神慈秀明会(しんじしゅうめいかい)は、日本の宗教法人の名称である。

概要
同教団は世界救世教から、昭和45年(1970年)3月1日に独立したことで生まれた。
独立前の前身は、世界救世教の一所属団体であり、当時の世界救世教内で最大の教会であった世界救世教秀明教会(せかいきゅうせいきょうしゅうめいきょうかい)である。
そのため、法人の登記上の設立日は1952年9月9日になっている。

神慈秀明会の教祖は、世界救世教の教祖である岡田茂吉である。
また、この教団の立教者(開祖)は、世界救世教秀明教会の会長であった小山美秀子である。
小山美秀子は、神慈秀明会の立教をしたものの、自身は教祖とはならず、立教時にはすでに死去していた岡田茂吉を、神慈秀明会の教祖として立てた。

この教団は、世界救世教の分派教団の中では最大規模の団体であり、公称信者数は35万人とされている[1]。

本部は、滋賀県甲賀市信楽町。山中に約30万坪以上の境内を有する。
この境内のことを神苑(みその)と呼ぶ。
神苑内にはミノル・ヤマサキの設計した、富士山型の礼拝堂ホール(教祖殿)と、イオ・ミン・ペイ(I.M.ペイ)の設計した三味線の撥の形のベルタワー(カリヨン塔)があり、秀逸な建築物として有名であり、興味も持たれるのだが、神苑敷地内は原則として信者のみが立ち入り可能であり、地域の住民や一般人が自由に見学できるようにはなっていない。
また、神苑の近接地に「MIHO MUSEUM」という美術館を建設しており、こちらは一般人に教団所蔵の美術品を公開している。

基本的な教義は、世界救世教のものを継承している。
継承している基本的な教義とは、神道形式を踏襲した祭祀や礼拝の方法、教祖である岡田茂吉を、神と人の融合した姿・神人合一の存在として精神的支柱に据えている事、浄霊という手かざしの宗教儀式を行う事、教義上、美術、芸術鑑賞を重要視している事、自然農法という、教祖考案の農業を推奨する事などである。

だが現実的には、この教団は岡田茂吉教祖の記した教義のうち5%にも満たない量しか信者に公開しておらず[2]、教祖に関する資料なども他教団に比べ著しく乏しい。
その結果、信者は教祖の経歴や評伝、思想や功績などをあまり知らない。