聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
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>>366 よりつづく
★☆★どのようにして日本人は神様への信仰を失っていったのか(Part1)★☆★
コロナ禍のニュースで塗りつぶされたようなここ数年、
今年からはそこに長期化するウクライナ戦争や
経済制裁を発端として始まる経済危機のニュースなどが加わって、
ますます暗い世情となっていきそうな雰囲気。
日本の場合は東京首都大震災などのような
大規模な自然災害の発生も考えられるため→>>164 >>165
なおさらその感を強くします。
世の終わりが聖ヒルデガルトの預言や、
カトリック教会の様々な奇跡の起きた年数などから導きだされる
西暦2030年で間違いなければ、
患難期への突入は来年西暦2023年頃→>>341 となりますが、
はたしてこれから世界情勢はどのような展開を迎えていくでしょうか。
前回のレスのとおり、聖書の御言葉によれば、
その世の終わりのときまでに、全人類の3分の1の人々が
主イエス・キリストの救いに与ると示されています。
全人類の3分の1の人たちは、
やがて到来する神様の御国に迎えいれていただけるわけですが、
私たち日本のクリスチャンにとり重要関心事は
そこに同胞である日本人がどの程度、
加えていただけるだろうか、ということでしょう。
>>368 へつづく >>367 よりつづく
★☆★どのようにして日本人は神様への信仰を失っていったのか(Part1)★☆★
現在、クリスチャンの方々が世界人口の約3分の1をすでに占めており、
世の終わりまであと10年ほどということを考慮すると、
原則論の立場に立つかぎり、同胞である日本の方々が
主イエス・キリストの救いに与り、
神様の御国に迎え入れられる可能性は極めて低いようにも思われます。
明治維新開国後の約150年間に渡る今日までの
新旧両教の方々による宣教活動をもってしても、
徒労に終わるような結果しか残せていません。
カトリックの某作家の方が生前言っておられたように、
「何を植えても根腐れさせてしまう沼地」のような国
ということでありましょうか。
似てるものがすでにあるから、という指摘も
都度都度されてきていますが、どうでしょうか。
天地の森羅万象から英雄、偉人などの人間に至るまで
八百万の神々様に祭り上げている神道は、
天地万物を創造された唯一絶対のお方を信仰する
キリスト教とは似ても似つかぬものですし、
仏様はさとりを開かれたお方、こちらも人間です。
そもそも赦しはキリスト教にしかありません。
キリスト教と同じものは、日本にはないと考えてよいでしょう。
明確に言えることはただ一つ、日本人は
唯一神信仰の核心的概念である超越的、絶対的な存在を認めたくなく、
あるいは認めても、関わりをもちたくないか、
関わっても得られるものはない、と思っているということ。>>369 へつづく >>368 よりつづく
★☆★どのようにして日本人は神様への信仰を失っていったのか(Part1)★☆★
控えめに言っても唯一絶対の創造主である神様と
親密な関係を持つことを避けようと
していることだけは間違いないように感じられます。
多くの日本人にとって神様とは−あえて広く神的存在と付け加えますが−
「苦しいときの神頼み」や「触らぬ神に祟りなし」という
本来の言葉とは違った意味で使われがちの、
それらのことわざからもわかるように、
困ったたときにだけ苦し紛れに関係を持とうとするか、
そうでなければ祭り上げ遠ざけることで
隔離しようとする、畏怖の念がとても強いように思います。
ひょっとして私たち日本人は、遠い過去に
唯一絶対の創造主である神様に対して大きな罪を犯し、
ひどい罰を受けたことでもあるのでしょうか。
だとしたなら、私たち日本人は唯一絶対の創造主である神様に対する
親しい交わりを約束する信仰をどのようにして失ってしまったのでしょうか。
ほんとうにアーメンです。
そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、
「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。
あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。
人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、
ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。
彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。
(ルカによる福音書6章20節〜23節)>>370へつづく >>369 よりつづく
★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する(Part5)★☆★
列席者のひとりがこれを聞いてイエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。
そこでイエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。
晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って、
『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた。
ところが、みんな一様に断りはじめた。最初の人は、『わたしは土地を買いましたので、
行って見なければなりません。どうぞ、おゆるしください』と言った。
ほかの人は、『わたしは五対の牛を買いましたので、それをしらべに行くところです。どうぞ、おゆるしください』、
もうひとりの人は、『わたしは妻をめとりましたので、参ることができません』と言った。
僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、
『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧乏人、不具者、盲人、足なえなどを、ここへ連れてきなさい』。
僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。
主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、
人々を無理やりにひっぱってきなさい。
あなたがたに言って置くが、招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう』」。
いよいよ世の終わりも間近に迫ってきたように思われます。
私たち主イエス・キリストの救いに与らせていただいたクリスチャンにとっては、
まさしく救いのとき、贖いのときです。主の再臨、神様の御国の到来を喜んでいましょう。
御ミサでも必ずお祈りするとおり、主イエス・キリストが再びお出でになるその日を待ち望んで、
毎日を大切に悔いのないように生きてまいりたいものだと思います。ほんとうにアーメンです。
>>371 へつづく >>370よりつづく
★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する(Part5)★☆★
聖ヒルデガルトや聖フランシスコ、聖ベルナデッタ、聖テレジア、
そして十字架の聖ヨハネ、アビラの聖テレサ、シエナの聖カタリナ、
聖コルベ神父さま、聖カタリナ・ラブレ、聖ファウスティナ 、
またファティマで聖母マリアさまのご出現を受けられた
牧童の聖ジャシンタ・マルトと聖フランシスコ・マルト、
諸聖人の方々、どうぞ執り成してお祈りくださいますように。
ほんとうにアーメンです。
>>372 へつづく ★☆★5ch 心と宗教板 聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★☆★
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