>>513 何事か成し遂げ、または現在躍進中の人物には、評価が付きもので
善くも言われ、悪し様にも評判が立てられる。
死後に於いて尚,人生に於いての行跡がトヤカク言われ続けるというのは
今なお、生存して居るほどの影響力が残存するからに他ならない。
桐山氏の蓋棺録は此れでもかと、書き足らないと思う人が多いらしいのだ。
話は少し観点を変えて見たい、そこでこんな事実がある。
桐山氏が関東出身とご存じだろう、氏は昭和30年代に京都に御縁が生じて
東山方広寺の境内地をお借りし、小さな道場を建立し昭和60年代に本建築の道場に
移転するまで毎月の例祭の導師を勤められている。
この木造モルタル塗り建築の道場で昭和45年正月の護摩法要で「念力の護摩」が修されているのは
ご存じだろう。
こうやって書き連ねると只の紹介と思うだろうが、「京都へ東京から一人で来て道場を建て、
然も次第に盛んに運営し、排他的な土地柄の京都に違和感なく一個の地位を築いた。」
ある実業人が「」内の事柄を知り、桐山氏は信じられない成功をしていますねと云う。
桐山氏は、地道な努力を継続していたのです。