マインドフルネスPart.42
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※他者批判のためだけにレスをしないようお互い心がけましょう。
※(日本における)テーラワーダ理論はパラダイムの狭いものなので、あくまで参考程度に。
マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
当スレで採用するマインドフルネス瞑想の定義については、Wikipediaをご参照ください。
マインドフルネス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/マインドフルネス
『マインドフルネス(英: mindfulness)は、今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる。
マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある。』
マインドフルネス瞑想は、その源流となった仏教瞑想を越えて、広い範囲でマインドフルネスの名称が冠される状況であり、宗教、健康法、心理学の各分野に今や広い裾野を持っています。
当スレが話題の対象とする「マインドフルネス瞑想」は上記定義のものですが、それ以外のマインドフルネスを冠する技法や、
瞑想一般の話題、呼吸法、マインドフルネス状態を喚起する瞑想以外の方法についても、禁止ではありません。
単発IDであっても過剰な発言量にならないよう程々に情報交換しましょう。
また、感情的なレスのやり取りは周りにも迷惑ですので控えてください。
前スレ
マインドフルネスPart.41
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1621071844/ 道具が不要で誰でも気軽に始められる「瞑想」は、脳をリフレッシュさせてリラックス状態にしたり、
ストレスを緩和したり、心身の疲労回復を促したりと、優れた効果をもたらすと言われており、
世界中に愛好家がいます。しかし、瞑想をすることで、感覚が研ぎ済まれ過ぎて幻覚が見えたり、
幻聴がしたり、強迫観念に襲われたりという負の影響が現れることも知られています。この瞑想による
悪影響は「魔境」と呼ばれており、瞑想に取り組み始めて数カ月で体験することになる人が多いそうです。
ちなみに瞑想は英語で「meditation」と表現されますが、魔境は「makyo」と記述します。
瞑想に関するさまざまな研究が行われていますが、脳で起こる現象は科学的に証明されてはいません。
それにもまして魔境についての研究は進んでいないのが現状ですが、ブラウン大学で宗教学を研究する
Jared Lindahl博士と心理学を研究するWilloughby Britton准教授が、瞑想に取り組む60人に
インタビュー形式で瞑想体験を聞き、その中で魔境についての実態が報告されています。
https://gigazine.net/amp/20170607-meisou-makyou/ ここは、過敏に「反応してる」そのままに即「妄想してる」御花畠人を只管観る練習スレです。 エゴのバケモノ、アスペさん毎日の大連投のしくみ 〜その1〜
『教理をしっかり理解していない人が瞑想などによって、下手に言語慣習の剥落を経験してしまうと、言葉の消え去った心的状態というのは、事物の区別、自他の区別がなくなってしまうことですから、誤解が生じやすいのです。例えば「世界の実相そのものに触れ、それと合一を果たした!」というふうに、神秘主義的な意味づけをしてしまう。』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『唯一の比類なき「この私」を起点とするというと、仏教は「無我にて候」ではなかったのか、などと反論されかねませんが、私は入り口は個人主義でなければならないと思っています。端から縁起説的な関係主義ではいけない。なぜいけないのかというと、その相互依存的な関係性ないし共同性を、個を、超えた"より大きな主体性、大我"と誤認する心の働きが生じるからです。個我の不全感をナショナリズムによって補完するみたいな話ですね。この大我には「この私」が仮託され、投影されています。無我どころか肥大した自我を呼び出してしまう。』 〜その2〜
たとえば、あなたの周りには、「議論でいつも勝たなければ気がすまない人」がいませんか?
この、ごくありきたりとみなされている習性も、もとをただせば、自分の思考を防衛する目的によるものです。自分の思考を防衛せずにいられないのは、思考を「ほんとうの自分」と錯覚しているからに、ほかなりません。つまり、思考にすがりついているエゴの恐怖に、由来しているのです。
エゴは、自分の存在価値を、頭の良さで測っているので、考えが間違っていると証明されようものなら大変なことになり、消滅の危機にさらされてしまいます。そのため、エゴとひとつになった人は、絶対に負けるわけにいきません。 >>6
カバットジンの読者に多く見られる傾向ですね >>2
転載
> この瞑想による悪影響は「魔境」と呼ばれており、瞑想に取り組み始めて数カ月で体験することになる人が多いそうです。
悪影響ではないんですけどね
好転反応のようなもので、無視してきたこと、避けてきた心の事実を見られるようになったということに過ぎません
そして見られるからこそ解決するのがマインドフルネス
解決しないならやり方を間違えていますし、いたずらに怖がるものではありません
カバットジンはそのように書いてませんかね?読んでないから知りませんが
瞑想してないただの心理学などの学者がここを誤解するのは仕方がないというものでしょう >>5
ナショナリズムや○○教に仮託してるということはまるでないですし
大我などと見たら瞑想入れないと思いますけどねw
妄想乙です! 先生批判したらいきなり叩きが始まりましたなぁ
ということでこれも書いときますか
ウシンケン断たれる=出世間的七覚支が育った、ということで
禅定は世間的七覚支なので、入れないわけないのです
なんちゃってジャンプでウシンケン断たれたけど禅定関係ないと言っていた先生
対話拒否しつついじって来たのはあなたですので
あしからず メーテルの次は先生がトレンドなのか
俺も先日メーテルと呼ばれた日に先生とも呼ばれたが今日は別の人が先生と呼ばれてて笑うw
メーテルや先生何人いるんだよw メーテル以下数名
出鱈目なお方々は無用に喧嘩売ってきますよねw
だからお相手してるだけなんですけどね
お相手して差し上げると、藁人形打って、レッテル貼って、唾吐いて逃げるだけですよねww
それがマインドフルな個人主義ということなのかなぁ?
ぼくバカだからわかんないけどw
>>12
さあ?
先生はコソコソ目線を避けつつ、気取り澄ましてご高説を開珍しつつ、揶揄してくるマウント芸風なのでw
あなたではないだろうとは思いますよ
もし、昨日の先生と呼んだ人ならばそれはわたしの誤りでしょうな、多分 出鱈目は全部メーテル先生でいいよ
どれも変わらないし、誰でもいいw
増上慢にすらなってない増上慢ってあるんだなと感心しておるのだ 年中単発転がしてる人と、出鱈目藁人形レッテル貼りをして勝利宣言するメーテルが
そのままである限りは、目的を共有する他の人も疑われて仕方がないのでは?
と思いますけど
それらを嗜める人はいませんよね不思議なことに 開き直ってんだなー
自分の主観で誰でもメーテルや先生呼ばわりしていいってことなのかね
なかなかの荒らし行為だねー
マインドフルネスの反面教師にはいいかw わたしが無知バカなせいで理解してないのかもしれませんが
個人主義とは、
知らんことに見解立てて喧嘩売る、藁人形を打つ、レッテルを貼る、複数idで単発を転がす、
論点をずらす、自分の妄想が妄想だと気づきたくない、逃げつつ勝利宣言をする
と言ったような、メーテルさん他の人のような態度のことを指すのです? >>16
メーテル他の開き直りは正義なんですな、あなたにとっては >>18
他の開き直りは知らんけど俺はメーテルとは何度か言い合いもしたし嗜めもしたけどねw
ま、自分の意にそぐわない不特定多数を同じ人間だと思い込んでメーテルだの先生だの頭の中のイメージモンスター作らないようにがんばってなー >>19
なかなか楽しそうな思い出話だね(^q^) >>16
別にいいと思うし荒らしだとも思わない
呼ばれたい名前があるならコテをつけてみたらどうだろう
ただし早いもの勝ちだからね(^_^)v マインドフルネスは魔境
ソースはこのスレの書き込み↑↓(笑) >>23
その糞を集めた肥溜めがメーテルのTwitterなのでふね メーテルさんはマインドフルネスとかテーラワーダにそれなりに知識的には詳しいのに
光を頑なにタブー視するというのは不自然過ぎるのですよね
どっかの禅僧の女房かなんかですかね?
マインドフルネスに批判的でアタマで行き詰まってる、
たとえばネルケみたいな感じの思想家的なタイプの禅僧の ん?
もしかして俺くんは、言い合いしてた相手をメーテルと他のある人を勘違いしてた?
↓これはまんま俺くんの自己紹介でしたか…
19 神も仏も名無しさん [sage] 2021/06/05(土) 14:51:28.09 ID:Nlb/UfLd
>>18
他の開き直りは知らんけど俺はメーテルとは何度か言い合いもしたし嗜めもしたけどねw
ま、自分の意にそぐわない不特定多数を同じ人間だと思い込んでメーテルだの先生だの頭の中のイメージモンスター作らないようにがんばってなー そう仮定して考えると、
メーテルさんが自信満々にトンチンカンを言い放ち、
「良道さん」と呼びつつ山下良道を過剰に敵視しミスリードを行い、
他の人にも思い込みの激しい藁人形打ちをしていく
カルト教団的な思考様式をメーテルさんがお持ちであるということを
よく説明でき、納得できると思うのです
あくまで仮定の話に過ぎませんからね
想像して笑ってしまったので書いただけでふ
>>29
まあまあまあ メーテルは早起きだからそうかもしれないけど
あの下品なTwitterがそういう人だと思いたくない
嗚呼これも観念なのだ観念なのだ 禅寺の住職の凶妻で、住職からも弟子からも腫れ物扱いだとしたら…?
これもなんか辻褄合っちゃいそうw
お花畑の妄想がひろがりんぐでふ いやいや、メーテルのような人は外面はキチンと取り繕ってるよ
頭は悪くない人なんだからさ >>30
そーか
だから同じところで躓いてる人ばかりいるように見えてしまうのね
メーテルが布教しちゃった?
でも大元の原因の一つはヴィパッサナー瞑想を誤って布教してしまった教団にあるだろう
しかし、どうやら教団の「分かってることになってる人」はあえてやってるんじゃないかっていうのが、昨年までここで挙がってた話題 >>26
なんで?
もうかなり昔だよ
メーテルって人が靴箱って人と論争してた頃が最初だったんじゃねえかな
>>29
言ってる意味が全くわからないが俺はメーテルってコテをつけてる人と過去に言い合いしたことあるって事実を書いただけだけど 同じところで躓く理由は…
つまりメーテルはここで布教したわけじゃないってことだな こないだワクチン誤爆事件あったじゃん?
すごい早い勢いでスレ流れていったから笑ったわ >>35
わたしは疑ってるわけじゃないからw
靴箱さんの頃は何人か居ましたな >>34
いやー、多分禅宗周辺だと思うよ
以前は藤田一照さん周辺かと疑ってたけど
藤田さんのことも利用したから
さる長老のことは彼らとわたしと共通して敵視してると言うか、そんな感じ
藤田、山下からそう遠くない人たちがいると思うね 認識する主体に名前つけておくよ。
未だ確かめていない人たちが想像でマインドフルネスを語って、
いや語るのは全く自由だけど、妄想のマインドフルネスを構築し、それをまた布教している構図なのね
妄想マインドフルネスが他の妄想マインドフルネスに批判して、ややこしくなってるのが興味深い。
妄想マインドフルネスも仏教研究は真面目にやっててある程度は理解するから、有身見断たれたと言われたら、それはそれは話を聞きたい興味深いと思うし、こちらは嫉妬の要素もない。
けど話が実践の域になると、てんで出鱈目が暴露されてしまう。
ウサは仏教研究のほうが後回しになってて、そんな人たちがいても半ば好きにしてくださいと思ってしまう。けど、そういうのもカルト宗教の芽になってるのかなと言われたら、ちょっと気にはなる。
某長老には腹を立てたこともあるけど、最近は哀れに思えてくる。
ウサは未だ修行中で阿羅漢ですらないし、もともと他人の瞑想を変えることは無理だと思ってるけど、あそこまで団体として妄想が膨らんでると…
何も起こらなければいいけど、当然そうはいかない。妄想である以上どこかで限界がやってくるからだ。 結局連投して荒らしてたのはやっぱりアスぺとウサだったというオチ
5ちゃんで連投なんてしてないで修行を進めたらいいのに 自我の思い思いマインドフルネスのスレって先生が立てたんだねwww アスペさん語録
2019/07/31(水) 13:23:46.47 ID:m/ELO5LL
マインドフルネスやテーラワーダ経験した人が
坐禅に戻って只管打坐になるということは何の不思議もないこと
しかし、曹洞宗で教えてる坐禅、只管打坐はマインドフルネスではない
全く違う
ここのところを誤魔化して騙すのは悪行だ
人を無駄に迷わせるだけだから
2020/08/09(日) 14:47:51.93 ID:4zVkS0iA
山下さんは結局のところ曹洞宗にテーラワーダを理解して欲しいわけだ
曹洞宗からみればマインドフルネスもテーラワーダも一緒なのだから
南伝の正統派パオをマインドフルネスと呼んでるんだろ
2020/11/03(火) 21:57:44.62 ID:X4TN9vhQ
大拙は臨済宗だから目指しの坐禅だよね
目指しつつ到達するというアートだよ
出家者ならそういう事が課せられるかもしれないが
マインドフルネスというのはそうじゃない
2020/11/03(火) 22:01:47.08 ID:X4TN9vhQ
あと、禅問答って臨済宗のやることね
僕はそういうアートにはほとんど関心ないですが… アスペさんの世界観
・テーラワーダ系は(パオ以外)駄目
・パオも実は単層理解だから駄目
・臨済は目指しのアートだから駄目
・曹洞は観察を否定してるから駄目
・アスペとウサは上記のすべてを超える瞑想者 山下さんも完璧ではないのだと思う
方便として触れてないだけかも知れないから、その点で良い悪いは思わないけどさ 勝手にやってろと思われるかも知れませんがアスペさんは本気です
他の全てを否定し、本当のマインドフルネスを理解しているのは自分たちだけだとするアスペさん
カルト団体5ちゃん宗マインドフルネスの起ち上げだ! いや、おそらくもっとちゃんと理解してる人はいる
途中までだと途中までしかわからないし
全体をみたらその途中までわかった、が正しいかどうか分からないんだしさ
でもマインドフルネスの肝は最後までここだよ
分かるまでは正しい法でも、分かったら棄て去って、常に無知で分からない存在に立ち位置を合わせるんだよ それにしても先生もメーテルも山下さんが嫌いなんだね 前スレ999
このスレ見てたら、自我が破壊されることをイメージして、それを目指して瞑想することになりますよ >>47
話のわかりやすさのために言ってることで定見ではないな >>56
マインドフルネス八週間やってそれが起きるならば
その人か本が間違ってる 自分は図らずも不立文字の瞑想をしてきてマインドフルネスにたどり着いたので
禅などと言いながらも経典を解釈して思い描いて、光などのことをタブーとしてる人を見ると嘆かわしく思います >>56
また、999に戻るけれど
それ(56)は過去を過去として忘れてやってることにならないですからね 不立文字と言いながらベラベラベラベラよく話すお方ですね >>61
>>60で回答済み
そろそろ非難のための詭弁とみなしますよ? 野狐とは頭での解釈から抜けられない時に起きることです
宗教で殺人が起きるのもそれが原因です
実際が伴わない、つまり苦が抜けない、苦が苦であることも見えていないからです
世間一般そういう人の方が圧倒的に多いですからね
野狐という言葉は「善友、善知識につけ」という意味以外にはあまり使うべきではないと思います
魔境と野狐はイコールではないですね、混同してる人いると見えますが
「お前は魔境だ」というとき「お前は気狂いだ」と同義で使う人もいます
それは八週間のことすら出来てない人の言うことです
出来ていたら魔境は現れてきますから>>2にあるとおりです
また「一切皆苦」と見え始めた人は魔境に違いありませんし
白隠禅師も魔境を抜けて悟ったとされます
ここのガヤ勢は、悟り前のゴータマ師や白隠さんを見たら、指を指して
「マキョー!キチガイ!ヤコ!」と連呼することでしょうw
エゴという言葉を通俗的な「俺から見てお前はわがままだ」というような意味にしか捉えられてない人も同じです
自分を苦しめているエゴがチラリとも見えていないのです
何故そんな人がこのスレに常駐してるのか知りませんが
よほど苦しみを溜め込んでることはわかります >>63
回答になってないだろ
このスレ見てたら、自我が破壊されることをイメージして、それを目指して瞑想することになりますよ 実際イメージしてる人がいるね
ジャンプしてありのままに新聞を読んだら、景色に見えるとか言ってる人がいる >>66
それ言ってた人じゃないけど気になる
瞑想の達人様だと新聞を読んで肯定も否定も解釈もしないとしたら、ただの文字列で、読む意味なんかなくなるんと違いますか
それとも意味がそのまま伝わるというそのレベルだけの話ですか >>65
だからそれは過去の産物でしょうに
過去を忘れて坐るというのはそれも忘れることです
君がそれを理解できない、実践できないことを
誰かのせいにしないようにしましょう >>69
瞑想を言葉で伝えるというのは難しく誤解を生みやすいということではないですか
そしてあなたは他のメソッドに関しては誤解を元に批判をし、自説に関してだけは誤解を許さないという態度を固持してるだけじゃないですか ひたすら何年も5ちゃんで
自分だけが分かってる・理解してる・出来てる
他は一般の瞑想者のみならず、
テーラワーダも曹洞宗も臨済宗も駄目だ
と言い続けたいだけの
エゴのモンスターさんですよね >>68
それについては前のレスで書いたよ
詳しく書いてもいいけど、それをまた妄想しながら瞑想することになりませんかね?
一応、自我が壊れたくらいではそんなことにはならないよ。まだまだ認識が残ってるからね。自我はあくまで固定の自己があるという妄想で、自我が消えてもまだ修行は続く、ここからがスタートだと言う話をずっとしてるんじゃないの? あとね、べつに自我が壊れてなくてもそういうことはあるよ
例えば、よそのお家や居酒屋の教訓カレンダー
なんとなく読んで意味を納得することもあるし、よそ事を考えていたら目の前にカレンダーがあっても、読み込んだりしないよね。景色だよね。 >>72
掲示板なんだから書いたらいいんじゃないですかね >>72
固定の自己があるという妄想というか、錯覚だね錯覚 よくアスペとかいう人いるけど、そういう言葉使う人で
話が把握できた上で言ってる人を見たことないんですよね
このスレでは >>78
このスレを見てると、そういう埋め込みがなさせるから、どうすればいいんですか?とお尋ねしてるんですよ 独善的でひとりよかりなアスペさんと
疑心暗鬼の塊でキチガイのウザイさんでお送りする
マインドフルネスごっこスレでございますよね 初心の話は文字ベースでできる話は大体一巡りしたと思いますが
まだそこで引っかかってる人がいるんですね
質問攻めにする前に、落ち着いて前スレを読み直してはいかがでしょうか??
鈴木俊隆さんがどんな人に向けて、どんな流れで、どんなニュアンスで言ったのか?
それ抜きで「初心」という文字だけが一人歩きしてる感じが強いんですよね
それは言葉、ワード、単語、文字、概念が本質だと思ってるということ
言葉が本質だと思ってるなら禅とかマインドフルネスは不可能ですよ
カバットジンはそう書いてないんでしょうかね?
どっかに書いてあるはずだと思いますよ 「過去に囚われないことだ」
だけでは、人によっては全然足りないということもわかるのではないでしょうかね
この流れ見たら 瞑想中に経験したあの経験をもう一度したい、と言ってる人がいたとして、今は今の瞑想をすればいいんだ、以上のことを言ったって余計に複雑になってごちゃごちゃするだけなのでは >>79
掲示板だから書いてもいいのだったら、それ読んで誰かが妄想しちゃったことはべつに書いた人に責任はないですよね
ここは寺でも宗教団体でもないし >>84
そう思うけどさ、経典読んで影響受けてる坊さんが嘆かわしいー自分は不立文字だーとか長文書きまくってる人が言ってたから、そう思うなら影響あたえるようなこと書かなきゃいいだろと思ったんだよ ん?別にそもそもの話、経典を読むなってことではないよね?
読んでも思い描かなければいいんじゃない? > 995 メーテル[] 2021/06/07(月) 09:54:40.52 ID:F9+eka/w
> 違順纔かに起これば、紛然として心を失す
>
> たといえに誇り、悟に豊にして、瞥地の智通を獲、
> 道を得、心を明らめて、衝天の志気を挙し
> 入頭の辺量に逍遥すと雖も、
> 幾ど出身の活路を虧闕(きけつ)す
>
> 前のめりの野狐
↑
前のめりの野狐ことメーテルさんの作ではありません
~~~普勧坐禅儀現代語訳~~~
いわんやこの自己の生命の実物は、その住まう世界それぐるみ、本来清浄、ナントモナイものであって、いまさら掃除しなければならぬというものではない。
すべてそのままでよし。決して修行して初めて到達するというものではない。
しかしながらちょっと間違うと、(人間生命は「思い」を持っており、この「思い」は「実物から宙に浮いたことを考えることができる」
という二重性格を持っているので)まったくとんでもないことに発展していってしまう。すなわち本来「それ自体ナントモナイ実物」なのに、
これに良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、あるいは他からの評価を気にするとか、全然実物から宙に浮いたことを付け加えてしまうので、
たちまち自己の正体、生命の実物を見失ってしまうのである。
~~~
年中(実物とかけ離れた)浮いた言葉で格好つけて分別してる野狐メーテルさん
まさか盗みまで働くようになったとは嘆かわしい😂 >>88
「決して(そのような)修行をして初めて到達するものではない」
ということだと思います
というのはこの老師も修行してそれを発見され、それはもともとあったのだとわかったのだから >>90
?
話の繋がりがよくわからんけど、梵天勧請が無かったら遠い昔にそんな人がいたことも何も伝わってなかっただろね 読んで迷うなら読まなければ良い
それだけでしょ
過去を忘れる、それだけでいいんだ
というならば >>88
瞥地: あるところをちらっと見ること
衝天の志気: 有頂天
出身の活路を虧闕: 真実を知る道を自らふさぐ >>94
そうですか
よくお気をつけなさると良いでしょうね 有頂天になるんですなメーテルさんは
わたしは全然そんな気分になったことないですね
ちらっとでもないし
ちなみに>>88はメーテルさんの好きな内山老師訳です 覚者でも実践体験したことのないことは筋立てて教えられないのではないかと思った。
修行も階梯もなく突然目覚めた人は、これをしなさいと教えてくれるけど、いやそれができないんですー!ってなる。
魔境通らずに覚者になった人もいて、その人は魔境に囚われるな執着するなってとにかく言う。でも魔境って囚われるものなんだよw魔境やってない人はメカニズムがわからないんだよ。
ウサは自己肯定感を上げるために心理学を読み漁ってて、偶然自我をみてジャンプしたので、ジャンプするまでの呼吸訓練のやり方もモチベーションもよくわからない。
アスさんや山下さんは信仰があって瞑想の末ジャンプしたから、瞑想する者の実践はやってて、信仰心または宗教がないなら慈悲の瞑想もセットでやっていきましょうということになる。
でも信仰心もないし、慈悲の瞑想はやりたくないんです。そういう人はどういう心持ちでやっていったら良いのかと聞かれたら、分からないのではないか、と思う。
どうしても慈悲の瞑想なしにマインドフルネスを始めたいなら、先駆者になっていただくしかないような。
しかし、観念に観念つけて観念雪ダルマになって終わるのは目に見えている。
そういう慈悲の瞑想なしに集中法をやって覚者またはジャンプした人がいるなら参考にしたらどうだろうか…いないとは思うんだけど。 信仰が必要になったのはジャンプ後かな
最初のジャンプでは独自の慈悲の瞑想だったけど、その時は信仰という感覚ではなかったです
神仏信じてなかったですからね
何も信じていないに近かったです
光も、なんだ光???という感じで執着できるものではないです
仏教的には執着落ちないと出てこない光です
動いてる光ならば始めたばかりの頃から見てますが、それじゃない
仏教仏教いう人が頑なに光はタブーだ、慈悲の瞑想は出来ない、絶望とか変なことをいうな、
というのはかなり変だと思います
よほど歪んだものを頭に植え付けられてるのでしょう
それが苦しみを握りしめてることでしかないと、気づければいいのですが 魔境に執着するな、は本当は正しいのだけれど
そこから目を逸らしてはならないから仏陀は集諦を解いたと思いますよ
ジャンプというのは執着を離れるということです
執着なく自分自身を見ているのがいわゆるヴィパッサナーですね
執着が落ちたら光も見ます
そして苦諦も起きる
(この間に信仰の必要を感じてきました)
光というのは何が神秘体験と結び付けられてしまうけど
それは本質を全く見誤った見解ですね
ただの妄想です
神秘体験が問題なのは、光の中に形作ったものに意味づけし
執着を起こすことが問題なのです
こんなのはヴィパッサナーやってたら分かるはずですよ うん。仏教に触れてたり仏教本瞑想本を持ってたりするのに、慈悲の瞑想を頑なに否定したり(慈悲をやりたいけど、心が抵抗してまだ出来ない、という悩みではなさそうだ)
なにかが私生活であって、個人的な怨恨をマインドフルネスにからめてるのでは?
自分vs怨恨相手、の構図をマインドフルネスの解釈の対立として作り出して、さらにTwitterで仲間集めて、怨恨相手を批判するための承認を得てるのでは? 結局は、マインドフルネス瞑想未だできず
最早再現不能な過去の変性意識体験と、まともに今できるのは慈悲の瞑想のみということでしょうか
特殊過ぎて、あまり人の参考にならないように思うのですが あれだよあれ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
いけ好かない人が慈悲の瞑想やってて、慈悲の瞑想まで憎いとか。そのいけ好かない人は、山下さんの瞑想指導受けてたとか?? 坊主憎けりゃ袈裟まで憎しになってないか
よーく考えてみよう いけ好かない人
慈悲の瞑想
山下さん
山下信者
山下信者の言うこと
その他もろもろ
これらはすべて別のものだよ
観念雪ダルマなのでどんどん嫌いなものが増えていく
ほんとうは、いけ好かない人以外、メーテルにとってどうでもいいこと、好きでも嫌いでもないことのはずだよ >>107
山下信者であろうがなかろうが、慈悲の瞑想実践者であろうがなかろうが、全てに関係なく、心理学先生の精神分析は受けません。
何故なら、これまでに私に投げつけてきた先生の妄想雪ダルマ式の診立ては全てノータリンだからです。 メーテル自身の問題だから
そのいけ好かない人と慈悲の瞑想は関係ないよ 光そのものは執着の対象にはならないんてすよねー
これはまともにニミッタ見てる人ならよく分かるでしょう
中途半端なサマーディの時に光を伴って形作ったものに好き嫌い評価で意味づけするから執着がおきるのです
というか、意味づけしてしまうから中途半端になる
瞑想では神秘体験つまり形のある次元のことは全て「捨てるもの」
一貫してそのように話してきました なので、バシャールも中途半端なサマーディです
ぶっちゃけそんなようなものを見ることはたまにありますからね
ですが、そこに話しかけたりは絶対しませんし、意味付けもしません
渇愛が形作ったものに過ぎません
バシャールや神との対話の人がどうなるのかはわかりませんが
意味付けが最終的に失われないと、不幸なことになると思います
ともあれ形あるものには執着しやすい
形ある対象となるものは無常ということが大事なのです
それらは自我とも真我とも梵天とも見ない
つまり他我とも大我とも見ないw
お釈迦さまにナートマン、アナッターと教わったとおりに見たほうが良いんです 誰かがアスペ連呼するきっかけになった話を簡単にしときますね
山下良道さんはミャンマーで一人の人間として「わたしは青空だった」と言い切れたのです
これは間違いないのです
しかし、テーラワーダ比丘としてはそれは口にすることは出来ませんでした
すぐには
どう読んでもそういう話です
これは光を見てない人にはわからないですから、読めないのは仕方ないですが
自分が知らない、論理的に理解できないことに「アスペ」とかレッテル貼るのは
かなり変なことだと思いますよ
事実を知らないのだから論理的に読めないのは当たり前です 創作の源流はマインドフルネスの話
創作する人はフローに入ったかのように無我の境地で作品を生み出すそうだけど(※ただし、その作家はジャンプしているわけではないようだ)
創作された小説や漫画の主人公でも、ブラックジャックみたいな天才医師とか天才アスリートとか、天才系の主人公はやるべきことには他人の目も気にせずに躊躇なく集中して結果を出す様が無我の境地、マインドフルネスぽいよね。
そういうのがヒットするのは、みんな根源的にマインドフルネスなものを無意識に知ってるからだろうな。
だけどマインドフルネスになったからってみんな天才医師や天才ピアニストになるわけでもなくて、バカボンのパパだってギャグ化されてるけど無我っぽい。結局あの人は「天才的なバカボンのパパ」なんだよね。
だから、自我が崩壊して無我になったら何になるかって、ありのままの「あくまで自分における天才的な自分」にしかなれないのよね。 >>112
前はわからなかったけど、今はバシャールの境地わかる
サマーディでとまってる。
そういうスピリチュアル系有名人はたくさんいる。ノンデュアリティの大和田さんとか。
ほかにもスピリチュアル系で成功してる人ね
言ってることは間違ってるってほどではないし、神秘体験もしてるようだし、聞いてて面白いけど、何かマインドフルネスと違うし、何が違うのか謎だった。
苦諦に至ってないってことなんだよね。
彼らはまだいいんだけど、彼らのファンや読者は俗世間にいる人だから。
アファメーションだけで幸せになれるわけないしなれても一時的なもの >>114
手塚治虫さんは人間のエゴ=苦しみを生むしくみ、悲哀、みたいなことを
丸っこい線のやわらかいキャラクターでオブラートに包んで描いてる
そうした作品の全体に彼の慈悲のようなものを感じるんですよね >>114
続き
村上春樹の『騎士団長殺し』は個人的にマインドフルネス文学だとおもうのだけど、先にあげた天才〇〇的なマインドフルネスとは趣が違う。
主人公が騎士団長殺しという絵画作品を通して自我と対峙し、自我を超えるという話。
超えたあとのラスト、主人公は出ていった妻が戻ってきて、村上作品では珍しく主人公に子どもが生まれる。
世間から見て特別な何かになったわけじゃないけど、ありのままの主人公になっていったのだろう。
(俗世間の読者はこの作品を自我を超えた話だとは思わないかもしれない。Amazonの感想を見ると多分思ってない)
村上春樹さんはユング心理学者の河合隼雄先生と対談していて、ユング心理学をかなり影響受けていて、この作品のベースにしてると思う。
なので自我を超えるというテーマはありといえばあり。
だけど、ユング心理学に収まらない何かを感じるし、仏教や量子力学的な世界観も感じる。
そして村上春樹さんの実家はお寺なんだそうだ。
ただ、「自我を超えるのであれば、ここはこうだろう」と言いたくなる箇所もあるので、村上春樹さん自身はジャンプしてるわけではないのだろうね。してるかもだけど。
ジャンプしてるわけではないのにここまで描けるとは、彼は本当に天才なんだと思う。 >>117
そういえば手塚治虫さんはブッダという作品描いてるよね
読んだことはないのだけど。
子供向けのかわいい作品のイメージかと思えば、かなりドロドロした闇の深いテーマの作品もあって、天才の枠におさまらない人だね >>115
うん、スピ系は結局は形を作っちゃう人ばかりだと思う 村上春樹は作品書いてると心に毒が貯まるので欠かさずジョギングしてるんだ
と言ってたのを覚えてますが
実家がお寺で仏教的な背景のある考えなのかな?
まああと生活リズムがしっかりしてるような感じの話ししてますね
彼の作品はそこここにこの世ならぬものがぽっかり口を開けてる感じがしますね
安易な祝福とかみたいなことではなく、ウベッカーのような何かで
誰が読んでも単純に一通りに読める世界(時代小説や百田尚樹など)を好む人からするとつまらないらしいですが
彼は日本でも欧米でも人気がある
つまり「世間のど真ん中」な作家でもあるから、世間に向けてマインドフルネスの話をするのには
ハラリと同じく「補助線」として使うのにいい題材かもしれないですよね 手塚治虫が「天才が現れた」と評したのが楳図かずおだそうですね
絵がホラーっぽくて苦手なのでほとんど読んでませんしちっとも天才性がわからなかったのですが
数年前、彼の「わたしは真悟」を読んでちょっと語り尽くせないほど深いマンガだと思いました
マンガなどの話になると慎吾のことが頭に浮かぶのだけど上手く話せる気がしません
ホラーちっくではありますがそこまでグロくもないです(微グロ)
ともかく天才性を垣間見られる作品だと思います 創作は形にすることなのと、作品は作者との会話でもありますね
マインドフルネスを伴って作られたものは作品を超えて作者のマインドフルネスに触れる
ということだと思います
しかしマンガは必ずしもそこまでを求められてるものでもないし
形として分析出来る次元で語られることが多いのですが
結局のところ形を超えて伝わってくるものが本質だと思います
小説も音楽もそうでしょう わたしは真悟についての楳図さんのインタビュー
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1608/31/news019.html
人の知能と感情を覚えた真悟が最後は言葉すら忘れて「アイ」が残ったというのも、このインタビュー見るだけでもゾッとするくらい深いね
もしかして楳図さんはマインドフルネスすら極め尽くしたのか…!?と思うくらい
単にこれからのAI社会を80年代に予想しただけでも凄いが、そこにとどまっていない そだね、80年代にAI社会を予想したという読者の分析は形で語れる次元だね
楳図さんと作品はそれも超越している。 >>122
村上春樹の主人公は、常に原因を外に求めず自分に置いて孤高で自立することを理想として生きているんだよね。
日本もだけど海外の読者はそういう個の在り方にも惹かれてる気がする。
マインドフルネス的な見方でまた村上春樹を読んでみようと思う。それは今のウサにしかできないのかもしれない。ありがとう。 村上さんのレスのところに書いたのだけど
一通りにしか読めない物語でないと文句言う人達は村上を嫌います
どちらかというとネトウヨに多い傾向がありますね
彼に韓国人は出て行けとか言ってる人もいます
全く意味不明なのですがw
そういう読者層に百田尚樹は感動ポルノ的な作品を売り込んだ
わたしはそういうのはバイアス強めるだけで面白いと思えないんですね
わたしはこのスレではネトウヨと見られてるフシがありますw
それは文部省発行の「国体の本義」を写したところからなのかなと思いますが
それをネトウヨと見た人はリベラルとしてハンパモノですよ
神話的歴史観を共有しない人は民族ではなく、根無し草ですから右も左もない
ただのアナーキストです
それに神話的歴史観を共有するのが民族、国民であることは世界の常識ですよ
ネトウヨが嫌う加藤陽子さんや白井聡さんなんかが国体について説いてますが
戦後世代はそれを見失ってるので、右も左もハンパモノばかりなのです
加藤、白井はそこに思想的危機、民族的危機を感じてるのでしょう
ネトウヨは潜在的にそれを求めてる人たちですが、百田さんに飛びついてしまう
それはダメなんですね
国体というのは一通りにしか読めない単純なストーリーではありませんから さて、ここから本題ですが(やれやれ)
その神話的世界観、歴史観こそが我々にとっての「ザ・世間」なのですよ
超越性と世俗のつながりの論理を共有しており、統治原理でもあり死生観でもある
曲がりなりにも1300年間の歴史を支えたものです
仏陀にとってのバラモン教、イエスにとってのユダヤ教ファリサイ派
我々にとってそれは国体観、神話的世界観歴史観なのです
その最新アップデートが「国体の本義」なのです
肩持ちたくないけど、創価学会はそういうところがあります
彼らは神話的国体観を超える価値観が法華経であるというわけで
神社を嫌うことになっています
だからあいつらはパワフルなのです、国体、国柄という確固たるテコがあり真正面からそれを越えようという体でいるからです
ですから公明党は正統的な左翼政党なのです
それ以外の左翼政党は民族も国も見失ったまま民主主義をスローガンにして
喚いてるだけですね
彼らは本来は日本民族として左翼をするべきなのです
それは右が強すぎると腐るので、それはどんどんやるべきだと考えてますよ
こんなことネトウヨで言う人居ないでしょw >>125
これから暑くなったら夕涼みに読むと良いかもしれませんw 徳川時代以前の百姓たちは記紀神話や天皇なんてどれだけ知ってたんですかね 旧約聖書にはヤーウェという神の名は一度しか出てこないそうですが
天皇も日本においては超越者ですから、○○天皇とかは言わなかったとして不思議はありません
島国だったから自然と一つの国であるかのように統治されていたという側面もあるでしょうし
そもそも近代国家ではないですからね
さっきの話では近代という枠組みと国体観、というべきだったかもしれません 民主党系の政権ができたら、外国人参政権が通る可能性がある。
自民が圧勝すると、憲法改正されていずれはアメリカの戦争に巻き込まれる可能性がある。
どっちに転んでも、いいことはない。
共産党や山本太郎の党などは、国際権力の闇を知らなさすぎるので、外交の場で相手にされない可能性が高い。
どの政党が政権を取っても、どうにもならないという見方ができるから、
日本の政治は虚構であるとする見方は正しいだろう。
だから、今できることはアメリカの権力の趨勢から、国際情勢をまずは冷静に分析、把握することだろう。
それができないリーダーに国を任せることはできない。 日本はアメリカの属国であるからダメだ、という議論は間違っている。
アメリカの属国で植民地であるからこそ、個が自律的に思考し、普遍の高みに上昇することができる。
それは、村上春樹の小説にはないが、他の多くの文学作品、ポップカルチャーの中に見出すことができる。 あと何故朝廷に将軍を認定する力があったのか?でしょう
それは超越者とみなされていたからですよね
天皇によっては単純にキリスト教徒にとってのイエスほどの存在ではなかったかもしれないにしても
足利の時代はお飾りの天皇でもあった
けれど、なぜそんなお人形が必要だったのでしょう
超越的存在のシンボルは統治に必要だったからだと思いますよ
つまり神々を治める存在として何か偉人がいる、という程度には
庶民も認識はあったと思いますけどね
>>133
現実的な各問題については論じませんけれど
何が起きても混乱が広がらないことですし、組織的に柔軟に対処しなければならないですから
政治思想的な立ち位置や政策は多様であって良いのです
権力闘争の力学があまり上手い形になってないだけで >>135
天皇制は、日本の伝統ですから、これからも必要でしょう。
しかし、身分制が廃止され、貴族や士族はなくなったのに、なぜ皇族だけいるのかというのが、
左翼の人の言い分ですね。差別の根源は天皇制ではないかという議論です。
これも面白い見方だと思います。
皇居の森を埋め立てて住宅地にしろ、そうすれば、東京の住宅問題は解消するのだ、
なんて方言を言った左翼の思想家がいたそうです。
これも面白いアイデアだと思います。 だから、天皇機関説というのも考えると面白いんじゃないかな?
昭和天皇は、機関説でいいと言った。
しかし、側近、周りは許さなかった。
ここら辺の問題、人間を神に近いものとして崇めるという精神構造がいいのかわるいのか?
崇める対象があれば、蔑む対象も生じる。
だから、これは個々人の精神的な成長の問題かもしれないんだけど、
人々の精神に差別構造を生まないような制度に変えたほうがいいのではないかとか、
いろんな議論の余地はあるだろう。 村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」の方の心のない人々の静謐な描写を、読んだ方はどう受け止めましたか?
私はなにぶん遥か昔のことであまりよく覚えてないのですが おお、夜中に白熱講義になってるね
殆どはよくわからんけど、わかる部分のみ。
村上春樹を一通りに読めないのが嫌というのは普通の読者にもいて、ファンにもいるんだよね。
それはかつてのウサもそうで、国語科の試験は提示されたテクストの中から読み取るしかない。特にセンター試験のような選択式問題は(今は論述もあるんだっけ?)
読書そのものは自由に楽しむものだけど、国語科の試験はテクストから読み取れないことを設問にしてはならない。
なので論理的思考がある程度できれば、漢字や言葉の意味以外を覚えるものはなくて、答えが試験問題に書いてある、試験としてはある意味楽ちんな科目だったりする。
(けどその論理的思考をつけるのが他の科目と比べて圧倒的に難しいものだったりもする)
村上春樹の作品で一通りに読めないと言われるのは、一つに伏線が回収されない、というものがある。
つまり論理的思考で説明がつかない部分は、「謎」として残したままで小説は終わる。
そこが論理的に読んでる人には気持ち悪いし、伏線を回収しないのは書き損じなのでは?という意見も出る。
村上春樹がノーベル賞を取れない一つの理由はそのへんにもありそう。
つまり、マインドフルネス修行にあわせて言えば、
自分の能力でなんとかすれば出来る、わかる、ことしか現実としか思ってないし、わからない(思い通りにならない)ことは嫌がられてしまう。
分からないものもあるのだ、もしかしてそこを村上春樹は挑んでいるのかも?と受け容れるとか、素直に楽しんでる人は謎を謎のままとして楽しんでいる、人もいる。
ただ、これは謎として残したままに出来ない読者側の問題だけではなくて、村上春樹の技量の限界にもあるかもしれない。
収まる気がしないけど続く 世界の終り はかなり昔に読んだので、読み直したらきっと感想を書きましょう >>138
僕も読んだ記憶がありますが、はるか昔のことなので、憶えていません。
村上は好きですが、彼は基本アイロニーの人だと思います。
彼は、全共闘とか、安保とか、天皇制とか、日米関係とか、そういう政治状況を強く意識しています。
しかし、そうした政治状況を主人公たちには、語らせない、意識させない。
そうした、政治や国際情勢などをジャズやポップスと言った、芸術&文化の中に解体しようとする。
あとは料理とか野球観戦とかですか、そういうものの方に関心がある主人公がよく出てくる。。
だから、ディタッチメントの人、と言われるわけです。
あるいは、ポストモダンの文学とも言えるでしょうね。 アイロニーというのは、政治や政治に対する参加=アンガージュマンに対して、冷笑的な側面がある、ということです。
政治に対して、冷笑的であることによって、主体性、自由を確保しようとする、ということですね。
しかし、イスラエルの文学賞を受賞した時に、彼は「壁に投げつけられてグチャグチャに割られる卵があるならば、私は卵の側に立つ」
と、公然とシオニズム批判、アラブ人に対するイスラエルの虐殺を批判しました(もちろん、比ゆ的にですが)。
これには、静かな感動を覚えましたね。 >>136
本来は天皇は制度ではないですぞ
制度には廃止があります
「天皇制」というワーディングは廃止にすることを念頭に置いたもので
共産党が言い始めたのです
宮家廃止などは戦後GHQがしたことですね
これも本来は制度ではないのですが
アメリカは超越性のシンボルとしての天皇という意識を国民から奪おうとしています
官僚は本来は天皇の下で働く人達という位置づけにありますが
戦後は日米関係、アメリカに従う組織へと変わってきています
それらがアメリカによる陰謀だとかいう人たちも居ますが
戦争とは国体、国柄を奪うことが目的ですから、当然のことなのです
それをされるのは日本が戦争で負けたのが悪いのです
陰謀を叫ぶよりも庶民レベルで国体観を取り戻すことなのです
その上で国体観を是とするか否とするかは各個人の自由なのです
国体観も是非も内心の自由です
ユダヤ教の教育を受けて、その上で信じるかどうかは自由であるのと同じようにです
長らく流浪の民であったユダヤ人がアイデンティティを失わずに来れた
有能で強い民族であるのも、子供のうちに神話的な歴史観を叩き込まれるからでしょう
その上でアインシュタインやハラリみたいにユダヤ教をやめる人もいる
>>137
その代わり天皇には人権がありません >>143
ちょっと歴史認識がおかしくありませんか?
あなたのおっしゃる国体観は、日本古来のものではなく、明治政府によって創られたものです。
明治維新は、徳川幕府が薩長政権に変わったものに過ぎません。
その薩長が、「日本の国体は万世一系の天皇によるものだ」という神話を捏造したとも言えます。
いまある「日本国(大日本帝国)」というネーション-ステート(国民国家)は、明治以前にはありませんでした。
したがって、日本が古来より天皇中心の統一された国家である、という歴史認識は誤りです。
ベネディクト・アンダーソンあたりから学んで、国民国家というものについて、学習されるとよろしいかと思います。 人権とかなんとかの問題はきりがない
どこまでやっても物足りることのない議論で破壊的です
>>144
それでも構いませんよ
それが「ザ・世間」なのですから 国体明徴などとして編纂されたものは、基本的には記紀、神皇正統記、水戸の国学など
近代国家ということに対応させたものですよね
そんなに急造のでっち上げではないですよ
まあどちらにせよ、それが日本の世間の土台です
お釈迦さまにとってのバラモン教、イエスにとってのユダヤ教ファリサイ派です >>145
あなたの御主張がよくわかりませんが、マインドフルネスとその「ザ・世間」とはどういった関係にあるのでしょう?
ごめんなさい。
途中から話に加わったので、ぜんぜん付いて行けてないかもしれません。w
>>142
村上春樹文学は、アイロニーであるというのは、柄谷行人が言ってたことのパクリでしたw >>146
仏教やキリスト教は、普遍宗教なので、バラモン教やユダヤ教がなくても成立します。
ただ、それらの下敷きがなければ、表現が異なっていただろうということは言えますね。
だから、何がおっしゃりたいのかよくわかりませんw 「ザ・世間」というのは直接的に言うと、自我が作り上げてさらに時間をかけて派生してしまった観念妄想の世界のことです。
マインドフルネスはまずは自我を超えようという試み、そして自我を超えてからのさらなる修行のことを指します。やってることは仏教修行です。
しかし、本来はあまり自我を破壊せよ、という直接的な表現は避けたいです。自我は自我を破壊されたくないし、破壊の仕方を知らないからです。
ここは宗教板なので自我の破壊だと直接的に言っちゃいますが、実際は自我はこういった表現を読んでも、自我を守るための観念を創り続けてしまうものなのです。
ウサは直接的な表現をせずに、マインドフルネスに気がついてもらう説明を村上春樹からできないか、という試みを始めたところであります。 >>149
春樹小説の中で、料理を作っている描写を延々と続ける、とかは、
ある意味自我を棄てた姿、自己を忘ずるに繋がるのかもしれませんねw 天皇とは、その自我の観念妄想が作られる世間とは超越している存在として、天皇が始まった歴史的にもマインドフルネスと合致するということなんでしょう。
今の天皇家はどうなのかわかりません。特に意見も持ちません。 >>150
うん。そうかもしれない。
村上春樹の主人公は、あなたもおっしゃってる政治状況を 本質は観念妄想的だと捉えていても、そこに巻き込まれ続ける他人を決して他人事シラネ、とは思っていない。
でもまずは自分が巻き込まれないで、淡々と生活をこなしていくことを大事にしていく姿勢を取ってるように思います。 そういえば陰謀論の動画で、今上天皇は超越してる人ではないかと噂があります。
真意はしりませんし、陰謀論動画作ってる人は、ザ世間の人なのですが、彼らなりに何かに気がついたのかも。 フランス革命では「最高存在」、ソ連はレーニン廟、北朝鮮は金日成神話
といったように、国家統合のために超越性のシンボルを必要としたのは歴史的事実です
フランス人権宣言は最高存在なる架空の超越存在により保証されているのです
人権宣言前文に書いてあるのだ
日本においても古来より伝わる神話の延長として、西洋近代にあわせたものが編纂されました
憲法だけでは死生観までは共有できません
そういった死生観を含む共有の世界観というものがまずある
これは、ジャンブしたときにはどうしても必要になるんです
世間的な存在としての自分というものの根底はどこにあるのかがわからないということは
どうしようもなく辛いのです
アンダーソンやゲルナーを読んで満足できるなら、その人はそれでいいでしょうけど
そういう話ではないんです
お釈迦さまなら世間のマインドコントロールとしてバラモン教があった
その輪廻転生の死生観を肯定的に超えたから解脱なのです
だから世間という言葉が出てくるんですよ 日本で「ザ・世間」(?)とやらっぽく存在してきてたのは、色んな自然を神のようなものとして畏れの対象とする心性によるものじゃねいのかな
石だって山だって田んぼだって海だって祈りの対象となる >>148
その下敷きがあるところに世間、出世間が言語化されるという話です
ですから、下敷きとなる神話的歴史観がある程度うまく言ってる社会では
禅のような下敷きをあまり言わない宗派になるわけですね >>139
大学入試の国語は問題だと思いますね
確かに一通りのものを一通りに読めるという力は必要ですが
あえて複線的な話、ぼやっとしてるけど確かにあるよね、というような小説を読むのに
一つの答えを正解としちゃいけないと思います
複数の解釈が成り立ちうるというのは古典性ということです
歴史というのも複数の解釈が成り立ちます
そういった奥行きがないとノーベル賞は取れないのではないでしょうかね
ボブ・ディランもそういった表現ですね >>153
観念的と言うか『1973年のピンボール』なんかは、1973年という歴史的な状況をまったく捨象した物語ですが、
当然ベトナム和平、ベトナム戦争終結というコンテクストがあるわけです。
ベトナム戦争は、観念ではないですが、日本人がどう関わるかと言ったら、思想の問題になるかもしれませんね。
でも、その歴史状況を知らないと、なぜ主人公の友人の鼠が絶望しているのか、などがよくわからないのでは、
と今となったら思います。読んだ当時は、そんなこと考えなかったですが。。
>>154
僕はそれは妄想だと思います。w
超越者はいない、となりますね、禅の場合はですが。。 >>158
入試に小説を出すのを止めて、エッセイと評論だけにすればいい、ということなんでは?w ことばというのは、本来捉えようのないものを無理やり圧縮して形にしてしまうもの(無明の元)
文学というのは、その人間の持ってる無明の元を利用して、現実と呼ばれているものとはまた別の、もうひとつの別の世界を作りあげている
その中で、優れた文学と呼ばれ得るものは、無明の元である言葉というものを利用して、言葉では表現しえないものを表現できたものに対して言われているのではないか
文学とは、無明によって真理を表現しようとする捻れた行為 >>161
文学は、思想、哲学、宗教に比べたら、世俗に近いもの、自然に近いものですが、
同時に、世俗の観念や、思想、哲学、宗教などを解体というか、脱構築する力はあります。
クリステヴァなんかが言っているように、それが詩的言語とというものなのかもしれません。
俳句や短歌のような伝統文学も、日常のこまごまとした一瞬を切り取ることで、
思い込みの世界を打破してくれる、日常に存在する機微にはっと気づかせてくれる、という働きがありますね。 >>157
禅は、下敷きから本質を取り出したという面もありますが、
同時に中国思想の老荘とか易とかの表現も混入していますね。 超越(意識外)、ということで言えば、自分以外の他者は、みな超越者です。
だから、大乗仏教は、妄想を退けつつも、他者=衆生を救おうという方向へ行ったのではないでしょうか?
自我が滅したのちにも、何らかの超越者がないと、日常の世界に帰ってこれないというのであれば、
この超越者を釈迦牟尼仏とするのか、祖師方とするのか、隣人とするのか、衆生とするのか、
あるいは、ペットなのか、人それぞれでいいんではないでしょうか?w ついでに言うと、文学とか文字、書かれたもの、とかも超越者ですね。。
伝達の媒体に過ぎない日常言語とは違って、書かれた物自体に価値がある、とするのが言語芸術ですから。。 >>161
真理を表現しようと意図したならば、それはもう芸ではなく作家でもなく、芸術としては人の心にも響かないでしょうね。
芸術家は「意図できる者」ではない、書かざるを得ない者、作らざるを得ない者。 どこにルーツを置くかというよりも
近代日本において日本人が日本人であるのはどういうことかということを規定したものとして
「国体の本義」を挙げています
それは「戦後」すなわち敗戦国であるという状態が終わった時に必ず復活してくるものですよ
その時になって押し付けのものだと感じるならその人は不幸でしょう
肯定して受け入れて、その上で超えていくならばマインドフルネスなのです
それは左右関係ないんですよ >>163
禅は思想ではないものとして捉えてます
仏教もキリスト教も思想ではないです
究極的な事実ですね >>159
今上天皇の件は妄想でもいいんですが、陰謀論の人たちは、神話や神話以前の時代に超越したものがいる(もともとはその時代の人は皆超越していたが退化した、現代に至る)と話してるんですよね。世間のさらに異質扱いの陰謀論者がそのへんに気がついたのにウサは注目しています。
まあそれが結局観念妄想につながって、ビル・ゲイツが補間計画をしてるとか結局陰謀論の域から出ないわけですが。 >>168
究極的な事実ですか〜?
僕にはさっぱりわかりません。。w
ちなみに、薬山は「空には雲、桶には水」と表現してますけど。。 >>169
陰謀論にも種々さまざまありますからね。。
学者からすれば、天皇も普通の人、すなわち征服者の末裔、ということになります。。
しかし、白峰さんとか、スピリチュアル系の人は、天皇が、日本の中心であり、
日本が世界の中心であり、地球が宇宙の中心であるとか・・・
非常に壮大な、誇大妄想とも言えるようなことを言っています。。w
でも、僕も直感的には、ホントかも、と思ってしまうこともあります。w
まあわからんですけどね。。w >>170
そうです、究極的な事実を示してるから普遍的なのです
それはマインドフルネスの実践でしか理解できませんよ >>171
スピリチュアル系は取り扱いは注意ですが、
どこが宇宙の中心かといえば、どこにもない。
地球は太陽を中心に回っており、太陽系は銀河系の中心を高速で回ってるらしい。
その銀河系中心もどこかを高速で回ってるのだろう。しらんけど。
ということで、中心はあると同時にどこにもなくて、
全ては自分を中心軸にして、太陽も月も回ってると考えても間違いではないんだ。
自分が階段を降りてるのも、階段のほうがエスカレーターみたいに動いてるのも同じことなんだ。
アスさんと同じ結論になるけど、結局、この空間が動いてるのか、自分が動いてるのかということも、マインドフルネスの実践でしかわからんのだ。 >>172
マインドフルネスの実践でしか理解できないもの=普遍、っておかしくないでしょうか?w
そうではなく、誰もがもともと気付いているはずのものではないですか?
気づいていたはずなのに、忘れてしまっていたものを思い出す、というだけではないでしょうか? >>174
普遍的な人間の事実です
しかし、ほとんどの人はその気づきを覆い隠して生きてますよ
だから超越性という話が出てくるのです >>173
自分がいる今ここが宇宙の中心であった、というのは、マインドフルネスでなくとも、気づけそうなことだとは思いますが。。 >>175
もともとなんでもよく気がつく人っていますよね。。
そういうひとは、無明のベールがもともと薄いんだと思います。。
だから、あんまり自分のやっていることを特権化しない方がいいのでは?
そうじゃないと、その実践をしているという思いが、逆に無明になるんじゃないですか? >>176
リアリティを伴ってそう言えますか?
だって、あなたは誇大妄想とか言ってたじゃないですか。 >>173
そこらへんは、ダンテス・ダイジの『アメジスト・タブレット・プロローグ』とか読むといいんじゃないかな?
クンダリーニ・ヨガで解脱すると、この宇宙の多次元構造がわかるらしいです。。 >>178
ええ、リアリティがあるのは、今いる自分の部屋とか、身の回りでしょう?
であれば、自分に落ち着いている人なら、誰しも自分が宇宙の中心だと思います。
もちろん、宇宙とか地球なんかは、普段は意識してませんけどね。。 >>180
リアリティとはすべての事象が自分を中心軸に回っていると感じることです。部屋や物だけではありません。
もちろん最後はこの観念も超えていかねばなりませんが、しかしそれ以前の問題ですね。 >>179
ダイジはニルヴァーナへのプロセスとテクニックも
mixiでアップされてるものも目を通してますが
神秘体験の次元のことを真理のように言いすぎだと思いますね >>139
さて、村上春樹の回収されない伏線について。
村上春樹以外でも、結末はボカして読者の想像に委ね余韻を残す表現手法もあります。
村上作品にそれはもありますが、回収されない伏線についてはなにか謎を匂わせる印象を残しながら、余韻どころか、ブチッと切られたような印象があり、そこが受け入れられないという意見を聞きます。
それはそうで、人生における伏線とは回収されるまでは伏線とは気がつくものではないからだと思う。
それは村上作品の中でまだ伏線ではなかったということになる。
たとえば、山下良道さんの一法庵は、かなり前にお父さんが建立し命名されたそう。
その時の山下さんはまだ修行中で、ワンダルマメソッドなど思いつきも行き着きもしてなくて、
一法庵というのは偶然の一致だと書いてありました。
しかし、これは、偶然ではなく必然です。山下さんも偶然とは思ってないはず。
けど、必然です、というと世間の人にオカルトにとらえられたり執着のもとになるので偶然と言ってると思います。
自我を超越するとこれまであったこと全ては偶然ではなく、このためにそうであったのかということがわかるんですね。
さらに父親なら無意識で息子の将来のそのくらいのことはわかってると思います。
しかし、ここの域にないと人生で起こることが未来への伏線とも思わないし、村上春樹も伏線を回収してくれない。
たとえ伏線だとわからなくても、わからないまま受け入れられるか、または抵抗があるか。
女性は割とわからないままでも受け入れる人が多い気がします。 >>181
確かに観念以前で、生きている実感のようなものが蘇ってくる感じです。。
だんだんと、もともとに帰って来たということでしょう。
>>182
敏感過ぎて困るという人もいるでしょうね。。
>>183
確かに自分が体験しないと、わからないものでしょうね。。 >>185
伏線と言えるかわからないけれど『ねじまき鳥クロニクル』では、
街頭かどこかで人の顔を見続ける修行、みたいなのがあったな〜。。w
あれは面白いと思う。。 「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」
1Q84 ダイジは子供の頃から自殺願望があったと言われてますが
死んでもかまわないと思ってる人だったからこそサマーディも起きた
ということは言えると思います
そこで死にたいという渇望をきちんと見切っていたら良かったのにと思います
そうしたらクンダリーニで弟子の女の子を死なすことも
自らクンダリーニで命を断つこともしなかっただろうと思います
なかなか魅力的な人だったみたいですし残念です 村上春樹村上春樹とたくさん書いてしまいましたが、
実はかつて蔵書に執着があったので殆ど処分して、村上春樹も一冊も残ってません。
みなさんが挙げられたタイトルは話についていきたいですが、読んでますが既に忘れてしまいました。買い戻すことから始めます。 苦諦ということだと、ダイジは苦諦でもがいていたと思う
無常、苦、無我という見方を徹底したら、することが出来たんじゃないかとも思うけれど
まだ南伝が日本に伝わる前のことだから >>164
> 自我が滅したのちにも、何らかの超越者がないと、日常の世界に帰ってこれないというのであれば、
あくまで世間に仮設された超越性ということを言ってます
ギリギリ世間のものとしての神話ということを言ってますよ
自我が幻想に過ぎないと見えることは
既に超越性に触れてます
けれどそれをそのまま日常に展開するということは出来ない場合もあるのです
本当に自己と世界のまるごとのことだから
そこで、世間で認められうる仮設の他力のストーリーが必要になる
ここが共有されていないと、アイデンティティの危機に陥った人は
とんでもない方向に行く 村上春樹にこじつけると
彼の言外に描いてるものは他力的なものだということも出来る
そういうものってあるんじゃない?と問いかけられてる感じですね
小説、娯楽として示唆される分には「まあ小説、娯楽だし」ということで囚われないし 村上さんは「生きるよすがとしての神話」を推薦してなかったっけか
わたしは読んでませんけど 仮設なのになぜか世間で認められてるし大規模であれ小規模であれ共有されている信仰のようなものね 村上春樹さんに質問した読者の記事があったよ
その本を読んでいると返答があったそうな
https://www.asahi-net.or.jp/~NG1F-iST/yokan.html >>192
そうか、ダイジは観察ができてなかったのかもしれない。 >>189
ダイジの本は3冊ともあるので、そのうち、時間がある時に引用しようかと思います。
>>190
めっちゃ面白いです。。
ウケました。。w
>>193
確かに世間からは、超越でしょうね。。
禅では、そういう表現を嫌うかもしれませんが。。
>>195
神話は、ジェイムズ・ジョイスなんかでも、詳説の枠組みとして用いられていますし、
ユングは、精神分析の枠組みとしました。
人間、人生のの原型的なものが描かれているからでしょうね。。 鬼塚なんとかさんの、明治天皇取り換え説というものがあって、
間接証拠の資料もあるらしいのですが、僕自身は、確かめていないので何と言えません。。
南朝天皇の子孫と取り換えたのだから、天皇の血筋は守っている。
さらには、正当に戻ったとも言えるでしょう。。
で、この取り換え説に言及して、上で触れた白峰さんは、取り換えがあったとしても、
日本の天皇の地位にある、ということが重要なんだと言っていたと思います。
とにかく、日本の天皇であるものが、世界の中心なんだそうです。。w ダイジは、晩年は、借金を抱えていたという話も聞きました。
禅よりクンダリーニの方が、好きだったみたいですね。。
チベットの高僧でも、そろそろ死に時かと感じて、
自ら体外へ出るかなんかして、死んだ僧はいるらしいです。。
自殺、というと、われわれは、ネガティブなイメージを抱きますが、そういうものじゃなかった可能性もあるのでは、
とも思います。。
80年代ですから、バブルの真っ盛りです。。
時代も悪かったんじゃないかな?
彼の周りに集まった弟子たちも、だいぶ問題を抱えていたものが多かったみたいですし。。 確かに僕もそそっかしいところがあるから、マインドフルネスやった方がいいのかな〜。。w
坐禅では治らない気がする。。w
やんなきゃいけないことが複数あると、どれから手を付けようかと焦ったり、忘れてることがあったり、
まあトンマな毎日を送っていますわ。。w 10年以上も前、僕が坐禅をやっている、と人に言ったら、その割には落ち着きがないね、と言われた。。w
もとからそうだというだけなんだけど。。w >>197
河合隼雄とキャンベルが出てきましたね。。
われわれは、最初は、思想とか哲学とか宗教に走るけれど、それらを卒業したら、神話に戻る、
古代回帰に近いものがあるのかな、とも思います。。 >>203
それはその人の言ってることがおかしい。
落ち着いてしまったら坐禅なんてする意味ない。落ち着いてないから坐るのだ。
禅では落ち着いていようがいまいが、意味があろうとなかろうと、只管するものではあるけどね。 不条理でオチのない原型の物語について
坂口安吾の「文学のふるさと」
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html
貼っておきます
そこで私はこう思わずにはいられぬのです。つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖がけがあって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。 >>205
もう落ち着けるようになったから、いいかな、と坐らなかった時期もありました。。
今は、なるべく坐るようにしています。。
>>206
安吾は駄作もあって、最初に読んだのがつまらない小説だったのですが、
「満開の桜の木の下」とか、まさにそこに書かれているような感じですね。。
明らかに近代リアリズムじゃないんです。。
現実ではないような夢幻の世界、非道徳で暴力的なんだけど、非現実感もあるから、
その暴力と非道徳も、読んでいてあまり怖い感じがしない、不思議なお話。。 (文学のふるさと引用)
それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身うつしみは、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一ゆいいつの救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
ウサが一切皆苦を知ったときも、まさにこれに似た、というか、この文の意味が分かった気がしました。
この世間は、何を求めても苦であり救いがない、ウサだけじゃなくて、他の誰か羨ましかった人に生まれてもやはり同じ苦の世界なのだと分かったとき、
その一切皆苦ということが分かった(世間に苦がないものを探すのを諦めた)それこそが唯一の救いであると
そう思いました。 仏教には、一切皆苦もあれば、常楽我浄なんて言葉もある。。
ま、いったん死んで蘇れば、常楽我浄になるのでしょう。。
そうなったとか、思い込んではいけないのでしょうが。。 一切皆苦とはあくまで世間のことであります。
常楽我浄とやらは出世間にございます。
死んで蘇るまでもなく、世間から出れば良いのであります。これは思いのみの世界ではなく事実であります。 >>210
その通りでしょうが、弁道話にあるように、仏法の中に世間はないですよね?
逆に言えば、世間があったら仏法ではないです。
そうした法を理解することが出世間であるとも言えるのではないでしょうか?
あるいは、自分の中にある世間を滅する、ということかと思います。。
世間を忘れる、でも同じでしょうが。。 正確には、世の人、世法の中に仏法なしとのみ知りて、仏法の中に世法無しを知らざるなりとか、そんな一文があったはずです。
弁道話。。 「一切皆苦」が真理の教えなのだから、苦しみだけが人生さ
それが苦諦を知るということ
唯一無二の本当の #仏教
こんな話ばかり一方的に押し付けられてたら気が滅入る
大乗は「一切皆空」
思い通りにはならない現象(不如意: dukkha)と苦しみとの間を観るというのはどうですか?
私はそれを #マインドフルネス と言ってます。
苦しみも、六処-触-感受-渇愛-執着-有-生という因縁プロセスを経て形成実体視される心的現象ではないでしょうか
ワタシという現象も ふわ〜とした苦しみに任せるがままに、もう来なくなった変性意識体験をいつまでもアテにしている。
不安で落ち着かずイラつくから理屈掻き集めて、人に承認を求めまくる。
今ここすぐに再現しないマインドフルネスはアテにならない。
最後まで他者を介しては腑に落ちることはない。 >>211
涅槃には世間はないです
涅槃からみて世間とは方便です
仏法に世間はないというのはそういう意味ではないでしょうか?
しかし涅槃でもないのに、思い込みによって方便を無視するということにはならないと思います
自分の中にというのも合ってますが
全ては自分の中のことですので うん、苦諦ばかり押し付けられたら気が滅入るよね
それが自我だよ >>215
だから、世間の中にいても、同時に世間にいないという在り方ができますよね?
ただ縁をこなしていくだけ、という感じになります。
>仏法に世間はないというのはそういう意味ではないでしょうか?
無明から見たら、世間はありますが、法が見えてくると、世間も仏法の通りになっていることが見える。。
すべては既に仏法の通りに為されている、為されていた、ということでしょう。。
諸法実相ということです。。
歌い踊るも法の声とか、そういう風に見えてくると、常楽我浄の世界ではないでしょうか? >>218
世間の中にいても世間にいない、という在り方はできないと思います。
世間の人々の中に混じっていても、意識は世間から出ているということはあると思いますが。 常楽我浄となれば法も無くなり聞こえないと思います。 マインドフルネスとは、仏法とは、こうなのではないか?とアタマで色々想像するより、結局実践するしかないと思います。 >>149
ここで申しましたように、世間を説明しても自我はまた観念を重ねて観念雪ダルマを作るのです。 思い通りにならない現象と苦しみの間を観る
観てどうするんですか?
マインドフルネスの定義なんてどうでもいいですよ。そんなことを村上文学やほか芸術から見出そうとしてるわけじゃありません。
エンタメ化して政治闘争やテロ事件、今はウィルスパンデミックか、世の中が震撼して騒ぎになる中、その深刻さを理解しつつ、
しかしまずはそこには巻き込まれずに、何があっても極力他人のせいにしないで、音楽をかけ、パスタを茹で、コーヒーを淹れる。
それは決して世間への無関心や無視からくるものではない。
一人でも、多くがそのようにまずは自立した態度でいることが、世間の深刻さを助長しないでいられるという信念。
そういう生き方はマインドフルネスだと思いますけどね。 。。の人がいつも連投で赤くなっているけれども、可哀想な方なのですか? ここで連投で赤くなっている人はもれなく可哀想な人です 誰かを可愛そうだと思う心が可愛そうな人を創り出す
誰かを助けてあげたいと思う心が助けてもらいたい人を創り出す 誰かを分かってないと思う心が分かってない人を創り出す >>219
僕は正直言って、世間から出なければならないというのはよくわかりません。。w
世間の中でいいんじゃないですか?w
世間に染まりきって生きてぜんぜん問題ないと思いますが。。w
世間はない、というのもまた真実でしょう。。
世間がある、は思い込みですよね? >>223
でも、上に書いたように春樹の問題は、やはりアイロニーなんではないでしょうか?
もちろん、そう言った柄谷行人は、マルクス主義者ですから、彼がそう捉えた、というだけかもしれませんが、
自分だけ、世間を抜けているつもりってのは、問題ですよね?w
自分だけ高い所にいる、という意識が見え隠れしているようで。。w 世間も出世間も、自我の思い込みではないでしょうか?
それが見えるというかわかるのが、マインドフルじゃないかな〜? >>229
いいと思います。まだ世間から出る必要がないのでしょう ま、僕は禅仏教徒なんで、マインドフルネスのことはよくわかりませんが、
禅の場合は、最後は、世俗へ戻る、還るということですよね。。
もっと言えば、世間とか出世間もなくなる。。
もちろん、その前の段階として、出離の念がなければならなというのはわかりますが、
世俗と超俗を対立的にとらえるのはおかしいと思いますがね〜? 禅の悟りとは、一言で言うと、自分も他人も一切迷っている人などいなかった、というものです。。
はじめから、迷っていなかった。。w
それが仏法です。。w
迷悟が分かれない。。
迷いと悟りと二つあると思っているのは、無明です。。
だから、これはマインドフルネスとは別物なのでしょうね。。 対立的にとらえることがなくなるのは、世俗に還った人だけで
対立的にとらえないようにしようとするのは、世俗から出たことのない人 >>224
ごめんなさい、アラシみたいになってしまいましたね。。w
そろそろ引っ込みます。。w
どうも、お世話になりました。。
>>236
法として見れば、人もいないということです。。 法として見れば、凡夫と、ちょっと修行した人、修行が進んだ人、修行を達成した人とか、
そういう差別は、仮のもので、ホントはない、ということです。。
だから、そういう見方の中にある人は、悟っていません。。 マインドフルネスってリラックスする、感情に邪魔されない以外の有用性あるの?
なんか真理が見えたとか、世間の人よりかしこくなったとかって
幻想だろ 差別即平等、相対即絶対が、仏法です。。
だから、どっちかしか見えない、見ない、というのはちがいます。。 違いを見なくなる程度が
人によって様々
どのように見なくなるかも様々
それらとの関わり方も様々だなと思うね マインドフルネスってテーラワーダの瞑想だけちゃうん?
禅もマインドフルネス自称してるの? >>239
それは分かるよ
悟ってないよ
だから方便が必要なんですよ マインドフルネスは宗教も宗派も超えたものです。
禅はマインドフルネスも何も取り扱わないのが方便ですね
取り扱わないだけであるものです >>241
見えない、見ない、じゃなくて
無いんですよ、はじめから、そもそもが。 >>245
禅は、自分や他人や世界をどう理解するか、また、どう見るか、ということでしょう。。
で、思い込みの世界を脱すると同時に、思い込みも法そのものであると知る。。
>>246
無いとも言えますね。。 >>245
マインドフルネスって瞑想じゃないんですか? 凡夫の思い込みは法そのものではないよ
方便は慈悲によって生まれるもの
自己正当化のためではない >>248
瞑想って意味が幅広いので
マインドフルネスが瞑想だけを指すわけではないです
自我が外れた観自在のことです。 観自在であることが瞑想であると言われれば、それもそうでありますね >>249
思い込みは、法には合致していません。
しかし、そういう思い込みがある、というのは法そのものです。
なぜなら、法とは、あるもの全部でしょ?
だから、どういう考えを持つ人がいても、それらの考えはすべて法そのものです。。
因縁によってそうあるだけ、ということですから。。 >>253
僕は、ウサさんには、もっと勉強して欲しいです。。w >>254
それだったら、さっさとあなたが悟りでもなんでもひらいてくださいよ
世間も出世間もないんでしょ。即平等なんでしょ。ならば、なぜ今すぐ悟らない?
そして未だ悟っていない私に方便を授けてくださいよ。 >>256
悟りなんて無いでしょ?w
ただ迷いを迷いとして、喝破する、というのみです。。
迷いの他に悟りはありません。。
今の他に何かある、ということではありませんから。。
今というものは知ることができません。
だから、知らず、に落ち着けばいいんじゃないですか?
知る、ということは妄想のようなものですから。。
仏教なんて知らん、人のことも知らん、世間のことも知らん、という方便はいかがですか? 今というものを知れないのならいったい何が知れるんですか
未来や過去を知れるというんですか >>257
いいえ、私には悟りはあります
なぜならば未だ迷っているからです。
迷うということは悟りがあるのです。
悟りがないというのは、即ち迷いもないはずなのです。
しかし私は未だ迷う者です。よって私には悟りがあるのです。 >>261
自分が今迷っている、という考えが迷いです。。
誰も迷っている人などいない、が実相です。。 ウサには今というものはありません
ないのだから、知らないというものもありません
知らないということは、知るべきものがあると知っていてはじめて知らないと言えるのです。
ウサには今というものはありませんし、今を知らないということもありません。 煩悩即菩提とか生死即涅槃とか言うときの即って
関係があるって意味で同じって意味じゃないらしいけどな >>262
では私は迷っていないのですね?
ならば勉強も必要ありませんね?
迷っていないのですからね。 >>264
同じではなくて、そのままであるならそうなるということですよ >>265
迷っていないということを理解するためには、学んだり、
学んだことをよくよく咀嚼して、理解する、というプロセスが必要だと思います。
自分で納得する必要はあるでしょう。。 >>267
いえいえ、私はもう理解しました
迷っていませんし、悟りも世間もどこにもございません
よって勉強は不要であります >>268
現成公案の冒頭部には、3パターンの見方があるでしょ?
修行中だから迷悟あり、が一つ目。。
迷悟なし、という悟りそのものが二つ目。。
三つめは、仏道というか、方便としての迷悟あり。。
ここらへんは、明らめていただきたいと思いますが。。 弁道話には、修行を放下して悟り、というものと、悟りを放下して修行、というものもある。。
一つの見方だけで、固まってしまうのはよくないと思う。。 要するに現状に苦しんでいる人が迷ってるんであって
現状に満足している人は悟っているということでいんじゃね? >>270
あれ?あれれ?
おかしいな?
あなたは悟りも迷いもないんでしょ?
方便もないんでしょ?
ないって言ったくせに今更なぜ方便を持ち出しますか? >>271
悟ってる人は現状に満足するしないもないそうですよ >>272
修行は方便でしょうか?
そうではないですよ。。
修行は修行というそのものでしかありません。。
だから、迷悟なし、修証一致です。。 修行するのがいいことだ、坐禅している人はえらいとかは、なんか違うんですよ。。
それだと、修行している、というのが残っていて、そのものになっていない。。
いちいち自分がそういうことをやっているということを捨てて忘れていかなければならない。。 >>263
存在そのもの、について、われわれは何一つ知り得ません。。
何にも知り得ない、ということを知る必要はあります。。
だから、知はこれ妄見、と言われるわけです。。 >>274
あなたが迷いも悟りもない方便もって言ったんだよ。なのに方便を持ち出した。
私は修行は方便とは言ってないよ。
修行は修行でしょ。修行は勉強でもない。 >>276
いいえ、今はありませんから、知らないということすら知らないのです
ですので知る知らないというということは、今があるということになってしまいます。 そういえば何で一時期書き込まなかったの?病院にでも居てたの? 現成公案の冒頭部読んだけど、明らかにするパターンなんてないよ
すでに道元が明らかにされてる
マジで書いてあることそのままだよ。
迷いがあるから仏法があり、凡夫、目指したいと思う悟り、生死の観念が生じる。
その後、こう続く、
「万法ともにわれにあらざる時節」、つまり、すべてのものが無我となったときには、
迷いも無いし目指すべき悟りも無いし、仏も衆生もない。生まれることも滅することもないと え?掉挙はあるけどイライラしてない
どうしてあなたはそう見えるの?
あなたにあるものがそう見せてる? >>284
聞いた話しかできないけど
出す意味はないから基本出さないそうです。出そうと思えばだせると聞いた
自在なんだそうだ >>277
方便もないとは言ってないですよ。。
>>278
今に関してなら、それでいいんじゃないでしょうか? >>280
道元禅師が書いたことがそのままわかれば、それでいいと思いますよ。。 >>285
それって楽しいんですか?
ロボットみたいですね こわくないんですか?
分からないものになろうとしているのに なるならないとかではなく既にある、それが本覚ということでしょう
けど既にあるということは誰もピンときていることではありません
だから道元は宋に渡ったのでしたね
日本にはそれを説ける人は誰もいなかったのだから 鎌倉新仏教はみな天台の本覚思想の影響受けてるよな
でも本覚思想なんて意味不明だ 本覚が意味不明なら、マインドフルネスも意味不明になる 草にも仏性があるってどういうことですか?
草も成仏するんですか? 慈悲というのは気分、好き嫌いではないのです
気分、好き嫌いを本質と思い込んでしまいそれが見えなくなっているのですよ
瞑想において心身の次元のことがストップしたら感情も無くなる
感情が人間の本質、人間らしさだと思い込んでいれば
その状態は恐ろしいように想像するでしょう
それは苦しみを求めるエゴ、自我の働きで捉えるからなんです
エゴから見たら「無」で恐ろしい
けれど、そこに慈悲があるのです >>291
ウサは分からないからこれも聞いた話だけど
怖いと思うほうが勘違いらしいよ。
楽しいものはいつか終わる、いつか終わる時に苦しみになる。だからまた新しい楽しみを探す。その繰り返し。楽しいものが見つからなくなったら苦しい。
楽しみは本質的に苦に転じるものなんだ。
その不毛さを終わらせるようだよ。終わったら実は静かな幸せがあるそうな。
でも凡夫はみんな終わらせるのが怖いと思ってしまうんだ。それがこの世。 >>299
するとかしないというものではないんだよ 煩悩は満たされるということはない
話はそこからだろうね 単発で満たされないなら連投を見ても満たされないかもしれないね 問いかける前によく考えてください
満たされようとして連投するならば満たされませんよ 連投されてる方は満たされようとして連投してるのですか? 質問で返されると満たされないと言うことなんですか? 連投する人はどうのこうのと追い詰めようとするくせに、いざ追い詰められたら、追い詰めるなよと瀬戸際の反撃w >>288
いえいえ、こちらこそありがとうございました。。 連投している人はいません。。w
連投しているものがいる、という認識があるだけ。。w
これはあくまで、一つの見方に過ぎませんが。。w >>314
心の狭い人ですね
本当にマインドフルネスやってるんですか イライラさせようとして自分がイライラしてしまう人w マインドフルネスはやるものではありません。
ところで先生はどのような回答ならご満足でしたのでしょうか? ※他者批判の為だけにレスをしない様にお互い心がけましょう。 ウサは他者批判はしてないですね
追い詰めてるつもりもないので、追い詰められたのかと問うただけです ttps://www.youtube.com/watch?v=jXrcTvj-KOw >>328
コメントのyoung manってひとの言うとおり ネルケが言ってることは山下の言ってることと同じだろう。
否定しなくてもいいんじゃないか? 仕事の合間にマインドフルネスをやるか
マインドフルネスの合間に仕事をやるかのちがいだと思う 他人が自分の思ったように動いてくれないと心が静まらない人が多いんでしょ >>330
あくまで328の動画を見た範囲での話なんだけど(ネルケさんの本などを読んだことないので)
ネルケさんはマインドフルネスを誤解していて、凡夫のゲームの一つとしてマインドフルネスがあると思っているようだ。それが問題だと言っている。
山下さんは、凡夫のゲームを降りたあとの話をしている。凡夫のゲームを降りたら、映画ゴジラは、「監督・自分、脚本・自分、演出・自分」だったことに気がついたのでゴジラは怖くないとも気づく。それがマインドフルネスだと言っている。 映画の造り手は自分だったと気がつくとき、それは自我を観てしまったら(自我を消そうとしなくても)同時に映画の外の世界にいる、と山下さんは言う。
で、その自我を観るにはどうしたら良いのか、自我の観察が必要となる。
自我を観察するためのメソッドに、一つには集中力を高める必要がある。それが呼吸などへの集中訓練方法の瞑想。
一つは、禅に言われるような、日常生活の作務から観察のきっかけが起こるのを待つ(実際の態度ではそれを待っているわけではないが)
朝早く起きて、寒い中掃除して、休むまもなく炊事して…というやること多めの決まりきったルーティンをしていると、眠いとか、寒いとか、疲れたとか、自我や煩悩を観る機会が起こる。
他には布施や五戒なども。お金の布施なんかは、気持ちよく出すようにと教えられるけど、出すのが惜しいと思うのが人間で、その教えの正しさと、でも惜しいという気持ちが葛藤することでも自我を観る機会がおこる。 煩悩即菩提など、大乗仏教において即ち、とか言ってるのはこのことだよ。
ありのままに煩悩(自我)を観たならば、即座にその煩悩は消え、自我を観たならば即座にサマーディに入るからだよ。
煩悩が煩悩として見えてないうちは、煩悩があっても「煩悩即菩提」には、ならない。
しかし、そもそも忌むべき煩悩がなければそれを観ることすらできないのだから、即ち、となったあとの境地からは、やはり煩悩即菩提としか言えなくなる。 落ち着いてマインドフルネスに観ていれば、渇愛や執着の粘着力を加える前の諸現象はあっさりしたものです。 理ではワクチン打つのが正解だとおもうけど
感覚もしくは直感は打つべきでないと言ってる 言い換えれば
思考は打つと決め
意識は打たないと決断した 迷ってるんですね
ウサは決めてない
成り行きにする 自分で「意識」みたいに思ってるものを「本質」みたいに錯覚しない方がいいよ だってそれは「思考」と「感情」のせめぎあいでしかないでしょう 思考や感情は脳(物理)が生み出すもので
意識はその背後にある魂(精神) 神のお告げを聞いたみたいに思ったわけですね
自分にはこういう人はどうすることもできまへん マインドフルネスに関する書籍を1冊でも読んだことがありますか サティが決断したり指示を出してくるなんて書いてあったのですか フラットに言って
「ワクチンの安全性は未だ確認できていない」
というのが事実なんですよね
あくまで自己責任で接種しなければならない段階です
自分の考えとしてワクチン接種をするのは良いと思いますが
山下さんのワクチンに関するコメントは事実を取捨してますね ワクチンといやあ、スマナサーラ長老も
ワクチンをうつかうたないかの相談に乗ってる動画あったね
医療従事者で打たないと決めたが、人の目が気になって堂々としてられない、どうしたら堂々としていられるかという相談なのに、
医療従事者なら患者さんのためにも打ちなさい、というトンチンカンな回答で苦笑してしまった。 ビタミンDでコロナ感染予防を
https://www.tanaka-cl.or.jp/health-column/covid19-vitamind/
個人的には1日3000~5000IU摂っていますが
もし症状が現れたら15000までは摂るつもりです(もちろん病院にも行きますが)
マックス20000まではOKという論文もあります
他には補酵素としてマグネシウム、免疫の材料となるタンパク質、
それから正常な細胞分裂のために亜鉛なども充足すると良いでしょう
毎年冬季はインフル対策としてビタミンDは摂ってるのですが
職場の席の両隣がインフルの感染して休んでも、わたしはせいぜい微熱が出るだけで治りますw
しかし、即効性を求めてもおそらくダメだと思います
製品としてはビタミンD3海外通販の5000IUのものが1500円以下で1年分ですから超手頃です
活性型は医師の監視のもとで使うものなので、非活性型にしてください >>354
ハンガリーのmRNA研究者はクリスタルクリアな論理でワクチンに対する疑念を払拭した
だったかな、そんな無邪気な事を言ってましたね
また、山下さんが打ったのはそれとは違うワクチンみたいですが、
日本にはワクチンが用意されたのだからみんな打ったらもう安心です、のような事は繰り返し言ってますね ビタミンDよいね、安価だし、太陽の恵み
ウサはここ年々も家事とかすると爪が割れてなかなか伸びなくて、ネイルも止めてて、コラーゲンとか飲んで試してたんだけど効き目なかった
今年くらいからビタミンD飲むようにしてみたせいか、きちんと伸びるようになったよ。
>>359
うむーなるほど
誤解やこちらの間違えを恐れずに書くけど
出世間に入った人は智慧により因果は観るけど、社会の未来予想のようなことはできないんだよね。そういうのを捨てて出世間に入る訳だから。
そこでは目の前に与えられた環境を(よほど毒を打たれると分かってない限り)そのまま受け入れていくし、山下さんがもしワクチンの副反応や後の影響でなにかの病になっても山下さんは後悔は全く無いわけだ。
だけど世俗にいる人は違う。病気も怖いしワクチンの副反応も怖い。
だから打つも打たないも自由。
もしワクチンやコロナが怖いと思ってる人がいたら、何が怖いのか、病気が?死ぬのが?人の目が?一人一人が向き合って自由の答えを出さなくちゃならない。この機会によく観察してみるといい。 Twitterというバズツールで俗世間の情報取らない方が良いと個人的には思います
あと、科学研究者なんて先発ピッチャーですよ
ゲームで遊んで夢中になることはリリーフピッチャーなのか?問題ですね >>360
山下さん本人はコロナなんか全く不安に思ってないでしょう
世の中に渦巻いてる不安が収まることを願ってるんですね
それはわかりますよ
ハンガリー研究者は苦節40年の末にコロナの時代に脚光を浴びた
その姿が山下さんにはなかなか理解されない自分と重なって見えたのだと思います
まあTwitterなどで「安全派vs陰謀派」みたいなことになってるんでしょう?多分
間違った対立軸が出来やすいですからね
ハンガリー研究者の話を見ても陰謀にはとても見えない、だから安全なんだ
まで飛躍しちゃったのではないかと推測したます
好意的に見て なんだ、アスさんだったかw
出世間とは〜とか言っちゃったよw 山下良道の法話ばっか聞いてるようなオタクなんてそうそういない 【※心霊写真※】【【【 https://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/d9d05d45085c29df2c0e994a4b60d816 】】】【※無料鑑定※】
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と言いたいところですが、八意先生は事情により数年前に失踪してしまい、現在行方不明です。
しかし、以下のサイトをすべて読み終わったときには、腹を抱えて大笑いしてしまっていることをお約束します。
えむびーまんの日記帳・トップページ
【 https://blog.goo.ne.jp/nichikon1 】
そして、心霊写真鑑定のページはこちら(↓)になります。
【※重要※】【 https://blog.goo.ne.jp/nichikon1/c/9bb4322846693ae17f0b6080edca7dd1 】【※重要※】
お気に入りに追加することをお勧めします。ブログは毎日更新しています。
霊能者のサイトによく、誹謗中傷を書くと、名誉棄損・営業妨害で裁判所に訴えるぞとかいてあることがありますが、
訴えるということ自体が自身がインチキで霊能力がないことを認めていると日本霊能者連盟所属の霊能者たちと大笑いしたことがあります。
誹謗中傷は大歓迎です。 >>364
いついかなる時でも、ラスト30分聴こうとするだけで寝落ちできるよ
霊能者とか何とか関係ないし 養老孟司x池谷裕二 定義=「生きている」
https://www.1101.com/yoro_ikegaya/2019-05-20.html
養老
論理は怪しいんですよ。
池谷
絶対に矛盾が生じる。 度々言ってますが、キレイな論理というのは実に罠なんです
論理というのは実に怪しいものなんです
もっとくどくどしいことを書いたのですが、ググったら良さそうなページがあったので貼るだけにしておきました
ともあれ、自己言及をすれば論理矛盾を起こします
他者について述べる時には人は必ず自分を棚上げしているのです
これを自分自身に向けて考えていくならば
自分が凡夫であることを嫌というほど知ります
我々全員が持つ先天的な障害です 山下さんの話はいつでも青空を指しています
あらゆる仏教知識は青空を指しているでしょう
それは論理ではなく、単なる事実なんですね
好き嫌いを超えたところの事実です 超えた彼方の夢まぼろし
生まれてもいないから死ぬこともない ここは山下ヲタがテーラワーダを否定するスレですか? 茶化しても割愛で聞いて分別してまた眠くなるだけでしょ?
君は自己分析したところじゃないのさ >>372
テーラワーダだけじゃなく禅もだよ
全方位に戦争を仕掛け続ける山下オタクのスレ ※他者批判のためだけにレスをしないようお互い心がけましょう。 テンプレで他者批判をしてることは棚に上げる身勝手なヲタが立てたスレですか? 日本における に()付けてるあたりイヤらしさがよく出てるテンプレだなと感心しております >>368のソースより
「否定的自己言及は矛盾を必ずはらみます。これは数学的にも証明されてるんですよ。不完全定理といいます」
「だから、数学は完全じゃないということが証明されています」
「絶対に矛盾が生じる」
典型的な誤解です。
不完全性定理は、ある条件を備えた無矛盾な理論体系においては、常に真偽決定不能な命題を作ることが可能で、
そのような体系の無矛盾性はその体系においては証明できない、というものです。
(ある条件とは、「帰納的公理化可能で自然数論を含む」。)
そもそも矛盾がないことが前提なんですねw
また、「ある条件」を満たしていなければなりません(といってもよくある条件ですが)。
条件がそろっても、体系の外から無矛盾を証明することができる場合もあります。
とにかく「絶対に矛盾が生じる」は誤りです。
このような誤解が生じるのも、個々のものをありのまま正しく見ようとせず、
言葉(ここでは「論理」「矛盾」「不完全性定理」など)で類推したものを漠然と一括りにして、
判断を下してしまうからでしょう。 >>385
イヤらしさがどうのっていってるから
怒ってるのかなー?と気になって聞いてみた(^o^) これって質問に質問で返すナントカにはあたらないの? 怒ってないってことでOK?
ならテンプレはこれで問題ないよね(^o^) >>384
不完全定理そのものについてはそうですが
そこで話されてるのは自己言及している論理ではなく、自己言及している人間ですからね
無矛盾な論理だから正しいと思い込んでしまうというのもよくある誤解でしょう >>386
俺イヤらしさがどうのって言った人じゃないからね ウサは相手が怒ってるか気になって連投しないと気が済まない人 先生とメーテルとσ(゚∀゚ )オレはテーラワーダ派なの? それは終わったので今はテーラワーダ派かどうか気になってる うん、でもすごくは気にならないよ
テンプレの何が嫌なのかちょっと気になっただけ
でもとくに返答はないからこのテンプレでOKってことだよね(^o^) それと、矛盾が生じない場合があるのであれば
それも系に含まれるように再定義すれば帰納的に完全性定理が出来上がってしまいませんかね? >>400
話している最中に相手のあらを次々探して目移りするタイプ
誘惑を無視できないんでしょうね ※他者批判のためだけにレスをしないようお互い心がけましょう。 ウサは大丈夫、批判されたと思ってないし、σ(゚∀゚ )オレ氏たちもウサを批判してない うーん
日本に来る前の元々のテーラワーダはとくに教えとしておかしくなくて
日本に来てからおかしくなったとか?元々のテーラワーダとは違う趣旨のことを教えてるとか? >>406
自分で調べてから分からないところを聞こう >>409
それだったら()無しでもいいんじゃないですかね
まあテンプレ作った人間が個人的な考えで自分勝手に作ったものでしょうから、あんたに聞いても仕方ないかもしれませんが
>>410
本当はテーラワーダ全体を指したいのかなと >>411
わかってないですね、の何があなたは分かってないですね、なのかは、調べてもわからないです >>412
邪推ですね
日本におけるテーラワーダの最も有名な先生は大乗否定なのだから
せばめているというのが事実です
あとカバットジンは大乗ですよ あの人は元々のテーラワーダの教えを伝えるメッセンジャーとして大変優秀だけど、
仏教の智慧を持って人々の悩みに答えることは不可能だよ。だって出世間に入ってないから。
宗教、仏教関係ないお悩み相談室の室長としては優秀だろうけどね。
んだけども、日本テーラワーダのひとが他に誰も出世間に入ってなかったら、その違いも分からないままあの方を智慧者と設定して独自の道を歩むことになるんだろうね。 >>414
日本のテーラワーダがおかしいと主張したいなら()無しで
↓
日本におけるテーラワーダ理論はパラダイムの狭いものなので、あくまで参考程度に。
でいいじゃないですか
>>415
一人の先生が狭めていようが何だろうがテーラワーダ系もマインドフルネスを謳うんだから、スレたて人は個人の考えでテンプレで締め付けるような我が儘放題なんかせずに、自由にさせといたらいいと思うんですけどね そこが問題だよ
日本テーラワーダのマインドフルネスはビジネス禅と同じような解釈をしているのだから。マインドフルネスが凡夫のゲーム化してるってこと。
マインドフルネス違いだよ >>418
テンプレで主張しないで、スレ内でそういう話をすればいいんじゃないですかね >>421
テンプレはなってないですよね
あくまでも反テーラワーダという立場を主張したいなら、どうせならスレタイに反テーラワーダと入れてしまったらいいんじゃないですかね >>417
日本のテーラワーダがおかしいと主張することが主題ではありませんからね
それに元々テーラワーダは大乗よりも世界観の狭いものであることはベースとしてあるでしょ
しかし、一神教の人の祈りにもマインドフルネスを利用してくださいという
テーラワーダの長老もおられます
ひとくくりになんでも否定しようなんて思ってませんからね なってないって、このスレのは変えられないし、おもいおもいに変えれば良いのでは…?おもいおもいに >>420
テンプレに自分の私見を入れるのはおかしいよね
まあスレの半分以上を自分のスレで埋めてしまうようなイタい人が書いたテンプレだからね ウサはネットじゃないリアルでもそんなに頻繁に相手に「怒ってる?」って聞くの? どうしても私見をテンプレに入れないと気が済まないならスレタイに「アンチ・テーラワーダ協会」とでも入れたらいいのではと思います 怒ってるかどうかはどうでもいいよ
勝手に怒ってればw
どうしてテンプレに怒ってるのか気になる 私見の入ってない好みのテンプレのスレは作らないけど、とりあえずここに居たいってこと? ここは無宗教的な人も大乗の人もクリスチャンも来て、マインドフルネスをそれぞれの信仰生活に生かすスレだと
私は考えています
その範囲でテーラワーダでやってきたことを話すならば大いに歓迎ですけどね
>>425
テーラワーダのみ正当であるという意識でやりたければテーラワーダスレでやればよろしいでしょうね >>433
テーラワーダのみ正当だなんて主張の人がここに来てますか?
山下良道の言ってることに合致するもの以外は認めないというような人なら散見されるように思いますが (日本における)テーラワーダ理論はパラダイムの狭いものなので
これ事実ですからね >>435
過去いましたね
山下の言うことに合致しない仏教は多分ありません なんだろうな、この藁人形打ちを横から注意してる感w >>436
個人的見解でしょう
>>437
過去っていつくらいの話ですか
そしてそれはあなたがいつまでもスレタイに残さなければならないほどの絆をあなたに残したのですか >>440
究極的には創価もオウムも範疇でしょうね
テーラワーダもキリスト教も
>>439
テンプレ外したら戻ってきたこともありますからね >>443
創価の人に一法庵の法話を聞かせて納得してもらえますか?
んで、その人を祓う目的でテンプレにテーラワーダの文字を入れてんですかw マインドフルネスはテーラワーダの人が言った言葉なのに
人気になると他の人も使い始めるようになった
それどころかテーラワーダは考えが狭いと不満を口にする
何様だと思いますけどね
もちろんテーラワーダの人は在家ように瞑想を利用してよいということでマインドフルネスという言葉を使ったのでしょうけど
なんか大乗の人がでてきてマインドフルネスは仏教の教えで
ビジネスのことに使うのは何事かと怒っているのは笑えます マインドフルネススレなのに狭いテーラワーダ理論を
「ほんものなんだぞ!」と押し付ける人たちが過去いたのです
一度仮のテンプレに入れて、そのあと外したら戻ってきましたからね
テーラワーダ絶対な人たちはw
彼らは「輪廻転生は実際に見るんだぞ」とのたまいますが
それは「これが輪廻である」と意味づけているだけです
それらは囚われるべきでない神秘現象の次元のことなのですよ?
彼らにはそれがわかりません
つまり、修行が中途半端なまま頭から信じ込んでいるだけのことを押し付けてくるのです
教科書丸写しのような文言を書いて
日本人の世間にバラモン教の輪廻転生という死生観は根付いていますかね?ないと思いますが
そこから抜け出すということか仏教であり、マインドフルネスです
テーラワーダホンモノ説の人たちはそこがまるでわかってなくて辟易します
まるでオウム信者を相手にしてる気分になりますね
彼らをのさばらせておいたら
「クリスチャンだけどマインドフルネスやろうと思う」と言ってきた人に
「まず輪廻転生を信じなさい」とかいうことになります
それは違いますからね >>445
さあ?それは知りませんね
わたしは桃太郎くんにヴィパッサナーやってみなよ、と勧めましたけどね(・∀・) ID:5G5rRCANがこのスレを立てた人ですね? >>447
自分の主張を押し通したいから反対意見を述べるものは最初から切り落としたいということですか
で、テンプレから外してテーラワーダ第一の人が戻ってきたというのは、いつくらいのことか分かりますか 批判だけするためにレスをしてる人はスルーしますね
そもそも、そこに噛み付く理由が述べられてませんし
自分の建設的な立場を置かずに妄想相手に喧嘩売ってるだけですので >>447
あなたが輪廻転生を信じずマインドフルネスがしたいなら
それをやればいいでしょうけど
マインドフルネスはテーラワーダの人がいいはじめたことです。
使うなら敬意を示すべきだと思いますが >>376
>>404
このフレーズが随分お気に入りのようですが
自分が他者批判するのは無問題なのですか? マインドフルネスはテーラワーダの人が言い始めたんだね マインドフルネスというワーディングを広めたのは禅僧ティクナットハンですね マインドフルネスはヴィパッサナー瞑想のことだが
これは大乗には見られないか、まちがって伝わってます。 使うなら敬意を示せってのはどういうことなん?
慢? ヴィパッサナーと言えば、禅は観察を否定するから駄目だと言ってた人がいたね 一法庵には禅の人もテーラワーダやってた人もクリスチャンも来てるのは話に出てきてます
創価の人やオウムの人がきても多分拒否しないと思うけどね
それらの人が一法庵に行くかどうか?というのは話が逆
冷静によく考えてレスして欲しいですね(・∀・) マインドフルネスはただ座れとかではなく
気づきを重んじる、注意を向けてもやもやとしたもの
が起こり、消えてゆくのをただ見つめるもの 禅はニミッタをタブー視するから駄目だと言ってる人もいた
噂のテーラワーダ絶対な人かな >>446
テーラワーダまんまならば広がることはなかったでしょうね
ティクナットハンが禅僧だったから広がったのですよ >>466
行くかどうかなんて話はあなたの頭の中で勝手に展開された物語のお話じゃないですか
山下の言うことに合致しない仏教がないと断言するなら、仮に創価に心酔してるような人でも一法庵の法話を聞いたら「そうかそうか同じ仏教だ!そうかそうか」と納得するはずでしょう >>467
気づきを重視したり注意は向けなくても大丈夫だよ
勝手に重視されて勝手に注意が向くから、それがマインドフルネスだよ ティク・ナット・ハンが広げたみたいな話って山下良道史観そのまんまみたいな話だと思うけど、本当なんだろかね >>470
テーラワーダの方が技術的なアドバイスが的確
禅は見た目ばっかり
だから日本でマインドフルネスが流行ったのは
テーラワーダの人のヴィパッサナーが理解されたからだよ >>475
禅僧だった山下良道という人はマインドフルネスがやりたくて本場のミャンマーに飛んだからね 自分の怒りを見られないとか、見てますます怒っちゃう人たちが
一気に何人も湧いてくるというのが不思議なのですが
メーテルに茶化しいれるとこの手の人たちが湧いてくる
ということは時系列的には大抵当てはまります
因果関係はわかりませんが(・∀・) なんだ、怒ってるか自分で気がついてないから答えなかっただけかw
今日は名無しのメーテル含めて3人はいるね
俺氏はレスバトルしたいだけのようだけど 怒ってるー怒ってるー
と話を逸らして終わりかな?あれ? しょうがないよ
他人の怒りはほっとくしかない
自分の怒りしか観られない 他人の怒りはほっとくしかないと言いながら何度も他人に怒ってるか聞いてしまうウサさん この前からの話で言うと、お釈迦様の残された言葉はやはり複線的なのです
世間的な頭で解釈して辻褄を合わせることもできますが、それは単線解釈にしかなりません
まず、そういう解釈の仕方に疑問を持つ人と持たない人がいる
さる長老のように
東南アジアでも修行が進む人は複線的な解釈ができる人だと思いますよ
そうでなければ禅定入りませんからね
ただし、それでも表向きの理論としては単線的な解釈を取ることがほとんどでしょう
普通の世間の人たちはそして宗教のことになると世間の人は単線的な解釈を取りがちなんですね
また瞑想はテーラワーダっぽい説明のほうが頭ではわかりやすいということもあります
しかし、単線的で頭でわかりやすい話の延長には瞑想はありません
そこをジャンプしないと何時迄も瞑想が進まずです
そこはカバットジン八週間でかすかながらも見えて来るはずだと思いますけどね
これは推測、私見ですが >>483
怒ってるのかどうかを聞いたんだよ
おこってなければ、何が不満なのか知りたかった
でも分かったw先生は怒ってる >>473
山下良道という人は禅で何年もただ坐れと言われて坐ってたけど何にも分からなかったみたいよ >>486
もういいかげん、相手が起こってるかどうか気になる心から離れなさい >>489
あなたはそんなこと気にしなくて良いのでは?w >>490
善意で注意してあげたのですが
それが気に食わなければ勝手にしてください
ですが感情にふりまわされるあなたが
スレにいるとみんなの迷惑になると思いますよ >>478
良道さん茶化すと何故かスレ盛り上がる
何故? >>491
メーテルグループ以外はアスさんしかいないから、
別に迷惑になってないと思うw >>494
山下さんを茶化すというよりもわたしやウサを否定したいように見えますが?
スレが無駄に流れてるのはそれらのガヤ勢が一気に湧いてきてバトルしてるからでしょ
見た通りですよ 多くのマインドフルネスは間違ってるとおもうが
それは効果が薄いか無いってことだが
呼吸に集中するとか、誘導瞑想とかで
たとえばゾーンやらフローという状態に到達できるのか?
おそらく1000人に一人いるかいないかという低い割合では? 度々言ってますが、キレイな論理というのは実に罠なんです
論理というのは実に怪しいものなのですよ
人は自分の考えが論理的に正しいと思ったら、すぐに矛盾を起こすものです
ともあれ、自己言及をすれば論理矛盾を起こすものですし
他者について述べる時には人は必ず自分を棚上げしているものです
これを自分自身に向けて考えていくならば
自分が凡夫であることを嫌というほど知ります
我々全員が持つ先天的な障害です
まずこれをよく考察しないと、人を責めるばかりになります こういうやつが理想的な状態でないのか?
よくやられてる方法でこうなるか?
合気道の極意・呼吸力によって 宇宙や自然と一体になる
剛三は超人的ともいえるその呼吸力を発揮するときの心境を、次のように語っています。
「スーッと天にも昇るような気持ちと言うか、そのとき自分の中にはなんにもありません。真っ白なんです。
こうしてやろう、ああしてやろうという気持ちはまったくない。
植芝先生の言う、宇宙や自然と一体になるということですね。そのとき自分を完全に信じ切れるんです。
相手が攻めてきても、わが友だと思える。自分自身だと思える。相手はこちらの一部になってしまっているから、抵抗したくてもできなくなるのです」
「心も体も、力みやこだわりがあってはひとつにまとまりません。
とらわれない澄み切った精神状態の時に、はじめて本当の呼吸力が発揮できるのです。
相手に敵対心や抵抗心を持ったり、うまくやってやろうという欲や、これでいいのだろうかという迷いがあったりすると、力は濁ってしまいます。
その濁りをなくしていくことが、稽古の大切な目的なのです」
塩田剛三が残した有名な言葉があります。
合気道の最強の技とはなにかと問われ、こう答えました。「自分を殺しに来た相手と友達になることです」
合気道とは、わざわざ相手からの攻撃を設定し、自分の中に生じる敵意と迷いと我欲を克服していく稽古だと言えるかもしれません。
それが極まった時、無や愛や調和力が、理念ではなく具体的に自分の上に実現します。それこそが人間の本当の強さなのです。
http://nisshinkan.net/kokyuryoku_nukiwaza.html >>473
山下良道という人は禅で何年もただ坐れと言われて坐ってたけど何にも分からなかったみたいよ あとブラームス、本人の言葉らしいやつ
ブラームス─主旋律は無限なるものからやってくる
ベートーベンがそう実感したように、私たちが創造主と一体であると実感することは、不思議な、畏怖の念を起こさせる体験である。
これまでその実感に至った人間はごくわずかであり、それゆえに、さまざまな分野で人間が努力してきたにもかかわらず、偉大な作曲家や創造的天才が出現することがほとんどなかったのである。
私は作曲を始める前にはいつも、これをひたすら観想した。するとすぐに、私の全存在をワクワクさせるバイブレーションを感じる。
この高揚した状態では、ふだんの心的状態のときには曖昧であったものが明瞭に見えるようになってくる。
そうなったとき、ベートーベンがそうだったように、私は天上からインスピレーションを受けることができるのを感じる。
そして、私の心の目に主旋律がはっきり見えるだけでなく、その主旋律にはそれにふさわしい形式、ハーモニー、編曲が与えられている。
そのようなインスピレーションを受ける心的状態では、一小節また一小節と、完成した作品が私の前に見せられていく。
そのようなことが起こるには、半恍惚状態になっていなければならない。
つまり、顕在意識の心が一時的に停止して、潜在意識が主導権を握っているような状態である。
真の天才は、英知と力の無限の源泉を利用している。私の見解では、まさにそれが天才の天才たる所以なのだ。
偉大な人物は、宇宙の無限のエネルギーにつながっていたので、宇宙から永遠なる真理のバイブレーションを受けていたのだ。
私の作曲の中で存続していくであろう主旋律は、すべてこのようにして私のところにやってきた。それはいつも実に素晴らしい体験であった。
その体験をするとき、私は無限なるものと調和しているのを感じている。それに匹敵するほどの感動はほかにはありようがない。
https://maharishi.or.jp/tm-wave/archives/6360 女が川を渡りたいと言ってるからおぶってやろうとか言ったら女が抱きたいのか?抱きたいのか?と何度も聞いてくるスレ >>501
ゾーンとかフローとかいう単語は多分あまりここの人には好まれないと思いますが
さしあたって、そういった理想状態を渇望するならばマインドフルネスでは実現しないと思います
スポーツ選手などもゾーンを狙うのではなく結果的にゾーンに入るのではないでしょうか
次ですが、マインドフルネスの効果が疑われるのは>>2
のような事情によることだと推測します
個人的にはそれらは好転反応のようなものと捉えてます
マインドフルネスの始祖であるお釈迦様は四諦というのを説きました
全ての仏説は四諦について語ってるとお釈迦様自身言ってますが
まず苦諦なんですね、一切皆苦を知るんです
だから、2のようなことで効果を疑うのは早計なのです どんな一流のアスリートでもなんの準備もなしに結果を残せないように
なんの準備もなしに高度な瞑想をするのは無理なんじゃないかな
素質がある人以外は
戒律を守るってのは自尊心をもてるようにしたり、心に余裕をもつように
するための環境づくりなんだと思うけど
そのように日ごろからの習慣づけってのは大切だと思うよ >>501
集中だけで一瞥体験や忘我状態のサマーディはあるかもしれないけど、自我を観察してそれが実はなかったと気が付かなくてはならない。そうなれば止即ち観となる。
1000人に一人もいないかと。
>>506
一応読んでてワロス アスペ尊師が残した有名な言葉があります。
在宅山下オタクの最強の技とはなにかと問われ、こう答えました。「テンプレに個人的に排除したいものを入れて最初から排除してしまうことです」 >>503
塩田先生にとってはそれは理想なのではなく現実でしょう
そういう具合になろうとしてもなった人はほとんどいないのでは?
藤平さんとかは近い感じでしょうかね
ともかく渇望からは生じてこないことだと思います ブラームスにとってこの考えは単なる哲学的な思弁ではない。彼は、自分の作曲が生じてくる源泉である独特の体験を説明しようとしている。
心が静まり、はっきり目覚める体験
ブラームスは何を表現しようとしているのだろうか。彼の表現から想起されるのは、高次の意識状態──つまり、悟り──について語ったマハリシの説明である。
マハリシが超越意識と呼んだもの──日常体験している目覚めの意識、夢、眠りとは区別される第四の意識状態──を体験する。
そのとき心は静寂な落ち着いた状態になり、それ自身の内側ではっきりと目覚めている。
感覚も想念も感情もなくなり、ただ純粋な意識のみだけを体験する。このとき脳の機能は秩序立って統合され、身体は深くリラックスしている。
この状態のとき私たちは、想念の源、すなわち創造性と知性と至福の無限の宝庫を体験している。
そのとき私たちは、目覚め・夢・眠りの意識状態と、枠のない意識状態とが共存するのを体験し始める。
そして、内側深くで体験していたものが途切れることなく持続する。そうなったとき、私たちは、想念の源にある創造性と知性の無限の大海をいつでも利用できるようになる。
さらにマハリシは次のように説明する。
通常の目覚めの意識では、想念が発生しても、それが心の「表面」に到達するまで、私たちはその想念を自覚しない。
しかし、高次の意識状態では、想念が発生した瞬間にそれを自覚するようになる。その瞬間の想念は最も強力であり、想念の源にある無限の創造的知性が十分に染みこんでいる。
ブラームスの言葉は、たしかに、このマハリシの説明と同じ方向を指している。
ブラームスの言葉によれば、時々彼は「超意識」の状態を体験し、そのとき彼の心は「全能なるもの」の領域に入っていく。
ブラームスの感覚によれば、存続していくであろう主旋律が彼のもとにやってくるのは、「無限なるものと調和している」ときなのである。
そして、この状態こそがすべての創造的天才の源泉である、と彼は信じている。
https://maharishi.or.jp/tm-wave/archives/6360 >>511
私は高度な瞑想というのは興味がないのでなんとも
ビジネスライクにリラックスしたり集中できたりできるように
活用しているだけなのでなんとも
手に人と書いて飲んだり、お茶飲んだりすると安定するっていいますよね
他にはルーティンをしたりと自己暗示にもっていくためのきっかけも
日ごろからの行いに左右されたりすると思います。 >>505
その恍惚感は芸術家にしばしば?あるようだよね。今読んでる本にもヤナーチェクにもあったと書いてあるのを読んだところ。
しかし、苦諦に辿り着かないとまた苦がやってくる。創作ってのは苦がないとできないものだし。
否定はしないけど、仏教と芸術は別ジャンルということになるね。
しかし、また一つ別の見方をすると、どの道でも極め尽くせば最後は同じ所にたどり着くものだと思う。芸術でも。
でも、道の途中で或る法を得たなら、最後はそれは使い古した法として棄てなければならない。音楽なら音楽を 絵画なら絵画も棄てる。仏教も最後は仏法も棄て去る。 >>505
こちらはどうかなぁ
その高揚感、恍惚感は捨てられるようでないとマインドフルネスは無理ですからね
通じやすい言葉で言うと執着しないということです
良いもの悪いものを選り好みしないということに繋がります
塩田さんの相手を友達と見えてる、主客のない世界というのは良し悪しを区別しないから実現すると思いますよ 至福体験を求めるならばマインドフルネスはちょっと違うのかなと思います
TM迷走とかに行った方が良いのかもしれません
マインドフルネスでもそれは起きてきますが、あくまで無常、苦、無我です
捨てた後にも起きてくるものですがそれは無我=「私ではない、わたしのものではない」です たしかに高揚感、恍惚感はちがうかもしれませんね
ですが、高揚感、恍惚感は集中を前提としていますので
マインドフルネスではないとは言えないでしょう それにしても、テーラワーダのことをなにか言うと怒るのに、スマ長老のことは誰も養護しないんだね。
メーテルのご主人でも来てるのかな?
メーテルのいけ好かない原因の張本人が?w テーラワーダ、禅なんて話してないのに唐突感あったw
テンプレ変えたければきちんと筋の通るように提案してくれればいいのに
ヒステリックにワーワー言われても、どうせわたしかウサに気に障ることを言われたかなんかの私怨で
テーラワーダにかこつけて騒いでるんだなくらいにしか思わないです 家族で一緒に5ちゃんねる大変そうw
>>520
だよねえ。なんでいきなり
ここはテーラワーダを否定するスレですか?と話の脈絡もなく言ってくるのか謎だったw
だからなんで突然怒ってるのかその方に聞いて差し上げたんですが? 身心変容技法研究会 研究年報 第1号
町田宗鳳 声の力と意識変容体験
禅と念仏
一般に、自己に内在する真我を主体的に見極めようとする禅と、絶対者としての阿弥陀仏の救済力に全面的な信服を置こうとする浄土教は、同じ仏教の中において、まったく異なる伝統を継承するものとみなされてきた。
しかし果たして、そのような見解が有効かどうかは、再吟味を要する。
鈴木大拙は、『浄土系思想論』の中で指摘しているのは、浄土教信仰の核心にある六字の名号も、禅的境涯の典型的表現である一喝も、「無分別の分別」という一点においては、まったく区別がつかないということである。
また、大拙は「霊性の自覚」という言葉を好んで使ったが、その霊性が自覚されるのは、まさに「無分別の分別」という意識変容体験においてであり、そこにいたる道筋が禅であろうが、念仏であろうが、問題とはならない。
宗教的行の本質は、分離した心と体の再融合にある。
それは没我的な体験を通じて「心身一如」といった心理状態に至らないと、肯定的感情や法悦としてのエクスタシーが生まれてこないからである。
イスラム教のスーフィーは、ズィクルという特殊な呼吸法や回旋舞踊を使って、神との一体感に浸ろうとする。
意識変容体験をもつ上でポイントとなるのは、単純な身体運動を反復することにある。坐禅でも、呼吸に集中しており、通常よりも回数は激減するものの、単純で深い呼吸の反復によって、禅定に入っていく。
発声もまた、一種の身体運動とみなすことができる。
声明や念仏も、それが集中的に反復されるうちに、高周波音が発生し、その微細振動が脳におよび、それが脳内物質の分泌やα波の促進に役立つことが解明されている。
その時、湧き出てくる肯定的な感情が、「否定的記憶」の消去に効果があるわけである。
真言宗においてもっとも重要視されている『理趣経』の「十七清浄句」は、露骨な性的表現に満ちているが、そこでは男女の愛も清浄なる菩薩の境地であるとされている。
それは、宗教体験が性的なエクスタシーと区別がつかないぐらい深いものであることを示している。
http://waza-sophia.la.coocan.jp/nennpou.htm テーラワーダももちろんスマ長老にたいする罵倒も不快ですね
自分が自分がで周りのことに気づかない人も同様です。
瞑想は雑音を排して意識を集中させる訓練ですから
他人のことが見えなくなるんですよ
だから他人の注意にも無関心になる人が多い
セルフィッシュな人になるんです。
だからこその戒律であり、自因自果であり、慈悲の瞑想であるのに
それすら自己の世界で完結させる人がいかに多いことか 身心変容技法研究会 研究年報 第1号
町田宗鳳 禅と念仏は別のものではない
浄土宗の方では、別時念仏と言って五日間ぐらい、朝から晩まで木魚をたたきながら念仏するわけです。
初めのうちは、足が痛いとか、眠いとか、退屈だという感覚に襲われますが、一日、二日たつと、非常に軽快に、それこそ、タッタッタという感じで口をついて念仏が出てきて、空を駆けるような心境にまで行ってしまいます。
スポーツで言う、ゾーンに入るとか、ハイになるという感覚のところへ入っていきます。
座禅も、慣れていないうちは、足を組んで、足が痛いとか、寒いとか、そう思っていますけれども、
実際に、禅定にすとんと落ちると安楽の法門で、何というか、無重力空間に漂うような感覚になるんですね。そのへんで、念仏と座禅に共通するものがある。
アプローチは違うんですけれども、すとんと落ちてしまったところは、もうボディーが消える、エゴが消える世界ですから、どちらから入っても、すごく楽しいわけです。安楽の法門です。スポーツに集中しているのと同じです。
ここから、臨済宗の雲水が悟りを開いていく段階を一〇コマ漫画で表した「十牛図」の話をします。
第7図に来ると、牛が消えてしまうわけです。あれだけ大事にして必死の思いで追いかけてきた牛が消えるんです。
ここから、本当の意味での自己の主体性が芽生えてくる。あるいは、本当の意味の信仰が芽生えてくると言ってもいいんですね。
それまでの牛というのは、「私は禅です」とか、「私は念仏でやります」、「題目でやります」と、そういう牛に振り回されている。
『臨済録』で臨済が「随所に主となれば、立所皆真なり」と言っています。
どこでも、自分の主体性を見失わなければ、すべての場所、トイレにおろうが、車を運転していようが、どんな場所でもそこが「立所皆真なり」というわけです。
ここから本当の自分の人生が始まると言ってもいいし、ある人は、ここから信仰が始まると。
第8図の「人牛倶忘」という、空の世界、無の世界ですね。
だから、お念仏から行ってもいい、題目から行ってもいい、座禅から行ってもいいし、それを全部取っ払って、金もうけから行ってもいいんです。何でもいい。
人間、真剣勝負なら。ここですよ、ここで救われるわけです。
http://waza-sophia.la.coocan.jp/nennpou.htm >>522
よく言ってるのですが、浄土系と道元禅師の仰ってることは全く同じところが肝心要なのです >>523
その慈悲の瞑想やってる貴方が嫌なんだってよ
貴方の奥様 悪人正機、参禅は同じことですから
煩悩具足の凡夫である自分を仏に投げ入れるということです
そこがサマーディの入り口です
至福体験などを求めることからはゾーンやフローは起きてこないだろうというのは
その事実からです
金儲けの真剣勝負じゃダメですねw 十牛図とは
十牛禅図とも言い、牛を主題とした十枚の絵で禅の悟りに至る道筋を表したものとなっております。
1.尋牛 (じんぎゅう) :牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
2.見跡 (けんせき) :牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
3.見牛 (けんぎゅう) : 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
4.得牛 (とくぎゅう) :力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
5.牧牛 (ぼくぎゅう) :牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
6.騎牛帰家 (きぎゅうきか) : 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
7.忘牛存人 (ぼうぎゅうぞんにん): 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
8.人牛倶忘 (にんぎゅうぐぼう):すべてが忘れさられ無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
9.返本還源 (へんぽんげんげん) :原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
10.入?垂手 (にってんすいしゅ) :街で暮らす。悟りを得て童子から布袋和尚の姿になっている修行者が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
https://www.e-kotto.com/topics/1218-jyuugyuuzu-new.html >>527
正直、真宗はちがうと思いますけどねえ
真宗は念仏を称えることをかつてはしていましたが
今は称えていません、単なる哲学ですよ。
頭で考える無分別の分別が何になるというんです このテンプレのテーラワーダ部分って単にスレを立てた人の個人的見解だよね >>531
あなたの旦那さんはどんな人なんですか? 糖質の人今度は旦那が〜とか言い出しててわろたw
朝から晩まで5ちゃんに張り付いてたらこんなになるんだな 何でもいいけど、夫婦でちゃんと話し合ってほしいなあ
慈悲の瞑想やってるご主人の態度が気に入らなくて、慈悲の瞑想ができなくなっちゃったんだって。 自分勝手に一人でテンプレ作って開き直ってるということは、ここはスレ立て人のバカッターアカウントみたいなものということですか 普段はほとんどアスペと糖質が書き込んでる糞スレだからね >>532
一口では語れませんね。
残念ながら...
>>526 にも答えてあげといて下さい。
慈悲の瞑想やってないと。 >>523
ここに居るということは皆毒を飲んでいるようなものなのよ
克服したと勝ち誇っていても所詮口だけ
ムカつくこと書いてたとしても、それは書き手が毒されているせい
読み手も毒されてはいるのだけど
正常な状態でない人が正常でないことを書くのは仕方がない >>541
そうですね。どこか病んでいるような方ばかりです。
こんなスレに迷い込んだ私もそんな原因があったのでしょうね 自分勝手で我が儘し放題のエゴの塊アスペさん
&
いつもビクビクしていて疑心暗鬼の塊ウザいさん >>537
スレのテンプレなんかただの>>1の書いた文章に過ぎない
5ch自体のルールじゃないので何の拘束力もない
5chのスレは5chの所有者のものであって>>1の所有物じゃない >>549
拘束力は無くともスレの方向性は示されてると受け取られますよね
テンプレのテーラワーダの部分を外したら1にとって気にいらない人が帰って来たけど、戻したら1の自分勝手な思いが通じて撃退出来たとご満悦な様子だったじゃないですか
>>443 自分が批判され始めたら
※他者批判のためだけにレスをしないようお互い心がけましょう。
と何回も貼る
そういう自分がテンプレで他者批判してるのに? 煽りで変なこと言ってるのかと思ってたけど本当に病気の人かもしれないからみんなスルーしたほうがいい
宗教だの瞑想だのは精神が危うい人が寄って来がちだし人によっては本当におかしくなってしまう場合もある >>551
わたしが攻撃対象になる前から横レスで貼っていますから
君の事実誤認です 良道さん曰く、
どんどん批判して下さい
喜んで受けて立ちます 真宗が念仏を唱えなくなったかどうかは知らないけれど、
もしもそうだとしたら、真宗の信者または日本の一般大衆の瞑想(心の成長)が進んでるからだろう。 >>556
事実誤認です
>>560
メーテルは一法庵のコメント欄に書いたりしないの? >>562
書き込んでみましょうか?
例えば、こんな感じでどうでしょう?
マインドフルネスや只管打坐に入る為に前段階として、ワンダルマ・メソッドをするというのが長年の私の理解だったのですが、逆だったのでしょうか? >>562
事実誤認じゃなくて、自分にとって都合の良いように記憶の書き換えを行って、自分好みの映画を見てるだけでしょ
とにかく自分勝手だから ここの人たち全然マインドフルネスの効果なくてワロタ >>563
それは批判ではなく質問なのではと思いますがw
書かれるのであればご自由にどうぞ
わたしの理解を求めてるのならば
これまではワンダルマからの只管打坐ということは度々言われていたし
ワンダルマ以前に只管打坐であることも度々言っています
日常からそれらまでマインドフルネスは一貫しますね
>>565
まずあなた自身にそれが言えるのでは? >>566
「それ、あなたの印象ですよね?」(西村ひろゆき) >>567
自分勝手な都合のよい映画を見てるんじゃないというなら、具体的にいつのスレのどこで書いたのか言ってくれよ
過去スレ見たってそんなの見つからんけど 息をするように嘘を吐く
捏造や歪曲といった作為的な行為が大好きなお方 >>567
日常からそれらまでマインドフルネス
それは只管作務のこと?
禅にマインドフルネスはないのでしょ >>567に補足
山下さんはメソッドよりもまず微細感覚(意識)の瞑想ということを提唱していた
十年前から
去年は、もうビリビリからはメソッドなしで只管打坐だけでもいいとも言ってました
二重構造の理解があればですね
最近はもう少しはっきりと、只管打坐(無条件降伏)、メソッド、只管打坐
のサンドイッチなんだと言ってる訳ですね
ここで言葉のあるところもないところもマインドフルネスですが
メソッドを入れないとマインドフルネスということが何を示してるのかが禅僧たちにはわからない
道元禅師こそマインドフルネスだったということが理解できない
そうして日本の禅の世界がマインドフルネスをよくわからずに馬鹿にしてるうちに
カバットジンに先を越されてしまってる訳です
マインドフルネスを提唱している禅僧ティクナットハンが来日してから二十五年ですからね >>573
道元禅師はマインドフルネスでしょう
しかしその教えが形骸化してしまっていたからマインドフルネスという言葉に出会った時に
藤田さんも山下さんもさっぱりなんのことを言ってるのかがわからなかったわけですね
ネルケさんもビジネス禅の流れとして捉え誤解していた 道元のマインドフルネスぶりはすごいよ
ネットの現成公案読むだけでもあたまさがりまくりんぐ
心理学や哲学より仏教がより真理をハッキリ示しているのは言わずもがなだけど
仏教は修行のため敢えて言わないという方便もあるので、補助的に心理学や哲学も触れてみてなるほどねーとなるんだけど
道元はそのへんもうまい具合に触れている 山下さんはネット上で瞑想についての議論をすることは好ましくないって言ってるし
道元は他人に何か聞かれてもすぐに答えるようじゃ駄目って言ってるけどね
山下さんや道元の言うことと全く違うことやってる人達のスレだな 自分で考えるかしばらく即反応するのやめてみたらわかるんじゃん? そういうのも自分で考えてみようね
ま、それ言うと思ってたので答えてあげるけどわたしは道元褒めてる人達に道元の言うことと違うことやってんねーと言ったまでで
わたし別に道元いいと元々言ってないですし道元の言うことに沿う立場でもないので
道元は細かい事決めすぎてたり法華経褒めてたりところどころ微妙〜 >>574
微細感覚(意識)の瞑想
右の手の平がビリビリしないと、「ニュー・アース -意識が変わる世界が変わる」のエックハルト・トール氏の言うThinking Mindが落ちて、マインドフルネスにも只管打坐にも入れないのですね。
ビリビリするにはノーメソッド。
只管打坐30年しかないわけですね。 分からない人に聞いても答えは返ってこないよね。それが答え。
道元のことは褒めてないよ?褒めるような立場にないですのでw
マインドフルネスがすごいと言ってるだけ 同じところをグルグル回ってて
実に滑稽だし鬱陶しい
どっか5chでない場所で
存分にやってくれたまえ >>584
メーテルはビリビリでませんか?
そこが抜けてるとただの議論になってしまうのですが
参禅、無条件降伏、悪人正機が入りの只管打坐ですから
それがないと三十年坐ってダメでしたということになるでしょう
私見ですがどんなメソッドでもよほど外れてなければ八週間程度でそこはクリアすると考えています
それには毎回失敗し続けてるということに気づいてることが重要だと思いますよ
こういったことは意識の外から起きてくることですから
そこで起きてきたことは、落ち着きであると同時に
煩悩具足の凡夫であることが徐々に見えてくるということです
そこで右手だけでもビリビリは出るはずです ビリビリというのは単純にわかりやすい印だということもひとつにはありますが
本当はかなり深いことです
維摩居士や道元禅師のいう不可思議とはビリビリのことではないのかな?と思ったりします ビリビリも出ない人には夢の話にしか見えないということか
そいつは困ったね メーテルは瞑想を進めたいわけじゃないのだと思う
ある人に認められたくて瞑想とかマインドフルネスに興味を持ってるだけ >>589
内観をビリビリとしか表現せず、掴もうとするのは貧しい 単に内観ということではないのですけどね
> メーテルはビリビリは出ませんか?
というのは出ないと決めつけた話ではありませんから誤解なきよう
出るなら出るでいいですし
出ないなら出ないでいいですよ
それを隠して話すと爪先だった単なる議論になってしまうので 無条件降伏、意識の外からくる、という話をしているのに
なぜか、掴もうとする、という読替えがされてますな ビリビリなんてヨガや気の練習やってりゃ誰でも感じられるけどなぜ初期経典にビリビリが書かれてないかをちゃんと考えたほうがいいと思うけど
本当に必要なことならちゃんと経典に記されているしそれが記されてないならどうしてなのか
山下さんは修行の一環でヨガを導入してるからビリビリビリビリ言ってるけどさ >>600
仏陀は当たり前だから言わなかっただけじゃないですかね?
ブッダダーさんは書いてますよ 本当に必要なことは経典に書かれていてそれをちゃんと考えていて知っているのに、はて?どうしてなのか? >>555
あなたは自分にとって都合のよい嘘っぱちの物語を作成してるだけのインチキ野郎ですよね >>598
本当にビリビリだけですか?
人により時により状況により様々でしょう
限定すれば人参をぶら下げてしまう
ミスリード
調えて待ってあとはお好きなままに...
あと、ビリビリの中で「地・水・火・風」と三回唱えれば、透明な身体となって光の世界に飛ぶのでしたね
それからがマインドフルネスの始まりと >>601
ブッダダーサはわりと好きだけどあの人も山下さんと同じで色々と異端の立場の人だよね
ビリビリ感じる方法別にわるいことだと思わないけど所詮修行上の様々な過程のひとつでしょ
ヨガでもビリビリは修行の過程のひとつに過ぎない あと、ビリビリは山下さん十年以上の指導の中では出ない人も相当数いたようですよ
だからヨガを取り入れたのではないかな?順序としては
ピラティスとか言ってた時もありますね
で、そこがミャンマーでも修行が進む人と進まない人の違いだったのだと思いますよ
だから最初から「微細意識の瞑想宣言」かなんか言ってたのだと思います
>>606
爪先だった単なる議論は致しません、ごめんなさいね
>>609
そうですか?タイでは多くの人の尊敬を集めてるとどこかで読みましたし
ラリーの先生でもありますよね >>462
「厳密に言うと、マインドフルネスは坐禅ではありません。歴史的文脈がまったく違うからです。禅は東アジアの大乗仏教の中で、マインドフルネスは、実は、東南アジアのテーラワーダ仏教━━スリランカ、タイ、ミャンマーなどアジア南方に伝わる仏教。上座部仏教、南伝仏教とも呼ばれ、初期仏教、原始仏教に近いとされる━━の中で、それぞれ発展してきました。」
山下良道 山下はテーラワーダのマインドフルネスを認めているのに信者はなぜ排斥してるの? 仏教1.0があって2.0があって3.0という山下と、単なるテーラワーダ嫌いで大乗贔屓なアスペ・ウザいのバカ二人の違いでしょう 同じチェリーピッキングする人が三人同時に!
怪奇現象ですなこれはw
テーラワーダ否定なんかしてませんからね
もともとからして 一瞥体験だと一応マインドフルネスが何を指すのか感覚的にはわかるんだね
そして知識をめちゃめちゃつければ、もっともらしい言えるようになる、と。
テーラワーダ批判は敏感だけど、某室長の話には咎めないのは、室長が何もなってないことを一応知ってるからだろう
けど、何かしら体験がある人がやってくると、コンプレックスが刺激されてID変えてまでしてめちゃくちゃ叩きたくなるようだ。 妄想雪だるま式なのは、人にとっては害がなくて全然構わないんだけど、問題はそれに基づいてやたらと白黒はっきりとした答えを急ぎ過ぎること。
いい加減少しは堪えて中立的に物事を観ようとする努力をしてみれば
Be Mindful 健やかに >>619
といった風なことを書くと...
認知の歪んでない人間なんて存在しないんだー
何故ならこの世は全て妄想なんだー
映画なんだー
みんな顛倒夢想してるんだー
無明なんだー
俺はこの世(ゴジラ映画)を作り出したアンノ監督なんだー
それが分かって初めて、無量寿光の慈悲に溢れたマインドフルネスとなるのだ。
高名な哲学者の永井均先生も言っている。
といった辺りが返ってくるのが、毎度のこのスレのパターン メーテルの事じゃないよ
どうしてメーテルの事ではないのに妄想と反応するのか摩訶不思議w
しかも急いだわけではなく2年近くかけて導いたものなのに
妄想はあなたの方だろうw >>623
一瞥体験あればヨガやんなくてもビリビリ出るから
ヨガやったからって誰でも出るわけじゃないから
ビリビリなくても安心しな >>620自身は中立的ですか?いまここですか?
白黒つけようとしてませんか? >>625
ウサはビリビリしないと以前言ってませんでしたっけ
そんなことを2年近く考えてたの?
呆れた
じゃね >>626
努力はしています。
開き直りません。
言い訳はしません。 >>627
2年近く考えていたわけではないけど、こういう人ってどういう心境なのか境涯なのか気になってた。
メーテルが横から反応するからあんたと間違えていたことは謝るよ、ごめんね。
今日のもなぜ反応したのかは追求はやめておこうw
ビリビリについては、なにか話題に上がるまで注意してなかったんだよ
これは未体験から瞑想はじめる人向けの指標みたいなもんだから
ニミッタもそうだ
そういえば出ているなと。 右手のビリビリは一瞥体験無くても出ますよ
ビギナーズマインドなら プラーナの身体が肉体の身体の調整装置であるという、奥深い真実を理解することは必要不可欠です。
二つのカーヤ、あるいは二つのレベルのカーヤがあることを知らなくてはなりません。
最初の段階である肉体の身体については皆知っていますが、プラーナの身体についてはほとんど知ることはありません。
ですから、肉体の身体を調整する有益な方法としてプラーナの身体を理解することはとても重要です。
中略
ブッダの時代以前、修行者たちはさまさまなやり方でプラーナヤーマを実践していました。
ブッダが現れたとき、彼もまたプラーナヤーマを実践し、呼吸を洞察する体系の中に取り入れてきました。
私たちは呼吸を洞察する体系を通して、生命と身体をより良く調整していきましょう。
ブッダダーサ「呼吸によるマインドフルネス」 >>611
ヴィパッサナーやマインドフルネスはメソッドではないので禅でも究めればマインドフルネスに行き着くけど、行き着いてもそれをマインドフルネスだとは言わない。
禅は何にも囚われないのがモットーだしある意味それは凡夫に無茶を言ってる。行き着かない人にはマインドフルネスが理解できないし、マインドフルネスを軽視する
上座部はメソッドとして発展させてしまったので、マインドフルネスがあるという観念を強化させてかえってマインドフルネスから遠のく。しかも誤解したマインドフルネスをマインドフルネスとして語る
どっちもどっちなんだよ
伝統的な仏教の宗派であってもいつのまにやらエゴ的解釈に流れていく。それぞれベクトルは違えど、同じバカの壁の出来上がり 日本の大乗にはメソッドがない→二重構造が説かれてるのにわけわかめになってる
南伝には二重構造の明文化がない→お釈迦様のメソッドがあるのに修行が進まない人多数
二重構造が説かれていない=瞑想主体が何なのかがわからない
そこにハッキリした違いがなければ瞑想は進まないという事実です
テーラワーダの人であっても理論としてではなく、実践上の感覚としてそれを理解してる人だけが
瞑想が進んでいく、と山下さんは言ってます
そしてそういう人たちはいるわけなんですね うん、テーラワーダの人でもヨルカになったら般若心経も現成公案も理解できるよね ブッダダーサは二つのカーヤという表現をしてるけれど
これは、普通の肉体感覚と、青空から見た肉体ということ
青空には主客はないですからプラーナ、ビリビリは青空と言っても構わないと思います
ともあれ、思い計らいの頑張りをやめたらビリビリ=青空から見ている印が現れてきますね
最初は聞き手の手のひらを見るのがわかりやすいということですが
そのビリビリはよく整えられし自己から凡夫のオレを見てるということなのです
メーテルさん、寝落ちしてる場合じゃないですぞ?
「形のあるものと、形のないものをどちらか選ばなくちゃならないとしたら
形のないほうを選べ、これが僕のルールだ」
東京奇譚集・偶然の旅人 村上春樹 >>637
本当に預流なら読み込んでよく確かめればわかると思いますね
けれど彼らはテーラワーダの世界観で阿羅漢を目指すわけだから
それらを読んでも頭から違うものと考えてしまうことも多いんじゃないかな >>640 訂正
聞き手の手のひらみてどうするんだw
正しくは「利き手の手のひら」です >>643
わたしは普通のお風呂でもビリビリになりますからね
電気風呂入らずですぞ 糖尿ってビリビリするのかな?知りませんが
ブッダダーサやヨガの人たちもみんな糖尿なのでしょうか? 凡夫のわたしが凡夫のわたしを調える(漢字こっちかな)
これは不可能です
これがハッキリしていないと何かの拍子に整わなくなると思いますけどね
ビリビリの瞑想をやりなさいとは言いませんが
出かける時の火の元の確認程度にはビリビリを確かめておくのが良いと思います 瞑想について
語りたくって語りたくってー
しょうがあーりませんありません
肩ちゃんがクイックイッ >>648
ビリビリだけでは何だか表面的な痺れだけのような印象を受けます
もう少し内発的にグワッと来る表現はないものでしょうか
微炭酸というのも悪くはないですが今一つ
米個人的感想です 表面的な手の痺れの弱いやつ(強弱は人によりけりだろうけど)
一見、かる〜く手が痺れてるのかも?とやり過ごしそうなくらい
感覚としては特別な知らないような感覚ではないよ
ビリビリでもいいし、ピリ…ピリ… でもいい。微炭酸も捨てがたい >>651
入りのハードル下げる話ですからね
最初は表面の痺れで構いませんよ ビギナーズマインドには、ビギナーズラックが起こるのだ 日本語が読める人ならば
ここまで書いた事でご理解いただけると思うのですが
ビリビリは青空から煩悩具足の凡夫のありのままに近いものを見ているのですから
カッコいいと思うことはないですね
カッコ悪いとも思いませんよ >>657
ビギナーズマインドならビリビリも出ちゃうのだ
>>656
ならば悪戯に恐怖を煽っていたという事になりますね
これでは陰謀論が出てくるのも仕方がないというものでしょう マスコミは信用ならないと言ってる人が、怪しげなYouTubeだとコロッと信じてしまうのは何故なんだぜ YouTubeじゃないけどw
誰のこと言ってるのかわかりませんが
厚労省のHPにコロナ発見者や、コロナが存在することを示す論文とか載ってますか?
そこが論点ですよ?
あるかないかという話ではありませんからね PCR検査等で見つかってるのはあれは何が見つかってるんだろう?ウサはあれと実際の肺炎等の症状により科学的根拠なのかと思いきや、
検査や症状では科学的根拠に値する論文が書けない書けてない、と厚生省が言ってるってことか まあ、株が既に一万以上に分かれるということだし
「これがコロナウイルス」と定義するのが難しいというのもあるんでしょうがね、、、
ウイルスが悪い、毒だ
という固定観念的な妄想にみんな振り回されてますよ
重症化、死亡は免疫不全ですよね
なんだか馬鹿げた壮大な芝居を見せられてる気分なんですよね
小学生がエンガチョとか言ってムキになってるのと同じですから ウサは田舎に住んでるんだけど、基本は車移動だから道歩く人は大都市みたいに多くはないのね
多くないどころか、ろくに人の居ない時間でもマスクして歩いてるのは不思議だなあと思う
冬なら冷たい空気や乾燥吸い込むのを防ぐ、春なら花粉症、あとは蔓延時期に出先でのつけ忘れを防ぐとかね、個々の外せない事情はあるだろうから決めつけはできないけど
「何かこまってることの」対策じゃなくて謎の新たな観念習慣になってますよね、とも思う。 そうですねw
自転車でマスクから鼻出してると睨まれますからねw
こっちは歩行者の何倍もの空気に触れるから危険かもしれないけど
睨まれるほど危険を振り撒いてはいません
まあでも気の毒なので歩行者がいたら鼻にもマスクかけるようにしてますが 論証能力の低い小保方さんが「あります」と言ったら世間は袋叩きにしましたが
今度は厚生省が「あります」とすら言えないものに世間は振り回されて右往左往してるわけです
STAPがあるのかないのかわかりませんが、小保方さんは今の騒動をどんな気持ちで見てるでしょうね
まあこれはいうほどでもないですが
ウイルスは最近ではないのだからそんなに効果ないと思いますね
それどころか常在菌が死んで雑菌で手が臭くなったり、荒れたりします
石鹸で洗うのがいいですが、吹きかけるなら緑茶の方が良いです
どちらもウイルスの突起を無効化するということです 体育の授業のかけっこでマスクしたまま走ってて死んじゃった小学生も居ますからね、、、南無阿弥陀仏 >>667 抜けました
ウイルスは細菌ではないのでアルコールはそんなに効果ないと思います
(どこにでも置いてありますが) 自転車の鼻マスクまで咎めるなんて厳しいな
児童のマスクは意味をなしてないし、動くときかわいそうに思える 厚労省のHPに発見者や存在を示す論文がないから、厚労省は悪戯に恐怖心を煽ってるだけで、馬鹿げた壮大な芝居を見せられてるとしか思えないというのがアスペさんの立場なわけですね >>671
あると言えないのになんで騒がせたままにしておくのでしょうか?厚労省は
彼らは「コロナ怖い」って妄想が止まるようにしなきゃいけませんね
個人的には万が一にも感染広げたり、周囲を怖がらせないために手洗い、マスク、消毒などには気をつけてますよ
コロナ対策というよりも周囲のコロナ恐怖心対策ですね
あと陰謀論の人を見たら「コロナは単なる妄想だからw 陰謀論とか勘繰りすぎると頭おかしくなるぞ?」
と言ってやってますw >>672
では厚労省は、新型コロナなんて存在しないから、人々から恐怖心を取り除いて、一切の新型コロナ対策を止めるべきだということですね >>673
いいえ、「ない」ということは証明できないのです
「ある」とはいえないのに、「ある」という前提で広報していることが欺瞞だというのです >>674
では訂正します
厚労省は新型コロナウイルスが存在すると言えないのに存在する前提で広報してるから、即刻人々から恐怖心を取り除いて、一切の新型コロナ対策を止めるべきだということですね 2019年12月に武漢で原因不明の肺炎の流行がはじまり、2020年1月初旬にその原因が新型コロナウイルスであることが判明し、2月にはウイルスの全ゲノムが解明されたという流れがあるようなのですが、これは一体なんなんですかね 武漢発症といわれつつ、武漢での調査がいまいちままならないのも、厚生省が論文を出せない理由の一つにもなってるよね。厚生省自体が機能を失っているというか。
今は、飛沫接触感染の可能性がかなり低いといわれてるから(Twitterでw)
感染者がでたあとの店舗で消毒も実は換気をした時点で対策は住んでて意味がないのだろうと思いつつ、「消毒しました」と店舗は公表し続けてるしね。
飛沫接触感染と信じ込んでる人もいるし、疑ってる人も消毒をやめさせるほどの根拠もだせないし、なんだか虚実ない交ぜで突き進んでる感はあるね。 >>675
いいえ
そう読んだなら誤読ですね
>>676
さあ?厚労省に尋ねてみてはいかがでしょうか >>677
手に触れるところの感染が主たるルートでしょうね >>678
単に、厚労省のHPに存在を証明する論文が無いのが問題だということですか? というか、ソースの音声聞いたのかな、詰問くんは?
メーテルといい、名無しの詰問くんといい、自分がどうだということは言いたがらないよねー
しかも誤読する
空論ばかりです コロナがないわけでも、ないんだよね
インドで感染者数死者数が集中して、焼き場もなくて公園で焼いたり、公表されてる以上の死者がいるとかいないとか
関西だって、医療体制が脆弱になってるところにキャパを超える患者がでて、深刻に困ってるケースも多々あって、その人たちに、コロナなんてないよ(^ρ^)と言っても傷つけるだけになる。
すべての現象は自分の中のものを現し出しているというマインドフルネスからみても、
このコロナ禍は全世界の人の集団的な投影なんだろうなあと思う。 聞いたけど、厚労省の人間?役やってる人のしどろもどろさが下手な演技だなという感想を持ってしまいましたが >>680
質問する前に落ち着いてよく考えてくださいね
それと、あなたの意見が特にないのであれば、以下スルーします >>684
結局逃げて終わりですか
やれやれですね >>683
演技だったとして、厚生省は「ある」と明記してますか? >>679
今はね、手についたものから口にはいる可能性も低くて、滞留したエアロゾルを大量に吸い込んだからと言われてる(のをウサはわりと信じている)
これもTwitterの情報だからウサの観念と言われたらそれまでだけどw >>685
君は詰問してミスリードしてるだけですからね >>686
厚労省は「ある」か「ない」かの議論なんかやってないでしょ
そこで「ある」という宣言がないから「妄想だw」ってのは、なんじゃそりゃですわ >>689
ミスリードだと思うなら、逃げずに正解を書いたらいいでしょ >>691
あると言えないならば厚生省は何を対策してるんです?一体 >>693
「ある」いう前提で動いてるから、わざわざ「ある」と書いてないってだけだろ >>694
誤読だとか言って時間潰ししてりゃ話のペースを掴めるとでも思ってりゃそませんか >>695
動いてることが根拠で「あることにしている」というわけですね
それは物事の順序が逆ですね まあ、勝手に意図を捻じ曲げてデマ書かれるのは毎度のことなのでww
以下スルーします >>697
ちょろっと検索すると厚労省のHPに新型コロナウイルスのゲノム解析について書かれてたりするわけだけど
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00054.html
では、これは一体何のゲノム解析をしてるとお考えで?
アスペさんガチキチだろ
正直ここまでとは思わなかった オウムのマイコン修行も瞑想だったのか 騙されただけだったのか 科学的根拠の論文は出せないけど、厚労省にとってもコロナは「ある」ものになっちゃってるんだよね
「ある」に観念が傾きすぎると実態を捉えるのが今度は思い通りにならなくて
マスクやアルコールが効果あるのか、飲食店制限が効果あるのかないのか、ディスタンスは、換気は、イベント制限は、
学校は職場は、変異株の感染力は、今後の変異株は?
あるにはあるんだが、あるはずなのに実態が捉えられなくて未だに何がズバリと効果があるのかわからない
そこに経済を回すという観念も加わるから、経済を損なわず(五輪もやっちゃって)コロナ対策するという無謀な目標がでてくるわけだけど
みんなご存知のとおりそれもさっさと破綻している あるとは言えないけれど「ある」という前提で「ワクチン打てば安心!解決だ!」
みたいな空気の醸成をしてはいけないと思うんですよね
厚労省とかNHKは
実に馬鹿馬鹿しいですよ、これ
イギリスでは接種は進んでいるけれど、最近になり感染者増えてるそうです
ウイルスは遺伝子型変異して感染力、病原性の高いものも生じてきたりしてるのですから
当局からすれば予測できたことでしょう
ところが接種者からすれば
「ワクチン打ったから安心だと思ってたのに、なぜ?」
となりますね
恐怖を増大してしまうことになるのではないでしょうか? >>701
まあ、役所としての都合もかなり入ってるんだと思いますね
「ある」と明記した時になんらかのリスクが生じるということなんでしょう 感染対策の効果のあるなしについてなら、ウイルス感染がそれによって防がれてるとリアルタイムで人間の五感では捉えることは出来ないから、完璧にこれだと言い切るのが難しいというのはあるだろう covid-19のゲノム配列は世界中で解読され、2020/11/17時点で151,910件の登録がある。変異系統樹もNextstrainで確認できる。英の変異株も2021/1/6に感染研が分離に成功した。
ということらしいですぜ ワクチン打ったら安心というのもやはり観念で
逆に、打てば危険!というのも観念ではある
ワクチンこれで安心という側に観念が偏れば、ワクチン打っても安心が思い通りにならない流れとなり
ワクチンは危険極まりない!という観念に偏れば、ワクチンを非難しすぎたがためにやはり思い通りにならない流れとなり
さあこれからどうなるのか?
あすさんも言うように、頼みの綱のイギリス国も感染者増えてきたようだ。
ワクチンにある程度は効果があっても、検疫が不十分だと結局効果を相殺するという話も聞いた。
そもそもコロナで自粛の流れが生じているのも、人々が活動して拠点を広げて旅行して仕事でも遊びでも飛び回って!という集団的な観念の偏りの結果、思い通りにならないことがおこってるのだろうと思う。
確かに大昔はレジャーの旅行もないし、グローバル化してないし、外食もしまくらないし、自粛が単に終わることが良いのか、何が正常なのかといえばよく分からない。 >>704
本当は中国みたく人流を徹底的に抑制できれば効果的なんだろうけど
それはとてもできないという前提(ある意味思い込み)の上、結局よく分からない対策をよく分からないままするしかなくて、迷いの道に入ってると思う イギリスはかなり抑え込んでるっぽいよ
一時期は新型コロナの死者数が一日で1500人超だったりしたのが、6月1日にはとうとうゼロにまでなった 今も重症者は(ワクチン効果で?)少ないらしいね
死者数は後追いになるから、ゼロになったのは前の波が収まった結果だとは思う >>37
これ誤爆したのアスペさんなんじゃないのか エホバの証人が輸血を拒否したように
山下の証人はワクチンを拒否するのか コロナウイルスは弱毒化していくだろうと考えられていますね
それは宿主を殺したウイルスは残らず、共存的な変異株が生き残っていくというプロセスです
それまではワクチンを打てという空気になってますね
欧米と比べ、日本は衛生観念の比較的強い国です
これまで通りの低い感染率で数年過ごせば良いだけだと思いますけどねぇ、、、?
安全性の確認が終わってない遺伝子ワクチンを急いで大量に投与するという事が異常なことだと思うんですね
だから危険だ、というより、変だなぁ~???という感じです
まあ、スレ違いなのでこのへんで
>>712
山下さんはワクチン打ったよ
むしろ推奨派だからw 最後にひとつだけ
何故、欧米よりも遥かに感染率低い日本人がワクチンワクチン言ってるのか
本当に不思議だと思うんですよね
率直に言って、ここの皆さんはコロナそんなに怖いですか?? ワクチン誤爆してこのスレに持ち込んだのお前じゃねえの お釈迦さん好きなら
お釈迦さんならどうしたか
その人なりの理解で選択したら
安心出来ていいかもね うさは今は怖くない
というか、感染症状出た人には大変なことではあると思いつつも、掴めない
でも掴むときはコロナってなんだろう?変異株とは?予防策は?とイソイソと調べてはしまうが、その情熱が続かない
ワクチンは打ちに行くの面倒くさい 山下さんは高齢者だし、接種券送られてきたし、庵に集まる人たちを怖がらせないためにも打ったのでは?
人に会うつもりのない山奥の仙人なら打ってなかったかも。 これまで通りのことをやってれば、これからも大丈夫だろう…というのは、マインドフルネス? いつも「同調圧力がー!」とか言ってる人たちが何も言わないけど
不思議なものでw
>>718
瞑想会来る人が不安に感じないように打ったんだろうね
あの人はコロナとかなんとも思わないだろう
質問返しに答えたのだから教えてね
君はどう?
>>719
うん >>722
感染爆発が起きて大量に死者が出ても、自分さえ大丈夫と思えてればそれで良いってこと? >>711
仲間に誰が書いたか聞いてみたところ、該当者がいなかったの? >>725
仲間ってなに?
これもウサの中にだけある問題? >>724
感染爆発が起きて死者を防ぐための、なんかあなたが実行できる超効果的な具体策があるの? >>727
アスペさんが、これまで通りの低い感染率で数年過ごせばいいって言ってるからさ >>729
それが自分さえ大丈夫と思えてるってのとどう繋がる? ウイルス騒ぎで集団的な妄想絵図をこれでもかと見せられて勉強にはなってるけど
ウイルスの次にやってくるもの
https://youtu.be/rbNuikVDrN4
厚労省やNHKがモンスター育ててどうするんでしょうね、、、 >>730
それは
これまで通りのことをやってれば、これからも大丈夫だろう…というのは、マインドフルネス?
に対してお前が外側にはないなんて言い出すからお前用に問うただけだよ >>715
怖いか怖くないかで言えば後遺症も含めて怖いだろう
君は倦怠感が続いたりハゲたりすることが怖くないのかね? 瞑想しても、ID:3OVwgL7/のように、ちまたによくいる自己中なおじさんのままなのな
聖者に近くなると勘違いしてた まだ詰問くんいるのかw
具体的対策なら前から書いてる通り、衛生面とビタミンD
ビタミンDでコロナ感染予防を
https://www.tanaka-cl.or.jp/health-column/covid19-vitamind/
論文は多数出てるのに、厚労省はなぜか否定してますw
根拠が不十分だとか?じゃあワクチンは何故否定しないの? これまで通りに…とか言うけど、そこで想定してる「これまで」ってのも全然一定してないんだよね
何でボンヤリとそんなこと言えるのかわからないけど
調べてみたら去年一年間の感染数は23万人ほどだったけど、今年は半年経たずに54万人超えてる さっきの変な動画もだけど、アスペさんは傍流みたいのこそ真実だと簡単に信じてしまう人だということが分かって面白かった >>732
そうだよ、マインドフルネスは外側にはない >>734
この人の場合マインドフルネスの弊害とされてるエゴの強化が起こった顕著な例だとおもう >>738
強引にアスペさんのありがたい法話とまとめると、今まで通りなやっていて状況が変化して感染爆発が起こっても、自分だけは大丈夫と思ってれば低い感染率で済んでると思い込める…ということになるよ
話がズレとんねん >>733
レスありがとう
わたしは全く怖くないです
死んだらそれはそれで仕方ないかなと思ってましたが
コロナ重症化は免疫不全の現象だとわかったからです
簡単に言うと、ウイルスが人間の体を壊すのではなく
ウイルスに感染した細胞をやっつけようとする免疫反応が暴走して
自分の体を壊してしまうののです
何故それが起こるかと言えば必須栄養素のビタミンDが不足または欠乏しているからです
あと補酵素のマグネシウムですね、現代人は不足しやすいんです
>>358に個人的な目安を書いてありますが、参考になれば >>739
横レスですが、その文脈でのエゴの定義はなんですか? >>744
お前が外側にはないとか話の流れとズレたこと言い出すからだよ 栄養さえちゃんと摂ってりゃウイルスに勝てるってか
凄いな >>742
それは当然どんな業界でも役所は保護しなきゃならないでしょうから仕方ないでしょう
あと、官僚組織というのはアメリカの言いなりだと白井聡が書いてましたね
官僚組織とは本来は天皇の部下なのですが、つまり国体に従う組織ですが
配線で擬似国体が日米関係に置き換わったのだと
その理屈で考えるならば、アメリカがワクチンを買えと言ってきたという線もあるでしょうね
まあ、あくまでも憶測の域を出ない話ですが >>741
ADEだね、これ昨年3月頃に説が出てたのにいつの間にか重視されなくなってたんだよね
>>745
だから?? あの、詰問くんはミスリードしにきてるんでw
いつも勝手に読み替えてデマ飛ばしてる人でしょう
相手しても仕方ないのでスルーしてます >>749
これまで通りに…とか言うけど、そこで想定してる「これまで」ってのも全然一定してないんだよね
何でボンヤリとそんなこと言えるのかわからないけど
調べてみたら去年一年間の感染数は23万人ほどだったけど、今年は半年経たずに54万人超えてる >>743
もうすぐ外出しないといけないので
エゴの定義とか面倒くさい話をしている時間はないです
スレ違いのマインドフルネスのスレにワクチンの話題を強引にねじ込んでくるのもエゴの為せるワザでしょうね ヤバいと思ったらミスリードと言って逃げとけばエゴは守られる 自分勝手で大嘘吐きで
ヤバいと思ったらミスリードと叫びながら逃走 >>748
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はサイトカインストーム症候群である
https://www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/4565
COVID-19有識者会議
サイトカインストームはビタミンDで抑制できるんですが
重症以上の人は有意に血中濃度が低いことも去年の二月、三月にはわかっていましたね >>751
よくわからないということですね
残念です 高齢者はビタミンDすくなくなるし
重症化しやすい基礎疾患あるひともビタミンDが減少傾向だとか
それでウサも今年からビタミンD取ってんだよね
自分で何で飲み始めたかよくわからないけど、最初はDHCの少量ので、海外の2000IUのにして、調べたらもっと取っても大丈夫と分かって1ヶ月か2ヶ月前5000IUのにして
爪が割れなくなったと気がついたのはつい最近だよ
すぐ割れたり短くしてても二枚爪になって、なかなか戻らなくて困ってた。
これまでネイルの持ちが悪かったのも、爪自体が弱かったということもわかったよ >>755
よくわからないとミスリードしておけば万事OKです エゴとは苦しみ製造機のことですよ、わたしのずっと使ってる定義では
どうも誤解する人が数名いますが
コロナ怖いよ、ワクチン早くしろ、おいおまえマスクしろ、、、などなど
それがエゴの作ったものです あいつわがままだよな、エゴイストだよな
みたいなくだらない事ならマインドフルネスと関係ないです
自分の心の投影に過ぎませんからね >>750
実を言うと都会でどういう対策の変化があるのかも、ウサはよくわからんのよね ビタミンDで防げるからワクチンなんかいらん、とかね
>>759 >>723
ちなみに 同調圧力 で検索してみたら、言ってるのお前しかいなかった
お前の頭の中どうなってんの
アスペじゃなくて糖質? ちなみに、わたしはエゴイストに見られるような人は割と好きですけどねw
「同調圧力がー!」とか「奴隷になるしかないのかー!」とかいってたような人たちも
世間で言うようなエゴイストになれば良いんじゃないでしょうかね??
なんか、コソコソと主張してきますけど、、
一度だけ、テレビの人かなんかが辛さを吐露してましたけど
そういうの馬鹿にしたことないですよねわたしは
なんかね、詰問しつつ、勝手に読み替えてデマ飛ばしたりとかは
そう言うの見てて辛いんだろうなぁ、と思うんですよね
だからわたしでよければ殴ってて良いですよw
けどその辛さは自分で作ってますからね?
マインドフルにそれを見れるようになるといいのですがね 同調圧力がー!奴隷かー!とか言う人にはもっと大袈裟に同調したら良いのかな?
よくわからんけど、そういう人たちは自分隠すから 同調圧力も奴隷もID:3OVwgL7/しか言ってなくて笑ってしまった うーん
海外では(もしかしたらオリンピックで国内でも)感染力や重症化が高い変異株の出現は常にあって、検疫が甘いから入ってくるとは思う
それは国策なので個人では防げないわけで、移動はしないとか、人混みや室内ではマスクをするとか、そのくらいしかやることなくて
ワクチン打ってもそれは続けなくちゃならないこと
それしかできないなら、それを淡々とするしかないんだよね
それで、結局田舎で感染が増える理由は都会の家族が帰省したか、地元の人間が、都会に旅行したか、それしかないわけだけど、そんなことがあって感染したからって、そこに嫌がらせの電話するつもりもないし(するかは個人の問題)
嫌がらせすらしないんだったら、心でその人たちのせいにしても、もう仕方がない
淡々とこれまでやってた対策をするしかないんだよね 自分勝手で大嘘吐きで
ヤバいと思ったらミスリードと叫びながら逃走するアスペで糖質さん テレビの人(仮)がなんか言ってくれないかなー、とおもってハラリの話も時々してますが、、、 >>771
詳しくはわかんないのだけど
マスコミだかテレビだかに勤めててえらく辛そうなことを書いてた人がいるんですな
まあなんかハラリの話してました アスペさん(糖質さん)が見てる映画(テレビ)のお話だったとさ テレビの人これか、すっかり忘れていた
誤爆の人じゃんw
アスさんとは違うw
673 神も仏も名無しさん [sage] 2021/06/01(火) 15:43:46.96 ID:+9h+5h3u
洗脳支配の場合、主な兵器はこれまでテレビなどのマスメディアであった。
コロナ移行は、これにワクチン接種と個人の識別管理が加わりつつある。
685 神も仏も名無しさん [sage] 2021/06/01(火) 16:10:04.18 ID:+9h+5h3u
>>673
誤爆ついでにひとつだけ追加情報。
20年来のマハシ式ヴィパッサナー実践者であるユヴァル・ノア・ハラリも
こう述べている。
「権力者たちは、溢れかえる情報を抑制することよりも
むしろデマやたわごとを垂れ流すことに熱心である。」
692 神も仏も名無しさん [sage] 2021/06/01(火) 16:21:42.82 ID:+9h+5h3u
>>691
複アカがどうこうと妄想たくましくしている暇があるなら、まず
いままでついてきた嘘を、仏法僧の前ですべて懺悔するべき。
その認知の歪みを直さないと、人生の道をまっすぐ前に進むことさえ
難しいでしょう。
てか無理でしょ。 そうなのか、でもアスさん以外でハラリの話し出す人珍しいし、その前に話した人と同じ人かもしれないよ。 ハラリはゴエンカ式ではないの?
21レッスンズにはそう書いてあった記憶があるけど この人は洗脳されないためには瞑想で悟るしかない、早期に済ませたいと言いつつ、いろんな恐怖を抱えているようだ
713 神も仏も名無しさん [sage] 2021/06/02(水) 17:59:58.24 ID:0+jxZaa5
人間社会の洗脳支配は、組織的にも行われていると思うけど、社会体制や
制度を通して行われているため、特定の組織による陰謀というかたちで語ら
れる陰謀論は、そういう現実から人々の目を逸らしてしまうと思うね。
また、洗脳の根本は自我の錯覚なので、瞑想で悟る意外に根本的な解決策
はないと思う。
744 神も仏も名無しさん [sage] 2021/06/03(木) 13:37:06.08 ID:ccUqmC8o
昨年末に100兆円のコロナ対策予算が通ったそうだが、
ワクチン接種を実施する病院には2億円の補助金がでるし、
コロナ専用病床には、一床につき一日数百万の補助金がでるし、
死者がコロナによる死亡と診断された場合にも千万単位の補助金がでてる。
札束でコロナパンデミックを演出して、異論反論はマスコミによって封殺されてる。
最近の分かりやすい例としては、高橋洋一氏の「さざ波」発言に対するマスコミ報道
とその余波が見て取れる。
745 神も仏も名無しさん [sage] 2021/06/03(木) 13:43:04.54 ID:ccUqmC8o
今回のコロナの件は別として、一般的に世界的な疫病蔓延といったことが
本当に起きている場合、ワクチンや治療薬は、国家安全保障における重要
な戦略物資であるが、日本はそれらを自前で生産することができない。
ファイザーなどの大手製薬会社は、コロナと検査とワクチンに関して包括的な
特許を持っている。
戦略的な立ち位置として、そういう状況にあるという点がひとつ。
もうひとつは、アメリカが国外の自国民に対して帰国勧告を出した。
これは一般的に、戦時体制に入る前に取られる行動であるということ。
これがひとつ。
次いで、欧米メディアがコロナの責任を中国(武漢)であると断定する姿勢を
取り始めた。
これらの状況の意味するところを読み取る必要がある。
とりあえず、備蓄、健康維持、免疫強化、資産防衛など、やるべきことは
沢山ある。
瞑想は早朝に済ませておきたい。 この人は三宝帰依くんか
このスレの前半にも結構来てる 社会的なコロナ問題を掴んで、自分のなかの恐怖心を自分で煽ってしまう人だけがよろしくないとは思わないけどね
逆に恐怖心から何もかも無関心で恐怖心からも逃避してる人もいる。
そういう人はニュースも見てないし、コロナの話題にすら入ってこないから存在的に見えてこない。 私は私が調子良く心地良ければ
隣で何かが苦しんだり死んでいても
心地よくいると思う
私が調子良くて運良く
何か出来ることに気付けるなら
協力したりするかも
私は誰かが何かに苦しんでいる事に
気付かないことがほとんどだし
気付いても役立てない事も多いな
私には苦しんでいるように見えないこともある
わからないことが多いな 極端に言えば、
例えば戦争が起きて周りの人がガンガン殺されてる
私は気分いいからなんともない、マインドフルです♪
なんともないもーん♪
これはマインドフルネスでしょうか? なんともないと思い込もうとすることはマインドフルネスではないね
しかし、戦争を怖がっている事自体が戦争にいわば参加している、巻き込まれているのと同じ
そこに気がついて抜け出す意志はマインドフルネスにつながるね 率直にどうですか?の答えだと思うので、それは好意的に受け止めてますし
世間一般、そんなふうに自他に壁を立てるのが当たり前ですから非難するべきものでもないですね
けれど、もしもそれがマインドフルネスだと考えて突っ走っちゃったらちょっとヤバいかな?と思いました
なので極端に話を膨らませた架空の話をしました >>239
根本的な精神構造に違いがあるわけは無いのであって、有るのは精神のどの深度までに覚醒しているのか、覚醒と言うのは観ている処のこと、妄念の無い処から世界を観ているのか、それとも表面的想念の処から観ているのか?そういう違いは有るでしょ >>757
普通の健康維持なら5,000でも良いけどね、医療レベルは10,000以上のようですよ、実際にアメリカだと1粒10,000IUも売っていますよね、自分は5,000を2粒飲んでいます 亜鉛不足も良くないとか言いますね
ところで、皆さんは安定化二酸化塩素が、免疫細胞の出すウイルス細菌を攻撃する物質と同じであるという事実を知っていますか?
この物質を表だって記述したものはネット上には見当たらないし、NHKの番組の人体で免疫を取り上げた時も、ただ免疫細胞の出す【毒物】としか言っていなかった
この安定化二酸化塩素(名称はMMS1として知られている)は世界中で飲まれていて、寄生虫、細菌ウイルス(インフル、AIDS等)を殺す作用を有します
自分も飲んでいますよ、もうかれこれ10年、インフルはこれで撃退しています、2時間おきに5回飲むと、39度の熱でも12時間以内に回復します、歯科医院では歯周病菌の除菌に用いていて、売ってもいますが、MMS使用者は亜塩素酸ナトリウムとクエン酸を中和させて作っています、これはネット上で買えます
AIDSウイルスの場合はインフルより大きさがデカイく、二酸化塩素では完全に殺し切れないので、MMS2=次亜塩素酸カルシウム(食品添加物の浄水剤で売っている)を飲用して完全に殺しますので、コロナウイルスも多分MMS1とMMS2の2段階で完治すると想っています
アメリカでは売買禁止になっていますけどね、二酸化塩素は、薬が売れなくなるんでねw 幸福の科学 と 麻薬汚染
https://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/4140
幸 福 の 科 学
職 員 た ち に 拡 が る 麻 薬 汚 染 の 真 実 ! !
/ ○ ヽ / ○ \
_|_ /―┐ _________ / ヽ――‐/ ヽ________
_|_ / _/ ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| ヽ / |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
| /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ ヽ / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ノ .\ ヽ/ / >>794
念のため、厚労省の注意喚起を貼っておきますね
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/kojinyunyu/050609-1.html
「個人輸入において注意すべき医薬品等について」より
2010/10/26
Miracle Mineral Solution、 Miracle Mineral Supplement、 MMS等と称されるもの
HIV、肝炎、マラリア、癌、結核 等
米国FDA(米国食品医薬品局)他3カ国において、HIV、肝炎等に効果があると謳い、
インターネット等を通じて販売されているMiracle Mineral Solution等と称されるものに関して、使用を中止するよう注意喚起をしている。
当該製品は、亜塩素酸ナトリウムを含む経口液体製品で、クエン酸等の酸性のものと一緒に摂取することにより、二酸化塩素が発生し、
これにより嘔吐、下痢、脱水などの症状を起こすことが報告されている。当該製品は、承認された医薬品ではない。
※米国FDA等では、使用を中止し、医療機関への受診を勧めている。 >>これにより嘔吐、下痢、脱水などの症状を起こすことが報告されている。当該製品は、承認された医薬品ではない。
安定化二酸化塩素で、上記の反応が起こるならw 我々人類は体内の免疫機構で同じものを作っているから、インフルの度に上記の反応が起こるはずwww
私は最初のころ1ヶ月毎日摂取して、体内浄化したけども、上記のような反応は一切無かったな
まあね〜インフルが12時間で治ったんじゃw ワクチンも医者もあがったりで薬屋も儲からないからねwww
こう言うのは信じてやった者だけが分かるので、信じられない人は、水銀とジャンク細胞片の入ったワクチンや薬に頼ってコロナから逃れれば良いだけだよね
信じた人の世界線には、コロナ怖い!は無いし、AIDS怖い!も、エボラ怖い!も無いんだよね
因みに、ヘルペスウイルスは熱でも死ぬよ、口唇ヘルペスは65℃以上に温めたスプーンなどを患部にあてて、十分熱すると一気で湿疹のプックリしてるのが萎んで3日程で治ってしまいます
チンコの亀頭部にできたヘルペスもたぶん、同じ方法で治るはず、まあw敏感な部分なんで熱くて大変だろうけど、以外とある程度暖まると、熱いが気持ちよく感じるものなので、大丈夫でしょう
熱でもFDAは禁止!って言いそうだよねwww しかしさ、ワクチンでたまに人が死ぬのにw
嘔吐下痢が仮にあったとしても、死ぬより良いよねwwwコロナ治れば!
100万人に一人でも怖いわ なお、ワクチンには腕が腫れる、発熱など、たまに死ぬなどの副反応が有りますが、問題ないので気にしないで下さい!とかwww
運が悪いと死にますが、気のせいです!とかねwww スレ違いのマインドフルネスのスレでワクチンについて必死に語る
どうした?何が不安なんだ? ミラー・ニューロンというのがあると言われる
脳は他人の状態を映し出して自分の状態に反映してしまう機能だそうだ
即ち、自分の心のありのままを受け入れるということは、
(映し出している限りの)他者の心の状態も含めてということになる
ちなみにそれは表情や所作といった言語にしない部分で起きることなので
文字列だけでは十分には働かない >>793
そうなんだね、爪には効果は見えても骨とか内蔵までは見えないもんね
アスさんも20000までは大丈夫な論文があると言ってたし、爪が弱かったってことは明らかに不足気味だからしばらく二粒飲んでみようかな 心理学でもシャドウや投影というのがある。
顕在化し自覚している、表向きに他人に見せている自己をペルソナといい、潜在して自覚していない自己をシャドウとかアニマ・アニムスという。
シャドウは、自分が選ばなかった、選べなかったもう一人の自分の心を人格化して他人に投影する。嫌いな人、いけ好かないやつも選ばなかったもう一人の自分の投影。
アニマ・アニムスは潜在意識の中にある、自覚してる性とは違う性(異性)。スポーツが得意な男の子に憧れるのも、韓国アイドル追っかけるのも、飲み屋のおねえさんに入れあげるのも自己のもう一人の異性を映し出してると言われる。恋愛ってのも、相手が好きなわけじゃなくて自分の中にあるものを好きになる。興味深いのは自分の心の成長によって相手のタイプも変わってくる。
中年の危機というのがあって、およそ30〜50歳くらい、人生の後半に潜在意識から自己の統合を求められるような事象がおこる。
子育て介護問題、夫婦関係の危機、突然不倫や浮気を始める、若さを失うことの否定による葛藤、精神疾患や病気や手術、更年期障害などなど。
これらはたまたま起こるのではなくて、心と対応して現象も起こるとウサは思う。
心理学では自己の統合だけど、マインドフルネス的に言うと中年期の危機というのは、表向きの自我が完成してきたので、表と同時に潜在化した自我も成長したので(統合して、そして)手放せと内面から迫られる葛藤のことだと思う。 >>793
血中濃度は7300iuくらいから上がるらしいので
高ビタミンD血症にならないように気をつけてくださいね
>>794
へー、へー、へー
亜鉛は2日に1粒(15mg)くらい飲んでます
>>799
死亡者のいない未成年者に接種するのが理解できませんね
副反応で死ぬのは大体若くて健康な人ですから >>804
人生後半の統合を求められるというのは現実的にそう感じる人も多いでしょうね
けれどそこに決定的な解決策が見出せなくて苦しむわけですからね
投影などは近年ミラーニューロンという物質次元のこととして確認された、という理解もできますね
ミラーニューロンが他人を映しているのか、それとも自分が作っているのか、錯覚、妄想か?
理解の仕方はどれでも良いのですが
人間には自他の境がない領域がある、ということが重要です
それは物理的にも起きているということですね
再び念をおしますが、誰か個人を責める話ではありません
世間一般みんな自他の境を設けて生きてるのですから
それは前提としての話です
自他の身分の領域には慈しみとか共苦というものがあるのです
それと同時に捨という作用があります
マインドフルネス(捨)は慈悲喜捨の縁起、セットとして働きます
なので、他人の苦を受ける事はマインドフルなんです
俺一人、快適、楽ならマインドフルだ、ということはありえません
>>2の魔境の話なども、自他の境を握りしめて己の身の快を求めるならば抜けられません
ですからカバットジンも全体性ということに重い意味をつけていますね ちょっと我田引水で話が飛んでしまったかな、失礼
こんなふうに考えたら、少しは慈悲という事が理解できるかもしれません
かけっこから殴り合いまで、スポーツは終わったらノーサイドです
殴り合っても最後はハグしてノーサイドです
散々お互いに苦しむわけですね、その末に苦しみを捨てる
勝っても負けても勝者を讃える
それがスポーツマンシップでしょう
本来の理想は、ですね
内面的には必ずしもそうはいかないところがスポーツ界のドロドロを生むようですが^^;
まあ、表に見える様な実際きれいな世界ではないことは現場にいた人からも聞きますので
あくまで理想の話です
理想としては慈悲喜捨に触れるのがスポーツだということも言えるのではないかな?と思います
ぜひ、そのようなオリンピックが開かれることを願ってます\( ˆoˆ )/ >>804
中年の危機というのがあって、およそ30〜50歳くらい、人生の後半に潜在意識から自己の統合を求められるような事象がおこる。
夫婦の役割がお母さんとお父さんになると、情熱的に性をさらけ出せなくなるよね
そうすると、情熱的な性が秘められて行く、それが自然に噴出し出すのが上記の年代ではなかろうか? 若い頃の恋愛感情をもう一度的な気持ちが働くのか? >>809
秘められていくというとなんだかロマンチックだけど、
アニマ・アニムスを考えると、突然恋愛したいその情熱とは、自己の成長を真摯に迫られていると思うんだ。
アニマというのは表向きの性が男性が持つ内なる女性性・女性像のことなのね(アニムスはその逆、女性の持つ内なる男性性)
(一応ユング心理学時代の分析だから未知もあるだろうという前提で)
アニマは最初、幼い頃は母親像として現れ、
次は娼婦型のアニマ。人格ではなく性的な対象。
次はロマンチック型。お嫁さんにしたい恋愛対象の恋人みたいな。
次は霊的な段階で聖母マリア、性的な色合いは持たなくなる。
最後に叡智のアニマ。女神アテネ。河合先生の本では弥勒菩薩像とかモナ・リザが挙がってる。
中年の危機の男性が、突然浮気をはじめました、みたいなのは、ペルソナと求めるアニマが娼婦や恋人型にとどまっているので、それと統合して次の段階の成熟した人格に移りたいという、隠れた欲求なのだろうなと思う。
主人が浮気してます、どうしたらいいですか?と妻は悩むだろうけど、夫が若い女に入れあげたところでそれは所詮、投影した幻。恋は悲恋に終わるし、自分は恋に恋していたのだと気がつくのが一番。でもその頃には家庭もボロボロでみんなが傷ついて、ということになってしまう。
(男女が逆だってある)
そういうことが無いようにするのが、理想の夫婦と思うかもしれない。しかし、ウサとしては心の成長のほうが長い目で見て大事だと、思わないではいられないんだ。 河合隼雄先生は(ユングの言葉かも)
およそ自己実現は高く付く、というのだけど
まさしくそうだなあと思うよ。 >>806
(マインドフルネス以外で)決定的な解決策は無いよね
中年の危機の記事には、その乗り越え方とかあるんだけど、
そんなんで、あなたのこれからやってくる生老病死の問題、なんとかなりますか?と聞きたくなるようなことばかりだよ。
俗世で一生懸命働いて、キャリア積んだり家庭を作ったり、地域のコミュニティで信頼されたり、そうやってそれなりに真面目に頑張って生きていたら、いつか内から問われるような出来事がやってくる。
その時、内面に向き合って、そしてアスさんもいうように、他人の苦を一瞬でもいいから引き受ける勇気はありますか?と中年の危機の中年に問いたい。
それこそが決定的な解決策なんだよなあ。 >>809
そしてなぜその年代になると情熱が吹き出してくるかというと、
親として、上司として、大人として、などなどの表向きの自己がそれなりに成熟したからだと思うんだ。
潜在されてて見ることのできない内面の方も成長したがってる。 「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」
レビ記19章18節 「自分自身を愛していない人は隣人を憎みなさい」
レビ記198章187節 >>792
妄念なく見たら、差別はないですね。。
覚醒しているか否か、という基準も、忘れたらないわですし。。
逆に、それを忘れないと、自分の価値基準で見ている、自我の中の認識を見ているだけ、となります。。
もちろん、仏教でも、そういう迷悟という基準は否定しませんが、それを外して見る方が悟りに近いのだと思います。 [あるとき尊師は、]サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に
住しておられた。
そのときコーサラ国王パセーナディは、王妃マッリカー夫人とともに、みごとな宮殿の上にいた。
そこで国王パセーナディは、マッリカー妃に言った。――
「そなたには、自分よりももっと愛しい人が、だれかいるかね」と。
「大王さま。わたくしには、自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、ご自分
よりももっと愛しい人がおられますか?」
「マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない」
そこでコーサラ国王パセーナディは、宮殿から下りて、尊師のおられるところにおもむいた。
近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに坐した。傍らに坐したコーサラ国王パセーナディは、
尊師に向かって次のように言った。――
「尊いお方さま、ここでわたしは、マッリカー妃とともに、みごとな宮殿の上にいて、
マッリカー妃にこのように言いました。――『そなたは、自分よりももっと愛しい人がいるかね?
』と。そのように言われて、マッリカー妃は、わたくしにこのように申しました。
――『大王さま、わたくしには、自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、
ご自分よりももっと愛しい人がおられますか?』と。このように言われたので、わたくしは
マッリカー妃に申しました。――『マッリカー妃よ、わたしにとっても、自分よりもさらに愛しい
他の人は存在しない』と」
そこで尊師はこのことを知って、その時、この詩を唱えられた。――
「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。
そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛
する人は、他人を害してはならない」と。(『サンユッタ・ニカーヤ』)
(『ブッダ伝』 中村元著、pp.225-226) なぜマインドフルネス実践者がエゴを肥大化させてしまうのか
自分の背景というかパラダイムみたいなものを一度よく反省した方がいいのかもしれんね んだね。
基準を忘れようとしてるのは、実はエゴではないのかね?ってことだね マインドフルネス瞑想をしているのにエゴが肥大化するならば、観察の対象に原因が
あるのかもしれません。
念処経によれば、観察の対象は自分だけではありません。自分の「内」「外」「内と外」
となっています。自分の身体だけでなく他者の身体も、つまり、他者の「身・受・心・法」
も対象になります。ですから、そのように他者をちゃんと観察対象にしていれば、他者も
自分と同じからくりで貪瞋痴に苦しんでいることが分かってきます。そうなると、マインド
フルネス瞑想をすればするほど、安易に他者を馬鹿にしたり、非難することはできなく
なります。なにしろ自分と同じなのですから。「ああ、気づかないから(自分と同じように)
こんなことをするのだな、可哀そうに」となるだけですし、自然と慈悲の心も湧いてくる
でしょう。
エゴが肥大化するのは、このことをまったく知らないのか、あるいは「内」「外」「内と外」
を自己流に違った意味に解釈しているのかもしれません。要するにマインドフルネス
瞑想をしているようでいて、実際には、別な何かをしているだけだということなのです。 参考までに引用します。
「気づくことによって何が可能になるかというと、どちらも心が生じさせる次から次へと
続く働き、「戯論」を起こさせないように変わっていきます。私たちの心に新しい回路が
できて、次の働きを、なるべく起こさないように変わっていく、あるいは、そこの場所で
止まれるようになっていくのです。(…)
(…)それから、「細かく見ることができるようになると、慈悲の心が自然と生まれてくる」
というようなことも言われています。これは、観察の対象が、最初は、自分の身体だけ、
自分の体に起きている動きやら、思いやら、感覚やらを見ていきますけど、他者の動き
も対象にされます。他人の動きも、きちんと見ることができるのです。そのようにしていくと、
慈悲の心が、「私と同じ人間なんだな」というような感じで自然と生じてくる、というようにも
言われています。ここは興味深いところで、初期の仏教の中から、やはり他者性という
ものは、しっかり入ってたのではないかと思われます。」
(『仏教の止観とマインドフルネス』 蓑輪顕量談、現代宗教研究 第53号、pp.72-73) 「(…)このように、内に[自分自身の]身体について身体を観察し、また、外に[他人の]
身体について身体を観察し、あるいは内と外[、自分自身と他人の]身体について身体を
観察していくのである。また、身体のなかで生起してくる現象を観察し、また、身体のなか
で消滅する現象を観察し、また、身体のなかで生起し消滅していく現象を観察していくの
である。そして、知ることの[増えていく]程度にたいし、自覚の[増えていく]程度にたいす
ると同じ程度に、「ただ身体のみが存在する」という念いが、かれには現れてくるのである。
かれは、なにかに依存するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着しないの
である。修行僧たちよ、修行僧はこのようにして身体について身体を観察するのである。
(…)」
「(…)このように、内に[自分自身の]感受に関して感受を観察し、また、外に[他人の]
感受に関して感受を観察し、あるいは内と外[、自分自身と他人の]感受に関して感受を
観察していくのである。また、感受のなかで生起してくる現象を観察し、また、感受のなか
で消滅する現象を観察し、また、感受のなかで生起していく現象を観察していくのである。
そして、知ることの[増えていく]程度にたいし、自覚の[増えていく]程度にたいすると同じ
程度に、『ただ感受のみが存在する』という念いが、かれには現れてくるのである。かれは、
なにかに依存するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着しないのである。
修行僧たちよ、修行僧はこのようにして感受について感受を観察するのである。(…)」 「(…)このように、内に[自分自身の]心に関して心を観察し、また、外に[他人の]心に
関して心を観察し、あるいは内と外[、自分自身と他人の]心に関して心を観察していく
のである。また、心のなかで生起してくる現象を観察し、また、心のなかで消滅する現象
を観察し、また、心のなかで生起していく現象を観察していくのである。そして、知ることの
[増えていく]程度にたいし、自覚の[増えていく]程度にたいすると同じ程度に、『ただ心
のみが存在する』という念いが、かれには現れてくるのである。かれは、なにかに依存
するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着しないのである。修行僧たちよ、
修行僧はこのようにして心について心を観察するのである。(…)」
「(…)このように、内に[自分自身の]もろもろの事象についてもろもろの事象を観察し、
また、外に[他人の]もろもろの事象についてもろもろの事象を観察し、あるいは内と外
[、自分自身と他人の]もろもろの事象についてもろもろの事象を観察していくのである。
また、もろもろの事象のなかで生起してくる現象を観察し、また、もろもろの事象のなか
で消滅する現象を観察し、また、もろもろの事象のなかで生起し消滅していく現象を観察
していくのである。そして、知ることの[増えていく]程度にたいし、自覚の[増えていく]程度
にたいすると同じ程度に、『ただ事象のみが存在する』という念いが、かれには現れてくる
のである。かれは、なにかに依存するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着
しないのである。修行僧たちよ、修行僧はこのようにしてもろもろの事象すなわち五つの蓋
について事象を観察するのである(…)」
(『原始仏典【第二巻】長部経典2』春秋社、長部経典第22経 大念処経) エゴは自分じゃないから放っといていいというエゴを作ってしまってエゴが肥大化してしまうという修行がちょっと進んで中途半端にエゴが観察できるようになるとよく陥るパターンでしょう エゴというのは世間で言うエゴイストの意味だったら、肥大化云々はくだらない話だよ
その意味では、ブッダの言われてることは人間みんな「エゴイスト」だよということ
あいつがエゴイストだ、肥大化してる、なんていうのも自分のエゴなんだ
それに気づいてるのかな?
誰かに嫌悪を抱くのであれば、それは同族嫌悪だということに気づかなきゃいけない
自分を棚に上げちゃいけない
棚にあげて、その目で自分を見ることはできないのだから
見られないが現にそれはある
だからこそ、それを表に表す他人が許せなくなり、否定のためだけのコメントをしてしまう マインドフルネス瞑想に行き着いた時点で、エゴというものはそもそも最初から肥大化してるのかもしれないね
エゴを自覚してたり、他人から見ても明らかにエゴが大きく見えるものだけがエゴではない。
というかマインドフルネス瞑想は(瞑想をしたい、宗教に救いを求めたいとなるまでのプロセスも含め)エゴが肥大化してるように観えてくれないと観察もできないわけで。
んでも、先生の言うように、なんで瞑想をしようとしてるのかは向き合ってみたらいいかもしれんね 自分を棚に上げちゃいけない
※他者批判のためだけにレスをしないようお互い心がけましょう。
※(日本における)テーラワーダ理論はパラダイムの狭いものなので、あくまで参考程度に。 FIFAランキング28位の日本が、トップのベルギーに対して
「対戦してベルギーが負けたら可愛そうだから手を抜いてあげよう」
など、もしも思っていたら、それは滑稽なほど日本の思い上がりということになる。(もちろんこの可哀そうは慈悲でもない。)
その場合、実に可愛そう(気の毒)なのは28位の日本の方なのである。
それを真摯に自覚するなら、負けたら相手が気の毒など思い上がることはないし、ベルギーを負かすつもりで練習を重ねる態度、これこそ先の勝者に対する謙虚な態度であり、対戦スポーツにおけるビギナーズマインドではないかと思うよ。
これは瞑想修行に限らす、俗世間で何か成し遂げようとか成功しようとするときも当てはまると思うんだ。
行き詰まったらいつでもビギナーズマインドに立ち返る、それが極意。 正法眼蔵みたいに(普勧坐禅儀ではなく)、冒頭数行で先ず自分の最も言いたいことをズバッと記述してみたら。
あとは長文ご自由に 書いていて見えてくることがあるから。
そんなにメーテルが真剣に読んでくれてるとは思わなかったよ
ありがとね(^o^) 心理臨床のクライアントなら許される話だけど、5chて何だろね 話を一通りにしか読めないならば、その人は真理には辿りつていない なんだろうね
そんなに5ちゃんねるに期待してるとは思わなかったよ
許されるとか許されないとか、正法眼蔵レベルに書かないとだめとか、思っても見なかったな 道元並みの美文家であられるメーテル先生ですから
その自負心がかくせなかったのでしょう ウサの不思議さは、理解しようとするリソースを割くだけ無駄。
血肉に出来ないままのナマ煮え知識を雪だるま式に何となく積み重ねただけの駄文。
言いたいことの焦点もコアもない
只々ふわふわっ
スピスレに帰れば 理解しようとするリソースってなあに?
まさかそのリソースとやらでマインドフルネスも理解しようとしてませんよね?
ふわっふわっ(*´ω`*) 小学生の時、近所の友達の家に初めて寄った時の話なんですけど
まだ16時ぐらいだったのに夕飯が出てきて「?」だったんですね
アジフライかなんか出てきて、美味しくいただいたのだけど
「おソースかけなさい」と言われて「?」
「ありがとうw(え?ブルドックソースでしょ?”お”ソースなの?なんかのトラップなの?)」
と思った衝撃体験を思い出しました
すみませんしょーもないこと書いて わたしは文才ないもんでメーテル先生みたいな美文で書けないのはわかってますが
精一杯リソース使って書いたおソース話でございます
ちなみにブルドックではない「おソース」が別にあるのか?
と思って少し目が泳いだのも覚えてますw さっきのFIFAランキングの喩え話はもともとはネットで別の人が書いていた話なんだ。
幸せになりたいなら本気で自分で掴みにいけと、何もしなくて不幸のまま歳とって死んでも、誰も責任なんかとってくれないのだと。
ウサはまだ世間どっぷり浸かってて、悩みを抱えていたんだ。
もちろんこの喩えも俗世間向けのものだけどさ。
この喩え話を読んで、自分がいかに思い上がってるかってことに気がついたんだ。それこそ、おソース並みに衝撃を受けたよw
ウサはランキングの低い日本のくせに、上位のベルギーに迷惑をかけたら可哀そうとか思ってた。それもかなり偏った思い込みで。
偏りすぎだよ、素直に妬み嫉みでベルギーなんか引きずり下ろしてやる!くらいのほうがまだマシ。
それすらもしないで、迷惑かけたら可哀そう、だってw何様w
「勝つ見込み」もホントはなくて、お気の毒さまなのはウサの方だったのに
ベルギーも勝手に敵視されて、いい迷惑
そして言いたいのは、迷惑かけたら可哀そう、なんて、思い上がって本気で幸せをつかもうとしてなかったってことに気が付いて、衝撃を受けた(もちろんこれは俗世で言うとこの幸せだが)
ホントは本気出して傷つくのが嫌だったんだ。
結局、本気出してウサは失敗した。無条件降伏した。そのタイミングで山の職場に左遷みたいなことになった。
メーテルに理解してもらえるよう書けないのは、もはやその時の気持ちも消えているから。
そうなると、実はキラキラして見えたベルギーの立ち位置だって、そんな大したものじゃなかった。ってことが分かった。
でもそんなことも含めてすべてどうでも良かったことなんだ。
どうでも良くなったことで、ウサはベルギーに勝ったんだ。 ポン酢醤油と大根おろし、ドレッシングっぽい何かを混ぜて
揚げ物なのにサッパリ、しかもコクがあって美味しい
的な何かを、一瞬、少し期待したのも事実ですね
うちのカーチャンならそれくらいはしますから
置いてあったのはブルドックソースでした、、、おソース、、、
>>850
実はさっきブックオフに寄った時に、気になってたビルゲイツが絶賛してるという「マインドセット」
という本が、なんと新品同様のが200円コーナーにあったんですよ
開いて目次読むと
「人は変われる。頑なマインドセットをやめて、しなやかマインドセットに変われ!君も成功するぞ!」
みたいな話らしくて
いや、人はかわるっしょそりゃwwと思って、そっ閉じしました
それと似た話ですね? オレがマインドセット身につけたら
ビルゲイツを引き摺り下ろして迷惑かけちゃうかもしれないじゃないですか、、、(^o^) ビルゲさんはほっといても人生から引き摺り下ろされるから(^ρ^) 本気でビルを倒しに行ったら秒で億を稼ぐ男、とかいう本を書くかもしれません(キリッ 一の矢、二の矢、三の矢毒矢
正面から受け留めてくれれば、次矢は放たない 勝手な思い込みの話ですが
ビルゲイツほどになると「楽しい人生だった、これでいいのだ」と安らかに死にそうな気もしますけどね
あらゆる成功者の成功の原因は「努力よりも運」だとも言われますが
ビルにはあまり自惚れた臭いがしないので、彼も運だと感じてるのではないかなーと
ジョブズと違って闘ってる顔をしてませんから そうだとしたら、ビルゲさんは実業家としてはビギナーズマインドよりかもしれないね 自惚れることなく、運に運ばれたことに感謝して生きていきたいですね マインドフルネスは有心。
坐禅は無心。
無我、ただ坐る。 無我、ただ坐る。
囲碁、将棋、チェス、オセロ、トランプ、花札、UNO、麻雀。 瞑想中に全身、もしくは体の一部の肌の表面を淡い静電気の膜で覆われたようになるのはなんなんですか? ビリビリはただの微細身
より精妙なだけで誰にでもある単なる身体構成の一部分
気にせずマインドフルネス続けたらいい ヨガ的にはプラーナ、仏教的にはカラーパ
ちゃんと瞑想に入っていってる印みたいなもの 反ワクチンでも陰謀論でもオカルトでもなく
現実主義的に見てワクチンを推奨する理由がないんですよね
元々、最初から
ワクチンで対処してもやがてワクチンの効かない変異種が出てくることは
2020年の2月か3月ごろから推測されていたことです
コロナの症状はサイトカインストームであって
健康な人には起きないことです
このスレにはそのこと知ってる人も数人いるようなので釈迦に説法かもしれませんが
ワクチンは人々の「良いものを求め、悪いものを嫌う」という渇望が生んでるものです ワクチンさえ打てばコロナは収束する、完全な収束はしなくても、自粛をしないで経済活動出来る。というような大きな流れで世間が動いているように感じる。
これは、製薬会社や政府や経済界が利権とか、「決めちゃったからやらなくちゃ」のために市民を誘導してるのはもちろんあるね。
個人個人はどうなんだろう?打ちたくない人も多いように見えるのは見える。ウサは市民の気持ちがよく分からない。
逆に、陰謀論でワクチン打ちたくない人もいる。
確かにワクチンは未知のものだし、自粛を受け入れて様子見をするというのは賢い。
しかし、製薬会社や政府のようなものを悪者にすることに「かこつけて」、我らは騙されてる!陰謀だ!と言う人もいるね。こういう人はかこつけて逆らって騒ぎたいだけ。
それは未知のものへの慎重な立場とは似ているようで、やはり違うものだ。違いをよく観察しなければならないと思う。
ワクチン打たなくちゃ!のひとも
陰謀論だ!打ってはいけない!のひとも、
恐れからくるものを直視できずに、どっちかに逃げてるんだよね。まずは逃げてる自分、打ちたい(打ちたくない)自分というものを受け入れなくては。 個人的には(というか周知の事実ではあるけど)
ワクチンは打っても半年後には抗体の効果が薄まるか、変異株によって無効化するかして来ると思うので
いま一大キャンペーンみたいにワクチン接種券を配布してるけど、半年後や一年後どうするんですか?という疑問もある。 ハンガリーからもコロナについてフラットな観点から書かれた論文は
一年以上前に出ています
ハンガリーのカタリンとかいう、自分の研究にしか興味のないオバチャンは
その論文に目を通していないようです
もし読んでいたならmRNAの安全性以前に絶対に話しておかなければならないことがあるのです
それは無視されています
彼女の40年の研究者人生が報われたのも、彼女の研究が製薬会社にとって都合が良かったからなのです
研究が人々が渇望を惹きつけるものだとみなされたのです
彼女をヒーローに祭り上げ、大量のワクチンを売り捌くことに成功しました
まったく子供騙しな商売なのですよ、お薬やさんというのは
そこに巨大な「ものたりようの思い」が渦巻いているから
カタリンも勘違いしたかもしれません「わたしは報われた」と
それは仕方ないと思います
けれど、彼女が本当にまともな研究者、誠実な人間である(あろうとしている)ならば
必ずそれが間違いだったことにいずれ気づかなければなりませんね 製薬会社を慈善事業かなんかと勘違いしてる人もいますけど
純粋なんでしょうねぇ…
世間に関心ないんでしょうけど
必要のないところに需要を生み出すことが出来るから製薬会社は儲かるのですよ
悪魔ですあれは
悪魔でふと思ったのですが
まさか、「ワクチンは十字架だ」とか言い出さないでしょうね?笑
「オレがメシアだ」「君も救済者にならないか」とか言い出すのは
やめてほしいですねw マインドフルネスの話をしております
話が見えないなら黙ってていいのでは
そんなに続ける気もないですからご心配なく マインドフルネスのスレ
渇望を掴んでいるものがあれば、そこに自我があるので観察対象となる
ワクチンへの思いは観察しやすいんだよ テーラワーダ批判に飽きたら
今度はワクチン批判ですか?
常に何かを批判していないと生きていけないようで 本来はワクチン自体も意味のないものでしょう。
ワクチンを打つことでみんなが純粋に幸せになるのであれば、ワクチンでコロナが収まるめでたしめでたし、という結果にならはずですが、たぶんまだそうは収まらないかと。
マクロ的には製薬会社や利権をむさぼるものが、いつまでも同じ者がのさばり続けることはなく、盛者必衰の理ですよ。
もう少し小さい単位個人や個々の企業としてはワクチンさえ打って「もとの生活や経済活動に戻りたい」という思いがあるかもしれない
けど、もとの生活というのは、休みのたびに旅行をしたり、たびたび飲み会に出かけたり、大規模イベントで騒いだり、リモートワークやワークシェアできることもやらずに、相変わらず満員電車に乗せて決まった時間に通勤させたり…
これらも行き過ぎたらどん詰まりがある日来ると思う。
コロナ禍は古い制度や慣習をやめる良い機会であったのに、収まったらリモートワークも終わり!とばかりに完全に変わろうとせずにいるならば、やはりワクチンでも思い通りには収束に運ばない気がします。
学校すら毎日通う必要があったのかという気がする。
もっと内に目を向けろという時節がやってきた、そのように現代人の機が熟したのではないかなと思うよ。 ワクチンの話はワクチンの話
ワクチンのスレでやればいいのでは? 特に話題もなくてトムさん以外で書き込みもストップしてるし、今日の話題はあくまでマインドフルネスの話だよ
他に話したいことがあるならどうぞその話題を優先させてください。
それらの邪魔になってないようなので、ワクチンの話をしてるだけ。 俺が立てたスレだから俺が話したいことを話す
わがまま放題の子供みたいなものですね? 君には関係ない話かもしれないから、スルーでいいですよ
ワクチン批判の話でもないのだから誤読するだけでしょうし Twitterで友達とゆるやかに連絡とって遊んでるとか
永井均みたいに自分の問いかけを共有する人たちがつながってくる場にするのは
決して否定しませんけど
ワクチンのような天下を分けてる(ように見えてしまう)話題について情報を集める場にすると間違えます
バカッターはどれだけバイアス強める情報を提供するか、ということが人気度になってもいますからね
そういった情報は渇望、エゴにとって栄養分だからです
わたしはマインドフルネスというのはあらゆるバイアスから自由になれることでもある、と思うんですけどねぇ Twitterで情報集めてワクチン強要しはじめるとは夢にも思いませんでしたからねw
ワクチンは精神錯乱を起こすこともあるようですから、接種受けて相当にバグってるのかもしれませんが
ワクチン受けたければ受ければいい
それ以上のものではないですよ、客観的に見て >>886
あらゆるバイアスから自由になるのがマインドフルネスの在り方だし、また仏道修行もそのためだもんね ○新型コロナワクチン予防接種についての説明書(ファイザー)
https://www.mhlw.go.jp/content/000739391.pdf
「現時点では感染予防効果は十分には明らかになっていません。ワクチン接種にかかわらず、適切な感染防止策を行う必要があります。」
○武田/モデルナ社の新型コロナワクチンについて
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_moderna.html
「現時点では感染予防効果は十分には明らかになっていません。ワクチン接種にかかわらず、適切な感染防止策を行う必要があります。」
これ打つ意味ないと思うんですよね
「オレは死にたくねえ」と言う人以外は なんでそんなに必死でワクチンを否定してるのかね?
なんで堂々とスレ違いをし続けるのかね? >>858
運じゃなくて、時流が見えてる人が、普通人の100倍努力して、見えていたイメージを現実世界で形にしたんでしょう
その途中では、マックのアイデアを盗んでジョブズとケンカしたり、日本のトロントを国が潰して援助してもらったりとかね
イロイロあるんだよ、単に運と言えばその時代に20代で自由があり、無限に好きなことに熱中出来たってことかな?
目の付け所がシャープだったんだね うむ、なんてのかな
ここでの話題の運ってのは、
σ(゚∀゚ )オレサマの努力と才能でここまでのし上がってきたんだぜ!!という自惚れではなく
自分がここまで来たのは運が良かっただけだという謙虚な気持ち、っていう意味ね。
そういう謙虚さがあれば、安らかに死にそうだねって話。
もちろん他人から見たら、ゲイツは努力もしたし、時代の波を見極める洞察力もあったし、という見方でOKでしょう。 >>891
ゲイツが成功したのはIBMにショボいMSDOS載せてくれたおかげですよ
IBMには他にも選択肢はあったにもかかわらず、タイミングよく現れたんです
IT関連は割とそんな話が多いみたいです
「あそこのマシンはとてもよかったのになぜ潰れたのか?」とかですね
タイミング、運というくらいしかわかっていないことはかなり多いと聞きますね
逆にMSアンチはかなり多いですw >>893
そうですね
ゲイツは赤ちゃんころからおばあさんに「お前は世界一になる子だ」
と言い聞かせられていたとも聞きます
まあそれだけじゃないにしても、生来自分の運とか、見えない力みたいなものを信じて生きる素養は
養われていたのではないかと思いますね >>895
おかげ「だとききます」
知ったかになるので、訂正します 感染症板で、ワクチンで頭痛や全身倦怠感が起こるのは軽い脳出血が起こってると言うのを見たよ
これはおソースまで調べてないけど、可能性があるとしたら、打つか迷ってる瞑想修行者は打たないほうがいいと思う。
飲酒をしないのと同じ理由で。瞑想において脳に負担をかけないことは大事だから。
ウサは特に決めてなくて成り行きにまかせることにしてたけど、基本打たないことにした。生活に支障が出るくらい圧力がかかったら打つかもしれない。 死ぬまでは行かなくとも副反応でだるさや吐き気なんかが出る人は多く、4割近いですから
悪くすると血栓ができて死ぬという事例もあるので
まあ、人様にお勧めできるものではないですね
それを打って感染が防げるというのならば打つ理由になりますが
それは不明だというのですから
デルタ株では死者の数は接種者、非接種者で有意な差はみられないようですし
様子見ですね
ワクチン強制してる人は脳みそ暴走してますよ
それもワクチン接種による症状かもしれませんからね あと、ワクチン接種後に精神錯乱した人も報告されてますし
(急速に言葉がおかしくなってしまった例とかもありましたがそちらは失念)
ファイザー社
コミナティ筋注
ロット番号 ER 7449
25歳 男性 精神錯乱、家族に付き添われ帰宅途中の高速道路で車外に飛び降り交通事故に遭遇。病院搬送されるが死亡状態。
同じロット番号で死亡が10名以上...
ロット番号ごとの副反応のリスト
https://mhlw.go.jp/content/10906000/000790032.pdf ・頭痛、発熱も動けないだるさ ワクチン接種で副反応経験の医師
https://youtu.be/O3UGL54zgTk
接種後に発熱(医療従事者2万人の調査)
1回目 3.3%
2回目 38.1% 頭痛・倦怠感も
・コロナワクチン副反応に年齢差「高齢者低い」厚労省研究班
https://youtu.be/RpVce-44SL4
37.5度以上の発熱(2度目の接種以降)
全体 38%
65歳以上の高齢者 9%
頭痛
全体 54%
高齢者 20%
倦怠感
全体 69%
高齢者 38%
・ワクチン接種、急な副反応に「たらい回し」も
https://ユーチューブ/O8ePnDGNYNk 452 名無しさん 2021/06/25(金) 12:57:01.31
反ワクチンの連中は変な脳味噌の奴多いからな
政府にワクチンを打たないように要望書を出した
医師団体のリーダーが波動医学とか言い出してる本物の基地外だったりするし >>903
そっちはあんまり好きじゃないからみてない 新型コロナウイルスの増殖100%阻害 Nスタ
https://youtu.be/R5DnS9jKua8
納豆に含まれる成分なんですって
効くんだねぇ…必要な濃度がどのくらいなのかわからないけど
>>905
なるほど >>906
コロナ板は渇望ポジショントークが多くて、あまり冷静にに語ってないイメージあったけど
久しぶりにみたら、副反応情報収集スレッドはわりと真面目に情報収集してるみたい ここはエゴのバケモノことキチガイ・アスペ・シッタカダ尊師のバカッターアカウントです >>895
運の話としていいのかは分からないけど、
応仁の乱って、結局なんで11年も続いて複数の家督争いが絡んで複雑化したのかとか、よく分かってないらしい。でも応仁の乱を境に戦国時代へ移るきっかけや、下剋上など歴史上で重要な変化も始まった。
という話を聞いたことがあって、その時、へーやっぱり人って殆ど意志で動いてるわけじゃないんだなって思ったよ。
パラダイムシフトのタイミングとしてそうなるって決まってしまったら、何だかよくわからないけど、そうなってしまうんだろうなと。運と言えば運だよね。
じゃあ、何が自由意志なのか、不確定な未来を変える要素かというと、慈悲しかないんだろうなと思う。
努力も確かにしたけれど、努力ができたのは恵まれていたからだ、運も良かったのだ、酷い目にあったりピンチもあったけど、相手が悪役をしてくれたからこそ今の自分があると思えたなら慈悲だね。 >>907
そういうスレもあるだろうね
>>909
そうそう
で、じゃあ全て運だからテキトーでいいやということにもならないし
慈悲というのはすごく大事だと思います >>908
それが君の考える精一杯の有意義なレスだとしたら
実に気の毒なことだと思うんだけどね?
君は自分自身にもレッテル貼りばかりしてるんだろうね(´;ω;`) まぁ実際ここは大嘘吐きで自分勝手なアスペのバカッターアカウントみたいなものだしな 延々とスレ違いの話してるアスペが人を気の毒におもうってw ロムってるだけで通じてる人もいるよ
君になんの話かわからないだけで
多分メーテルなんかはなんの話かわかってると思うが 大嘘吐きで自分勝手なアスペは何で偉そうな口きくの? アスペさんはアスペもあるが
頭が悪いのではないかな 煽りじゃなくて他人の話を真面目に聞かないとこと話をねじまげて聞いてしまう癖はあると思う
それでまともな書き込みしてた人も会話が面倒になってみんなどっか行っちゃったよね プライドがめちゃくちゃ高い
自分は正しいと信じ込んでる
空気が読めない
抑制が効かないからスレ違いの話題を注意されても只管書き連ねてしまう
※他者批判するのは大好きだけど自分が批判されるのは大嫌い あっという間にアタマが暴走して脳が壊れるのですね
でも、最初から壊れていたのでしょうか?
クマ(ワクチン)いるぞ
↓
「好き」「嫌い」「どちらでもない」
↓
渇愛
↓
執着
↓
「貪り」「怒り」「愚か」
↓
暴走
↓
脳壊れる
※※※※※
依存的発生が起こることを許さないことです。
vedana(感受)が既に作られてしまっても、満足や不満足の感覚がもう起こっても、そこで止めてください。感覚を単なる感覚に留め、過ぎ去らせなさい。vedana(感受)がさらにすすんで、満足や不満足に応じてこれやあれを欲しがる tanha(渇愛) になる反応を許してはなりません。
(渇愛になったら執着に進めなければいい)
正しく修行すれば、苦しみはありません。
「私」とか「私のもの」という病いに思い煩わされることもありません。
ブッダダーサ比丘 そのブッダダーサ比丘の教えは出世間からでないとできない修行だけど
それ俗世間の人にもそのように教えてるの? >>917~921
「君はどうかい?」ダンテスダイジ 君たちは>>830で言ったこと、よく考えてくれたかな? 気に障った、というのはよくわかるのですが、何が間違いで、嘘で、頭悪いんでしょうか?
それが言えないならば単に否定的なレッテルを貼ってるだけです
君たちの「マインドフルネス」というのはそういうものなのかもしれませんが
それはつまり所詮、好き嫌い、分別、渇望の話じゃないですか
議論の結果が受け入れられず「人の話を聞いてない」と言ってるだけなのではないのですか?
そもそも外道の立場から話をしていながら、そう言ってる人もいましたけど
目線を逸らして揶揄してくる「先生」のことですが
苦諦のことについてなんら反論らしきものはないようです
ともあれ、そんなみみっちいことはやめましょうよ
匿名の掲示板なのに
そんなに「考え」が自分自身、その人自身になってしまってるならマインドフルネスではないですよ
だから自由な議論を許せないのです君達は
わたしが暴れ始める前からそうですよ?? アスペ式マインドフルネス、何年やっても成功者ゼロ
スレがただ荒れるだけ
完全に無駄な月日を過ごすのみのアスペさんお疲れ〜 けれど、ワクチンを巡る話はこのスレの人たちを批判した話ではありません アスペ式マインドフルネスなんてほとんど説明したことないんですけどね
「ほぼワンダルマ」とだけ言ってます
ワンダルマ・プラスアルファと言ってもいいかもしれませんが
プラスアルファについては私のものとしては話してないですね全く
誰かの本にも書いてあることだからなのかな?否定されたことありませんねw
さあ、アスペくん叩きはいいから、ビー・マインドフルでどうぞお過ごし下さい
こちらはもうちょっと、その前の話の続きをしたいので
勝手に書いてるだけなのでスルーしていいですよ アスペさんのエゴを満足させるためだけに存在する糞スレ中の糞スレ と、エゴの満たされない人が感じてるわけですね
すみませんねエゴの付け入る隙のない話をしてしまって >>929
アスペ式マインドフルネスではなく山下信者ということですね >>921
在家に向けて語った凡夫向けの修行法ヴィパッサナー(マインドフルネス)です。
出世間だとかややこしいこと何も言ってないでしょう
なにものも執着されるべきでないというポイントで持続的に修行する事によって、法を持つように努めるのです。凡夫においては、phassa 触が起きると、vedana 感受が起こり、tanha渇愛、upadana執着、bhava、jati 「実体視して持つこととエゴが有ること」が続きます。これは、よくよく踏み均されて、ついていくのが非常に容易な道です。しかし、私達は、その道を取りません。 とはいえ、話したいことこれだけです
以前、ロスアラモス研究所などの例を引き合いに出してお話ししました
科学者の責任として、科学技術のもたらしうる望ましくないグロテスクな未来も想定しなければならない
それは人類が過去の失敗から学んだ教訓ですね
その立場から、武田邦彦などは一般人からすると突飛に聞こえることも言ってるのですが
それを誤解and拡大解釈して「デマ」と捉えてバカにする人が実に多いですねw
「科学ではこうだ」と極論めいた結論を導いてヒャッハーしたい人にとっては
そうした人類が過去から学んだ教訓は邪魔なのだ、ということです
それは今回のワクチン馬鹿騒ぎの中でも起きています
わたしは武田ファンではないので発言自体よりもバカにされてる場面を見て知ることが多いですが
バカにしておられる方がバカ、と言う場合しか見かけません
ほぼ100%です
武田の主張が正しいかどうかではありません
受け手のバイアスの話です
よくわからない話なのであれば「わからない」とだけ認識しておけば良いのです
これはどこかで見た風景です
武田邦彦も山下良道と同じく舌ったらずかつ冗長ですからよく誤解されるわけです
山下良道がバカにされていても、実はバカにしてる方が何も分かってない
それがほぼ100%なのと同じだと思いました
武田邦彦は「まともな科学者」ですし
山下良道は「まともな仏教者」ですよ
そしてよく誤解される人たちです >>921
誰の何がどう壊れてる、とあなたは分別しましたか? >>934
> なにものも執着されるべきでないというポイントで持続的に修行する事によって、法を持つように努めるのです。
わたしは何人かのスレ住人に「執着され」ているようですw >>921
> vedana(感受)が既に作られてしまっても、満足や不満足の感覚がもう起こっても、そこで止めてください。
これは禅定否定、光否定の人には無理なことですね >>927
そうだよね
ここのレギュラー陣の反応見てるとワクチン慎重派しかいないもんね
ただ、ROM専もいるだろうし、見てるだけかもしれない人にも向けてウサも語ってるよ
>>926
どのメソッドもそうじゃないかな
成功させようとすると執着となる 自分ができてもいないことを教科書を引用して他者を分別する材料にしてしまうなら
それはマインドフルネスでも仏教でもないのです
そのことはずっと言ってきてます
だから「君はどうかい?」(ダンテスダイジ)を引用しているのです
気づきましょうね >>941
あなたの発言を>>921ではそれは前提されていません >>941
あなたの発言>>921ではそれは前提されていません 一法庵の人たちって、どうしてそう皆んな最初から何もかもできない筈と決めてかかるのかな
最早この世から飛ぶしかないんだ
極端
何かトラウマでもあるの? 「はず」ではなく、できません
あとわたしは一法庵ではありませんね
悪しからず この世から飛ぶ「しかない」のではないのですよ
もともとあの世の人です、メーテルも >>948
特殊なあの世の人
だから、あなたのマインドフルネス誰の参考にならない ブッダダーサのマインドフルネスだってニッバーナだ
偉い人が言うからそうなんだーと思ってるだけだということか…
自分と偉い先生に境を立てて、自分はこっち側、偉い誰かはあっちがわ
なんてやってるならマインドフルネスじゃないよ
ティクナットハンなんか読んだってわかるだろ有と思うが
彼は明らかにニッバーナは今ここにあると言うでしょう?
そこからみたら「私を本当の名前で呼んでください」の詩などになる
そのマインドフルネスをやりなさい、マインドフルでありなさい
と言ってるわけですね
それがあの世ということですよ >>935
科学に依存しすぎてるよね
その科学がそれなりに時間を重ねて実証されてものならともかくよ
急いで承認して、多くの人に翌日仕事を休むくらいの副反応出ているのに、それは効いている証拠だとか、渇望ポジショントーク、科学依存も甚だしい。 この書き方だとわかんないかw表現するのが難しいですが
あの世だの魔境だの言うと怖いのはわかるんだけど
その「怖い」を作ってるのが渇愛なんですけどね
その渇愛を是としてるなら、やっぱりわかりませんてことですよ
で、メーテルの話したかったのはそれじゃないんだろ?
山下のアタマがいつもより壊れてるんじゃないのか?大丈夫か?
ということをわたしは話してたわけだがそれは理解してるよな ちょっと目を離した隙に大嘘吐きで自分勝手な山下信者のアスペさんがスレを荒らして無駄に伸ばしまくってた >>953
うん
安易な科学信仰みたいな考え方は、よっぽど馬鹿でなければ
いずれおかしいことに気づいてくると思うけど
それでもネットでワーワーと天下を二分する(してるかのように見える)話の中では
いつの間にか安易な科学信仰みたいなことに取り込まれていってしまうのはよくあることだから
わたし達は学生の頃、教授に言われたものです
「全てを疑え」と
信じていること、信じている自分も疑えということです ウサは分かるよ
あの方、みんなにも早く打ってもらうにはどうしたらいいか、みたいなことを言っていたよね。
あの方が打つのはそれはご自由だし、嫌味抜きに人と会う立場だから打たれるのですね、と思ったけど、他の人は他の人の自由というか、それこそ、打つ打たないどちらに恐れがあるにしても観察のチャンスでしょ。
彼の教えを否定するつもりは全くないだけに、教えの師として尊敬してるだけに、アンチがいるこのスレでこの話をするのはなかなかナーバスになる。
まあ、分かんないギャラリーは無視しておけばいいんだけどさ。
アスさんはメーテルはもしかして気がついてるかな?と期待してたけど、相変わらず出世間のメソッドを自分には無理だなんて差別だ!なんて全然違う話
しかもいつまでもそこを繰り返してて発展性もなくて飽きたわ。もういいんだわ、そんなことは。マインドフルネス以前の問題だわ、ここではスレチだわ。 大嘘吐きで自分勝手な山下信者のアスペさんは、副反応の話や変な動画ならあっさり簡単に信じこんでしまうのは何故なんだぜ 効いてる効いてるw
アスペルガー今日も連投三昧の日曜日
理解者は金魚の糞だけw 「君がどうかい」が抜けてるから空理空論になるんですよ
別にメーテルのさっき書いた話全部否定してるわけではないんですよ
「あ私、怒ってるな」と感じたら、それが過ぎ去るまで待ってみる
とかそういうのは否定しません
ある程度、誰でもできるだろうし
多分メーテルもそのくらいならよく実践してるだろうと思いますし
その実践を否定したいわけでは全然ない
便宜的にそれをマインドフルネスと呼ぶのもまあいいでしょう
けど、そういうのを別に誰かの書いてることや仏説を根拠にしなくたっていい話ですからね
ジャンプ未満のことを、ジャンプしなきゃわからない言葉にスライドさせてしまって
しかも山下さんとかを揶揄するから、それは違うだろと言ってきたわけです、過去
君がどうかい?辛いのか、楽しいのか、マインドフルネスこんな風な取り組みしてるよ
うまくいかない、うまくいってる気がする、、、
それでいいじゃないですか?
高級そうな言葉をくっつけなくても
「ジャンプとか言われると怖い」それはわかりますから
しばらく言ってませんよね 高級そうな言葉を使わないガヤ勢も結局は初心も囚われないことも理解しないまま
他者への批判の言葉として使ってしまう
何でそうなるのか、わたしは一年くらいさっぱりわかりませんでしたよ
「はあ、そうなんですか」というような調子でしたね
けれど、それは間違いだし未だにやってるわけです
永遠の初心者を 禅定、光、苦諦、慈悲の瞑想、どれも揶揄されてきましたからねww
一体どこが仏教を背景としたマインドフルネスなんでしょうか?
だから、本当の仏教の話にもマインドフルネスの話にもならないガヤ勢が
年中煽ってるか、コピペだけのスレになる
馬鹿らしいことやってると気付きませんかね?
ベテランの初心者さん達 >>935
当時の科学者が望ましくない未来を想定して自ら研究をやめるべきだったということであれば、
今アスリートたちは悪い未来を想定して五輪をボイコットすべきということになるのだがね
政治家のせいにせず アスペさんの記憶はだいたい自分にとって都合よく話せるようにねじ曲げられてる
息をするように嘘を吐く、自分勝手でご都合主義で大嘘吐きのアスペさん なんだったらテンプレからこの部分外しましょうか?
もうそうなってら板違いのスレになってくのは目に見えてるんですけど
>>1
> マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
> そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。 >>966
やめるべきだったなんていうことは言ってませんね
戦争が終わるまで放棄するといったような選択肢はあり得たでしょう >>968
勝手に曲解して嘘ということにして執着してるだけでしょ
誰かがどうか以前に自分がどうかを見なさいよ
スレタイ読めますか? 戒、光、苦諦、慈悲、ともかく仏教大嫌いじゃないですか皆さんはw
上っ面だけ仏教の用語を振り回すけど
だからこちらも変だなと思いつつ論点探ってきたわけです
その中で行きすぎた表現が若干あったことは認めますけど
真意を読み取れない人たちが曲解して、、
つまりアスペの人たちが「アスペ!」と言い始めたのですね
まあ、みんなアスペですから間違っちゃいないですが(^ρ^)
特定の人をアスペと呼ぶなら「オレはアスペじゃねえし」
という意味になりますから
だからわたしもそう言った表現は控えてきましたよ そう、ここの人たち仏教関連書を読み漁ったり、お釈迦様の教えがーとか言いながら
仏教嫌いだよね >>975
ということにして、スレ流さないと困ることをわたしがさっき書いたということですか?
よくわかりませんがw必死ですね なんだったらテンプレからこの部分外しましょうか?
もうそうなったら板違いのスレになっていくのは目に見えてるんですけど
>>1
> マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
> そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
さっき意見してた人たち、急にダンマリですか
ということは、頭に詰め込んだゴミみたいな知識のひけらかし合いがしたかったのかな? 次スレは「アスペと糖質の長文連投スレ」に改名したら? ※他者批判のためだけにレスをしないようお互い心がけましょう。
これが気に食わねえ、というわけですね
これは外しませんよ なんで特定の人間がテンプレ変更を許可するか否かって展開になるのか理解不能
このスレは所有者なり権利者がいるってことなんかな ダンマリとか言われても、お前みたいにずっと5ちゃんに張り付いてるわけじゃないしなあ とりあえずキチガイアスペさんは自分でバカッターアカウントに鍵かけてウザと二人だけで語ってりゃいいと思うよ それともスレ立てするとIP抜かれる、とか思ってて立てられないのか?w
今は全レスIP残ってるからw どこぞのネット工作会社みたいな姑息なことばかり言っているよな
ワクチン関連でピットクルーが動いてるという噂もあるが
特定のターゲット狙ってレッテル貼りで潰してくるやり方は、お前らと同じだよな 先生は好きなスレ立てればいいのに
あっ、もう立ててるか
先生は瞑想のヒントを求めてここに来てるわけじゃないよね?
実践して分かったことを書いて他の反応を見てみたいわけでもないよね?
初心者が来たらウンタラカンタラ知識を教えたいだけだよね? もう、こいつらピックルくんで良いんじゃないのか
という気がしてきたよw
どうせマインドフルネスの話しなんぞまるでしないし
精々がイッパイイッパイの詰問してくる程度のことしか出来ないのだから
ピックルにアンカー当ててやると1回20円貰えるらしいw
ネット乞食w
>>986
先生もいくらなんでもここまで姑息なことは言わない
(と思いたい) 複数の人間から批判されてても
あくまでも正しいのは自分で間違ってるのはあいつら
これが身勝手なアスペルガー思考です いつまで経ってもどこに行っても嫌われ者のアスペさん(涙) ガヤ勢からピックルに降格した連中は
島影さんが亡くなった時に書き込みが止まり
クラウドファウンディングで金が集まったら再開
ピッタリ一致しちゃうな ID:lqTsWrE/ の心の声「20円くださいお願いします」
やらん! 「複数の人間(ピックル)に批判(20円請求)されても
アンカー当てない奴はアスペルガー」
w アスペさんてさー、やっばリアルでも嫌われ者なの?だから5ちゃんで連投するしかないの? このスレッドは1000を超えました。
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