自我って、意味が二つあるから混乱しやすい。。

認知・思考・判断のシステムとしての自我、は無くなったら困る。。
これはあっていい。。
機能が高いほどいい。。

だけど、自分の自分に関する思い込みも自我という、これは架空、妄想のようなもんです。。
これはいったん忘れないと・・・というか、そういう思い込みが可能であるための認識、知というものは、全部他からの借りものなんです。。

他からの借り物、即ち概念・観念、がないと、自分はこうだとは思いこめない。。
で、こういう世間の概念、観念で自分を見ているうちは、どこまでいっても此岸であって、解脱が無いんです。。
だから、ここらへん、わかってみれば簡単で、此岸にいるうちは、輪廻と苦しみしかない。。

だけど、禅修行して、却って苦しみを増やしている不思議な人たちがいる、ということです。。w
まあ、そういう人たちは、もともと自我の飾り、他に自慢できる何かが欲しかったということでしょう。。w

はじめの一歩が間違っているから、その後は全部無意味、骨折り損、もともとの病気をかえって悪くした、というだけなんだろうね。。