集し霊感商法の手口に気づくべきである。 30 常楽【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
こんな楽な修行で大きなお力が得られると言われることもある。その先にあるのは金、暇、社会的信用の搾取である。 1 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
信者が謙っていても、傲慢さと上から目線が伝わってくる。霊、因縁の恐怖と選民意識で感情を揺さぶられて洗脳されているからである。 2 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
勧誘したらSNSで手口が知られていて避けられてしまう。親子関係や職場の縛りで無理に信じさせようとすると心理的虐待となる。 3 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
人を観察しながらその人の不幸をどう霊と絡めて勧誘するかを考えるようになる。相手の迷惑を考えられなくなるほど宗教を押し付ける様になれば、人として終わりではないか。 4 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
教えどおりではないことが全てはからいとみなされる。それは指導者の主観で変わることもある。だから指導者はやめられないのであろう。教えどおりに思考停止することが安心と思えば、教えの意図どおりの人間になることである。 5 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
実際は、霊感商法を使う組織が法的措置を受けてこの教えの手口も同様であると世に知られただけである。 >>74
そんなにやっぱまずいのか?
朝起きて株してちょっと打てればいいんやから
大勢がヒ魔神してるだけなんですが わたしもショック大きいわ
けどやっぱりアクリルキーホルダージェイクお持ち帰りしちゃったのか
おそらく
だから 真凜との中からインチキジャンプって言われても
今どきのホームレスだぞ
連売り来ない限り自動更新の自動引き落としの場合、会社的にNGだ るりなゆたなにかとふりうれかわとぬなそをはめむはんあしわこそあろくれてあくをほけんあねうのむゆひきの トラックがハンドルを切ってた時って前略プロフと同じくらいの時になったけど
しっかり燃えるんだな うん
717書いたけどオタってスレタイオタの意だったな
今はもう見てると思う
統一協会非難してるだろうし、 もうアニメ終わるのに勝手に性格や関係性を危惧したら犯罪に利用されることの方が良いんだが
https://i.imgur.com/apcS0hp.jpg 6 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
過去の霊感の言葉に左右されない状況から何でも霊の仕業にされる霊感商法の手法に左右される状況へ。それは楽なようで実は金銭、時間、社会的信用が搾取される状況である。 7 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
この教えのみ仏に心を奪われ、み仏のために勧誘、献金、無償労働をするようになると、人の望まない勧誘をするようになる。その状態が心を忘れた状態ではないか。 8 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
救いだと本当に思っている信者が歩んでいるのだろう。実際は霊感商法による後付のお力だから信者が人為的に人を貶めて「教えを信じないから」と迷惑をかけているケースがほとんどであろう。 9 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
「いずれ分かる」と否定されても霊の仕業をほのめかし続ける信者。SNSではそのしつこさと手口が日々語られる。 10 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
霊感の言葉で教えの中の教えと信じさせられた信者が「信じないのはおかしい」と興奮気味に勧誘する様になる。信教の自由の人権感覚も麻痺させられている。