@深山説は改造と悪用で出来ている。

1.中村説を改造
○元の中村説
「漏尽通ー生存の尽きてなくなったことを確認すること。漏尽智証通に同じ。」
「漏尽智証通ー煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」
「漏尽智「あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

上の解説から「漏尽通ー漏尽智証通に同じ。」 と「漏尽智証通ー煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」
を削除したのがこれ。
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○深山改造中村説
>>378
>漏尽智「あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
>漏尽通「生存の尽きてなくなったことを確認すること。
>煩悩のけがれのなくなったことを知る智。」
(『佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1444頁)

こうして漏尽通は「生存の尽きて確認すること」だけであるように見せかけた。
しかし、元の中村説では、漏尽通は「煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」 と「生存の尽きて確認すること」の、二つの能力を持っているのが分かる。

2.岩波仏教辞典の解説を悪用
「漏尽通ー自己の煩悩が尽きたことを知る能力」(岩波仏教辞典)
岩波仏教辞典の解説は漏尽通の一つの能力を説明しているだけで、もう一つの能力(煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通)には触れていない。
中村氏は岩波仏教辞典の編者でもあるので、
広説佛教語大辞典の解説と食い違うことはない。
岩波では頁数の関係で簡潔に一行での説明となったと考えるのが妥当である。
因みに、中村氏が監修した他の仏教辞典では、漏尽通は煩悩が尽きたことを知る能力とは説明されていない。

「漏尽通ー現在の生が苦であることを知り、その苦の原因である煩悩、
すなわち本能に基づく心の動揺を取り去って迷いなきに至る能力。」
(『新・佛教辞典 第三版』中村元監修、誠信書房、222頁)

「漏尽通の前に解脱した」という説の根拠に
岩波仏教辞典の解説を根拠にするのは、辞典の悪用だと言える。