小乗教の大きな間違いは

釈尊が2500年前にインドに裕福な王子として出現して、19才で出家し、外道に仕え
30才で菩提樹の樹の下で悟りを開き「仏に成った」と思っていることです。

つまり、妻子持ちのボンボン王子様が、ある日思いついて、外道の修行に明け暮れ
「もう、ムリ。こんな辛い修行で悟れるわけないじゃん!」
「やーめた。」と言って修行を投げ出し、スジャータの娘がくれた乳粥を飲んでファイト一発!
修行に付き添っていた従者たちは「釈迦王子が退転してしまった」と嘆く。

十分療養した後、釈尊は瞑想三昧。
ついに悟りを開き「仏」と成った。

仏になったとたん、様々な教えを身近な人間に説いていくが、
その説く教えの素晴らしさは外道の法師さえ驚く程であり、外道の弟子たちは次々と釈迦の弟子となっていく。
舎利弗、目連、摩訶迦葉等々

こうした釈迦が仏に成る過程を「始成正覚」と小乗教の弟子等は認識しているが、実はそうではない。
※始成正覚=今世で初めて「正覚(仏の悟り)」を得る事。

釈尊が自分の正体を明かしたのが法華経寿量品第十六に記されてある。
※久遠実成=過去世から仏であった事

釈尊が菩提樹の樹下で悟ったのは、遠い過去世から、もともと「仏」であった事を「思い出した」のです。

つまり、妻子持ちのボンボン王子様の釈尊が、わずか10年の外道(バラモン)修行(最後は投げ出したが)で
瞑想により、たまたま悟りを開いて「仏」になったわけでは無いという事だ。

小乗教はここが根本的に理解出来ていないのです。