新興宗教・真如苑 vol.130
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新興宗教・真如苑 vol.130
前スレ:新興宗教・真如苑 vol.129
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1663455145/
☆ここは、真実追及と意見交換の場です。
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や
その場凌ぎの発言しか出来ない低能反苑(毎朝埋め尽くしジジイ;低能反苑2:厚幸真如苑)は入場禁止、
如苑の手口を誤魔化そうとする如苑事務局員は、飛んで火に入る夏の工作員なので大歓迎です。 >>389
経親の家庭で育った私ですが、直接教団に流れた金は3000万円どころでは無いですね
今はありませんが、歓喜の誓約だけで月11万円(我常委員2名特別大歓喜委員2名大歓喜委員1名)
水施餓鬼や斉燈護摩、彼岸会等の年10回程度あるイベントには、それごとに家族で十数万円、
それプラス月々の護摩、施餓鬼、ピンチの時の思い切った歓喜(当時、接心でよく示されたやつです、額はあえてふせておきます)
同じくピンチの時の大護摩(当時30万円)思い起こせばきりがない程です。
そもそも徳を積んで人より幸せになろうとする、卑しくも浅はかな考えは持ち合わせてはおりませんが、
両親は二人ともアルツハイマーで周りに迷惑をかけ死んで行きました。
おっしゃるとおり、教団に尽くす金銭は自身の幸せには直結しておらず、教団を太らせ延命させていくものだと私も確信しております。 13 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
してやった、と信者は不順だが、仏教徒であるかは定かではない。仏教は霊感商法やねずみ講の手法を隠す隠れ蓑である。 霊能者であろうが経親であろうが
人を幸せに導ける指導者的な人物
はいなかったね
一般社会とかけ離れているという
か程度が低い人が多かった >>393
389です。コメントありがとうございました。
別のスレッドに書いていた文章なのですが、こちらに転載されていたのでここでお返事させてください。
経親のご家庭で育ったということで、お察しいたします…。
経親は多数の所属を抱え、歓喜などの費用を全員分集めるのですが、払えない場合は立て替えをすることがありますね。
自宅で家庭集会を開いたり所属の家に駆けつけたり、いろいろと持ち出しが多い役割と承知しています。
月額10万円を超える誓約もしていたのですか。そうなると一体いくらになるんでしょうか…。
全部教団のふところに入っていると考えると涙が出てきます。
少し前にX(Twitter)で、大きなかばんを付き人のような人に持たせて教祖が歩いていた、という口コミがありました。
札束が入っているんじゃないかと書いてありましたが、それはさすがに作り話だとしても
真如苑に入るお金のほとんどは私たちの支払ったお金(浄財)ですよね…。 14 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
世間は因縁まみれの恐ろしい世界。教えのお力で守られた世界は安全であると教え寄りにさせる意図がある。そこに信じない自由を奪う行為があればカルト性を伴うのである。 大難を小難に小難を無難にとか、とにかく言い訳がましい
幸せになる為と寄付、教徒勧誘、無償労働を第一に勧め、事あるごとに上求菩提
という先達教徒への相談を求め最終的には接心で人生の右左を決めてしまいます。
しかし、結果が伴わない場合、全ての責任は一教徒に負わされまだ足りないと指導され
教団は一切の責任を負わず、真如み教えには無限の救いがあると謳い続けるのが真如苑です。
厚顔無恥も甚だしく、そういった教徒の辛い姿を何人も見てきました。 15 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
最後のみ教えを謳うが霊感商法やねずみ講の隠れ蓑である。救いはそれら手法による不幸の連鎖に繋がる勧誘を意味する。 16 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
霊感の言葉で日常のあらゆることにみ仏の慈悲が流れる。そこに「信じる自由」と「信じない自由」の両方が守られているかでカルト性が見えてくる。 17 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
毛穴から入り込むお力は信者に有り難さを感じさせるが、教えの手法を知ってしまった人には響かない。問題は信教の自由の「信じる自由」と「信じない自由」の両方が守られているかである。 この世にある新興宗教すべて滅びてほしい
どうかお願いします 18 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
この教えを続けて得るものとして、ねずみ講型の取り組みによる信教の自由の侵害によって恨みを買うことがある。それに気づけないのは洗脳やマインドコントロールされているからである。 19 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
金銭的、肉体的、精神的搾取に気づけない信者がそれらを人に行わせようとするから批判される。それは当然のこと。 >>389
もうこうなったら真如苑も指定宗教法人ですね 旧統一教会への財産監視を強化するため、文部科学省は19日までに、献金被害者救済の特例法に基づき「指定宗教法人」に指定する意向を教団側に通知した。関係者への取材で分かった。
よんななニュース 共同通信社
2024年02月19日 19時33分 20 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
接心の霊言は霊感商法である。誰にでも当てはまる言葉を本人に合わせて解釈させて救いとなる。「ああ救われた。こう救われた。」と洗脳されていく。 21 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
洗脳が進むと突き放されても辞められなくなる。それでも霊感の言葉による後出しジャンケンのやり取りは続く。 ところで後継者に任命された鳥飼いさんって元気にされてますか? 22 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
あらゆる教えが行き着く大海の教え。蓋を開ければ霊感商法やねずみ講など悪徳商法の寄せ集めだった。 石川の被災地に2億円寄付したんだって…
教徒から上納される金額からするとこれっぽっち?
信者から横流ししてるだけだし… 23 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
「知ったようなことを言う」それは指導者が批判された時の逃げ道として使われる方便である。霊感商法で成り立っている教えの本質を知れば、その様な言葉を気にせず距離を取ればいい。 24 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
教えから受けたご恩を嫌らしいほど言われる。霊感商法で後から取ってつけられたお力のお陰であるが。 25 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
ここの呵責は霊感商法による後付の言葉を根拠に行われる。だから指導者は辞められなくなり、その立場に固執する。 26 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
霊界からの言葉で悪因縁が示され、取り組みが増えていく。取り組むべき救われない霊が示されて喜ぶのは霊感商法の手口に乗せられているからである。 27 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
明らかな嘘である。この道は教団にカネ、ヒマ、社会的信用を貢ぐ道である。 私は、3月11日に聖地親苑ツアーをし、
世界平和、宇宙平和、生きとし生けるすべての
方々の幸せを祈って東京都立川市2丁目13番地1にある
聖地親苑にお参りに行って参ります。
真如苑聖地親苑総本部地蔵菩薩おみがきで仕える
霊尊真導院より。 28 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着を捨てさせ、お力を貪らせようとする。霊感商法の言葉で洗脳して。 29 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
この教えをもっと信じられなくて謝らなければならないマインドコントロール状態は、教えを信じない人を貶めなければならない心理状態にさせる。それは、新興宗教を信じさせられている劣等感から来る。 1 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
み仏本位とは人間の頭で考えることなく霊言に示されたとおりただ従う思考停止状態を言う。霊感商法が伴うので、良くも悪くもお力のお陰とされてしまう。 >>421
そこにかける費用をユニセフに寄付すればどうでしょうか?
世界には救われない大変な思いをされている方が沢山いますよ
独りよがりにならないで広い視野を持ちましょう 2 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
教法を学ぶと霊感商法が知れてしまう。だから人間の頭で考えるのを辞めさせてただ信じさせる思考停止を促すのである。 3 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
霊感商法の言葉の如くカネ、ヒマ、社会的信用を搾取された後の現象に生かされるのは、教団の集まりにしか居場所がない教えに好都合な世界にいることである。 4 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
歓喜は仏教の布施と言っているが、喜びで行なえと煽られる。それは霊感や霊視商法によって洗脳が進んだ結果である。 所詮、人間がやっている事…
あまり深入りせず、おつき合い程度にしておかないとね
知らない人は近付かないように、関係を持たないのがベストです。 5 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
この教えの為に世の欲を捨て貢いだとしても、霊感商法によって搾取されるだけである。霊視商法とも言われる。 >>432
入れ入れ!
お金いっぱい使ってちょうだい! 6 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
教えの言葉に従い世の感情的な繋がりを断って悟りのような喜びを感じたとき、そこにあるのは世間から居場所を失った霊感の言葉に騙された教えの人間関係である。 7 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
人の苦と喜びを霊視して因縁を示して洗脳しようとする。霊感や霊視商法の手法である。 8 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
霊感に示された因縁に恐怖して妄想し、教祖一家のお力を求めるのが無相接心である。 10 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
霊感の言葉で聖なるものを示されて求めるのは勝手だが、それを人に押し付けてはいけない。それが宗教ならば信教の自由の侵害である。 11 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
霊感・霊視商法の手法を覚えた指導者が信者の境遇に後からそれらしい言葉を関連付ける。それはいくら力を尽くしても切りがない。霊言というコールド・リーディングに対するホット・リーディングである。 12 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
この教えの為に人を勧誘し、献金し、無償労働することが仏の行いと言われる。仏教は霊感・霊視商法を思わせないための隠れ蓑であるが。 13 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
良いことも悪いことも自業自得であるが、教えでは霊を示してそれらを教えを信じる、信じないに理由付けられる。それを霊感や霊視商法と言う。 14 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
これを唱えていればお力が流れてくるという安易な思考にさせられる。安易な気で人にこの教えは絶対だと信じさせようとすれば、信教の自由の侵害である。 15 我浄【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
この教えに理想の親を求めさせるが、教祖一家の因縁に気づけないほど洗脳されるのは悲しいことである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています