教理が破綻した大乗仏教を正当化するための神義論をキリスト教から借りる
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一切衆生の救済を謳うも、戦争や病気で苦しむ民衆を放置したままの大乗の神仏。
キリスト教から神義論を借りて、破綻した大乗を正当化できないか検討する。
論理的議論の場なので、以下のルールを守れない馬鹿は立入禁止。
・主張には根拠を付けろ。
・ソースは明確に提示しろ。
・反論したければロジックで。
・大乗の欠陥が指摘されてるのが嫌!と思うなら見るな。 >>479
生命は有限だ。なーにが、「1.永遠に続く未来の中で何処までも救い続ける 」だ。
戦争や病気で苦しんでる人に「2.全ては法身のアバターなのだから予め救われている事になる 」と言っても何の役にも立たない。大乗は役立たずだな。 メイヤスー哲学
絶対性は ハイパーカオスとの間の境界線にある。 >>476
いや、あなたはここで暇つぶししているんでしょう? >>482
またミスするのが怖いから、自分の意見は言わずにごまかすんだな。学習したな。
しかし、それじゃ誤りに気付かないままだ。 大乗の教義をロジカルに訂正したほうがいいな。
涅槃はしっかりある。涅槃も空であり無自性だと中論が言ってんのは間違い。中論は戯論。
まずここを訂正しないと。中論を捨てる。それが、大乗再生のスタート。 >>477
生成変化しないのが涅槃なんだから我滅に依って生成変化しなくなれば涅槃だろ?
単なる衆生のままでは涅槃入り出来なくても単なる衆生から抜け出せば涅槃は可能という事だよ >>486
え?変化しない固有の性質は自性。涅槃が自性だと言って、中論を論破しちゃった自覚ないのかな? >>480
> >>479
> 生命は有限だ。なーにが、「1.永遠に続く未来の中で何処までも救い続ける 」だ。
>
その有限の生命が輪廻に依って無限に再生されるのが一切皆苦なんだから輪廻から解脱した者が救うしかないだろ?
> 戦争や病気で苦しんでる人に「2.全ては法身のアバターなのだから予め救われている事になる 」と言っても何の役にも立たない。大乗は役立たずだな。
幾ら分身が苦しんだ所で本体は苦しまないんだから死に依ってリセットすれば良いだけだろ?
本尊と一体化出来るか出来ないかは個々人の自由意思と縁に依るから縁無き衆生は度し難しなんだし キリスト教みたいにある日突然天使が現れて戦争や病気を消し去るなんて因果律を無視した救いじゃないぞ
まず本人が気付いて縁を求めないと救いがあっても気付かないからな >>485
なら涅槃を取り出して見せてみろ
で終了 >>488
有限も理解できてないのか?
救っていけば、いずれはすべて救われる。永遠に救い続ける対象はなくなる。 >>488
幾ら分身が苦しんだ所で本体は苦しまないんだから死に依ってリセットすれば良いだけだろ?
と、戦争や病気で苦しんでる人に言うのが大乗か。大乗は役立たずだな。 >>489
物理的存在以外をどうやって見せるんだ?
お前は唯物論か?アホ過ぎる。 >>485
> 涅槃はしっかりある。涅槃も空であり無自性だと中論が言ってんのは間違い。
それ、終極的には言ってないけど?
なんで勝手に言ってる事にするの? >>493
中論に書かれているというのは、ソース出してから言おうな。 縁起であるものをすべて われわれはすなわち 空であると説く。
その空は相対的な仮説である。
これが実に中道である。
(龍樹 「中論」)
空であると説くべきではない。
空ではないとも同様である。
その両者であるとも、その両者でもないとも説くべきではない。
それは仮の名称のために説かれる。
(龍樹 「中論」)
依存性(縁起)をわれわれは空性であるというのである。
その空性は仮の名づけであり、それは中道と同じことである。
依存しないで生じたものなぞ何もないのであるから、空でないものなぞ何もない。
(龍樹 「中論」) >>494
で、あなたは仏教を誰から教わったの?
宗派は?
師匠は?
永遠に未答のまま逃げ回るのか?
人には応答を求めて自身はしないとか、それ、人間として屑だろ?
そうとさえ思えないほどあなたは人間の屑なのか? 人間が思考するとき区別や矛盾や対立等の二元性の中に必ず巻き込まれます😃
それは思考の条件とも言えます😃 >>495
探すの面倒だから、章を明示しろよ。
未だにソースをまともに提示できない低学歴はお前くらいのもんだ。他の人はちゃんと提示できてる。 >>498
>>494
で、あなたは仏教を誰から教わったの?
宗派は?
師匠は?
永遠に未答のまま逃げ回るのか?
人には応答を求めて自身はしないとか、それ、人間として屑だろ?
そうとさえ思えないほどあなたは人間の屑なのか? / /^ヽ ト、 ,. '"| / _,. `ヽ ヽ
ノ |/`ヽ`、 、_____,. ,. '"`ヽ | / ,. '"´ \ ヽ
! 〈 i! `ー---‐≦二三-、 \ !// __ r`ヽ、 ヽ
、 ヽ ! '´ ̄ ̄`ヾ ヽ、 / ∠ニ= 、_ / | ! /\ ヽ
`ヽ ` ̄ ̄ ̄ ̄^7 〈ー―――-- ´ |/ ,' `ー'
\ ヽ ヽ ; | / ! え 真言はいいけど 天台はダメ ?
、 、 ,.- 、 _, ; | / /
ヽ--イ'. 、 {;;;;;```、、 / i! 小ハ _,.';;;;ヽ /"´
j从リ `、 ヽ !;; n ー、 ,. ' };;! /
|; 、 、 ! ヾ、 `ー‐'" ,.リ 〃 /
| 、 、 ヾ ヽT┬、_--、__,. -‐_/〃 ,〃 /
| 、 ヽ` ヽヽ |_ | `T ー┬ 1´レ/ / /
fj ヽ '. ヽ\Tー┼‐┼┼ァ' / / /
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C:::::ヽ. \'. `ー───一'" 〃
!:::::::::::\ \ ´ ̄ ̄` /
ヽ::::::::::::::\ \ ,.イ|ヽ`
ヽ::::::::::::::::\ `ー──‐一'" /ハ '. いずれにせよ拉致の全貌が解ったら あなたがたは大変なことになるよ。 最初の提示してあるルールを守れない人がいるなあ。
論理的議論の場なので、以下のルールを守れない馬鹿は立入禁止。
・主張には根拠を付けろ。
・ソースは明確に提示しろ。
・反論したければロジックで。
・大乗の欠陥が指摘されてるのが嫌!と思うなら見るな。 二退法
・毀戒 ・・戒律を誹謗する事
・破見 ・・正しい見解を破壊する事
どうせスルーされるから 。 >>486
>生成変化しないのが涅槃なんだから我滅に依って生成変化しなくなれば涅槃だろ?
おっしゃる通り
比丘たちよ、このような境地があります。
即ち、地水火風はない。空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非無想処はない。(注:心のみの存在もない)
この世でもあの世でもない。太陽も月もない。(注:宇宙の場所でもない)。
その境地に対しても私は、行くことも、戻ることも、止住も、死ぬことも、再び生まれることも、支えるものも、転起(因縁による現象)もないと言います。
また、認識の対象にもならない。しかし、これが苦の終焉である。
(小部 自説経71)
三 捨てられることなく、【あらたに】得ることもなく、不断(終末あることなく)、不常(常恒であることなく)、不滅、不生である。―――これがニルヴァーナであると説かれる。
※ニルヴァーナを説明するためには否定的言辞をもってするよりもほかにしかたがない。
(中論二五章)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9530374
「われわれの現実生活を離れた彼岸にニルヴァーナという境地あるいは実体が存在するのではない。
相依って起こっている諸事象を、無明に束縛されたわれわれ凡夫の立場から眺めた場合に輪廻とよばれる。これに反してその同じ諸事象の縁起している如実相を徹見するならば、それがそのままニルヴァーナといわれる。
輪廻とニルヴァーナとは全くわれわれの立場の如何に期するものであって、それ自体はなんら差別のあるものではない。」(『龍樹』p.298)
なお
九 もしも【五蘊、個人存在を構成する五種の要素を】取って、あるいは【因縁に】縁って生死往来する状態が、縁らず取らざるときは、これがニルヴァーナであると説かれる。
(中論二五章)
1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り越えているのである」と。
(スッタニパータ)
中論二五章九偈とスッタニパータ1086詩句は同じことを言っており、スッタニパータ1089詩句は現世涅槃を説いていると思います >>507
引用してるところが破綻してるんだよ。ちゃんと読もうな。
三 捨てられることなく、【あらたに】得ることもなく、不断(終末あることなく)、「不常(常恒であることなく)」、不滅、不生である。―――これがニルヴァーナであると説かれる。
不常(常恒であることなく)、〜―――これがニルヴァーナであると説かれる。
中論によると、涅槃は不常。つまり、一度涅槃に達しても、他の影響で煩悩の正解にいずれ戻って来ちゃう。
中論の涅槃って、やはりインチキだな。破綻してる。 >>493
涅槃は有として存在するのか無として存在するのか有にしてかつ無として存在するのか非有非無として存在するのか、部派によって色々な見解があったそうです
有 説一切有部
無 経量部
有にしてかつ無 犢子部
非有非無 修多羅人(経典を奉ずる人)
龍樹及び中観派では涅槃は有でもなく無でもない、とは言っても非有非無として存在するのではなく、存在するのでも存在しないのでもない、と観るようですね
要はそのような涅槃への執着からも離れなさい、と
ここで修証義w
生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死なしと厭ふべきもなく、涅槃として欣ふべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、
うん、龍樹からの流れですね 中論によると、涅槃は不常。つまり、一度涅槃に達しても、他の影響で煩悩の世界にいずれ戻って来ちゃう。 >>509
存在するのでも存在しないのでもない、常住ではない。
つまり、他からの影響で煩悩の世界に戻って来ちゃうのが中論の涅槃。 不常が自説経の何という言葉に対応しているか分からない人と議論していても時間の無駄w >>514
論理的議論の場なので、以下のルールを守れない馬鹿は立入禁止。
・主張には根拠を付けろ。
・ソースは明確に提示しろ。
・反論したければロジックで。
・大乗の欠陥が指摘されてるのが嫌!と思うなら見るな。 >>513
念の為にひとこと
あなたには昨夜さようならを言っています
あなたが何をどう思おうが私の知ったことではないので好きなように解釈して生きていってください >>516
スレのルールは守ろうな。最初に提示してあるんだから。
守れないなら出てけ。邪魔。 >>510
> 中論によると、涅槃は不常。つまり、一度涅槃に達しても、他の影響で煩悩の世界にいずれ戻って来ちゃう。
???
不生なのになんで戻ってくのw >>509
以前、宗教板で論じられてた気もします。 >>519
だから、生じない(不生)ものがそもそも戻ってくるの? >>521
破綻した中論の主張に付いて質問されてもねえ。
分からないなら、擁護するのは諦めたら。 >>524
???
どう云う事?
八不でセットでしょ? まあ1さんにヒントくらいは出しましょうか
25.来ることも無く、行くことも無く、生ずることも無く、没することも無い。住してとどまることも無く、依拠することも無い。ーーそれが苦しみの終滅であると説かれる。
29.これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。
(第二十六章 安らぎ(ニルヴァーナ))
この
住してとどまることもなく
そして何よりも
一切の相が滅びてなくなり
とはどういう境地なのか、静かに思惟(しゆい)すべし >>527 自己レス
>(第二十六章 安らぎ(ニルヴァーナ))
ウダーナヴァルガの第二十六章です >>527
頭の悪さを晒してること自覚しとけ。
自分の主張を明確に書けないのは低学歴。 >>526
こっちの台詞だよ。
存在するのでも存在しないのでもない、常住ではない。
つまり、他からの影響で煩悩の世界に戻って来ちゃうのが中論の涅槃。
これで論破された低脳どもが、まともなロジックは書けず、今日も発狂してるなあ。 >>529
いいから静かに思惟すべし
人を頼ることなく答えは自分で見つけなされ >>530が答えでしたらそれでも構わないですがウダーナヴァルガの説法とは異なるとだけは言っておきましょう
でもそれがあなたの答えでしたら別にいいですよ
ドグマですけどね >>530
www
だから、生じないのになんで戻るの? >>532
何度同じこと言われりゃ理解すんだ?
自分の主張は自分で明確に書け。反論したいならロジカルに、根拠も付けろ。
それができない奴とは議論にならないんで、邪魔なだけ。
論破されて、反論できないから悪口連呼w。みっともないよ。 >>533
不常なんだから、変化するか、滅するのは当然。
中論の涅槃は変化して煩悩塗れになるか、涅槃が消え去って煩悩が湧き上がる。
で、擁護したいならお前が考えて主張しような。
涅槃が生じないし、存在しないんだろ?
大乗では覚れない、か。 >>535
???
ですから八不(不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不去・不来)の中の不常でしょ?
その不常は不断とペアで八不の中で語られるのですが、なんで不常だけそこから切り出して論じるの? >>536
セットで考えると、どう擁護できるのかは自分で述べろよ。
涅槃が不常だと明言しちゃってる。
不常なんだから、変化するか、滅するのは当然。
中論の涅槃は変化して煩悩塗れになるか、涅槃が消え去って煩悩が湧き上がる。
この破綻をどうやって擁護できるかは自分で考えて、その結果を明確に書こうな。こっちに質問するなよ。 >>527
住してとどまることもなく
そして何よりも
一切の相が滅びてなくなり
とはどういう境地なのか、静かに思惟(しゆい)すべし
-----
素晴らしい経ですね〜これはパーリー仏典のどこにあるのでしょうか?
教えてほしいのですが、お願いします ウダーナヴァルガの第二十六章
なに部のなん巻目か知りたいです >>538
パーリではなく説一切有部所有の自説経ですよ >>537
ですから、涅槃を常と観ればそれは常見だから不常を説くのだし、断と観ればそれは断見なのだから不断が説かれるのです。
以下、中論の観有無品から(梵訳)
https://i.imgur.com/G2vV8jw.jpg 訂正
>>537
ですから、涅槃といえどもそれを常と観ればそれは常見だから不常を説くのだし、断と観ればそれは断見なのだから不断が説かれるのです。
以下、中論の観有無品から(梵訳)
https://i.imgur.com/MYPFojd.jpg >>527
中論を完全否定してるソースをまーた出しちゃってるなあ。
感興のことば 26章
20)何ものかに依ることが無ければ、動揺することが無い。そこには身心の軽やかな柔軟性がある。行くこともなく、没することもない。それが苦しみが終滅であると説かれる。
21)不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。作られざるもの(=無為)を観じるならば、作られたもの(=有為)から解脱する。
釈迦「何ものかに依ることが無ければ、動揺することが無い。」
中論「すべては相依性!」
釈迦「生じたものの出離をつねに語るべきであろう。」
中論「すべては不生!」
釈迦の教えも、中論も、まったく理解してないお前ら、息してる? >>544
うんうん。中論は涅槃も不常と説いてる。
不常なんだから、変化するか、滅するのは当然。
中論の涅槃は変化して煩悩塗れになるか、涅槃が消え去って煩悩が湧き上がる。
中論はやっぱり破綻してる。 >>546
???
不常は不断とペアで語られてるんだけど? >>547
痴呆老人さあ…。
>>537
セットで考えると、どう擁護できるのかは自分で述べろよ。
不常なんだから、変化するか、滅するのは当然。
中論の涅槃は変化して煩悩塗れになるか、涅槃が消え去って煩悩が湧き上がる。
この破綻をどうやって擁護できるかは自分で考えて、その結果を明確に書こうな。こっちに質問するなよ。 >>548
???
だから、不常・不断のペアでしょ? 中論二五章 涅槃
六 また、もしもニルヴァーナが有(存在するもの)であるならば、ニルヴァーナはどうして【他のものに】依らずに存するであろうか【しからばニルヴァーナは(他のものに)依って存することとなる】。何となればいかなる有も【他のものに】依らないでは存在しないからである。
八 またもしもニルヴァーナが無であるならば、どうしてそのニルヴァーナは【他のものに】依らないでありえようか。何となれば、【他のものに】依らないで存在する無は存在しないからである。
一三 ニルヴァーナがどうして有と無の両者でありえようか。
ニルヴァーナはつくられたのではないもの(無為)であるが、有と無はつくられたもの(有為)であるからである。
二二 一切のものは空なのであるから、何ものが無限なのであろうか。何ものが有限なのであろうか。何ものが無限にして有限なのであろうか。何ものが無限でもなく有限でもないのであろうか。
二三 何が同一なのであるか。何ものが別異なのであろうか。何が常恒であるのか。何ものが無常なのであるか。また何ものが無常にしてしかも常恒なのであるか。また何がその両者(無常と常恒)ではないのか。
二四 【ニルヴァーナとは】一切を認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい【境地】である。いかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9530374 破綻の指摘がきつ過ぎて、コピペするだけの荒らしになっちゃってるアホがいるな。
中論は持ってるから、邪魔なだけだ。
ロジカルな議論ができないアホは失せろ。 中論の破綻問題そのA
中論「涅槃は不常!」 と喚いている。
しかし、不常なら、変化するか、滅する。つまり、中論の涅槃は変化して煩悩塗れになるか、涅槃が消え去って煩悩が湧き上がる。
大乗の覚りは、女を見ると縁起によってすぐに煩悩が湧いちゃうんだろうな。それって、涅槃ではないのでは?
ねえ、何で?中論は破綻しているからだとしか考えられないけど。
中論絶対擁護マンのロジカルな擁護待ってるよ! 大乗を誹謗する余り、気が触れたか。
哀れなり、
哀れなり。 論破されるのが怖くて、主張を明示できない人がいるから代わりに推察してあげて、誤りも指摘してあげよう。
どうせ、そういう意図じゃない!と喚くんだろうが。だったら、意図を自分でちゃんと明示しような。論破されてるからできないだろうがw。
感興のことば 26章
25)来ることも無く、行くことも無く、生ずることも無く、没することも無い。住してとどまることも無く、依拠することも無い。――それが苦しみの終滅であると説かれる。
の「住してとどまることも無く」があるから、不常だと主張したいのだろう。
しかし、
22)生じたもの、有ったもの、起ったもの、作られたもの、形成されたもの、常住ならざるもの、老いと死との集積、虚妄なるもので壊れるもの、食物の原因から生じたもの、――それは喜ぶに足りない。
「常住ならざるもの」はありがたくない。涅槃は望ましいのだから、当然「常住ならざるもの」ではなく、常住である。
29)これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。
22の「一切の相が滅びてなくなり」、涅槃は「没することなき解脱の境地」である。
涅槃は常住である。そこでは、変化がなくなる。
そのように説いている。変化がなくなるのだから、縁起も停止している。
それなのに、中論は「空だから縁起、空だから涅槃」と喚いている。
釈迦の教えを何も理解できていない。 無理して変な事しなくていいから。
先ず、あなたは自身の事を考えなさい。 >>559
幼稚な悪口連呼してる暇があったら、教えについて考えような。
破綻を擁護するのは無理だと理解し始めたようだな。その通りだ。 あなた、龍樹以上のつもりなの?
やめなさい。
でおーやポタ公や馬鹿鬼と同じ扱いを受けますよw >>562
釈迦の教えから離れ、破綻した教義を展開した龍樹と比較されるのが不快。 >>562
で、ロジカルな反論がまったくないのは呆れるしかない。 >>562
彼にこちらを読むように勧めたのに
つばめ堂
国訳・解説 中論入門
http://tubamedou.egoism.jp/SonotaButten/Chuuron/ChuuRon00.htm?v=20190528
読んでないから>>558のような勘違いをしてしまうのでしょうね
涅槃の境地と涅槃そのものを混同するという勘違いが
「25.涅槃」を読めば断常とは何のことなのか一発で分かるのですがw >>565
な、これw。
>>558「どうせ、そういう意図じゃない!と喚くんだろうが。だったら、意図を自分でちゃんと明示しような。論破されてるからできないだろうがw」 まぁ初期仏教の一部しか知らない人が龍樹の思想に触れると、矛盾だの論理破綻ってなってしまうのはある程度仕方がない事でしょう。
確かいきなり(龍樹の)空の思想を説くのは禁則みたいな事を言ってる事を聞いたことがあるし、>>1の様に頭が混乱して真っ白になってしまうのも分からないでもない。
なので、通史的に仏教を学ぶ必要があると思うんだけどね。 >>567
議論の場でそれはみっともない。自分の主張と根拠を示せないんだから、お前の完全敗北。 >>569
理性を離れ、悪口連呼しかできないとは情けない奴だな。
釈迦の教えからは遠いな。 で、結局>>1の仏教知識の欠如って事すね。
自身の知識の欠如が原因なのに、「大乗が〜」とか「龍樹が〜」とか迷惑な話です。 さてっと
比丘たちよ、このような境地があります。
即ち、地水火風はない。(注:物質的存在はない)
空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非無想処はない。(注:心のみの存在もない)
この世でもあの世でもない。太陽も月もない。(注:宇宙の場所でもない)。
その境地に対しても私は、行くことも、戻ることも、止住も、死ぬことも、再び生まれることも、支えるものも、転起(因縁による現象)もないと言います。
また、認識の対象にもならない。しかし、これが苦の終焉である。
(小部 自説経71)
29.これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。
(ウダーナヴァルガ 第二十六章 安らぎ(ニルヴァーナ))
このようにお釈迦様の自説の詩によると涅槃とは一切の相が滅びてなくなり、物質的存在も心的存在も滅するのです
そのような寂滅の境地(処)では果たして何が断ずるのでしょう?何が常なのでしょう?何が生ずるのでしょう?何が滅するのでしょう?
それ故に
三 捨てられることなく、【あらたに】得ることもなく、不断、不常、不滅、不生である。―――これがニルヴァーナであると説かれる。
※ニルヴァーナを説明するためには否定的言辞を持ってするよりもほかにしかたがない
二二 一切のものは空なのであるから、何ものが無限なのであろうか。何ものが有限なのであろうか。何ものが無限にして有限なのであろうか。何ものが無限でもなく有限でもないのであろうか。
二三 何が同一なのであるか。何ものが別異なのであろうか。何が常恒であるのか。何ものが無常なのであるか。また何ものが無常にしてしかも常恒なのであるか。また何がその両者(無常と常恒)ではないのか。
二四 【ニルヴァーナとは】一切を認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい【境地】である。(ニルヴァーナについての)いかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。
※ニルヴァーナは積極的言辞では説明できない(涅槃は言葉では表せない)
ということになります >>558で釈迦が涅槃についてどのように表現しているか示されている。
釈迦は涅槃を言語で表現したのに、中論は言語で表現できない、か。
釈迦の教えからはかけ離れているな。
変化がなくなるのだから、縁起も停止している。
それなのに、中論は「空だから縁起、空だから涅槃」と喚いている。 うむ、
>>1はスルーして中論の理解を深める方がいいかもですね。 一九 輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。
二〇 ニルヴァーナの究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者のあいだには最も微細なる区別もない。
について
「われわれの現実生活を離れた彼岸にニルヴァーナという境地あるいは実体が存在するのではない。相依って起こっている諸事象を、無明に束縛されたわれわれ凡夫の立場から眺めた場合に輪廻とよばれる。これに反してその同じ事象の縁起している如実相を徹見するならば、それがそのままニルヴァーナといわれる。輪廻とニルヴァーナとは全くわれわれの立場の如何に帰するものであって、それ自体はなんら差別のあるものではない。」(『龍樹』p.298)
お釈迦様もこう説いています
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
輪廻するこの世界を空と観ることができた時に死を乗り越えることができる、つまり空と観ることができたときは世界は甘露(不死)たる涅槃ですよ、と >>574
そうしています
このスレを見ている人が>>1さんに間違っても洗脳されることがないようにという意味も含めてw >>575
感興のことば 26章
22)生じたもの、有ったもの、起ったもの、作られたもの、形成されたもの、常住ならざるもの、老いと死との集積、虚妄なるもので壊れるもの、食物の原因から生じたもの、――それは喜ぶに足りない。
「常住ならざるもの」はありがたくない。涅槃は望ましいのだから、当然「常住ならざるもの」ではなく、常住である。
29)これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。
22の「一切の相が滅びてなくなり」、涅槃は「没することなき解脱の境地」である。
22で俗世の有様を説いている。
「その同じ事象の縁起している如実相を徹見するならば」と縁起が残っているようでは涅槃ではない。
釈迦の涅槃とは大違い。 >>576
お前が論破されて逃げ回ってることを見て、大乗が釈迦の教えを外れ、役立たずだと理解してる人が増えた。
生臭大乗から離れ、釈迦の教えを学ぶ者が増えるのは喜ばしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています