>>620 神も仏も名無しさん 2022/05/15(日) 16:06:15.96 ID:bT7Ka6UI
>男なら潔く諦めなさい。

プッ、子どもみたいw

>「是れ即ち一切の有漏煩惱を斷盡し、我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、
>所作すでに辨じて復た後有を受けじと證知するを漏盡智と称し、
>四根本静慮を依持とし威徳殊勝を示現するを漏盡智通と名づくることを設けるものなり。」
>(『望月佛教大辞典 第五巻』、望月信亨、世界聖典刊行協会、5082頁)

>漏尽智とは煩悩を断ち、それを確認する神通のことです。
>煩悩断ちから確認までの一切を漏尽智というのです。

いや、「『一切の有漏煩悩を斷盡し・・・後有を受けじ』と證知するを漏盡智と称し」と読むべきでしょう。
煩悩を断つ作業はいつから始まってますか?
もうそれこそまだシュダオンにもなっていないペイペイの新米の頃から始まっているではありませんか。
しかし長年の修行でもってようやく全ての煩悩が断尽されるわけです。
だったら漏尽智というのは仏教修行そのものになります。
しかしそれではおかしいではありませんか。
いつからの漏尽智という修行が始まるのですか?
そうではなく、やはりこれは仏教修行の最後の結果として全ての煩悩を断尽したと證知するのが漏尽智であって、
漏尽智というある時からある時までの修行法があるのではありません。