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「漏尽通ー生存の尽きてなくなったことを確認すること。漏尽智証通に同じ。」
「漏尽智証通ー煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

上記は同じ内容なのです。
ペテン大作さんの読解力では、私がすでにそれを>>393以降の
沙門果経の中で説明していることが理解できない。
しかも、その沙門果経をペテン大作さん本人が引用して、
本人が漏尽智は四諦であり、四諦で解脱するのだと前に書いた。
彼の表現は適切ではないが、おおざっぱにはそのとおりです。
それを思い出すようにと>>396でわざわざ指摘してあげたのに、
もちろん、彼が気が付くはずもない。

沙門果経では、四諦を体得したのを確認したのが漏尽智だとある。
だが、これは厳密には、「四諦を体得したのを確認した」ことを、
漏尽智とわかりやすく名前を付けたのです。
漏尽智は三明と呼ばれる智慧で、三明という名称はバラモン教からの借用です。
釈尊が彼らに本当の三明とはこれだと示したのが漏尽智です。
だが、その中身は他の神通と違い、超能力ではなく、解脱そのものです。
煩悩からの解放こそが、バラモンたちが尊ぶべき明知であると
示すために、煩悩からの解放に漏尽智と名前を付けた。
バラモンたちに真の明知である煩悩からの解放を求めるように説いたのです。
バラモンに仏教の解脱のすばらしさを説いているのだから、解脱の前で
あるはずはなく、解脱した後の解脱の状態そのものを説明したのです。
だから、漏尽智とは四諦を体得したこと、煩悩から解放されたこと、
つまり解脱したことです。
もちろん、ペテン大作さんにはこの説明を理解できないし、それよりも
何かインネンを付けられないかと必死の形相です。
宝生センセは何の話をしているかもわからない。