私は坐禅を辞めました。
なぜならば、坐禅をはじめとするあらゆる修行が悟りとは何の関係も無いように思えたからです。
心にキレイも汚いも無いと思うのです。それどころか、「無知は罪である」という言葉があるように、キレイな心ほどかえって残酷というか罪深いのではないかと思うのです。
真剣に悟りを開きたいと思うならば、とにかく沢山の本を読むことを意識したほうが良いと思いました。
知恵と智慧は別物だという考えもありますが、私は智慧は知恵の積み重ねた先にあるものだと思います。
よって、私は読書に専念することにします。