だから言葉上では、「無価値を発見することに価値がある」と言えます。でも、すべては無価値だと発見したところで、無価値という言葉も必要なくなります。悟りの境地は言葉では説明できないのです。ただ、悟った人はすごく安らかなこころでいるということは確かです。こころが穏やかで落ち着いて、ひとかけらも悩むことがないならば、それこそ、ありがたいのではないですか。
https://j-theravada.net/dhamma/q&;a/gimon102/

これ書いたのスマナサーラ長老?
言ってることがスマナサーラ長老が散々批判していた維摩経とほぼ同じなのだが?
これって維摩経の不二論でしょう?