善いサマリア人のたとえにあるように

どの神様が正しいのかではなくて、

どういう思いと行いが正しいのか、ということです。

その人にとって、一体誰がよき隣人であったか、

ということです。

自分を助けてくれた人がどんな神様を信じていようと、

ありがたいことでしょう。

それに対しては感謝することです。

その人が信じている神様にも感謝すべきです。