「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔かで、
巧みで、確立し不動となったときに、我々は汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」
(『ゴータマ・ブッダ ー釈尊の生涯ー 原始仏教1』中村元、184頁)

「心が統一され」は翻訳者によっては「心が安定し」になっている。

「心の安定ー原語samadhiは「三昧」と音訳される。心を統一して思うこと。
漢訳仏典では「禅定」ということばで訳されるが・・・」
(『ブッダのことば』中村元訳、岩波文庫、300頁)

心が統一、心が安定とは三昧、禅定のことであり解脱の意味など全く無い。
漏尽智の前に解脱したという深山説は真っ赤な嘘です。
彼はその破滅的な読解力で経典を破壊したのです。