【天空時】悟りをひらいた人のスレ635【鬼・和尚】
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680 名前:鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe [sage] 投稿日:2022/02/06(日) 13:02:25.11 ID:PFGhMuzl
「仏」とは、「仏のように行為する」実存の呼称である、ということになる。
このとき、「悟り」も「涅槃」も現実的には何であるか認識不能だから、「成仏」は「自己」にはできない。
「自己」に可能なのは、「仏になろうと修行し続ける」主体として実存することである。
すなわち、「仏」は「仏となろうとする」主体の実存様式である以外に、現実化しないのだ。  
したがって、修行者が「成仏」したり「悟る」ことはない。
なぜなら、ある時点で「成仏した」「悟った」と「わかった」瞬間、それが認識である以上は概念化するわけで、結局は超越理念として扱われるからである。
それは「観無常」の立場が決して許容しない事態である。  
そうなると、成り行きは「成仏」「悟り」が無限遠に後退し、現実的に無効になり、修行や坐禅は事実上、ただ坐禅する、ただ修行する、ということになる。
「成仏」と「悟り」は坐禅・修行という行為そのものへと脱落されるのだ。
(存在と超越 南直哉)