聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
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>>331よりつづく
★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する★☆★
「予言は人々の間で広く認知されることによって、実現が回避される」
この文言、スピリチュアル界隈では周知の事実のように広く知られています。
実際「予言の実現を防ぐために、予言はあるのです」とは
予言を語る人たちの間ではよく使われる口上のようで、
スピリチュアル界隈では耳にすることも多いようです。
出所が様々なようなので一概に言えるものではないのかもしれませんが、
人々が「予言」と呼ぶものはそのようなものなのかもしれません。
しかしキリスト教で語られる「預言」はそのようなものではありません。
聖書の御言葉にある「預言」とは、私たち人類を創造してくださった
唯一絶対の超越者でおられる神様からいただいたもの。
世の終わりに至るまでの私たち人類に対する救済のご計画を知らしめるために
聖書の御言葉を通して語ってくださったものです。
いわば未来の予定表のようなもので、それは必ず実現するものです。
聖書の御言葉にある「預言」は外すためにあるのではありません。
この世界の創造の時から、主として人類の長子である
ユダヤ民族の歴史、ユダヤ民族との関わりを通して
神様がどのようなお方であられるのか、唯一絶対の天地の創造主であり、
この被造世界の超越者でおられるお方、
どれほどまでに私たち人類を愛しておられるお方か、
求める者には聖書の御言葉を通して語りかけてくださいます。
聖書の御言葉にある「預言」は
私たち人類を「滅び」から救い出すための神様の計画書なのです。
旧約聖書の「預言」をとおして
「滅び」から私たち人類を救い出してくださる
神様の御一人子・主イエス・キリストの地上への降誕(初臨)が示されました。 (>>328 >>329 よりつづく)
(>>330 >>331 よりつづく)
★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する★☆★
>>332よりつづく
主イエス・キリストの降誕が予告されエリザベトから祝福を受けた時に
聖母マリア様が答えた個所で有名な「マリアの賛歌」で
サムエル記のハンナの歌や詩編が引用され、
またエレミヤ書第33章14節〜15節が
主イエス・キリスト降誕の「預言」の成就として示されます。
「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、
と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさ
せる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。」と。
また主イエス・キリストの公生涯に先立って道を整えた洗礼者ヨハネの御言葉の中で、
イザヤ書第40章3節が「預言」の成就として引用されます。
「呼びかける声がある。主のために、荒野に道を備え、
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」と。
主イエス・キリストの贖罪の十字架刑については、
使徒言行録第8章32節以下で、フィリポが、ガザへ行く途中に出会った
エチオピアの高官におこなった宣教の中で、
キリスト教にとってとても大切な「苦難の僕」の箇所である
イザヤ書53章7節〜8節が「預言」の成就として引用されます。
「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない
羊のように彼は口を開かなかった。捕らえられて、裁きを受けて、
彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。
わたしの民の背きのゆえに、
彼が神の手にかかり命ある者の地から断たれたことを」と。 (>>329 >>330 よりつづく)
(>>331 >>332 よりつづく)
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>>333よりつづく
そして、主イエス・キリストご自身もヨハネによる福音書 5章39節で
「(旧約)聖書はわたしについて証しをするものだ。」と語られ、
贖罪の十字架刑ののち3日後復活されたあとにも、
ルカによる福音書24章25節以下で、エマオという村へ向かう二人の弟子の前で
『「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」
そして、モーセとすべての預言者から始めて、(旧約)聖書全体にわたり、
御自分について書かれていることを説明された』とあります。
以上のように約2400年前に成立した旧約聖書の御言葉の「預言」は、
救い主イエス・キリストの降誕をもって、
そのまま今から約2000年前に成就しました。
そして新約聖書ではこの地上−被造世界に降りてこられた
神様の御一人子救い主イエス・キリストの歴史的生涯と、
再びこの世界にお出でになられる−「再臨」の時に至る
この世の終末期について「預言」されており、
また、その世の終わりの時に備えて生きることについて、
神様の御一人子主イエス・キリストの救いに与らせていただいた
私たち信仰者−クリスチャンのあるべき姿を指し示してくださっています。
イエスは言われた。
「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編(−旧約聖書)に書いてある事柄は、
必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」
そしてイエスは、(旧約)聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、
言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 (>>330 >>331 よりつづく)
(>>332 >>333 よりつづく)
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>>334よりつづく
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。
エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。(ルカによる福音書24章44節〜48節)
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、
救いを受ける私たちには、神の力です」(コリントの信徒への手紙一 1章18節)
「あなたは知らないのか。聞いていないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ書40章28節〜31節)
ほんとうにアーメンです。
終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、
丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」
それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。(イザヤ書2章2節〜5節) ★☆★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する★☆★
>>335よりつづく
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。
見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
その民を喜び楽しむものとして、創造する。
わたしはエルサレムを喜びとし
わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
そこには、もはや若死にする者も
年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ
百歳に達しない者は呪われた者とされる。
彼らは家を建てて住み、ぶどうを植えてその実を食べる。
彼らが建てたものに他国人が住むことはなく
彼らが植えたものを他国人が食べることもない。
わたしの民の一生は木の一生のようになり
わたしに選ばれた者らは彼らの手の業にまさって長らえる。
彼らは無駄に労することなく
生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。
彼らは、その子孫も共に主に祝福された者の一族となる。
彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
まだ語りかけている間に、聞き届ける。
狼と小羊は共に草をはみ
獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし
わたしの聖なる山のどこにおいても
害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。 (>>332 >>333 よりつづく)
(>>334 >>335 よりつづく)
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>>336よりつづく
主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこに
わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。
これらはすべて、わたしの手が造り
これらはすべて、それゆえに存在すると
主は言われる。わたしが顧みるのは
苦しむ人、霊の砕かれた人
わたしの言葉におののく人。
(イザヤ書65章17節〜66章2節)
いよいよ世の終わりも間近に迫ってきたように思われます。
私たち主イエス・キリストの救いに与らせていただいたクリスチャンにとっては、
まさしく救いのとき、贖いのときです。喜んでいましょう。
御ミサでも必ずお祈りするとおり、主イエス・キリストが再びお出でになるその日を待ち望んで、
毎日を大切に悔いのないように生きてまいりたいものだと思います。ほんとうにアーメンです。
聖ヒルデガルトや聖フランシスコ、
聖ベルナデッタ、聖テレジア、
そして十字架の聖ヨハネ、アビラの聖テレサ、シエナの聖カタリナ、
聖コルベ神父さま、聖カタリナ・ラブレ、聖ファウスティナ 、
またファティマで聖母マリアさまのご出現を受けられた
牧童の聖ジャシンタ・マルトと聖フランシスコ・マルト、
諸聖人の方々、どうぞ執り成してお祈りくださいますように。
ほんとうにアーメンです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています