★聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜シスター笹川の受けたメッセージ★
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>>536 >>537よりつづく
★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
私たち人類が、天地万物の創造主でおられる唯一の全知全能の神さまから、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせていただいたのち、
神さまの庇護のもと−いわば神さまの懐(ふところ)ともいえた、
エデンの園から外の世界へ歩みだすこととなったのは、
聖書の歴史記述に従えば、おおよそ紀元前4000年より以降のこと。
そして私たち人類が、主イエス・キリストの十字架上の贖いの死と復活をとおした
神さまからの救済の啓示を受けてからのち、
今日までに過ぎ去った年数が紀元後の約2000年間。
私たち人類は、天地万物の創造主でおられる唯一の全知全能の神さまから、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせていただいたのち、
神さまの保護下にあったエデンの園から巣立って、
現在の地上の世界に生きるようになり、
少なくとも約6000年が経ったことになります。
神さまは私たち人間が、ほかの動物のようにではなく、
「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして」
創造主である主なる神さまを愛し、そして被造物である人間同士が互いに愛し合う、
いわば相思相愛の信頼関係で結ばれた人格的な交わりを私たち人間に望まれたほどに、
私たち人間を深く愛してくだいました。それゆえに、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べることを許されました。
私たち人類は、知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせていただいたことで、
ほかの動物のように本能のまま、神さまの思いに支配されて愛するのではなく、
「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして」愛することのできる存在、
すなわち意志や思惟する心を有する人格をもった主体的存在として、
持てる力、全能力をもって愛を全うするよう、神さまから望まれる者となりました。>>540へつづく ★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
>>539よりつづく
それは愛そのものでおられる神さまの似姿として
創造された人間の本来あるべき姿ともいえるのかもしれません。
しかし人間は知恵(善悪の知識)の木の実を食べてしまったことの罪を
アダムはエバに着せ、エバは悪魔である蛇に着せ、
アダムとエバのいずれも自らの犯してしまった罪を認めず、
創造主である主なる神さまのまえに犯したその罪を悔い改めませんでした。
もしアダムとエバがそれぞれに食べてしまった罪を神さまのまえに認め
悔い改めていたならば、神さまはその罪をお赦しになり、
その後もエデンの園で暮らしていくことになっていたかもしれません。
アダムとエバが食べた知恵(善悪の知識)の木の実は、
彼らの目を開いてことの善悪を明らかにし、
自我の目覚めとともに彼らのうちに罪意識を生じさせました。
知恵(善悪の知識)の木の実は、アダムとエバを、
神さまの清さのまえに屈服させ、生じた疎外感で、
創造してくださった神さまの愛そのもの疑って、
神さまから離反させてしまうほどの負の作用を、
彼らにもたらしてしまったということなのかもしれません。
言い方を変えるならば、
アダムとエバがエデンの園から
出ていかざるをえなくなるほどに、
彼らアダムとエバが、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことで
被ったダメージは大きかった、
ということでしょうか。>>541へつづく ★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
>>540よりつづく
私たち人類は、神さまの庇護のもとにあったエデンの園から巣立って、
今日の地上の世界に生きるようになって、
聖書の御言葉にもあるように、様々な苦しみや悲哀、
恐れや恐怖に苛まれるようになり、実際のところ、
現在もそのような様相にあるわけですが、
それはひとえに知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことにより
アダムとエバのうちに生じた負の作用が、
私たち子々孫々に至るまで受け継がれていることに起因しています。
私たち人類は、知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことで、
知性を発達させ知識が増大するとともに認識の領域を広げてきましたが、
一方で神さまを信頼し受け入れる信仰の領域は狭まるばかりでした。
知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことで、
アダムとエバのうちに生じた懐疑の心は思惟する心を生み出し、
自我が芽生えて形成された自己意識は主体と客体の分離を生んで、
神さまを心の内から外へ閉め出すようになります。
ですからアダムとエバに生じた神さまからの離反は、
知恵(善悪の知識)の木の実を食べたことによって生じた
必然的な負の効果であって、それは避けられなかったことであり、
だからこそ、神さまは「必ず死ぬ」とアダムとエバにも警告されたわけで、
現にその結果、私たち人類は自滅しかねない状況を招いているわけでした。
しかしそのような危機に至ることも全知全能の神さまは
おそらく予見しながらもそれでもあえて
知恵(善悪の知識)の木の実を食べさせてくださったその理由は、
繰り返しになりますが、やはりそれほどまでに→>>539
人間を愛してくださっているからということなのでしょうか。>>542へつづく ★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
>>541よりつづく
私たち人類が、神さまの庇護のもとにあったエデンの園から巣立って、
今日の地上の世界に生きるようされたのも、
「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして」
神さまを愛するように、また同様に隣人を愛するように、
と願われる神さまの御心があるからこそであります。
私たち人類が神さまの庇護のもとにあった
エデンの園から巣立って少なくとも約6000年。
人類はその歴史上、ただの一度も戦いが止んだことはなく、
血塗られた殺戮の歴史という言葉もあるとおり、
連綿とつづく罪の連鎖により悪はこの世において
ますます力を増しつつあるというところが、偽らざる現実でありますが、
そのような世界にあっても救いたりえるのは
主イエス・キリストの御名を信じる私たちキリスト者には、
御国が用意されているということです。
主イエス・キリストがご再臨される、世の終わりのときは、
御国が到来し、永遠に生きる朽ちない肉体をいただいて、
もはや泣く声も、叫び声も聞かれない、悲しみも苦しみもない
天地万物の創造主でおられる全知全能の神さまに栄光を帰して、
賛美しながら生きてゆく至福の世界となります。
ほんとうにアーメンです。
「わたしをお遣わしになった方の御心とは、
わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、
わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
ヨハネによる福音書 6章39節〜40節 >>543へつづく >>542よりつづく★聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト★
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652359051/775-777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/516-518
★本日24年2月27日のレスポンス→◆Seitai4-61★☆★★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
→>>539-543
★先日24年2月21日のレスポンス→◆Seitai4-60★☆★神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます★☆★
→>>533-536
★先日24年2月19日のレスポンス→◆Seitai4-59★☆★主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる★☆★
→>>522-529
★先日24年2月13日のレスポンス→◆Seitai4-58★☆★終末の大戦は神さまの御心にかなった避けられないもの★☆★
→>>519-520
★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである」(ヨハネによる福音書3章16節)
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」
(マタイによる福音書9章13節)
「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」
(テモテ第一の手紙1章15節) ★ハマスの巣窟UNRWAに日本独自のメスを入れよ!
ごうちゃんねる チャンネル登録者数 4.44万人
https://www.youtube.com/watch?v=lBlEb_aBQmA ★ヨーロッパとアジアをつなぐ海底通信ケーブルが武装勢力・フーシ派によって切断される
gigazine 2024年02月27日 19時00分
https://gigazine.net/news/20240227-houthis-hit-underwater-communications-cables/
★フーシ派が、紅海の海底インターネットケーブルを「爆破」したという情報。
切断が事実ならヨーロッパとアジアの通信に深刻な影響が
アース・カタストロフ・レビュー 投稿日:2024年2月27日
https://earthreview.net/houthis-bombed-fiber-cable-lines/ >>539-545よりつづく
★☆★わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである★☆★
聖書の御言葉にあるとおり、
人間は罪のうちに生まれ、罪のうちに生きる。
義人はひとりもいない、神を求める人はいない。
すべての人は迷い出て、神さまから離反し的はずれな道をさまよう。
人間は生まれついての罪人であり、愛を知らない。
善をおこなわず、悪をおこなう。
自らの価値を誇り、心のうちは自ら義を立てんとする
思い上がりや自惚れ、驕心で満ちて、
神さまに住んでいただくための聖域はもはやない。
神さまは人間自らの欲望や欲求を満たすための道具となり、
いまや人間が神さまの座に着いて神さまを召使にするありさまである。
聖書の御言葉にもあるように、実は私たち人間が持っているもので
神さまからいただかなかったものは何一つない。
私たち現代人が生きる今日の文明社会も、
神さまが下さった「知恵(善悪の知識)の木の実」を
いただいたがゆえの恵みによるものであることを忘れて思い上がるならば、
神さまの警告のとおり「必ず死ぬ」ようなことに、
−人類は自滅するかもしれない。
神さまが喜ばれるのは、悔い改め打ち砕かれた心である。
神さまと親しい交わりの関係をもつ人々は
謙遜で慎み深くけっして自らを誇ったりはしない。
>>547へつづく ★☆★わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである★☆★
>>546よりつづく
悔い改め打ち砕かれた心を持つ人々は、
神さまの聖性と義のまえに、
自ら誇ってよいものなど何一つないことをよく知っている。
私たち人間が天地万物の創造主でおられる全知全能の主なる神さまのまえで、
罪を赦され義とされるのは、聖書の御言葉にもあるとおり、
神さまから一方的にいただく恵みのゆえだからである。
聖書の御言葉にもあるとおり「誇るなら主を誇れ」である。
神さまが私たち人間のものなのではなくて、
私たち人間が神さまのものなのだ。
私たち人間の誇りやプライドのために神さまがあるのではない。
私たち罪人である人間による不完全な「善行」をもって神さまの聖性と義の前で、
私たち罪人である人間の魂の救済の取引をしようとすることほど、
愚かしい驕りはない。
罪の赦しは私たち罪人である人間による
不完全な「善行」によっては果しえず
罪のないお方の権威によって、
罪のない方の犠牲をとおしてでしか成しえないからである。
罪の赦しをいただいて義と認められたのは、
けっして私たち罪人である人間による不完全な「善行」のゆえではなく、
三位一体の神さまご自身−主イエス・キリストによる十字架上の死と復活をとおした
いわば罪のない方による「代価の支払い」によってはじめて可能となったのである。
そのような意味で、神さまの聖性と義のまえにある自らの罪深さを
悔い改め打ち砕かれた心をもつ人々は、自らの「善行」によっては決して罪の赦しに
与れないことを知っている人たちともいえる。>>548へつづく ★☆★わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである★☆★
>>547よりつづく
そして神さまにもっとも近しいのは、
神さまにより頼んで生きるほかない、
誇るべきものを何も持たない貧しい、
心の貧しい人々であると聖書の御言葉はいう。
来るべき御国は貧しい、心の貧しい人たちのものであると
主イエス・キリストは語られる。
貧しい人たち、心の貧しい人たちは、
神さまのまえに自分が本当に取るに足らない、
吹けば飛ぶような、塵のようにはかない
弱い存在であることを知っている。
神さまが私たち人間に望まれるのは、
自己の持つ能力や成果、価値に誇りやプライドを持って
自ら義を立てようとするようなことではなく、
へりくだり砕かれた心をもって、
神さまの愛に活かされようとする
心の貧しさに生きることなのだ。
そのような意味で神さまによってしか埋められない
心の隙間を自覚できる人は幸いである。
そのような心の貧しさを知っている人々は、
神さまから親しい交わりの関係へ招かれ
御国に入れていただけるかもしれない。
>>549 へつづく ★☆★わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである★☆★
>>548 よりつづく
そして神さまの御一人子主イエス・キリストの
十字架上の死と復活で示してくださった
神さまの愛を信じて受け入れ、
自らのうちに住んでいただいた人々は愛を知り、
愛に活かされるようになる。
ほんとうにアーメンです。
★わたしは、高く聖なる所に住み、
心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、
砕かれた人の心を生かすためである(イザヤ書57章15節)
★心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。(箴言3章5節)
★私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。
(コリントの信徒への手紙二 12章9節〜10節)
★神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、
このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、
義と聖と贖いとなられたのです。
「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
(コリントの信徒への手紙一 1章30節〜31節)
>>550へつづく >>549よりつづく
★聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト★
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652359051/775-777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/516-518
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/543
★本日24年3月 5日のレスポンス→◆Seitai4-62★☆★わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである★☆★
→>>546-550
★本日24年2月27日のレスポンス→◆Seitai4-61★☆★★☆★あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです★☆★
→>>539-543
★先日24年2月21日のレスポンス→◆Seitai4-60★☆★神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます★☆★
→>>533-536
★ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。
あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。
主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。
(ヤコブの手紙4章7節〜10節)
★行いによる救いは、なぜそれほど広く信じられている見解なのでしょうか?
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-salvation-by-works.html
★どのようにして神の赦しを受けられますか?
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-Got-Forgiveness.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています