その階層的な構造を般若心経で例えて云うと、
 一階 無明(アヴィディヤー)
 二階 明知(ヴィディヤー)に依る無明の認識
 三階 智慧(プラジュニャー)の発現によって両者が空性であること認識 = 無無明亦無無明尽
だと思いますけどね。

勿論、その三階が無明の滅なのですが、だからといって一階と二階が無くなるって事でもない(無無明尽)のですが。
ちなみに「無無明亦無無明尽」の原典訳は「明知なく、無明なく、明知の滅なく、無明の滅もない」なのだとか。

参照 真釈 般若心経 (角川ソフィア文庫)  宮坂 宥洪