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これらの事は、神慈秀明会が岡田茂吉を教祖としながらも、実際には岡田茂吉の影響が薄弱な教団であることを物語っている。
そしてこの教団には、その特徴形成において教祖以上に多大な影響力を発揮した人物が別に存在する。
それは、強力なカリスマ性と強い布教指導力を持った、教団開祖小山美秀子会主や、小山荘吉前会長らである。

教団は会の創始者である小山美秀子を、神に選ばれた特別かつ絶対的な存在であるかのごとく事実上位置づけており、教団において小山美秀子の信仰的教導は、教祖の教義以上の影響力を有していた。
しかし実際には、小山美秀子はキリスト教の影響を強く受けており、岡田茂吉教祖の教義とは大きく異なる信仰観の持ち主であった。
また、小山荘吉前会長の信仰的教導をみると、教祖の教義への知識が著しく欠落していたのだろうと思われるものが散見される。

そのため、小山美秀子、小山荘吉らの宗教的教導を比較検証してみると、岡田茂吉教祖が説いた教義や思想と大きく矛盾していたり、正反対の教えも多かった。
だが、前述の通り教義の大部分が非公開である上、離脱の神意の教義のため教祖の教えを有する世界救世教に近付くことが出来なかったため、神慈秀明会の信者らは、小山美秀子、小山荘吉たちの教導と教祖の教義とを比較検証するすべを持たず、教祖のあらゆる弟子たちの中で、唯一小山美秀子や小山荘吉だけが、教祖の教えを正しく説くことが出来るとする教団のふれこみをそのまま信じるしか無かった。

そんな、小山美秀子会主、小山荘吉前会長による強力な統率の元、急激な発展を遂げた同教団は、世界救世教からの独立後、時間がたつごとに徐々に教祖の影響が薄れてゆき、教団はいわば小山家流とも言えるような独自の方向に大きく塗り替えられ、教祖の影響が強い他の世界救世教系教団とは異質な教団に変化していった。

そして、小山家流の文化や思想に塗り替えられた神慈秀明会は、後に内外から多くの批判を浴びる旧体制と呼ばれる時代を生み出すことになる。