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聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜

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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/09/25(土) 18:56:41.60ID:+hZmzc6S
秋田県秋田市添川湯沢台の聖体奉仕会、秋田の聖母マリアについてお話しましょう。
秋田の聖母マリアのメッセージとは、101回の涙の意味、共にお話しましょう。

秋田の聖母マリア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

前スレ 聖体奉仕会〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1435744378/

聖体奉仕会2〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/l50
0277D.Christian☆Mary☆Jacob Israel
垢版 |
2022/02/07(月) 16:26:06.00ID:igcL8rgd
★☆★世の終わりのときと推定される年−西暦2030年まであと8年と少しばかり(Part2)★☆★

前回のレス→>>275>>276の続き。
世の終わり−私たち人類の救い主イエス・キリストのご再臨が、
聖ヒルデガルトの終末預言に従えば西暦2030年の復活祭の頃までに、
そして聖マラキの終末預言に従えば西暦2032年の復活祭の頃までを、
それぞれ最終期限の年としておこる可能性が
暗示されているように思われること、
また、カトリック教会の数々の奇跡の起こった年数や
カトリック教会の主だった聖人の方々の生誕年、帰天年などから推定して、
同じく西暦2030年から西暦2033年までのあいだに
世の終わり−主イエス・キリストの再臨がおこりうる
可能性があることを考えてきました。

そして世の終わりに至り、主イエス・キリストの再臨に前後して、
あるいは五旬節の日−聖霊降臨の祭日の頃に、
主なる神様によって「わたしの霊をすべての人に注ぐ。」(ヨエル書2章28節)
というようなことをなされる可能性についてもふれました。

その箇所では、あとに続く聖句を聖ペテロも引用して
「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」
(使徒言行録2章21節)と語っているように、
主イエス・キリストからいただく救いを信じて受け入れ
主イエス・キリストの御名を呼び求めるすべての人々が、
神様の霊(聖霊)をいただけるだろうことについても確認しました。

この旧約聖書にある神様の御言葉によって約束された出来事の結果は、
ローマの信徒への手紙 第8章18-25節などの記述から、
わたしたち人間のみならず、被造世界すべてに及ぶことが示されています。
(次レスへつづく)
0278D.Christian☆Mary☆Jacob Israel
垢版 |
2022/02/07(月) 16:28:03.44ID:igcL8rgd
★☆★世の終わりのときと推定される年−西暦2030年まであと8年と少しばかり(Part2)★☆★

>>277より続く
「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、
 取るに足りないとわたしは思います。
 
 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、
 服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、
 神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
 
 被造物がすべて今日まで、共にうめき、
 共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
 
 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、
 つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。
 
 見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。
 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」
 (ローマの信徒への手紙 第8章18-25節)

(次レスへつづく)
0279D.Christian☆Mary☆Jacob Israel
垢版 |
2022/02/07(月) 16:29:21.73ID:igcL8rgd
★☆★世の終わりのときと推定される年−西暦2030年まであと8年と少しばかり(Part2)★☆★

>>277 >>278より続く
人祖アダムとイブが神様の御前に犯した「罪」を悔い改めなかったことにより、
私たち子孫である人類はもとより被造世界そのものも、
その「罪」の結果として毀損され
「虚無に服した」滅びゆく状態になりました。

聖書の御言葉に『あなたが、妻の声に聞き従い、
食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、
土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。
あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、
あなたは、野の草を食べなければならない」
(創世記3章17節-18節)とあるとおりです。

しかし世の終わりのときには、わたしたち人類とともに
「今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わって」きたこの被造世界も
主イエス・キリストのご再臨とともに、主なる神様によって
「わが霊(聖霊)」が「すべての肉なる者」(ヨエル書2章28節)に注がれることにより、
滅びへの隷属から解放され、創造された頃のような
神様の栄光を現わす世界へと回復されることでしょう。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
 永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)
ほんとうにアーメンです。
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