>>134

旧体制とは、1970年の独立から1996年末までをさす。
この時代に神慈秀明会は、会主、会長の強力なカリスマ性と布教指導力の元、教団に入信することで起こるようになるとされる奇跡、奇瑞を宣伝の要として、「あなたの健康と幸せをお祈りさせてください」という声かけや、路上や駅前での手かざし(浄霊)などで当時有名になった活発な布教活動を行うことで信者数を大幅に増やし、本部境内(神苑)や美術館等の大規模な建設も行い、その建設の資金源となる献金の積極的な推進などを信者らに行った。

この時期に同教団は大きな発展を遂げたが、活発が行きすぎて過激化、非常識化した布教活動や献金活動が、報道などには至らなかったが様々な社会問題を水面下でおこしていた。
1996年末、秀明会某拠点における非常識な活動が、偶然にもある外部の有力者に漏れてしまう。
これが当時竣工間近だったMIHO MUSEUMにとって重大な問題に発展してしまう。
その問題解決のために二代目である現会長、小山弘子により、それまでの体制が急遽変更されることとなる。
1997年からの新体制以降は、社会問題の原因になりがちだった、過激化した布教活動や献金活動などを制限、活動は全盛期に比べかなり沈静化した。