★聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜シスター笹川の受けたメッセージ★
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>>484-485よりつづく
★☆★ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、
天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです★☆★
世の終わりの到来に向けて、
主イエス・キリストは聖書の御言葉にもあるように、
私たちキリスト者に大宣教命令を下されました。
ご自身の御名を信じる者は皆救われるという
神さまからの喜ばしき便り−福音を、
全世界にのべ伝えよ、と私たちキリスト者に命じられたのでした。
そうして主イエス・キリストが私たち人類を救うため、
十字架上で贖いの死と復活のわざを成し遂げられて
2000年がたとうとしている今日、
主イエス・キリストの御名をとおしていただく救い
−聖書の御言葉にある福音を信じる人々は、
全人類の約3分の1を占めるまでにいたっています。
この数字は奇しくも復活された主イエス・キリストが
聖ペテロにガリラヤ湖で与えた153匹という魚の数で暗示した、
いわゆる福音を信じて救われるとされる人々の数や、
あるいは黙示録などの預言書で記されている、
様々な災いから守られ残されるとされる人々の数と、
一致していることはよく知られているところです。
ちなみに主イエス・キリストの御名を信じる信仰によって生きる
私たちキリスト者は聖書の御言葉によって
神さまから忠告されているので、世の終わりがきたときに、
眠っているということはないはずです。
油を切らして御国の到来を待ち望む信仰を
失っているということもないでしょう。>>488へつづく >>487よりつづく
しかし神さまとの交わりを忌避する
3分の2の人々にとってはそうではないかもしれません。
世の終わりは聖書の御言葉に「主の日は盗人のように襲って来る」とあるように、
3分の2の人々にとっては青天の霹靂のごとく襲うものとなるかもしれません。
主イエス・キリストは真の王−裁き主として「思いもがけない時に来る」からです。
「人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、
ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、
突如として滅びが彼らをおそって来る。
そして、それからのがれることは決してできない」のでした。
そのとき神さまとの新しい契約によって救われる者とされた
私たちキリスト者である3分の1の人々は、
死ぬことのない朽ちない復活体のからだをいただいて、
神さまとの親しい交わりのうちに、神さまの栄光に浴して
もはや悲しむことも苦しむこともない永遠至福の時を御国において
生きることになります。
この主イエス・キリストの御名を信じる信仰によっていただく恵みと祝福は、
私たちキリスト者である3分の1の人々には「善悪の知識の木の実」ならず、
人祖アダムとイブの堕罪により私たち人間から隔て置かれていた
「永遠の命の木の実」さえも与えられる、という聖書の御言葉にもあるとおり
神さまの御心にあった遠大なご計画の実現でもあるのでした。
主イエス・キリストさまを第二の人祖・アダム、
そして神さまの御一人子主イエス・キリストさまがこの世にお出でになるための
器の役割を果たしてくださった聖母マリアさまを第二の人祖・イブと
指し示すことのある所以はここにあります。
>>489へつづく >>487 >>488よりつづく
私たちキリスト者である3分の1の人々に「永遠の命の木の実」を与えるという
恵みと祝福への道を、原罪のない新しい第二の人祖アダムである
神さまの御一人子主イエス・キリストさまと、また同じく新しい第二の人祖イブである
御母マリアさまが開いてくださったのでした。
そして聖書の御言葉にもあるように、私たちキリスト者である3分の1の人々が
「永遠の命の木の実」をいただき、天地が滅び去る−世の終わりを迎えるときは、
人祖アダムとイブが犯した原罪のために毀損され、
私たち人間と同様に原罪の影響のなかで、共に呻き、共に産みの苦しみを味わい、
神の子たちの現れるのを切に待ち望んできた植物や動物など
自然界の全被造物の「希望」が実現するときでもあります。
神の子たちとなった私たちキリスト者である3分の1の人々とともに、
植物や動物など自然界の全被造物が、贖いのとき、救いのときである
天地が滅び去る−世の終わりを喜び迎えることでしょう。
原罪のない第二の人祖・アダムである主イエス・キリストの御名を信じる信仰によって
原罪からの全き解放−永遠の命を約束された私たちキリスト者である3分の1の人々は、
神さまとの親しい交わりの関係を回復した神の子として、
天地が滅び去る−世の終わりのとき、虚無に服し滅びへの隷属にあった被造世界を解放し、
「神の子供たちの栄光に輝く自由にあずからせる」ことになるのでした。本当にアーメンです
「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、
服従させた方の意志によるものであり、同時に希望をもっています。
つまり、被造物も、いつか虚無に服していた滅びへの隷属から解放されて、
神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
被造物が全て今日まで、共に呻き、
共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」
(ローマ人への手紙8章18節〜22節) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています