聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
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>>373 よりつづく
★☆★どのようにして日本人は神様への信仰を失っていったのか(Part2)★☆★
世の終わりの時に、イスラエルの人々は皆、
主イエス・キリストを信じて救われるという説があります。
聖書の御言葉にも−こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。
すなわち、次のように書いてある
「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。
そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。
福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、
選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。
神の賜物と召しとは、変えられることがない。−とあります。
ユダヤ人キリスト教徒の方々は私たち日本人のクリスチャン同様
少数派なのですが果たして、近い将来に世の終わりを迎えようとしている今、
はたして天地の創造主でおられる神様は、
自ら選ばれた人類の長子・聖書の民・イスラエル民族に対して
どのような救済のご計画をお持ちでしょうか。
同様に世の終わりの時まで塩漬けにされ、
出自が封印されていると言われる私たち日本人も、
世の終わりの時には、皆、主イエス・キリストを信じて
受け入れ救われることになるでしょうか。
宣教の働きを担っている方々は夢想するかもしれませんが
先回レスしたように、
現実には世の終わりを迎える今後約10年間のあいだに
未信者の人々がキリスト教会に大量に押し寄せ、
主イエス・キリストを信じて救いに与るというような、
ダイナミックな救済劇は残念ながら起こりえないと思います。>>377へつづく >>376よりつづく
★☆★どのようにして日本人は神様への信仰を失っていったのか(Part2)★☆★
神様がヨハネの黙示録の御言葉(6章、9章〜16章など)で預言してくださっているように、
むしろ世の終わりの患難期に入り、人々は様々な危難災害の中で、
けっして悔い改めず神を冒涜する言葉を吐き続けることになると思われます。
要するに平時において救いに与ろうとしない人々が
世の終わりの中で自らの滅びを自覚することはそれほどまでに難しい、ということです。
彼らは天に唾を吐きます−地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、
ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。そして、山と岩とにむかって言った、
「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。
御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」‐と。
世の終わりのとき、世界中の一体どこに
神様の御怒りから逃れられるような場所があるというのでしょうか。
聖書の御言葉によれば滅びは「全地の表に住むすべての人に臨み」、
「天の万象が揺り動かされ」「人々は−恐ろしさのあまり気を失う」ようなことです。
「ほら穴や山の岩かげに、身をかくして」神様の御怒りから身を隠し逃れようとできるのは恵まれた人々。
はたして多くのノンクリスチャンの方々は
最後まで悔い改め救いにあずかろうとしないでありましょうか。
先回のレスで取り上げた「宴会の譬え話」は、
一般的には主イエス・キリストの初臨のさいにイスラエルの人々がとった拒否的姿勢、
そして福音がまず異邦人に受け入れられることを表している、とされるものですが
一方で世の終わりの時に、再臨される主イエス・キリストに対して
キリスト者がとるだろう態度をも皮肉をもって警告している、という話もあります。
信仰を失ってしまった形式的クリスチャンは、この世のことに心を奪われ言い訳をして、
主イエス・キリストの再臨と世の終わり、そして神様の御国の到来を拒絶してしまいます。
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★☆★どのようにして日本人は神様への信仰を失っていったのか(Part2)★☆★
対して主イエス・キリストの再臨を待ち望み、神様の御国の到来を願っている
−受洗・非受洗は関係ない−正真正銘のクリスチャンは、
主イエス・キリストとともに相続する神様の御国の祝宴の招きの呼びかけを
しっかりと聞き留め、受け入れられるというものです。
世の終わりが近いことは、信仰によって神様としっかりつながっていれば、
自明のこととして気づきを与えられることですし、しっかりと目を覚まして、
主イエス・キリストの御再臨を迎えることができるということでしょう。
聖書の御言葉にあるように、神様としてはできるだけ早く、
不条理な苦しみと悲しみに満ちた罪深いこの世を終わらせて、
救いに与らせるべき人々を皆、苦しみも悲しみもない
とこしえに続くご自身の至福の御国に招き入れたい、
ただ御子イエス・キリストを信じて受け入れ
より多くの人々が救いに与るように
忍耐して待ち続けてくださってきたのでした。
私たちクリスチャンは「主の祈り」のなかでいつも祈っているように、
少しでも早く「御国が来ますように」
そして主イエス・キリストが再臨されて
少しでも早く「御心が地でも行われますように」
切に祈って参りたいものだと思います。
小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、
また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、
祭壇の下にいるのを、わたしは見た。彼らは大声で叫んで言った、
「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、
また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
(ヨハネの黙示録6章9節〜10節)
ほんとうにアーメンです。>>379へつづく >>378よりつづく
★☆★どのようにして日本人は神様への信仰を失っていったのか(Part2)★☆★
「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
(ルカによる福音書18章8節)
すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。
かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、
すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。
その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、
地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、
あなたがたは、どれほどきよい生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。
(ペテロの第二の手紙3章8節〜13節)
いよいよ世の終わりも間近に迫ってきたように思われます。
私たち主イエス・キリストの救いに与らせていただいたクリスチャンにとっては、
まさしく救いのとき、贖いのときです。主の再臨、神様の御国の到来を喜んでいましょう。
御ミサでも必ずお祈りするとおり、主イエス・キリストが再びお出でになるその日を待ち望んで、
毎日を大切に悔いのないように生きてまいりたいものだと思います。ほんとうにアーメンです。
聖ヒルデガルトや聖フランシスコ、聖ベルナデッタ、聖テレジア、
そして十字架の聖ヨハネ、アビラの聖テレサ、シエナの聖カタリナ、
聖コルベ神父さま、聖カタリナ・ラブレ、聖ファウスティナ 、
またファティマで聖母マリアさまのご出現を受けられた
牧童の聖ジャシンタ・マルトと聖フランシスコ・マルト、
諸聖人の方々、どうぞ執り成してお祈りくださいますように。ほんとうにアーメンです>>380へつづく ★☆★5ch 心と宗教板 聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★☆★
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