念仏宗の方は「信心は阿弥陀様から頂く」と仰るけど、たしかにその通りだと思うし、その理路は此処では書かないけどしっかりとしたものがある訳です。
掛かる意味に於いて「信性成仏」も、その「信」が如来からのはたらきかけに依るものであろうことは云うまでもありませんけどね。

そこで、問題になるのが西田幾多郎の最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」での「逆対応」の事、絶対者と個の関係なのだろうけど。